『死に逝く者への祈り 1』
  
 


 リィーン……リィーン……。

 鈴の音が、寂しげに鳴る。
 誰一人として姿の見えない廃墟の中、鈴の音だけがただ、かすかに鳴り響いていた――。





「あ、そういや思い出したけどさ。なぁ、知ってるか、ヒュンケル? 地底魔城の跡地に幽霊がでるって噂をさ」

 不意打ちのような一言だった。

「地底魔城、だって?」

 驚きのあまり、つい、ヒュンケルはそう口にしていた。

「そっ、地底魔城だよ、元おまえんち」

 何がおかしいのか、そう言ってポップはケラケラと笑う。
 雑談に興じながらもいつものように書類に見事な手つきで長い文章を書き込んでいるポップは、書類に集中力のほとんどを向けているせいか顔すら上げていなかった。そのせいで、ヒュンケルの見せた驚きの表情に気がつかない。

 ソファに腰掛けているヒュンケルを気にする様子もなく、リラックスした様子で自分の机に向かっていた。

 魔王軍時代はやたらめったらとヒュンケルに反抗的で、彼に突っかかることが多かったポップだが、最近はずいぶんとおとなしくなった――と、ヒュンケルは思っている。

 機嫌が悪い時は何もかもヒュンケルが悪いと言わんばかりの勢いで文句ばかり言ってくるか、不機嫌まるだしの態度でわざとらしく無視するかのどちらかだが、そうでもない時はそれなりの態度を取るようになってきた。

 今のように機嫌がそこそこいい時には、仕事の合間に雑談をふってくる時もある。
 まあ、それはポップが書類を仕上げきれず、ヒュンケルを待たせている負い目があるせいかもしれないが。

 ヒュンケルがポップの執務室に来る時は、彼に用事がある時に限られている。

 ポップが書き上げた書類を運ぶためだったり、重要な使者の到来を知らせたりなど様々な用事の場合があるが、一貫して言えるのはポップが嫌がろうと拒否しようと、用を済ませるまでヒュンケルがポップの部屋から出てくることはないという点だ。

 仕事に真面目なヒュンケルは、いくらポップができあがり次第、後で書類を届けるとか、他の書類をキリのいいところまで終わらせてから行くと言っても、頑として譲らない。

 ポップの用事が済むまで待つの一点張りであり、執務室に居座って待ち続けているのが常だ。

 そこにはポップに二度手間をかけさせるのを嫌う思いやりが含まれているのだが、残念ながらヒュンケルのその密かな思いやりは全くポップには通じていない。
 と言うか、むしろ自分が信用できないから見張っているのかと、ポップは密かにむくれていたりもするのだが。

 しかし、今日のポップはまあまあ機嫌がいいようだ。
 ヒュンケルを特に追い出そうともせず、あと少しで書類書きが終わるから待っていろと言った。

 机の前に立っていられるとうっとうしいからと、ソファに座るように文句をつけはしたが、なんだかんだと話しかけてくる。

 もっとも雑談と言っても、ヒュンケルはとにかく寡黙な男だ。
 話題性という点に置いても、非常に心許ない。仕事上や戦略上、伝えておかなければならないことは過不足なくきちんと伝言するが、日常的な会話に関しては著しく不自由な男である。

 そのせいで必然的に、この二人の雑談はポップが一方的にヒュンケルに話しかける、という形になることが多い。

 おしゃべりなポップは話題に特に困る様子もなく、やれ今日は天気が悪いだの、おやつにでるはずのチーズケーキが楽しみだとか、この間入った新入りの侍女が可愛いだとか、この前、マトリフの洞窟に行った時にアバンも来ていて楽しかっただとか、レオナが性懲りもなくバーゲンに行きたがって困るだとか、とどまることなくあれこれ話しかけてくる。

 ポンポンと気の向くままにあちこちに飛ぶ話題に多少戸惑いを感じないでもなかったが、ヒュンケルとしてはポップの話を聞くのは嫌いではない。と言うよりも、どちらかと言えば好きな方だ。

 よく、こんなにも達者に口が回る物だと感心しながら、熱心に耳を傾けている。
 だが、ヒュンケルとしては至って真面目に聞いているつもりなのだが、この態度はポップにはどちらかと言えば不評だ。

 ポップから見れば、ろくすっぽ相槌も打たないヒュンケルは人の話をちゃんと聞かずに聞き流しているように見えるらしく、たまに癇癪を爆発させる。
 しかし、ヒュンケルに言わせれば、相槌を打ちたくともポップの話題転換が早すぎて、答えを思い浮かべる前に一方的に話が進んでしまうだけなのだが。

 だが、今のヒュンケルの呟きは、珍しくもタイムリーな相槌だったようだ。そのせいかポップは話題を変えず、そのまま話を続ける。

「最近さ、そんな噂話の報告が多いんだよ。あそこら辺で夜になると人影が見えるだとか、鈴の音が聞こえるとかなんとかさー」

 実害はないみたいだからどうでもいいけどよ、などと気楽な口調で話しているポップは、さしてその報告に興味がないのだろう。ポップにしてみれば、日常的な他の噂と同レベルの、どうでもいい話題の一つにすぎない。

 そもそも、地底魔城付近は人が住むような場所ではない。かつて魔王が住んでいた場所を恐れ、地元の人間でさえ近づきたがらない。ごく稀に旅人が通りかかる程度だ。

 それも、主要な街道を大きく外れているため、旅人が通る確率はごくごく低い。それこそ、年に数人通りかかればいい方だろう。
 本格的な対策を練る必要すらあるまいと、放置されている問題だ。

「まあ、でたって全然不思議はないとこだけどさ、あそこって。なんせ、元魔王城だもんなー。
 で、ほい、できたぜ」

 と、書き上げたばかりの書類を投げ出すように机の端に放り投げる。そして、すぐさま次の書類を書き始めたポップはしばらく経ってから顔を上げ、不思議そうに首を捻る。

「なんだよ、急いでたんじゃないのかよ?」 

 まだソファに座ったままのヒュンケルを見て、ポップは目をぱちくりさせる。

 これがダイやレオナがそうしているのなら、ポップは別に不思議にも思わなかっただろう。仲間の所に来たついでに、少し息抜きをしたいとばかりに長居をするのは良くあることだ。特にダイなどは、たいした用などないくせに毎日のように押しかけてくる。

 しかし、ヒュンケルは、上に何かがつくほどに仕事には真面目な男だ。
 仕事の合間にほどよく息抜きやサボりをしようだなんて、夢にも思わない。いつもならばポップが書類が出来たと放り投げた途端、犬が飼い主の投げた枝をくわえるのにも似た俊敏さでさっと書類を受け取り、そのまましかるべき場所へ持って行くのが普通だ。

 だが、今日のヒュンケルは珍しくもボウッとした様子で、座り込んだまま立ち上がろうとしなかった。しかし、ポップが声をかけるとやっと正気に戻った様な顔をした。

「あ……いや、なんでもない。邪魔をしたな」

 そう言ったかと思うと、今度は書類を掴んで急いで部屋を出て行く。まるで逃げるようなその足取りに、ポップはまたも驚きを感じる。

「なんだぁ、あいつ?」

 いつものヒュンケルらしからぬ態度にわずかに疑問を感じたが、呼び止めるのにはすでに遅すぎた。それに、敢えてそうしなければならないほど様子が変だったわけでもない。

(ま、後でまた聞けばいっか)

 どうせ、ポップはヒュンケルと顔を合わせる機会は多い。なんと言っても仲間だ、レオナの命令やダイの希望もあり、お茶や夕食の時間には手の空いている仲間は全員揃うことになっている。その時でいいやと軽く考え、ポップはまた書類書きの仕事へと戻った――。





「ご苦労様、ヒュンケル。おかげで助かったわ。やっぱりあなたが取りに行くと、できあがりが早いわね。ポップ君ったら明日までかかると言っていた癖に、本気でやればできるじゃないの〜」

 ヒュンケルから書類を受け取ったレオナは、非常にご機嫌麗しかった。さりげなく鬼のようなことも言っていたりもするような気がしたが、とりあえずヒュンケルはその部分を黙殺して自分の欲求だけを口にする。

「姫。突然で申し訳ないのですが、休暇をいただけないでしょうか?」

「あら、珍しいわね」

 虚を突かれた表情を見せるレオナだが、いつもながら彼女の判断は速かった。

「ええ、大歓迎よ。ヒュンケルの有給ってたまりっぱなしだものね、自主的に消化してもらえるのならそれに越したことはないわ。それで、いつからがいいのかしら?」

 レオナの問いに対して、ヒュンケルは大真面目に即答した。

「できるのなら、今からでも」





「え? これから、地底魔城に行くの?」

 ダイもまた、驚き具合で比べるのならレオナと大差はなかった。きょとんと目を見張り、年相応の子供っぽい表情を見せている。

「ああ。悪いが、頼みたい」

 地底魔城――かつて、その名で呼ばれていた城は、パプニカ王国と同じくホルキア大陸に存在している。しかし、海辺の開けた土地に位置するパプニカ王国と違い、地底魔城は火山帯の険しい山の中に存在する城だ。

 まともに歩いて移動すれば、数日の日数がかかる。旅の時間を短縮させるためには、一番手っ取り早いのは瞬間移動呪文の使い手に頼むことだ。その点、地底魔城に実際に行ったことのあるダイは、願ってもない相手だった。
 その上、性格的に気さくなダイは、あっさりと快諾してくれる。

「うん、いいよ」

 詳しい事情を聞こうともせず、無邪気と言ってもいい早さでヒュンケルの頼みを聞いてくれたダイは、当たり前のように手を差し出してくる。
 瞬間移動呪文で移動させてもらう場合、術者の身体の一部に触れるのは常識だ。

(また、城内から魔法を使うつもりなのか)

 正直な話、それは近衛兵隊長として警備上はお薦めできない。
 城から出入りする者は、門番に行く先を告げて出入りをするのが原則的なルールだからだ。一瞬、咎めようかと思ったヒュンケルだが、すぐに考え直す。

 普段ならまだしも、今のヒュンケルは非番だ。
 いちいち、細かいルール破りに目くじらを立てることもあるまい。それに、自分はともかくダイはすぐに戻ってくるのだからいいだろうと思う考えもあった。

「頼む」

 ダイの促しに従って、ヒュンケルは大人しく手を預ける。その手をぎゅっと握って、ダイは一声呪文を唱えた。

「ルーラッ」

 その途端、全身を一瞬の浮遊感が包む。身体が光の速さで移動しているこの瞬間を、何度味わってもヒュンケルは慣れることができない。

 そこが魔法と言うべきか、瞬間移動呪文を使えば、移動距離に関わらず早さのせいでダメージを受けるわけでもないのに、瞬き数度の間に大陸から大陸を越えて移動することもできる。

 パプニカ城の中庭でダイの手に捕まっていたはずのヒュンケルは、次の瞬間には山の中に立っていた。
 一瞬で今までとは一変した光景に感心はしたものの、すぐにヒュンケルは違和感に気がついた。

「ごめん、ちょっと狙いがずれちゃったみたいだ」

 申し訳なさそうなダイの謝罪を聞くまでもなく、ヒュンケルもとっくに気がついていた。
 ここは地底魔城ではなく、そこから少し離れた山の上だった。

 ヒュンケルは知らなかったが、ここはダイがヒュンケルと戦った時にガルーダで一時撤退した場所だった。

「ここから地底魔城までは、割と近いんだけど……。これなら、ポップに頼めばよかったね」

 ダイだけでなく、ポップも地底魔城に行くことができる。と言うよりも、瞬間移動呪文の腕そのものはポップの方が上と言えば上だ。着地は未だにへたくそだとはいえ、ポップは場所に関しては決してポイントをずらさない。

 狙った通りの場所へ、すんなりといくことが出来る。
 だが、ヒュンケルはしょんぼりしているダイに、出来るだけ優しく言った。

「いや、構わない」

 確かに、ここは正確な意味で地底魔城ではない。だが、城跡を目視できる範囲まで一瞬で飛んでこられただけでも、ありがたい。魔法を使えないヒュンケルが自力でここまで来ようと思ったのならば、どんなに急いだとしても数日は要しただろう。

 それを思えば、多少の場所の違いなど些細な問題だ。ヒュンケルはダイに感謝こそすれ、不満を抱くなど夢にも思わなかった。

「感謝する。後はオレ一人で十分だ、ダイは先に帰ってくれ」

 ヒュンケルとすれば、そのつもりだった。
 行きさえ送ってもらえれば、帰りはキメラの翼を使って帰還できる。帰りの手段にまで、ダイの手を借りる必要は無い。そして、本来の自分の目的のために、この純真な勇者の手を借りる気はさらさらなかった。

(手を汚すのは、自分だけでいい……)

 決して言うつもりのない本音を、ヒュンケルは心の奥底でそっと呟く。
 しかし、ダイはやはり勇者だった。
 戦うべき時と場を、見逃したりはしない。ヒュンケルが何の説明をするまでもなく、一目で彼は異変に気がついていた。

「……!!」

 地底魔城を見やったダイの目に、子供離れした眼光の鋭さが宿る。
 そこは、すでに以前の地底魔城ではなかった。以前、マグマの海に飲まれた城跡は、黒く歪な形のままで固まっていた。異形の黒い波の中、当てのない航海者のごとくフラフラとうろつき回っている人影が見える。

 それも、一つや二つなんて数では無かった。
 両手どころか、両足を使ってもまだ足りないほどの数の人影が、無目的にうろついている。

「変だよ、あれ。おれ、ちょっと見てくる!!」

 止める間もなく、ダイが空を飛んで一気に地底魔城へと向かう。
 その背を、ヒュンケルは見送るしかなかった。悲しいかな、根っからの戦士であるヒュンケルには空を飛ぶなんて真似は出来ない。

 だからといって、一人で飛んでいったダイを責めるなどお門違いもいいところだ。

 飛翔呪文を使えはするものの、ダイにはポップと違って魔法力で他人も浮かせる様な高等技術は無い。飛翔呪文で他人を運ぼうと思えば、ダイ自身の腕力でしっかりと他人を抱えながら運ぶしかないが、そうすると飛翔呪文のバランスが極端に悪くなるらしく、非常に危なっかしい飛び方になってしまう。

 ダイが単身で偵察に行ったのは正しい選択だと、ヒュンケルには分かっていた。
 しかし、そうと分かっていても、心の奥で焦れる気持ちがあるのはどうしようもない。魔法を使えない自分を歯がゆく思いながら、ヒュンケルは地底魔城へと目をこらしていた――。






「うわぁ〜……」

 地底魔城の上空まで飛んできたダイは眼下の光景を見て、思わず声を上げていた。
 恐ろしい、と言うわけではない。

 いや、普通の人間にとっては、それは十分に悪夢と呼べる光景だろう。なにしろ、元魔王城のあった場所にうろつく人影は、人間ではなかった。白い骨をむき出しにして、武器のみを手にした蘇った死者……骸骨兵士だったのだから。

 だが、ダイも勇者と呼ばれる少年だ、骸骨兵士ぐらいならば驚きもしない。ダイが驚かされたのは骸骨兵士そのものではなく、あまりにも歪なその姿だった。

 普通、骸骨兵士は人間と同じく直立歩行をし、二本の手に武器と防具を備えているものだ。種類によっては、手が4本、あるいは6本ある場合もあるが、いずれにせよ左右対称でバランスのとれた身体をしていることだけは間違いない。

 しかし……今、ダイの目の下にいる骸骨兵士達は、手の数も足の数もてんででたらめだった。

 片方の肩に4本の手を無理矢理つけているのに、もう片側には何もついていない骸骨兵士はバランスがとれないのか、まともに歩くことも出来ずに何度も転んでいる。

 中には足が前後逆の方向につけられている者もいたり、手と足が逆の位置についていたりと、全く統一性というものがない。まるで、子供が沢山の玩具の人形をでたらめに組み合わせているようなめちゃくちゃさがあった。

(いったい、誰がこんなことを?)

 半ば呆然と見下ろすダイの耳に、小さな鈴の音が聞こえてきた。こんな場所に相応しくない澄んだその音色の方を見やると、そこにいたのは鈴――いや、小さな鐘を握り占めた怪物だった。

 半ば腐りかかった肉体を持つ、生ける屍……腐った死体だ。
 彼の行動は他の骸骨兵士達とは違うことに、ダイはすぐに気がついた。腐った死体は、他の骸骨兵士と違って無意味にウロウロとうろついているわけではない。

 彼は、明らかに骨を探しては拾い集めていた。
 そして、その骨がある程度集まったところで地面に丁寧に並べ、手にした鐘を鳴らす。

 その音に応じるかのように、バラバラだった骨が寄り集まりあい、人間の形を取り戻して起き上がってくる。しかし、その姿はやはり歪だった。出来損ないの骸骨兵士を蘇らせている腐った死体……だが、その行動もどこか変だとダイは思う。

 空を飛んでいるとは言え、ダイの存在に全く気がつかずにせっせと骸骨兵士達だけを作り続けている行動は、異常と言えば異常だ。

 疑問を感じたダイは深く考えるよりも早く、確認するために行動に出る。
 飛ぶのを止め、わざと大きな音を立てて地面に降り立つ。手の届く範囲にやってきた人間を知覚したのか、骸骨兵士達がわらわらとダイへと近づいてくる。

 普通の人間ならば大惨事になるところだが、ダイにとっては彼らを軽くあしらって避けるのは容易かった。骸骨兵士の攻撃を払いのけながら、ダイは思いきって腐った死体へと近寄ってみる。

 それが見えないわけでもないだろうに、腐った死体はダイにはまったく反応を見せなかった。濁り、虚ろな目は、どう見てもダイを映しているようには見えない。

 ただ一心に骸骨兵士を作り続ける腐った死体は、小声でブツブツと囁き続けていた。最初は聞き取れなかったその言葉を、ダイは耳をすませてしっかりと聞く。

「…急がねば……ヒュ……ンケル様の……ために、兵士を……」

                                                              《続く》 

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