『死に逝く者への祈り 3』
  
 

「ったく、てめーら、遅すぎ。もうそろそろ帰ろうかって思ってたとこだったぜ」

 地底魔城の跡地には、すでに緑の服を着た魔法使いが待ち構えていた。数え切れないほどの死者に囲まれながら、ポップは平然と座り込んでいた。ただでさえ長身とは言えないポップがそうしていると、割合と背丈のある骸骨兵士達に紛れてしまって見えにくい。

 そのせいで今まで気がつかなかったのだが、文句を言っているポップ自身はどうやら、そこから動く気どころか立ち上がる気もないらしい。
 早くそっちが来いとばかりに、軽く手を上げて合図を送るだけだ。

 地べたに胡座をかいて座っているポップは、周囲の死者に怯える気配すら見せない。

 それは、ある意味では骸骨兵士達も同じだった。
 武器を持った歪な兵士達は魔法使いの少年のすぐ側を歩いているのに、攻撃する素振りはない。

 いや、その素振りを見せないと言うよりも、出来ないと言った方が正解か。
 不死系怪物達はフラフラと引かれるようにポップの側には来るものの、その身体に触れる前に弾かれるように行く手を変える。

 見えないバリヤーで守られているかのように、無数の不死系怪物達はポップの指一本触れることはなかった。
 彼の座っている地面に目を落とし、ヒュンケルは納得する。

 ポップの足下に描かれている五芒星の魔法陣――それには見覚えがあった。魔を払う効力を持つ破邪呪文、マホカトール……アバンが得意としていた呪文だ。

 生憎、そんな便利な呪文など唱えられないダイやヒュンケルには不死系怪物達がウジャウジャとよってきたが、二人にとってはそんなことは問題にもならない。

 不死系怪物達には生半可な攻撃では死なないが、それをむしろ逆手に取って足や腰骨の骨を砕いて移動力を奪う。放置しておけば彼らはいずれ再生するが、それでも時間をある程度稼ぐことは出来る。

 打ち合わせさえしなかったが、ダイとヒュンケルの思考は完全に一致していた。

 ポップを見つけた途端、二人は彼への最短距離を剣を使って切り開く。ヒュンケルが主に右側の敵を切り砕き、跳ね飛ばすのならば、ダイはそれに背を向ける左側の敵を司る。

 それと同時に、彼らは前進も忘れない。
 ポップを中心にたむろしていた不死者達の集まりに、一本道が出来るのにさして時間はかからなかった。ある程度周囲の不死者達を砕いて余裕を作ると、ダイはそれを待ちかねたようにポップの元へと走り寄る。

「ポップ!? なんで、ここが分かったの!?」

 ダイが心底驚いたように尋ねると、ポップはむしろ呆れるような表情を見せた。

「っていうか、分からないと思う方が不思議だぜ? ダイ、おまえ城から直接ルーラで飛び出しただろ。
 あれ、おれの部屋からでも見えてたぜ」

 瞬間移動呪文は、使い手が極めて少ない魔法の一つだ。
 パプニカ城では瞬間移動呪文の使い手はダイとポップ、二人だけしかいない。

 自分でなければダイが飛んでいったのだと考えるのは、ポップにとってはごく当たり前の発想だ。

「でも、それだけじゃ行く先なんて分からないだろ?」

 ダイの言う通り、瞬間移動呪文はパッと見ただけで行く先の見当がつく魔法ではない。大雑把な方角は見てとれるだろうが、瞬間移動呪文は術者のイメージで目的地へと導かれる魔法だ。

 術者がどこをイメージしたか、それを正確に推理できなければ後を追ってくることなどできない。
 が、ポップはこともなげに答える。

「ああ、あの後で姫さんに話を聞いたら、ヒュンケルの奴が休暇を取ったって聞いたからさ。

 おれがヒュンケルに地底魔城の噂をした途端、様子がおかしくなったから、もしかしたらって思ったんだよ。ダイが飛んだ方角も、こっちだったし。でも、その割にはおまえらが見当たらないんだもんな、ったく、どこを寄り道してやがったんだよ!?」

 腹立たしそうにそう言うポップに、ヒュンケルはある意味感心せずにはいられない。
 勘のいいポップのことだ、推理を巡らせてこの場所に辿り着くのは造作もないことだっただろう。

 だが、ポップは早く来すぎた。
 ダイが少しばかり瞬間移動呪文に失敗し、ヒュンケルがためらっている僅かな時間のせいで、ポップの方が先にここに着く羽目になった。だが、それにもかかわらず、ポップは自分の推理を揺るぎなく信じている。

 もしかして自分が間違えたのかもしれない、などと考えもせずに、長期戦とばかりに破邪呪文まで使って自分達を待ち受けているほど自信があったらしい。

「ごめん、おれ、ルーラの行く先をちょっと間違えちゃったんだ。まさか、ポップが追っかけてくるなんて思いもしなかったし」

 ダイが素直に謝るが、ヒュンケルはそれは少し違うような気がしてならなかった。

 確かにポップが後を追ってくるなんて、全くの想定外だった。
 ついでに言うのならば、ヒュンケルもダイもポップに来て欲しいなどと頼んだ覚えはない。ポップが勝手にやったことに対して、こちらが一方的に謝罪するのは何かが違う気がする。

 だが、ダイの方は怒っているポップに謝るのに何の疑問も感じていないようだし、ポップはポップで悪いのは全てヒュンケルだとばかりに睨みつけている。

 しかしながらポップがヒュンケルをそんな目で見るのは珍しくも何ともないので、さして気にはならない。それでも何かを言った方がいいのだろうかとヒュンケルが頭を悩ませるが、いつものように口下手なヒュンケルがよい言葉を思いつくよりもポップの方が早かった。

「まあ、それはいいけどよ……それよりヒュンケル、あっちの方を見てみろよ」 

 そう言ってポップが指さした方角に目をやり、ヒュンケルは心臓が一瞬止まったかと思った。
 こちらに半ば背を向けている、一体の腐った死体。

 だが、その後ろ姿だけでも十分だった。はっきりと顔や言葉を確かめるまでもなく、それがモルグだとヒュンケルは確信できた。
 ダイから予め話を聞いていたと言うのに、かつての部下の変わり果てた姿に衝撃を受けている自分に、ヒュンケルは驚いていた。

「モルグ……!」

 名を呼ぶ声も、多少は動揺がこめられていたかもしれない。
 だが、しっかりと周囲に響き渡る程度にはいつも通りの声をだせたはずだが、腐った死体はヒュンケルの言葉に反応しなかった。地面に蹲るようにしゃがみこみ、骨を地面に並べようとしている。

 その動きは、一見、子供が積み木で遊んでいる姿を思わせた。
 しかし、そこには子供特有の無邪気さはない。代わりにあるのは、どこか狂気を感じさせるとりとめのなさだ。歪な形の骸骨兵士を組み上げながら、腐った死体は聞き取りにくい声で何度となく繰り返す。

「……急がなく…………ては……ヒュンケ……ル様のために……」

 聞き覚えのある声は、これまで一度も聞いたことのない虚ろな口調で同じ言葉を呟くのみだ。
 思わず絶句してしまったヒュンケルに対して、ポップは静かに言う。

「やっぱり、あいつっておまえの知り合いだったのかよ」

 ポップにしては珍しく、その声音はひどく同情的だった。
 と言うよりも、ポップがヒュンケルに向かってこんな風に同情を見せること事態、初めてかもしれない。

「ポップ、お願いだよ! あの人を助けてあげてほしいんだ、ほら、魔界でやってくれたみたいに!!」

 ヒュンケルが何かを答えるよりも早く、ダイが熱心にポップに頼み込む。
 だが、ポップはなかなかダイの頼みには答えなかった。何かを考えこむような表情で、腕を組んで目を閉じてしまう。

 らしくもないその沈黙が、逆に不安だった。
 お人好しなぐらいお節介なところのあるポップは、自分から積極的に人助けをする方だ。

 しかし、同時にポップは嫌なことは嫌だと、はっきりという性格だ。さらにつけくわえるのならば、ことヒュンケルに対してはポップはひどく容赦がないというか、遠慮がない。

 他の人間の頼みなら二つ返事で気安く引き受けることでも、ヒュンケルが相手だとへそを曲げてしまうことも多い。
 実際、ヒュンケル的にはポップがそんな風に嫌だと即座に断ってきた方が、よほど納得できただろう。

 だが、今日のポップは憎まれ口の一つも聞かず、無言で考え込んでいる。しばらくの間を置いてから、やっと目を開けた。

「そうだな……あいつらに安らかな眠りを与えることなら、確かにできるぜ。だけど――」

 そう言ってから、ポップは少し迷うようにヒュンケルとモルグを見比べる。

「その途中で、あいつが……正気に返る可能性があるかもしれない」

 言いづらそうに、やけに慎重に言葉を選びつつ説明するポップに、ダイはきょとんとしたような表情を浮かべる。

「それ、なにが悪いの?」

 それのどこに問題があるのか分からない――口に出すまでもなく、ダイの顔にははっきりとそう書いてあった。
 だが、ヒュンケルにはポップが口にはしなかった説明が読み取れる。

 精神が壊れきった者にとって、正気に返るのは必ずしも幸せとは言いきれない。傍目から見れば痛々しくはあるが、それも己の精神を守るための自己防衛本能の一つだ。

 正気でいる方が辛い現実から逃れるために、正気そのものを手放してしまう……そんな経緯を辿った者にとって、正常な状態に戻れることが望ましいとは言えないだろう。 

 ましてや、モルグは不死者だ。
 生きている人間ならば、やり直すことは可能だ。どんなに不幸のどん底を味わおうと、精神が崩壊寸前にまでズタズタに切り裂かれようとも、それでも本人の意思があればやり直すことはできる。

 しかし――死は絶対だ。
 一度死んだ者に、やり直しなどない。

 不死系怪物の大半は、己の意思で蘇るわけではない。不死者を支配しようと考える術者により強制的に死の世界から引き戻され、疑似的な命を与えられているにすぎない。

 幸運にも己の意思や感情を持っていたとしても、それでも不死者に人生をやり直すことなど不可能だ。

(……モルグ)

 ヒュンケルはもう一度、モルグを見やった。
 目の前にいるヒュンケルも認識できないまま、夢想の世界を彷徨っている幸運な不死者を。
 
 浄化の末に永遠の眠りに就くのは、いい。だが、その前に一度正気に引き戻されるのは、モルグにとっては……不幸なことかもしれない。
 以前、復讐という夢に酔っていたヒュンケルにはそれがよく分かる。

 真実を知りもせず、誤解のままにアバンへの復讐を誓っていた頃のヒュンケルは、ある意味では幸せだった。
 自分の間違いも、魔王軍に言い様に利用されている屈辱も知らないまま、復讐という大義名分の元にぬくぬくと罪を犯し続けていた。

 ダイやマァムのおかげで真実を知り、改心できたとは言え、あの当時の混乱や苦しみは今も息苦しい程強く、心に残っている。バルトスの遺言を聞いた直後は、こんな真実ならばいっそ知りたくなかったとさえ思った。

 今までの価値観を覆され、己の間違いを思い知らされるのは、それまでの人生の全てを否定されるも同然だ。

 ダイとの戦いの直後も、また、その後の魔王軍との戦いの間もずっと、ヒュンケルの苦悩は続いた。自分の心の悩みと折り合いをつけ、やっと人生をやり直してもいいという気分になったのは、大魔王バーンとの戦いが終わってずいぶん経ってからの話だ。

 今でこそ、ヒュンケルは自分を目覚めさせてくれたダイ達に心から感謝できる。

 しかし、モルグの場合は――そうはいかない。
 正気に戻ったところで、モルグには自分の人生をやり直すことなどできない。

 彼に思い出したくもない過去を思い出させた上で、永遠の眠りに就かせることになる――ダイの手前、慮ったのか、それともヒュンケルを気遣ってくれたのかは分からないが、ポップの躊躇いはモルグへの思いやりに他ならない。

 ポップにしてみれば、モルグは直接は戦わなかったとは言え敵だったはずだ。助ける理由も、情けをかける理由もない。

 いや、モルグがヒュンケルの命令とは言えマァムの誘拐に関わったことを考えれば、恨みを持っていたとしてもおかしくはないのだが、ポップはそんなことなど考えてもいないらしい。

 ポップにとっては何の損得も絡まない相手なのに、それでも兄弟子の知り合いだというだけで、モルグに情けをかけてくれた。その事実に、ヒュンケルは今更のように思い当たる。

 ポップが破邪呪文を張ってまでこの場にいたのは、単にヒュンケル達を待っていたわけではないのだろう。

 ポップは、迷っていたのだ。
 ヒュンケルの知り合いであるこの不死者に、永遠の眠りを与えていい物かどうか……ダイに頼まれる前から、ポップはどうすればいいのか考えていたに違いない。

 何がモルグにとって最善か――ポップにはそれを考えるだけでなく、実行する手段もある。

 永眠を最優先するのならば、浄化の呪文を。
 そして、相手を正気に戻すことなく滅するのが幸せだと判断するのなら、そのための手段も持っている。

 ポップが使える最強の魔法、極大消滅呪文。
 それを使えば、一瞬で全てを終わらせることは可能だ。対象物を根柢から消し去るという技術に関しては、ダイやヒュンケルが放つ必殺技よりも確実と言える。

 そのどちらの方が、モルグにとっては安らぎとなるのか。
 ポップなら正しい答えを出せるだろうなと思いはしたが、ヒュンケルは敢えて口を差し挟む。

「ポップ。オレからも――いや、オレこそ頼む」

 一度言いかけてから、ヒュンケルは言い直す。
 ダイやポップ、弟弟子達の思いやりや気遣いは嬉しいが、これ以上甘んじるわけにはいかない。

 ダイの手を汚させたくないと思った時のように、ポップに長く心に傷を残すような決断を選ばせたいとは思わない。仲間の力を借りるのと、仲間に判断を委ねるのは、全く別の問題だ。

 この決断の責任は、他の誰に負わせる気もない。ヒュンケル自身が選び、負うべき責任だ。

「あいつに……モルグに、永遠の眠りを与えてやってくれ」

 ヒュンケルの言葉に、ポップは驚いたように軽く目を見張る。が、素直に――ヒュンケルが覚えている限りでは初めてと言えるかもしれない素直さで、頷いた。

「分かった。いいぜ、引き受けてやるよ」                           《続く》

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