『死に逝く者への祈り 4』 |
「それじゃ、しばらくの間でいいからおれの周囲に誰も近づけないようにしてくれ」 ポップは最初に、そう頼んできた。 「魔法陣の中ってのは一種の結界だからな。外部からの干渉を防ぐ代わりに、内部から外部への干渉も封じられちまうんだ」 それを聞いて、ダイが思い出したように大きな声を上げる。 「あ! そういえば、アバン先生の修行の初日もそうだったね。ポップ、魔法陣からでてからガーゴイルと戦っていたっけ」 「へえ、良く覚えてたな。ああ、あれと同じだよ」 魔法陣の内部で使うのならばともかく、外部に向けて働きかける魔法をしかけるのならば、破邪呪文の魔法陣の外にでる必要がある。が、そうなれば当然、周囲にいる骸骨兵士達がポップに襲いかかるのは疑う余地もない。 普段のポップならばこの程度の敵など、空中に飛び上がったり、牽制の魔法をかけるなどして軽くあしらうだろうが、大がかりな呪文を唱えながらそうするのにはさすがに無理がある。 中級レベルの魔法までならば連射できるポップだが、強力な魔法だとそうもいかない。強い魔法をかけるためには精神集中や溜めの時間が必要なのは、ダイもヒュンケルも良く知っていた。 「しばらくって、どれぐらい?」 「そうだなぁ……メドローアの十倍ぐらいの時間は欲しいな」 それを聞いてダイは指を折りながら考え込み、ヒュンケルは僅かに眉をひそめる。 メドローア――極大消滅呪文は、ポップの使える中では最強の攻撃魔法だ。そのため呪文を作り出すまでにかかる時間も、最も長い。最速でも術の準備を整えるまで数十秒は必要とするため、戦いの中でその時間を作り出すのにポップは常に苦労していた。 その十倍程度の時間がかかるというのならば、戦士達が前衛となって時間を稼ぐ必要があるのは理解できる。 (本当に、大丈夫なのか?) 喉元までこみ上げてきたその質問を口にすべきかどうか、ヒュンケルは迷う。 ポップの魔法の腕前を、ヒュンケルはこの上なく信頼している。心配なのは、大がかりな魔法がポップの身体に与えるダメージの方だ。強力な魔法は、魔法力だけでなく体力も消耗させる。 強い術を放った後、ポップが苦しそうな様子を見せるところは、大戦中から何度か見てきた。ダイが行方不明だった間には、強力な魔法の直後にポップが倒れる所を何度か見たことがある。 それを思えば、発動させるのに時間のかかる魔法というものは、それだけで不安とも不服ともつかぬ感情を呼び起こさせる。 だが、ポップに知られてしまったという成り行き上とは言え、魔法をかけてくれるように頼んだ自分に、異議を差し挟む権利はあるだろうか……そんな風に生真面目に悩むヒュンケルをよそに、指折り数え終わったダイは素直に尋ねた。 「あれ? でも、魔界で唱えた時はそんなに時間はかからなかったんじゃない?」 「ま、あの時は、条件がよかったからなー。神聖系の結界の中で、同系列の魔法を唱えるのはそんなに難しくないんだよ、効果も強まるしさ。 そう言いながら、ポップは軽く肩をすくめて見せる。 「そうだな、おまえらに分かり易く言うなら……狭い山小屋の暖炉に火をつければ、部屋全体が暖かくなるのも早いだろ? でも、戸外でたき火をしてその辺全部を暖めるなんて、難しいし時間もかかる。 その説明を、ダイはどこまで受け入れたのか。 「うん、なんとなく分かった! と思う!」 「なんとなくかっ!? それなのに、何でそんなに自信たっぷりなんだよ!?」 顔をしかめてポップが文句をつけるが、ダイは身を乗り出して力強く宣言する。 「大丈夫だよ、おれ、ちゃんとポップを守るから安心してて!!」 ダイのように素直に口には出さなかったが、ヒュンケルも同じ思いだった。 「ちょーっと不安は残る気はするけど……、じゃ任せたぜ」 軽い口調でそう言ったかと思うと、ポップはひょいと魔法陣の外へと足を踏み出した。 その途端、モルグを除く不死系怪物達が一斉にポップに目を向けた。 動ける者はもちろん、再生途中でろくに動けない者も一斉にポップに向かって襲いかかってくる中、ダイとヒュンケルは冷静に対処に当たる。 ポップを真ん中に挟む形で、二人は一定距離を左右に散った。そして、群がってくる不死系怪物達に剣を振るう。 剣戟の音がうるさすぎてポップが何か呪文を唱えているのは聞き取れなかったが、彼が集中しているのは分かる。周囲を怪物に取り囲まれていながら、ポップは目を閉じたままだった。 それは、魔法使いにはありがちな癖の一つだ。 実際、ポップが修行中に瞑想を行う際、目を閉じている姿はヒュンケルでさえ何度も見たことがある。 だが、日常の場でならばともかく、ここは戦場だ。 (いい度胸だな) いくら視覚を閉ざしてはいても、音や気配まで完全に遮断できるわけがない。すぐ間近に聞こえる戦いの気配に、普通の人間ならばかえって怯えを感じてしまい、集中を高めるどころか気を散らせてしまうのが関の山だろう。 だが、ポップの集中力は並ではなかった。 自分に怪物が襲ってくるなど考えてもいないように、避けるどころか身を竦める素振り一つ見せずに小声で呪文を呟き続けている。 その時間は、実際にはそれ程は長いものではなかっただろう。 (まだか……?) 焦りを感じながらも、ヒュンケルは周囲への警戒を忘れない。一見無造作に、だが、実際には十分に計算された動きで剣を振るう。軽く振っただけのその剣は近寄ってきた骸骨兵士の腰骨を打ち砕き、しばらくの間とは言え戦闘不能へと追い込む。 ヒュンケルの剣戟は、基本的に重い。 そんなヒュンケルの剣と比べて、ダイの動きは軽やかだ。 軽装、かつ軽い剣で素早い動きを得手とするアバンの動きの基本を、ダイはそのままそっくり真似ているところがある。パプニカのナイフという刀身の短い刃を持ってはいても、ダイの動きは剣を持った時と大差はない。 力ではなく、正確な場所を見事に斬ることで着実に相手にダメージを与えていく。 だがその動きとは裏腹に、ヒュンケルにはダイの表情がいつになく強張り、緊張しているのが見てとれた。 (もしかして、ダイも……?) もしや、ダイも自分と同じ心配を抱えているのかと気になったが、偶然聞こえてきた彼の独り言がその心配を打ち消してくれた。 「291、292、29……えっと? あー、多分、287っ」 ポップと同様に小声で小さく呟いているダイだったが、唱えているのは呪文でも何でもなく、単に数を数えているに過ぎない。 そう言えば、風呂場でもダイが一生懸命に数を数えながら浸かっているのを見たことがある。ポップに以前そう言われたからと大真面目に数えていたダイの律儀さは、今回も発揮されているらしい。 ポップに言われた通り、きっちり極大消滅呪文の溜めの時間の十倍を数えながら時間を稼ぐつもりの様子だ。どちらかと言えば、戦うよりもきちんと数を勘定する方が大変なように見える弟弟子につい苦笑した時、『それ』は始まった。 はっきりとは聞き取れないまでも、今まで絶え間なく呟かれていたポップの呪文が途切れ、閉じていた目が見開かれる。 「……っ!!」 思わず息を飲んだのは、ヒュンケルだったのか、それともダイだったのか。 回復系特有の、神々しくもどこか暖かみのある光は、通常の場合ならば術者の手から微かに放たれる程度だ。 だが、今のポップの輝きは明らかにそれ以上だ。太陽の光に紛れるどころか、ポップ自身が眩い光の源となって周囲をより一層明るく照らし出している。 それはまるで、地上に小さな太陽が出現したように見えた。 ポップの使っている魔法は、ダイやヒュンケルに向けたものではない。だがそれにも関わらず、その魔法の恩恵はダイ達にまで及んでいた。 その光は、太陽と同じように暖かく、眩い。回復魔法を浴びたかのような心地よさを感じるのは、神聖系の魔法であるからこそ感じる余波だろう。まるで冬の木枯らしの中で浴びる太陽の光のように、その光は理屈抜きの温もりと心地よさを与えてくれる。 そして、その光は不死系怪物達にも明らかな変化を与えていた。 だらりと垂れた腕や武器からは、すでに危険性は感じられなくなっていた。 「彷徨える魂達よ。死して再び、この世に呼び戻された者達よ――。 男にしては高めの声が、些か古めかしい口調でその場にいる死者達に呼びかける。いつものポップとは思えない程に真摯な口調は、不死系怪物達の耳にさえ届き、その心を動かした。 不死系怪物の一匹が、空を仰ぐ。かと思うと、そのすぐ隣の不死系怪物ががっくりと崩れ落ち、地に膝をつくのが見えた。一律で同じ行動を取る不死系怪物ならば、有り得ない動きだった。 個人差の窺えるその姿には、不思議なほどの人間味が感じられた。 (そうか……こいつらも『人』だったんだな……) 強く意識したことも無かったが、考えればごくあたりまえの話だった。 部下として利用しておきながら、元を辿れば彼らも人間だという事実を今まで思いも至らなかった自分自身の薄情さを、ヒュンケルは自嘲する。 「偽りの生は、今、終わる。 強い気迫のこもった声に押されるように、とある骸骨兵士の手からぽたり、と剣が落ちた。 その途端、光の輝きがその兵士を包みこむ。 普通の炎が肉体を焼くのとは逆に、浄化の光は骸骨兵士に本来の姿を蘇らせる。 暑い夏の日に陽炎が立ちこめるように、骨ばかりの兵士の身体に肉の身体が一瞬だけ、揺らいで重なる。 「おぉおお……!? こ、これで、やっと……眠れる……っ」 残した言葉は、それだけだった。男の生前の姿も、ほんの一瞬で幻のように掻き消えた。 そして、骸骨兵士の姿はさらりと解けて、砂となって崩れ去る。その砂が、キラキラと輝きながら風に流れていく。 だが、今日の死者達は少しも哀れには思えない。 その度に浄化の光が、彼らを導く。 だが、それでもヒュンケルは引き剥がすようにポップや不死系怪物達から視線を逸らし、モルグの方に目をやった。 長年、ヒュンケルに使えてくれていた不死執事の反応は、他の怪物達とは少しばかり異なっているように見えた。 元々武器を持っていなかったとは言え、他の不死系怪物を操るための鈴を手放そうとしない。ふらふらと覚束ない足取りながらもこちらに向かって歩いてくるのを見て、ヒュンケルは立つ位置を微妙に変えた。 向かってくるモルグの、真正面に正対する位置に向かい立つ。ちょうど、ポップとモルグの間を塞ぐ位置に立つように気をつけて。 ヒュンケル自身が望んだわけでもなければ、自分で作り上げた存在でもないが、それでもモルグはヒュンケルの部下だった。 だからこそ、自分が受け止めるつもりだった。 「……!?」 驚いて振り返った先にいたのは、ポップだった。 不満そうに自分を睨みつけているポップが、軽く首を振って見せる。邪魔をするなと言わんばかりの態度だった。その不満げな態度が、ヒュンケルに直前の約束を思い出させる。 (……そうだな、オレから頼んだのだったな) それを思い出せてくれた弟弟子に、礼の意味を込めて軽く頷き、ヒュンケルは一歩引いてポップに場所を譲る。 その間も前へと歩み続けてきたモルグは、ポップの目の前までやってきていた。すぐ間近に迫った腐った死体に臆すること無く、ポップは再び呪文を紡ぐ。 「器は地へ。 そこで一旦言葉を切ったポップは、手を伸ばしてモルグの胸に直接手で触れる。 「思い出を、汝の元に!」 それと同時に、モルグの姿が白い炎に包まれる。それが苦痛をもたらすものではないと承知し、悲鳴とは言えない声だとは分かっていても、ヒュンケルはつい呼びかけていた。 「モルグ!?」 眩い光は、モルグの肉体の上に生前の姿を呼び起こす。 一回り背が伸びたように見えるのは、極端な猫背が伸びたせいだろう。モルグに限らず、腐った死体の類いは背筋を伸ばして直立することなどできなくなる。 自分の肉の重みすら支えきれないとばかりに、だらりとだらしのない姿勢を取るのが普通だった。 だが、今、モルグの背はきちんと伸ばされていた。 死せる怪物にしては整った服を着ていたおかげも手伝って、モルグの姿は生きている人間とほぼ変わらない姿へと復帰した。 「モ……モルグなのか?」 ヒュンケルにとっては見慣れない、だが、人の良さそうな小柄な中年男がそこにはいた。 「はい……、ヒュンケル様。お久しゅうございます」 深々と頭を下げる動きにあわせて、彼が手にした鈴が涼やかな音色を響かせる。 「ご健勝な様子に、安堵致しました。……このモルグ、これ程嬉しいことはありません。 初めて相対する、それでいて長年の部下のその言葉に、全く動揺を感じなかったと言えば嘘になる。 しかし、それは最善の道のはずだ。 だが、それでも問いかけずにはいられなかったのは、未練というものだろうか。 「もう、逝くのか?」 「はい。心残りは、もはやなくなりましたので」 打てば響く早さで、きっぱりとした答えが戻ってくる。それから、モルグはヒュンケルからポップへと視線を移した。 「あなた様のおかげで、ヒュンケル様のことばかりか妻と子の――息子の顔も、思い出せました。本当に、感謝の言葉もありません」 律儀にポップに向かって一礼した後で、モルグは姿勢を正してから再びヒュンケルに一礼する。 「それでは、ヒュンケル様、これにて失礼致します。 その言葉と同時に、モルグはあっけないほどあっさりと鈴を手放した。その瞬間に、彼の姿は光に包まれて揺らめく。生前の姿が陽炎のように消え、ヒュンケルにとっては見慣れた生ける屍姿のモルグが残ったが、それも一瞬に過ぎない。 魂を失った肉体は光の砂粒となって、容易く風に流された。その砂のきらめきが消えると同時に、鈴が地べたに落ちて一際大きな音を響かせる。 「…………」 無言のまま、ヒュンケルは部下が消え去った場所を見つめていた。気がつくと、ここにいるのはヒュンケルにダイ、ポップの三人だけだった。 今度こそ完全に無人と化した魔王城跡に、ただ、風が吹き抜ける。その風は、地べたに転がった鈴を微かに転がした。 鈴の音が、寂しげに鳴る。 《後書き》 『返事がない。ただの屍のようだ……』 いや、そんな話とは関係なく、モルグさんのもう一つの成仏ストーリーですv 以前に長編で彼の後悔や葛藤をがっちり書いたので、今回はヒュンケルサイドから淡々と客観的に見てみる方針で書いていたら、不思議と長引きましたね。 ったく、あの無口暗黒剣士は語り手としては、とことん役に立ちませんですよっ。 ところでうちのサイトでは、モルグさんは元々はハドラーの生み出した不死系怪物で、後にバーンに移譲されたと考えています。『もう一つの救済』でその辺を詳しく書きましたが、ハドラーが自分に反抗した場合のことを考えて部下の勢力を削いでおいたわけです。 が、バーンが死亡したはずの勇者帰還編でもモルグが存在しているのは、主君に当たるバーンが完全死亡してはいないからです。 5年後魔界編について述べていた原作者本人のインタビューで『バーンとヴェルザーは互いに敗北した際に、石になる呪いを掛け合っていた』という裏設定を明かしています。 魔界にはバーンとヴェルザー以外にももう一つの謎の勢力がいて、いざという時に相手と第三勢力が手を組むのを牽制する目的でこの約束をしたんだとか。 確かに三つ巴の戦いで、敵と敵に手を組まれる程厄介なことはないので、納得できる思考ですね。……自分が負けるとは思わないのかよと、突っ込みたくはなりますけど。 まあ、結果的にバーンはダイに、ヴェルザーはバランにそれぞれ負けて石になったわけですが(笑)、石になったヴェルザーが生きていたんだから、宇宙空間に残されたバーンも多分、死んでないと思うんですよ。 でも、距離がありすぎるから魔王として地上に影響を与えることも出来ない……そんなわけで、バーンの配下の不死系怪物のモルグさんは壊れた状態で存在していた――という、どうでもいい割にはものすごく理屈っぽい裏設定があったりします. |