『竜の定め 5』

 それは、一瞬の邂逅だった。
 回り出した銀の車輪の中心に、うっすらと浮かんだのは一人の青年の姿だった。変身呪文を解いた直後のような魔法の疑似的な雲に紛れると見せかけて、その青年はヴェルザーと向かい合う位置に現れた。

 まるで幻のように、空中にふわりと浮かんでいる。
 まだヴェルザーの腕に捕まったままのポップならばもしかすると横顔ぐらいは見えたかも知れないが、魔法力を使い果たしてしまったのかぐったりと頭を伏せていては、何も見えはしないだろう。

 地べたに蹲っているダイには、後ろ姿を見るのがやっとだった。そのせいで、思ったよりも若いなとは思ったがそれ以上のことは分からなかった。

 凄い術を編み出した魔法使いならば、マトリフのような老人かと思い込んでいたのだが、しゃんと伸びた背中や若木のように引き締まった身体付きは若者特有のものだ。

 背中から見ているだけに当てずっぽうに近いが、多分ヒュンケルからアバン先生ぐらいの間ぐらいの年齢だろうとダイは大まかに見当をつける。
 ついでに言うのならば、後ろ姿から見ただけではその青年が魔法使いとは、ダイにはとても思えなかった。

 青年の着ている服はやけに古めかしかったが、魔法使いの格好と言うよりはごく普通の村人としか思えないような服だった。あちこちがボロボロになり、激戦をくぐり抜けた直後のように見えるのが普通の村人離れした点と言えば、言えるかも知れない。

 だが、外見がどんなに平凡に見えようとも、ヴェルザーの逆鱗の魔法陣の中から呼び出されたこの青年が、ただ者であるはずがなかった。

(あの人が……ヴェルザーが会いたがっていた人間なんだ……)

 冥竜王と呼ばれ、古から生き続けてきた竜があれ程取り乱し、会いたいと望んだ人間との邂逅。

 それが長くは続かないものだとは、魔法に疎いダイにさえ分かった。
 おそらく、ポップは渾身の魔法力を振り絞って魔法陣の中にいた魔法使いを呼び出したのだろうが、それは容易いことではなかったのが一目で分かる。

 せっかく呼び出したにも関わらず、浮かび上がった青年の姿はすでに足元がぼやけ始めている。
 すぐに消えてしまう幻のように、儚く揺らいでいた。

 あまりにも早すぎる揺らぎに、見ているダイの方が焦りを感じる。せめて、言葉の一言でも交わせないのかとダイは思わず望んでしまったが、それさえ難しいらしい。

 ただ、相手の姿を見るだけしかできない邂逅――。
 魔法使いの姿を見つめる冥竜王は、静かだった。あまりに静かすぎてダイの方が不安を感じるほどに、ヴェルザーはじっと目の前にいる青年を見つめていた。

 その目に浮かぶのがどんな感情なのか――それを見定める前に、ヴェルザーは吠えた。
 これまでになく、高く、強い叫び。それは、胸に迫るほど切なく聞こえる咆哮だった――。







 それは、運命だったのか。
 それとも、偶然だったのか。
 遙か昔、地上に竜の卵が落ちた。それが、全ての始まりだった。







 それは、不運と言えば不運と言えた。
 竜族の卵は、普通ならば地上で孵りはしない。本来ならば魔界か、あるいはごく稀に天界で孵るものだ。

 竜族の誕生は、ごく特種なものだ。
 他の生き物と同様に、竜族もまた雌雄の交わりによって卵が誕生する。しかし、それだけでは竜族の卵は孵化することは無い。

 産まれた卵は、放置していても自然に孵るものではない。母鳥が時間をかけて卵を温め続けることで初めて孵化するように、竜族の卵も条件が整ってこそ初めて孵化できる。

 その竜の誕生を心から望み、孵化を待ち望んで呼びかける心――それこそが、竜族の卵を育むエネルギーとなる。

 しかし、地上ではそれを望めない。
 人間界ほど、竜を必要としない世界は無い。

 人間は竜族を最強の怪物と恐れ、時として崇めはするが、竜に生まれて欲しいなどとは願わないものだ。地上で生まれることのできる竜族など、神の眷属と崇められ、マザードラゴンにより大切に卵を保護される竜の騎士ぐらいのものだ。

 不運にも地上に生まれ落ちた竜族の末路は、決まって悲惨なものだ。
 極端な環境に耐えられる力を持った竜族の卵は、不思議と人間界の世界には弱い。人間が魔界の瘴気に身体を蝕まれるのと同様に、人間界の清浄な空気と太陽は孵化以前の卵にとってはダメージを与える物だ。

 受けるダメージこそ少ないが、積み重なればそれは卵そのものの命を脅かす。

 ただでさえ孵化までに早くても数年、通常ならば十数年あまりか、時として数百年迄もの時間を必要とする竜族の卵にとっては、人間界ほど孵化に向かない場所は無い。地上に落ちた卵は、そのまま孵化も出来ずにいつしか風化してしまい、生まれる前に土に戻る……それが、常識だった。

 事実、生まれる前の幼い竜はそれを知っていた。
 竜は、総じて賢い生物だ。この世に生まれ落ちる前から己の運命を悟った竜が最初に知った感情は、諦観だった。

 誰に顧みられることもなく、誰にも望まれず、生まれる前に朽ちる定めを受け入れていた。
 だからこそ、その出会いは幼い竜には驚きだった。

 ――きみは、だれ?

 ひどく、幼い呼び声だった。柔らかく、小さな手が卵の表面を撫でる感触を、幼い竜は信じられない奇跡の様に受け止めていた。
 無論、卵の中にいる竜が実際に外の光景を見えるはずはない。

 だが、感じることはできる。
 卵の中で、幼い竜は自分に向けられた意識を感じ取る。その感覚は、驚く程に鮮明だった。他者から想いをかけられることで、竜の卵は自分の存在を認識し、確かな命として形作られていく。

 同時に、幼い竜は卵の側に寄りそう存在を強く認識するようになる。
 何度か、訪れては触れる掌の暖かさを感じた後で、幼い竜はそれが人間の子供だと気がついた。

 竜の卵は、巨大だ。
 何も知らない子供の目から見ても、普通の卵でないことはすぐに分かっただろう。もし、卵を見たのが大人だったのなら、大きさから危険を感じて壊した方がいいと判断したかもしれない。

 しかし、人間の子は竜の卵のことを誰にも明かさなかった。
 ほぼ毎日のように卵の場所にやってきては、その手で撫でながら卵のことを想う。

 ――ねえ、おまえはいったい何なんだい? 鳥? それともクマかなんかみたいな、大きなケモノ?

 小さな手の感触を暖かく感じながら、幼い竜は密かに笑う。
 幼いだけに、人間の子は無知だった。鳥はまだしも、獣が卵を産まないこともまだ知らないらしい。

 実際、人間の子は何も知らなかった。
 あるいは知らないからこそ、純粋に願い、何が生まれるのかと楽しみにしながら卵を撫でることができたのか。

 ――なんでもいいや。早く、生まれてきて。ぼくは、待ってるから。

 期待を込めた、わくわくするような想いが幼い竜を呼ぶ。その膨らむような想いが、幼い竜を育てる。卵の殻を早く破って外に出たいと望み、しょっちゅう卵の側にやってくる人間の子を待つ時間は、ある意味で至福だった。

 それは今思えば、奇跡のような日々だった。
 人間の子供は、飽きやすい生き物だ。どんなに夢中になった遊びでも、飽きてしまえば途端に見向きもしなくなるのが子供というものだ。

 大きいだけで見た目には何の変化もない卵に、いつ興味を失っても何の不思議もなかった。また、興味を持ち続けたとしても、子供なだけに誰かに秘密を漏らすことだってありえた。

 当時でさえ、幼い竜は自分が孵るよりも先に人間の子供の興味が失せる可能性を承知していた。

 だが、子供は竜の卵の所へと欠かさずにやってきた。
 出会った頃はおそらく、まだ幼児の域をやっと卒業したばかりだった幼い子供は、成長して少年となるまでの間、ずっとその想いを違えなかった。初めてであってからおよそ十年近い月日の後、幼い竜はとうとう孵化した。

 殻を破った時、初めて幼い竜の目に飛び込んできたのは、この上なく嬉しそうな笑顔で自分に手を差し伸べてきた人間の少年だった。

 ――やあ、やっと生まれたんだね。初めまして、ってのも変かな?

 その時には子供は……、いや、少年は、と言うべきだろうか。彼は幼い竜が獣ではなく竜だと言うことをちゃんと承知していた。だが、それでも恐れることなく、その優しい手は殻を撫でていたのと同じように幼い竜の頭を撫でてくれた。

 ――君の名前、ずっと考えていたんだよ。ヴェルザー、ってのはどうかな?

 その時から、幼い竜はヴェルザーになった――。








 今も、懐かしく思い出す。
 人間の少年と過ごした、楽しい数年間を。友の手に引かれて飛び出した殻の外が、どんなにか自由で美しい世界だったかを。
 あのまま時が止まってくれたら、どんなに幸せだったか――。

 しかし、時の流れは無慈悲なまでに速い。 
 人間の友はヴェルザーよりも先に成長して、あっと言う間に青年となった。その頃にはヴェルザーも幼竜から若竜へと成長して、いつしか恐れられる存在になっていた。

 ヴェルザーがまだ、仔竜の間はよかった。
 周囲の人間は驚きながらも、それでも少年に懐くヴェルザーをどうにか受け入れてくれたから。いや、受け入れられたとは言い過ぎだろう。風変わりなペットだと思い、とりあえず放置してくれたと言った方がいいかもしれない。

 しかし、成長すれば成長するほど、人々がヴェルザーに向ける目は厳しくなった。

 馬や牛を軽く凌駕するヴェルザーの巨体はそれだけで人間にとって驚異であり、息すらも毒気を帯びている。身体を守る堅い鱗は、触れるだけで人間の柔らかな肌を傷つける。

 若竜だったヴェルザーには、まだ、自分の力を制御するだけの自制心がなかった。

 その上、どんなに竜族が高い知能を持っていたとしても、若い竜は言葉を操れない。人間とは全く違う声帯を持つ竜が人語を操れるようになるには、数十年やそこらの年月では足りない。

 知性を示すことのできないヴェルザーを、人間が恐るべき獣として扱ったとしても責められまい。
 いつしか、友達ではあっても成竜となったヴェルザーと人間は一緒にはいられない生物へと成長していた。

 それでも、友はヴェルザーを庇ってくれた。
 両親や村の大人達に逆らい、ヴェルザーを守ろうとしてくれた。その気持ちは嬉しかったが、友達の手に決して消えない傷をつけてしまった思い出を最後に、ヴェルザーは逃げるように彼の住んでいた村から離れた。
 そして、ヴェルザーは一人になった。








 一人になったヴェルザーは、あちこちを放浪した。
 それは、若竜にとって珍しいことではない。むしろ、それが当たり前のことだ。若い時期の竜は戦いを求め、移動を繰り返し旅をしたがる。その本能が、ヴェルザーにもあったと言うだけの話だ。

 しかし、並の竜と違う点は、ヴェルザーが地上に深い拘りを持っているということだった。
 戦いへの激しい欲望を持つヴェルザーにとって、地上はひどく暮らしにくい場所だった。

 竜族は普通、魔界へと落ち着く。
 どこで生まれたとしても、絶え間ない戦いへの渇望に導かれ、三界の中でもっとも激戦の絶え間ない土地に惹かれるものだ。

 事実、ヴェルザーも魔界へ行きたいという衝動は感じていたし、そこに行く方法も本能的に薄々感じ取っていた。もし、望むのであればヴェルザーが魔界に行くのはそう難しいことではなかっただろう。

 だが、それでもヴェルザーは地上で生きていきたいと考えていた。
 その考えの根底には、友を慕う想いがあったのは、否めない。
 そこは、幼い竜の若さというものか。

 村を逃げるように飛び立った日から、ヴェルザーは一度も友には会わなかった。

 だが、彼を忘れたことなどなかった。
 友達はもう死んだと確信するほど時間が経てば違っていたかもしれないが、まだ友達がこの世界のどこかで生きていると思えば、諦めもつかなかった。

 もう一度、会いたいという気持ち。
 だが、友達に拒絶されるのを恐れる気持ちもまた、同じか、それ以上に大きい。

 友達の存在を気にしながらもその頃には、探す方法もなくなっていた。友がいた村の位置も覚えてはいなかったし、また探す意思もなく、それでも地上にとどまり続けていたのは未練というものか。

 地上そのものはともかく人間達は不快ではあったが、別に彼らを滅ぼすつもりまではなかった。
 そう考えるのは、友の存在が大きかった。

 人間、全てを受け入れることはできない。竜族を嫌い、迫害をしかけてくるのは常に人間だったのだから。

 だが、人間の中にも信用のできる者がいると認めるのは、吝かではなかった。少なくとも友達が存在する限り、人間達に本格的な攻撃を仕掛けるつもりなどなかった。

 ただ、降りかかってくる火の粉を払いのけていたまでのことだ。
 ヴェルザーにしてみれば、充分以上に手加減をし、手心を加えてあしらっていた人間の軍勢。

 しかし、立場が変われば見方も変わる。
 人間達にしてみればヴェルザーは恐るべき力を持ち、しかもいつその力を自分達に向けてくるかも分からない異界の生き物であり、絶対の敵だった。

 ヴェルザーを恐れる余り、そして、竜殺しの英雄の栄光を欲して、人々は次々と軍隊や勇者を竜の元へと送り、その全ては返り討ちに遭った。

 そんな戦いを繰り返していた時のことだった。
 珍しく、単身でヴェルザーに挑んできた勇者がいた。それは、ひどく珍しいことだった。人間は弱さをカバーしようとしてか、やたらと群れを作りたがる生き物だ。

 軍隊を作って前衛を盾とし、後列から手柄を狙う人間達をいくらでも見てきただけにたった一人で戦いに来た人間を見るのは、ひどく新鮮だった。だからこそ、たまには時間をかけてあしらってやろう……そんな風に思って、遊び半分で戦ってやる気になった。

 やってきたのは、手に傷跡を持つ魔法使い。紛れもなく、かつての友の成長した姿だった。
 その時の動揺を、ヴェルザーは未だに覚えている。

 ――おまえは、ここに……地上にいてはいけないんだよ、ヴェルザー。

 友だとずっと信じていた人間は、聞き慣れない呪文を唱えだした。ついさっきポップがそうした様に、銀の車輪の魔法陣を手に宿らせて、そう言った。

 今にして思えば隙の多いその手を、なぜか避けることはできなかった。その効果で魔界に一瞬で飛ばされ、それ以来、ヴェルザーはずっと魔界に居続けてきた――。








 ヴェルザーは、吠える。
 吠えずには、いられなかった。

 ――裏切られたのだと、思っていた。
 だが、そう思う気持ちのすぐ後から、何故だと思う気持ちがこみ上げてくる。友の裏切りに絶望しながら、その行動の真意を知りたいと思い気持ちにすがっている自分に気づき、なお絶望した。

 絶望と、その中に微かな希望を見いだしたがっている矛盾した迷いが、ヴェルザーの心の中で回る。
 まるで、回り続ける車輪のように、繰り返し、繰り返し。

 どんなに考えても、どんな風に割り切ろうとしても、それでもどうしても諦めがつかなくて、ヴェルザーは地上を欲した。焦がれるほどに、地上を望んだ。

 あの人間に――かつては友だった男に、その真意を問いたいと願って。だが、人間の寿命はごく短い。
 ましてや魔族に比べてでさえ長寿の竜族にとっては、瞬きしたと思うほどの早さの時間の間に一生を終えてしまう。

 それでも、思わずにはいられなかった。
 もし、彼が長生きをしているのなら、まだ生きているかもしれないと。
 その希望に縋って、最初の百年はあっという間に経った。

 それからようやく、彼が当の昔に死んでしまったのだろうと認めるまで、もう百年はかかった。

 それでもぐずぐずと、友を思って思い悩まずにはいられなかった。もし本人が死んでしまったとしても、彼の子孫が生き延びている可能性に思いつくまでにどれぐらいかかっただろうか。

 すでに希望とさえいないごくごくわずかな可能性に縋って、さらに百年。地上に送った分身の調査により、彼の血筋がすでに存在しないと悟った時の衝撃は大きかった。

 理屈では、分かっていた。
 たとえ、もし友の子が、そしてその孫が生き延びていたとしても、それは所詮、彼本人ではない。彼の記憶を受け継げるわけでもないし、それはただ、友の血を引いただけの別人に過ぎない。

 だが、そうと分かっていたとしても、友の血筋がこの世に全く存在していないと知った時の衝撃は大きかった。
 失意のまま、過ごしたのは何百年だったか。
 それでも、まだ希望の芽は消えなかった。消えてはくれなかった。

 ――もう諦めよう、と。
 そう思わなかったと言えば、嘘になる。

 しょせん、あの人間は最初から友などではなく、いつか自分を裏切る程度のものだったのだと何度も自分に言い聞かせても、心を偽りきれなかった。
 どれ程、自分に言い聞かせたところで己の本心だけは変えられない。
 激しい憎しみをぶちまけたい衝動のその後で、必ず残る思いがあった。

 もはや名前どころか顔すらも忘れてしまったというのに、それでも心の奥底から込み上げる思いは少しも薄れない。長い、長い孤独の時間も原始の感情を変えることなど出来ない。

 何度諦めようと思っても、同じだった。
 堅い岩をも砕くような熱意を持って、一番最初の感情が蘇ってくる。
 もう一度でいいから、彼に会いたい、と――。

 そして、ヴェルザーは気づいてしまった……転生の可能性に。
 人間とは、転生を繰り返して生きる生き物だ。生まれ変わった人間は、前世の記憶は忘れてしまうだろう。

 当然、ヴェルザーのことを覚えていようはずはない。真意を問おうにも、記憶もない相手に聞いたところでなんの意味もあるまい。
 だが――それでも生まれ変わった人間は、同じ魂を持っている。
 その事実が、ヴェルザーの心を大きく揺らした。

 たとえ自分を覚えていてなくてもいい、それでもいいからもう一度友達に会いたいと思ってしまってからが、本当の地獄の始まりだった。

 何度となく分身を生み出しては地上に使いを送り、友の気配を探した。
 今でも忘れられない、彼だけの魂の輝き。すでに彼の名を忘れてしまってから久しいし、その姿も思い出そうにも思い出せないぐらい曖昧に薄らいでしまっている。

 だが、魔族や怪物は他者を見た目よりも気配で察するものだ。もう一度会えば、必ず思い出せると思っていた。
 しかし、百年、二百年が過ぎていくと、確信も少しずつ揺らぎだす。

 人間の転生には、多少の波がある。全ての人間が同じペースで生まれ変わるとは言い切れないし、また、生まれ変わったとしても天寿を全うするわけではない。

 人間とは、些細なことで簡単に死ぬものだ。転生がごく短い人生で終わった場合、その人間が本来の魂の輝きを放つことなく終わる可能性は十分にある。
 不運が重なれば、未来永劫、会うことすらできないかもしれない。

 だが、それが分かっていてもなお、諦めがつかなかった。
 どうしても地上に帰りたいと思う心とは裏腹に、ヴェルザーの存在は魔界にくくり付けられてしまっていた。

 どう足掻いても、地上に戻ることはできない。
 しかし、それでもヴェルザーは諦めることなく、地上を欲した。
 だからこそヴェルザーは不利とは知っていても、地上を滅亡させようとしていたバーンに手を出さないわけにはいかなかった。

 もはや、地上に戻りたいのか、守りたいのか、それとも滅ぼしたいのか……全てが混ざり合ってしまい、本心が分からなくなるほどの渇望。

 その根源となった友の姿を前にして、ヴェルザーは咆哮する。

 それは、想い焦がれていた長い、長い年月に比べれば、刹那の邂逅だった。千年以上の時を経て蘇った友の姿は、あっけないほどあっさりと消えさる。疑似的な魔法煙は跡形もなく消え失せ、車輪の魔法陣はヴェルザーの喉元へと収束していく。

 その際、どのぐらい放心していたのだろうか。
 それは思いがけないぐらい長い時間だったかも知れないし、ごく短い時間だったかも知れない。

 気がついた時には、静まりかえった結界の中で、ヴェルザーは竜の騎士の子と向き合っていた――。







「そうか……友は――あいつは、ずっとここにいたのか……」

 ぽつりと、ヴェルザーがそう呟いたのを、ダイは呆然としたまま聞いていた。

 今の、一瞬の邂逅はダイにとっては驚きではあっても、それ以上ではなかった。だが、ヴェルザーにとっては明らかに、心を大きく動かされる出来事だったらしい。

 ダイに話しかけているとも、独り言ともつかぬ口調で話しかけているヴェルザーは、ついさっきまでとはまるで別人のように感じられた。

「オレをここまでの孤独に追い込んだのは、人間だった。だが、オレをここまで満たしたのも、また人の子……面白いものだ」

 そう言いながら、ヴェルザーはふと思い出したように自分の手を見つめる。正確に言うのならば、自分の手ではなくそこに握り混んだ魔法使いの少年を、だ。

「こいつと共にいるなら、この結界内も存外捨てたものでもなくなるだろうな」

 それを聞いた途端、ダイの心臓が跳ね上がる。
 ポップをこの場にとどめ続けるのは、ヴェルザーにはそう難しいことではない。

 ダイには無理なことでも、冥竜王と呼ばれた古代からの竜の生き残りならばできる。ヴェルザー程の力を持っているのなら、魔界の瘴気や無数の敵から人間を守り続けるのは決して不可能ではない。たとえ半分石になっていたとしても、だ。

 ポップの記憶に干渉することだって、ヴェルザーにはできる。
 さすがに記憶全てを塗り替えるのは無理かもしれないが、記憶の一部に干渉する技ならダイだって身に覚えがある。

 かつてダイがバランにそうされた様に、竜族にはそれが可能だ。しかも、神々により兵器として生み出され、戦闘に特化した竜の騎士であるバランと違い、ヴェルザーは本物の古代種……神の眷属とも言うべき竜族だ。

 桁違いの寿命と魔法力を持つ彼ならば、記憶の改竄はもっとうまくできるだろう。
 たとえば……ポップの記憶の中の親友の記憶を。『ダイ』を『ヴェルザー』へとすり替えたのなら。

 もしそうなったのならポップは自分自身の意思で、ここに居ようとするだろう。人間の身でありながら、親友のためにわざわざ魔界にまでやってきたこの魔法使いは、それが親友のためになるのなら魔界に居続けるのを厭うまい。

 クロコダインやチウとも気安く軽口を叩き合い、ダイが化け物でも構わないと言ってくれたポップなら、異形の姿のヴェルザーを嫌いはしないだろう。ポップの明るさは、きっと太陽よりも明るく魔界を照らす。

 決して太陽が昇らない暗雲の世界でも、ポップが隣にいるのなら悪くない場所に変わるとダイは確信していた。それこそ何度となくダイ自身が望み、夢にまで見た光景だ。

 人間界に戻ることを諦めてしまえるのなら、この結界内は案外と平和な世界だ。

 怪物や魔物が決して入ってこられないこの場所は、皮肉なことに生粋の人間にとっては魔界でもっとも生きやすい場所かもしれない。年月が経てば、また死せる魂がこの中に滞ってしまうかもしれないが、ポップに浄化の魔法が使える以上、たいした問題にはならないだろう。

 そして、ポップは『親友』のためにずっと魔界に留まる――その未来を思い描いた途端、ダイを捕らえたのは底なしの恐怖だった。

「ま……っ、待て……っ」

 ザワリと、毛が逆立つ。
 竜の紋章が痛いほど共鳴し、久しく忘れていた竜の血が暴れ出す。竜魔人化しかかっていることに気づいたが、ダイはそれを止めようとも思わなかった。

 何が何でもポップを取り戻さなければと立ち上がりかけたダイに、思わぬ言葉がかけられた。

「慌てるな。この人間は、返してやろう」

 そう言いおわらないうちに、ヴェルザーは本当にポップを手放した。空中に放り出されたポップを見て焦ったが、意外にもその身体はふんわりと羽のようにダイの腕の中に舞い降りてきた。

 魔法の力でも働いているのか、重みを感じさせない荷物のように、ポップはダイの腕の中に収まった。
 驚くダイに、意外なぐらい穏やかなヴェルザーの声がかけられる。

「そいつは、おまえの魔法使いなのだろう? オレの魔法使いは、ここにいるからな」

 そう言いながら、ヴェルザーは軽く自分自身の喉元に手で触れる。そこはちょうど、さっき逆鱗が浮かんでいた場所だった。そこを抑えながら、ヴェルザーはダイに問いかける。

「知っているか、竜の騎士の息子よ。我ら竜族の抗えぬ定めを」

 それにダイは答えられなかったが、ヴェルザーも返事など期待していなかったのだろう。
 ダイの返答を待たず、あっさりと教えてくれた。

「覚えておくがよい。竜は飢えれば猛り、満たされば眠るものだ」

 その教えをどう受け止めていいのか、ダイにはすぐには分からなかった。あまり勉強が好きではなかったダイは、元々難しい言葉や、比喩的な例えを苦手としている。

 そんなダイの戸惑いが分かったのか、ヴェルザーが噛み砕くように説明を補足してくれる。

「竜の騎士は、人間ではない。
 それは、おまえも知っているだろう」

 分かりやすいが、辛い言葉だった。
 しかし、それが真実だからこそ、ダイは頷く。よくは分からないが、ヴェルザーが何か、大切なことを話そうとしてくれていると分かったからこそ、きちんと聞かなければいけないと思ったのだ。

「我が友は、オレを魔界へ封印した……それが、竜にとっては一番の幸せだと信じていたのだろうな。その考えは、間違ってはおるまいよ。
 竜と、人はあまりにも違い過ぎる」

 ヴェルザーの声音に、何とも言えない苦みが混じる。その苦渋の味は、ダイも身をもって知っているだけに胸を突かれた。
 もし、自分が同じ決意をするのならば、泣き出さずにいられる自信は無い。だが、千年を超える長寿を誇る竜は、ひどく穏やかな表情をして言った。

「忘れるな……竜の騎士は人間ではない。だが、竜の力と共に人間の心を持ち合わせている者だ。
 おまえ自身の意思で、自分の中の竜が眠らせることができるのなら、おまえは人間であり続けられる。
 人間と共に生きていくことも、できるだろうよ――オレと違ってな」

 微かに自嘲のこもったその言葉は、どこまでも穏やかだった。先程まであれ程猛り狂っていた竜とはとても思えないほどの落ち着きように、ダイはふと懐かしさを感じてから、思い出した。

(とう……さん……!)

 竜魔人化して、自分と戦った時の父の姿。
 もちろんそれは忘れていないが、ダイにとってより印象が深かったのは、その後の父の姿の方だ。

 先刻までの死闘が嘘のように、穏やかな目な眼差しをしていた。強い光を浮かべながらも、どこかしら哀しみを感じさせる目だと思った。

 ポップを蘇らせ、自分に背を向けて去っていった……あの時のバランに対して感じたのと同じものを、ヴェルザーに対しても感じていた。紛れもなく、同族を目の当たりにした実感がダイの心の奥にある不安を蘇らせ、ポロリとさらけ出させる。

「おれは……自信なんか、ないよ」

 自分でも思った以上に弱々しい声が、ダイの口から漏れる。
 それは、誰に対しても言うことの出来ない不安……たとえポップにさえ言えないと、一生抱え込むつもりでいたダイの一番の弱みだ。

きっと、ポップならそんなの気にすんなと笑い飛ばしてくれるだろうけど、でもだからこそ言えない。
 相手が同族でなければ決して口にすることのなかった不安を、ダイは口にしていた。

「だって……おれの中に、竜は居る」

 自分の中に猛り狂う炎があるのを、ダイは知っていた。大魔王バーンと戦った時に解放した、自分自身の正義感を上回る圧倒的な暴力――それは、否定しきれない。

 あの戦いを経験した後、初めてダイはバランの憂いを理解したと言ってもいい。

 自分の中の竜を手加減なしに暴れさせるのは、ある意味では爽快だった。感情のままに自分自身の竜を暴走させる感覚――それはきっと、最愛の妻ソアラを失ったバランが、アルキード王国を消滅させた時のものと近いだろう。
 どんなに意思の力で抑えようとしても、荒れ狂う竜は制御できない。

 後でどんなに後悔すると分かっていても、抑えきれない凶暴な怒りを抱えた竜……それが、ダイの心の一番奥深いところにいる。その竜を否定することは、きっとできない。

 なぜならその竜こそがダイの根幹であり、本能に近い強さで根付いているものだからだ。
 決して消せない竜が、ダイの中にはいる。
 それを十分に自覚しながら、ダイはゆっくりと言った。

「でも、おれの中の竜は眠らせることはできるよ……きっと」

 言いながら、ダイはポップに目を落とした。まだ気絶したままのポップはぐったりとして動かないが、それでも彼の姿を見るだけで勇気づけられる。

「だって、おれは一人じゃないから」

 そう言い切ったダイを、ヴェルザーは僅かに目を細めて見やる。それは、笑顔を呼んでも差し支えのない表情だった。

「それは……幸せなことだな」

 短いながら、それは確かな祝福の言葉だった。
 不意に、ヴェルザーはその長い首を伸ばす。姿勢を正した竜の姿は、神々しいぐらい威厳があり、立派に見えた。

「オレの戦いへの渇望は、竜の騎士の息子よ……お前によって満たされた。そして、友への渇望は、その人間によって満たされた。
 千年の孤独からくる飢えは、今、満たされた……ならば、オレは眠るしかないな」

 その言葉と言いおわると同時に、ヴェルザーは輝く息を吐き出した。一瞬、攻撃かとギョッとしたが、暖かな光に覆われた風が吹き抜けた途端、ダイの身体に残っていた痺れが嘘のように消え失せる。

 だが、それ以上に嬉しかったのは、ぐったりとしていたポップが瞬きをしながら目を覚ましたことだった。

「え……? おれ?」

 戸惑ったような顔をしていたポップだったが、ヴェルザーの姿を見てハッとしたような表情を見せる。
 しかし、冥竜王にもはや戦いの意思などなかった。

「オレは、眠りながら次なる転生の機会を待とう。
 おまえは地上に戻り、その人間と共に生きればいい」

 それが、冥竜王の最後の言葉だった。そう言いおわると同時に、首を折り曲げて眠りの姿勢に戻ったヴェルザーの身体が再び石に変わる。生きて、動いていた竜が精緻な彫刻へとなる様を、ダイもポップも息を飲んで見ているだけだった。








 しばらくの間、二人揃ってそのまま黙り込んでいたが、やがてポップが動き出した。恐る恐る、だが我慢できないようにヴェルザーに近寄って、杖でコンコンと叩いてみる。

「ど、どーなってんだよ、これ……? 一体、何だってこういう展開になったんだ?」

 何が何だか分からないとばかりにポップが呟くのが、ダイにはおかしかった。
 どうなったも何も、こうなったのは全てがポップのおかげなのに――。

 だが、それを説明する以上にダイにはやりたいことがあった。結界に向き直り、両手に力を込めて気合いを高める。

「はぁああああああ――っ!」

 竜の紋章が激しく瞬き、その正しい使い方をダイに教えてくれる。
 竜の騎士の記憶に刻まれた、精霊の封印を解く方法を今こそダイは実行した。あれ程我慢に我慢を重ね、決して解くまいと決めていた結界は、竜の騎士の力の前ではシャボン玉のようにあっけなく壊れた。

 途端に、魔界の瘴気がムッと押し寄せてくる。
 それに息苦しさを感じるよりも、狭く閉ざされた部屋から解き放たれたかのような開放感の方を強く感じていた。

 もう、ダイを閉じ込める檻はない。
 そして、あれ程恋い焦がれた地上への近道は、すぐ近くにある。ポップが作り出した魔法陣がまだ空に描かれているのを見上げてから、ダイは自分の魔法使いに向かって手を差し伸べる。

「さあ、ポップ。帰ろう!」

 その手を、ポップはぽかんとしたように見つめる。が、すぐににやっと悪戯っぽい笑顔に取って代わった。

「ああ……、帰ろうぜ、ダイ」

 二人の手が、同時に伸びる。
 初めて冒険の旅に出た日と同じ様に、勇者と魔法使いの手は固く握り合わされた――。             END 

  
 

《後書き》

 580000hitキリリクその3『ダイとポップがウェルザーと戦う話』、です。
 すごく長く時間がかかりまくりましたが『竜の定め』、やっと完結です♪

 実はこの話はずーっと前……二次小説道場の『信じていること』を書いた時には、すでに構想ができていました。
 バーンが神になろうとしていた悪だったので、ヴェルザーはそれとは全く違うタイプの敵にしたかったんです。

 が、バトルものと見せかけて、心理描写に深く切り込むような展開にしようと思っただけに書くのが難しくて、書くのに数年かかっちゃいましたよ。あー、もっと文才が欲しいです。


 ところで、この作品に出てきた竜の卵の孵化方法は、昔ちらっと読んだことのある中国かどこかの伝承を元にしています。その話では、雄竜と雌竜が風上と風下で呼び合うことで、その間の卵が孵ることになっていました。

 ついでに言うのなら、ポップの使った銀の車輪の魔法陣はタロットカードのアリアンロッドを元にしています。車輪は生命、もしくは太陽の象徴とされていたので、西洋では良くも悪くも重要視されていたアイテムだったりします。
 ……って、ファンタジーだと思って、由来が東西入り乱れまくりですね(笑)


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