『死に逝く者への祈り 2』
  
 

「……そうか……」

 戻ってきたダイの説明を聞き、ヒュンケルはそう言うのが精一杯だった。せっかく自分のために偵察してくれたダイを労う言葉すら、口にするだけの余裕もない。
 動揺をこらえるため、ヒュンケルは俯いて唇を噛みしめる。

(やはり、モルグだったのか……!)

 ポップから噂を聞いた時から、もしやとは思っていた。だが、それが現実だったと知り、ヒュンケルは少なからぬ動揺を感じていた。
 モルグは、ヒュンケルの配下だった。

 まだ魔王軍でヒュンケルが不死騎士団長をやっていた頃、執事として使うようにとミストバーンから与えられた部下だった。物言わぬ、意思のない並の不死系怪物と違い、しっかりと自意識を持ったモルグは腐った死体ながらなかなか有能な執事だった。

 怪物とはとても思えないぐらい人がよく、気の利いた執事として活躍してくれたモルグを、ヒュンケルはずっと重用していた。口に出して言ったことはなかったが、いい部下を持てたことに感謝の念すら抱いていた。

 しかし、地底魔城がフレイザードの手により溶岩に飲まれた際、ヒュンケルはモルグを初めとして自分の部下達も全滅したのだろうと思っていた。

 だが、どうやら違ったらしい。
 不死系怪物ならではのしぶとさで未だにこの世に残っていたモルグの生存を、ヒュンケルは複雑な思いで受け止めていた。

 正直、生きていて欲しいと願った相手ではあった。
 正確に言うのであれば、もちろんモルグは生きているとは言えない。とうの昔に死んでいる存在だと分かっていても、それでもモルグはヒュンケルにとっては誠実な部下だった。

 常に控えめながらもヒュンケルをいつも気遣い、時として彼を諫める時すらあった人間味溢れる不死系怪物だった。

 地下魔城がマグマに飲まれた後で、ヒュンケルが生死を気にかけた部下はモルグただ一人だったと言っていい。だが、死んでしまっただろうと諦めていた。

 それが生きていた……と言うのも語弊がありそうだが、まだ地上に残っていてくれたこと自体は、素直に嬉しいと思う。
 だが、手放しに喜べないのは、モルグが『廃棄処分品』に成り下がっているせいだった。

 不死系怪物は、文字通り死を超越した兵士達だ。
 一度死んで、再び蘇ってきた彼らに二度目の死はない。いくら攻撃を受けても決して死ぬことはないし、例え身体をバラバラにされても自動的に復活して蘇ってくるのが基本だ。

 しかし、いくら不死系怪物がまれに見る再生力を備えていたとしても、それにも限界はある。
 さすがに限度を超える強力な攻撃を受けた場合、再生不可能となる時もある。そんな時、魔王軍では容赦なくその怪物を廃棄処分品として扱ってきた。

 その場合、特に損害が大きく出てしまうのが知性を持つ死者達だ。
 大半の不死系怪物が思考力を持たず、ただ命令のまま黙々と動くしか出来ないのに比べ、ごく一部の不死系怪物は自意識や知性を保つ場合がある。

 バルトスやモルグがそうだったように、そんな不死系怪物は使い勝手がいいと優遇される場合が多い。
 だが、元不死騎士団団長のヒュンケルは知っていた。

 知性を持つ不死系怪物が強いダメージを受けた場合、肉体よりも知能や精神面に影響がでやすいという事実を。なんらかのきっかけで完全に壊れてしまった不死系怪物を、ヒュンケルは何体か見た経験がある。
 そうなってしまった不死系怪物は、もう救えない。

 使えないと判断し、即座に廃棄処分するのが魔王軍のいつものやり方だった。そのやり方に反感を抱かないでもなかったが、それでもヒュンケルはその方針に逆らわなかった。

 それは魔王軍のやり方が正しいと思ったからでも、彼らに逆らう覚悟がなかったからでもない。
 壊れた不死系怪物を、助ける方法がないからだ。

 一度、精神が破壊され知能を失った不死系怪物が元に戻ることはない。
 少なくとも、ヒュンケルにはそんな方法など知らないし、思いつきさえしない。ならば、ヒュンケルに出来る解決策などたった一つしかなかった。

「…………」

 自分が見てきた物について語った後、答えを待つようにじっと自分を見上げている勇者に対して、ヒュンケルは静かに言った。

「なら――連中を全滅させるしかないな」

 それは、自明の理だった。
 魔王軍を捨てて勇者一行の一員として戦い、今はパプニカ王国の騎士団に籍を置いている身としては、他に選択の余地などない。

 人間に害する恐れのある不死系怪物がうろついているのを、放置しておくことは出来ない。
 なのにダイはとんでもないことを聞いたとばかりにギョッとし、ヒュンケルを止めにかかる。

「え!? ぜ、全滅って……っ、だってあの人、ヒュンケルの知り合いなんだろ!?」

「ああ、そうだ」

「なら、なんとか助けてあげてもいいんじゃ……っ。あ、そうだ、レオナに相談とかしてみたらどうかな?」

 まるで自分のことのように動揺し、熱心に話しかけてくるダイの気持ちが、ヒュンケルには痛いほどよく分かる。

 ヒュンケルが幼い頃、魔族に拾われて育ったように、ダイもまた、怪物に拾われて育てられた。怪物に親近感を持つダイにとっては、相手が不死系怪物だと言うだけで戦う理由にはならない。ましてや、ヒュンケルの知り合いと分かっているのなら尚更だろう。

 食い下がってくるダイの思いやりを有り難いと思いながらも、ヒュンケルは首を横に振った。
 もし、パプニカに一度戻ってレオナに相談したといても、結果が変わるとは思えなかった。
 
 確かにレオナは人間と怪物の共存を理想とした政策を推進しているが、無条件に怪物の保護を行っているわけではない。魔王の影響のせいで凶暴化した怪物を無闇に討伐しないという方針を取っているが、未だに行動に改善が見られない怪物に対してはそれに相応しい処分を行っている。

 自分の意思を持たない不死系怪物達は思考力がない故に、主君に与えられた命令をそのままなぞって行動するしかできない。
 情けをかけても、改善の余地などありえない。
 それに職務を度外視したとしても、結論は同じだった。

「結果は同じだ。
 それに――あいつは、かつてオレの部下だった。だからこそオレが……、あいつを開放してやりたい」

 それも、ヒュンケルの本音だった。
 壊れてしまった不死系怪物を助けられないのなら、せめて自分の手でとどめを刺してやりたい――それが傲慢な思考だとは自覚していた。

 誰の手によって退治されたとしても、完全なる死を迎えるという意味では結果が変わらないだろう。
 なのに、自分自身の手でケリをつけたいと望むのは、ヒュンケルの身勝手な思いにすぎない。

(その意味では、モルグが正気を失っているのはかえって好都合かもしれないな……)

 自嘲を込めて、ヒュンケルは心の中だけで述懐する。
 人のいいあの腐った死体は、本来は戦いに向くような性格ではなかった。かつての主君に成敗されるという、救われない末路を迎えるような怪物ではなかった。

 人間に対して愛着や同情の念すら見せていたお人好しの腐った死体には、できるのならば安らかな死を迎えて欲しいと思う。見も知らぬ討伐隊に一方的に駆り立てられ、果てる最後など想像したくもなかった。

 それぐらいならば、まだ自分の手で終わらせてやりたい。
 すでに心が壊れているのなら、ヒュンケルを見て心を痛めることもないだろう。
 それこそが最善だと、ヒュンケルは疑いもしなかった。

「…………」

 だが、ダイはヒュンケルの話を聞き、しばらく考え込む。よほど真剣に考えているのか、ダイの太めの眉に皺が寄っている。そうやって考え込んだ後で、ダイはやけにきっぱりとした口調で言った。

「おれ、それは違うと思う。
 助けたい人がいるなら、助けてあげればいいよ、絶対に」

 子供っぽさを残した声と口調だが、決然とした響きには目を見張る物があった。
 そこは、さすがは勇者と言うべきか。
 ダイはゆっくりと地底魔城の跡地を指さしながら、言った。

「あのくさった死体を完全に燃やし尽くしたり、この城ごと根こそぎ壊したいだけなら、おれでも出来るよ」

 その言葉は大言壮語とは言えない。紛れもない、事実そのものだ。
 見た目こそ子供でも、ダイの本質は人間ではない。神々の生み出した最終兵器である竜の騎士の末裔だ。

 ダイがその気ならば、即座にそれを実行できるだろう。しかし、ダイは首を軽く横に振った。

「でも、ヒュンケルがホントにやりたいことは、そうじゃないよね?」

 質問の体裁はとってはいても、それは質問でさえない。ものの見事に、ヒュンケルの核心を射貫いていた。ここしかないと言わんばかりの急所を確実に貫く一言は、ヒュンケルの虚を突いた。

 もし、ダイが子供っぽくうろたえながらモルグを助けろと言うだけならば、突き放すことも出来ただろう。ダイの優しさを、戦士として非常になりきれない甘さだと解釈したに違いない。

 だが、自分よりもずっと年下のはずのこの弟弟子は、一足飛びで大人びた表情を見せる時がある。たった12才で世界を救った勇者の、思わぬ包容力にヒュンケルは驚かされる。

 非情に徹しようとしても、どうしても徹しきれない自分の甘さの方を思い知らされたような気分だった。だからだろうか――つい、本音をポロリと零してしまったのは。

「だが……おれには助けてはやれない」

 ヒュンケルの弱気な本音に、ダイは少し寂しそうに笑って「おれもだよ」だと言った。だが、彼はヒュンケルと違ってそこで思考を停止させはしなかった。
 真っ直ぐにヒュンケルを見あげ、宣言する。

「でも、ポップなら、できるよ」

 今度こそ、ヒュンケルは絶句した。
 虚を突かれた、どころではない。予想外の発言は、いきなり爆弾を落とされたも同然の衝撃だった。

 驚きのあまり絶句しているヒュンケルに向かって、ダイは熱心に言いつのる。

「ポップ、前に魔界で死んだ魂達を助けてあげてたよ。どうやったのかおれにはよく分からなかったけど、ずっと魔界のどん底で彷徨っていた魂達をポップは助けてくれたんだ」

 それは、初耳の話だった。
 ダイもポップも、魔界でのことはあまり話そうとはしない。魔界の過酷さを思えばダイ達にそれを詳しく聞くのはためらわれると周囲が気を遣って聞かないせいもあるだろうが、彼ら自身も特に話したいとは思っていないのだろう。

 お調子者でおしゃべりなポップでさえ、魔界での話はほとんどしない。
 だからこそ、魔界での出来事を聞くのはこれが初めてだった。

「おれは、あの魂達には何もしてあげられなかった。戦ってたけど、切っても焼いてもいつの間にか再生しちゃうし、どうやってもとどめも刺せなかった。どうにかしてあげたくても、なんにもできなかった」

 そう呟くダイの顔に、影が差していた。
 淡々とした口調だったが、かえってそれがダイが味わっていた魔界の過酷さを感じさせる。

 魔界に対しての知識はなくとも、不死系の怪物や魔族のしぶとさを肌で知っているヒュンケルにとって、死せる魂との戦いがどれ程救いがなく、また神経をすり減らすものなのか、想像はつく。

 そう思うと痛ましいとしか思えなかったが、ダイはいつまでも俯いてはいなかった。気を取り直したように顔を上げた時には、その目は元気よくキラキラと輝いていた。

「でも、ポップは違ったよ。戦うんじゃなくって、魔法を使ったんだ。
 初めて見る魔法だったけど、すっごくきれいだったよ。それに天にのぼっていく魂達も、幸せそうに見えたし。

 戦わなくても、あんな風に死んだ人を助ける方法があるんだって、おれ、知らなかったよ」

 ひどくもどかしげに、だが、一生懸命にダイはヒュンケルに向かって訴えかける。
 その一生懸命さが微笑ましく、また嬉しかった。

 名実ともに認められる勇者であり、今となっては世界的な英雄として知られるダイだが、彼の本質は変わっていない。無邪気で、どこまでも素直で、羨ましいぐらいに純真だ。

 親友への無条件の信頼を臆面もなく口に出せるダイの言葉は、説得という意味では少々弱いかも知れないが、その代わり聞いているだけで胸が温められるような誠実さがあった。
 励ますように、ダイは言う。

「ポップなら大丈夫だよ。ヒュンケルの頼みに文句は言うかもしれないけど、でも、きっと断ったりしないよ」

 それは、ヒュンケルも確信していた。
 口ではやれ面倒くさいだのなんだのと悪態ばかりつく癖に、ポップは至ってお人好しで根は優しい。他者の救助のために、ポップが魔法を惜しむとは思えない。

 だが――だからこそ、ヒュンケルは頼むのが怖かった。
 頼んで断られることが、ではない。
 自分の頼みに応じて、ポップが魔法を施行することが、だ。

 ダイは知らないが、ポップは大戦中や戦後、強力な魔法を使いすぎたせいで体調を崩している。

 日常生活ぐらいならなんともないが、無理を重ねたり、強い魔法を使いすぎるとてきめんに具合が悪くなってしまうのだ。実際、強力な魔法を使った直後にポップが苦しそうに胸を押さえているところをヒュンケルは何度か目撃している。

 幸いにも、ダイが地上に戻ってきてからはポップが大がかりな魔法を使うこともほとんどなくなり、体調も安定している様子だ。だが、それでも時々、ポップは思い出したように体調を崩す時がある。

 自分で自分を労るどころか、ポップは自覚もないまま無理を重ねてしまう傾向がある。これくらい平気だからと、なんでもないかのように人一倍の仕事を引き受けて見事にやってのけるまではいい。

 だが、それと引き替えにポップの体調が少しばかり悪くなるのでは、何の意味もないとヒュンケルは思っている。
 ましてや、今回の件は誰の得になるわけでもない。

 単に、ヒュンケルの個人的な感傷――言ってしまえば、わがままにすぎない。
 それにポップを付き合わせるのは、どうしても気が咎める。

「いや、あいつに頼むわけにはいかない。これはオレの問題だからな」

 自分の問題に、他人を巻き込みたくはない。それが弟弟子であったとしても、だ。

「ダイ、おまえももう戻るといい。そして、ポップにはこのことは言わないでおいてくれ」

 ヒュンケルの決断を聞いて、ダイはどこかがっかりした表情を浮かべながらも、頷いた。

「……分かったよ。なら、ポップには言わないよ」

 ちょっと難しそうだけど、と付け足すのがダイの正直さだ。隠し事が苦手な上にポップとしょっちゅう一緒に居るダイにとって、ポップに対して秘密を持ち続けるのはなかなか大変なことだろう。

「でも、おれ、帰らないよ。一緒に行くよ……なにか、手伝えるかも知れないし」

 そこだけは譲らないとばかりに、きっぱりとダイが言う。
 その目には、確かな覚悟があった。

 自分には何も関係がないのに、手助けを何度も申し出てくれ、しかも譲歩してくれている。一緒に手を汚すのも厭わないと言外に告げてくれる弟弟子は、さすがに拒絶しきれなかった。

「ああ」

 頷き、ヒュンケルはダイと連れだって歩き始める。そうしてみて、今更のようにその背がずいぶんと伸びているなと思い知る。

 出会った頃は、まだほんの子供で頭一つどころか二つ分ほどに小さかった少年は、まだヒュンケルよりも低いとは言え驚くべき成長を見せている。
 それが少し寂しいようでいて、不思議と嬉しく、頼もしいものだった。

 何も会話を交わさなかったが、二人とも申し合わせたように同じ歩調で歩いて行った。

 足音を殺す必要はなかった。
 並の敵が相手ならば、接近を悟られないように気配を殺したまま近づくのは基本中の基本だが、壊れた不死系怪物相手にそんな気遣いなど無用だ。

 素のままで最短距離を通って地底魔城跡地に向かった二人は、怪物達の動きが変なことに気がついた。
 さっきダイが偵察した時のように、無目的にうろついているわけではない。不死系怪物達はなぜか一箇所に集まろうとして、うろついている。

(妙だな)

 不死系怪物の元主君として、ヒュンケルは疑問を覚える。

 不死系怪物達に一箇所に集まれと命令を出した場合、彼らは愚直にその命令に従う。その場合は指定した場所にじっととどまり、彫像のように動かなくなるのが普通だ。

 かといって一定の箇所に集まろうとしつつも動きを止めないなんて、複雑な命令を受けつけるだけの知能もない。それなのにこんな動きを取るなんて、まるで見えない結界に阻まれているようだ――ちょうど、ヒュンケルがそう思った時のことだった。

 聞き覚えのある声が、響き渡ったのは。

「遅い! ったく、てめえら、どこをうろついていやがったんだよ!?」
                                          《続く》

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