『平和な村の片隅で ー前編ー』
  

「…………」

 ふと気がついた時は、見慣れぬ天井を見上げていた。

(ここは……どこだ?)

 目の前に映るのは、まるっきり知らない場所だった。
 これが牢屋かどこかならば、バランは別に疑問にも感じなかっただろう。敗者が囚われるのは、世の常だ。

 しかし、バランは簡素な物とは言えベッドに寝かされていた。緑色の柔らかな掛け布団のかかったベッドは、長身のバランには正直少しばかり小さく感じたが、眠るのに苦労するほどのものではない。

 こう言っては何だが、お世辞にも立派な部屋とは言えない。だが、こざっぱりと掃除されているにも関わらず若干の生活感が漂う部屋は、宿屋のそれと言うよりは個人の部屋のように思えた。

 もっとも、記憶にない場所なのは変わらなかったが。
 若草色のカーテンの掛かった窓から見える光景から察するに、ここはどうやら二階のようだ。

 壁に古びた世界地図の貼ってあるのが目につく、素朴な木の温もりの感じられる部屋だった。なぜ自分はどこにいるのだろうと、意識を失う前の記憶を思い出そうとした時、人の気配を感じた。

(――!!)

 一瞬、バランは鋭い目を気配の方へと向ける。

「よう、あんた、目が覚めたのか? 気分はどうだ?」

 ノックもせずに部屋に入ってきたのは、中年の男だった。
 ごつい印象の40絡みの男は、バランに対して特に警戒心を見せる様子もなく、気が抜けるぐらい普通の口調で話しかけてくる。それがあまりにも当たり前の口調だっただけに、バランもごく自然に答えていた。

「ああ……悪くない」

「そいつぁ、よかった!」

 ニッと歯を出して笑うその顔に、バランは奇妙な懐かしさを感じる。初対面のはずの男なのに、どこかで会ったことがあるような……そんな気にさせる笑顔だった。 
 敵とはとても思えないその態度に、バランは意図的に警戒を緩めた。

「教えて欲しい。ここはどこなんだ?」

 ランカークス村。
 それが、バランが今いる村の名だと男は教えてくれた。
 ギルドメイン大陸に位置するこの村は、ベンガーナ王国とテラン王国の近くに存在するごく小さな村のようだ。位置的にも交通の便が悪い山奥だし、めったに旅人もやってこないような田舎だと言う。

「オレはこう見えても武器屋でね。森に住んでいる鍛冶職人のところに、注文していた武器を取りに行こうとしていた時、倒れているあんたを見つけたんだよ」 

 それはひどい状態だった、と男は淡々とした口調で言った。
 まるで隕石でも落ちたかのようなクレーター状に放射の入った地面に、バランは黒焦げになって倒れていたのだと言う。それも全身にひどい怪我を負い、生きているのも不思議なぐらいだった。

 何が起こったのかは分からなかったがさすがに放っておくこともできず、とりあえず家に連れ帰って手当てをしたのだと男は言った。

「あんた、死にかけて何日も目を覚まさなかったんだぜ。どうしたもんかとヒヤヒヤさせられたが、すげえ生命力だな」

 気安く話しかける間も男の手は休むことなく動き、案外器用に包帯を変えていく。
 その動作には、なんの迷いも怯えも感じられなかった。

「どうやら、礼を言った方がいいようだな。……迷惑をかけてすまなかった、手当てが終わり次第出て行かせてもらおう」

 男にも、分かっているはずだった。バランの傷の治りが、異常に早いという事実が。

 さすがにまだ完治はしていなかったが、バランの傷が本来なら数日程度で治るはずもないものだと、実際に手当てした人間に分からないはずがない。どう贔屓目に見ても人外としか思えない異常さだし、事実、バランは人間ではない。

 それに気づいているだろうに、一言も疑問を口にしないこの男には感謝をしている。だからこそ、彼に迷惑をかける前にここから消えるのが一番の礼になるはずだとバランは解釈していた。人間でない者が、人間と同じ場所に居続けることは不幸にしかならないと、知り抜いているから――。
 だが、バランの言葉を聞いて、男は慌てたように引き留める。

「おいおい、何言ってるんだよ、まだ怪我も治りきっていねえのによ。なにも、そんなに焦ることはないだろ? せっかく、世界が平和になったって言うのによ」

「世界が、平和に……だと?」

 驚きに、思わずオウム返しに問い返すと、男はますます不思議そうな顔を見せる。

「もしかして、あんた、知らないのか? 勇者様が大魔王バーンを倒したのは結構前なんだけどよ」

 その言葉を理解するのに、バランは瞬きを十数度繰り返すほどの時間を要した。

 バーンは、慎重な男だった。
 地上壊滅を目論んでおきながら、同胞であるはずの魔王軍の幹部達にもそのことをおくびにも知らせず、人間達を攻撃する際も魔王ハドラーにやらせていた男だ。

 自分に少しでも刃向かってくる者は力押しで潰すだけの実力を持ちながら、実際に戦うその時までは自分の正体を厳重に伏せる繊細さも持ち合わせた男だった。

 実際に魔王軍と戦っていた勇者一行の面々ならばいざ知らず、一般人にまで大魔王バーンの名前は周知されていなかっただろう。なのに、こんな片田舎の武器屋までもがバーンの存在を知っているというのなら、それを知らしめた連中がいるということ。

 即ち、勇者が魔王を倒すというニュースが、世界の隅々にまで行き渡ったという証明に他ならない。
 それを理解しても尚、驚きは強かった。

「信じられん……」

 思わず、そう呟いてしまったのは仕方がない。
 大魔王バーンは、あまりにも強大だった。

 正直な話、バランはダイ達がバーンを倒せるとは思えなかった。自分自身が死力を尽くして戦っても、相打ちに持ち込めるかどうか……。だからこそ、バランはダイに先んじてバーンに戦いを挑むつもりだった。

 勝てれば良し、勝てなかったとしても自分がバーンを弱らせることができたのなら、後はダイが魔王を打ち倒すだろうと信じて。 

(そう……だ……私は――)

 ゆっくりと、記憶が蘇ってくる。
 バランの目論んだバーンへの無謀な挑戦は、結局は果たせないまま終わった。偶然、出会ったヒュンケルに説得され、バランはダイと共闘する形で魔王軍と戦うことになったのだから。

 ダイと組んで大魔宮へ趣いたバランを待っていたのは、魔王ハドラーだった。

 自ら望んで超魔生物へとその身体を改造させたハドラーは、捨て身だった。それまでの彼と同一人物とは思えない程の覇気に溢れ、竜の騎士二人を相手に堂々と戦いを挑んできた。

 しかし、大魔王バーンの卑劣な横やりにより、その決闘は最後まで果たせないまま終わった。ハドラーの身体に隠されていた、黒の核晶が炸裂した際、バランはすぐ近くにいた我が子を守ろうとして、そして――。

「ダイは!? ダイは、どうなったのだ!?」

 声が荒ぐのを、バランは抑えきれなかった。
 命に代えても、どうしても守ろうとした息子の姿を求め、バランは忙しなく周囲を見渡す。

「お、おい、落ち着けって!? ダイって、勇者のダイ君のことか?
 ダイ君なら、パプニカ城にいるぜ」

 その王国の名には、聞き覚えがあった。
 魔王軍の侵攻に戦いもせずにあたふたと騒ぐしかできなかった人間達の中で、敢然と立ち上がった一国の名を。

 その国の王は、父親を亡くしたばかりのまだ年若い姫だと聞いていた。そして、後にバランは実際にその姫に会った。

 長い栗色の髪が印象的な、勝ち気そうな少女だった。戦場にいるせいか簡素な服装をしていたが、それでもあふれ出る気品は隠しようもなかった。ダイの隣に立ち、堂々と自分を見返してきた気丈な少女は、パプニカ王女レオナだと名乗った――。

「大魔王を倒した後、勇者様はあそこのお姫様に望まれて、城に招かれたって話だ。もうすぐ、あそこのお姫様と結婚するってもっぱらの評判だよ」

 今度聞かされた話も、驚かされる。だが、今度は魔王バーンを倒したという言葉よりもよほど優しく、胸にすんなりと落ちてくれる驚きだった。

「……それは、めでたい話だな」

 淡々と、だが内心には深い感慨を持ってバランは呟く。
 その表情には、かすかな、だが柔らかな笑みが浮かんでいた。

 ダイが無事ならばそれでいいと思っていたが、内心ではそれ以上を自分は望んでいたのかと、自分で自分に驚く。
 ダイが人間に受け入れられていると聞くのが、こんなにも嬉しいとは――。

「ああ、全く同感だな。勇者とお姫様の結婚だなんて、まるでおとぎ話みてえだよな。まあ、ダイ君はまだまるっきり子供だし、もう少しばかり先の話になりそうだけどよ」

 そう語る男の言葉に、バランは少しばかりの疑問を抱く。
 勇者と姫の噂話は、いい。勇者が魔王を倒した話と同様に、世間に広く知られ渡るのも頷ける。

 しかし、勇者ダイが子供だと言う話は別だ。
 人間は話を聞く時に、無意識の内に自分が信じたい話、納得できる話を優先して受け入れるものだ。自分達を救い、心の希望となる勇者が、強く逞しい存在であることを望まない者はいまい。
 だからこそ噂話は常に誇張され、現実とはかけ離れていくものだ。

 魔法使いと聞けば、年老いて知恵を蓄えた老人の姿を想像するように、勇者と聞けば逞しい若者の姿を連想するのが普通だ。しかし、この武器屋の男はダイの実年齢を的確に判断しているようだ。

 と言うよりも、彼の語る『ダイ君』と言う呼びかけは、一般人が勇者を語るにしてはいささか馴れ馴れしすぎる。まるで、実際に知り合いでもあるかのような親しみが感じられた。

「あなたは……勇者ダイの知り合いなのか?」

 思わずそう尋ねると、男はボリボリと顎の辺りを擦る。

「あ〜、まあ、一応はな。知り合いって程親しくはねえが、うちの馬鹿息子がな、勇者ダイの友達なんだよ。その関係で、何度か顔を合わせたことがある程度だな」

(ダイの友達だと?)

 心臓が、ぎくりと一度跳ね上がるのを感じる。
 戦いの中でも、そうは感じたことのない緊張感を自覚しながら、バランは彼にしてはひどく慎重に尋ねた。

「……息子さんの名前を、聞いてもよいか?」

「息子さんってほど、立派な奴じゃねえけどな」

 カラカラと豪快に笑ってから、男はあっさりとその名を教えてくれた。バランが半ば予測していたのと、同じ名前を。

「ポップって言うんだ。
 これがまあ、えらく出来の悪い馬鹿息子でよ、世界が平和になったって言うのにちっとも家に落ち着きやしねえ」

 実の息子の話をしていると言うのに、男は何の遠慮もなく扱き下ろす。あまりにも辛辣な言葉には苦笑したものの、遠慮の無さがかえって親子関係の確かさを実感させる。

 少なくとも、実の親子でありながら最後の最後まで互いの距離を測りかね、まともな会話すらできなかった自分とダイよりはよほど親密な親子関係と思えた。

「まあ、それはどうでもいいんだ。
 それよりあんた、何を遠慮しているのか知らねえが、こんなボロ家でよかったら怪我が治るまで養生していけよ。さっきも言った通り、息子は家出して帰ってきやしねえし夫婦二人で暮らしている小さな武器屋だ、何の気兼ねも要らないぜ」

 ざっくばらんなその誘いに、呆れを感じなかったと言えば嘘になる。
 自分で言うのも何だが、化け物としか思えない重傷の人間を拾って、ここまで面倒を見るなど正気の沙汰ではない。
 だが、男はケロリとしたものだった。

「オレはこう見えても、自分の目にはちょいと自信があってね。一級品と二級品の区別もつけられないで武器屋はつとまらないってのは、オレの親父の口癖だったな。
 武器を見極める目ができれば人も見極められるってのが、親父の言い分だった」

 そこまで言ってから、男は不敵な笑みを浮かべる。

「で、だ。
 オレはあんたが、悪い奴ではないと見定めた。この目利きが間違っているとは、オレは思わねえな」

 自信たっぷりにそう言ってのける男に対して、バランはしばし黙り込んだ後で、軽く頭を下げた。

「……信頼に、感謝する。
 言い遅れたが、私はバランと言う」

 バランの唐突な名乗りに対して、男は一瞬だけ目を見張る。だが、すかさず応じる辺りはさすがだった。

「なに、いいってことよ。困った時はお互い様って言うだろ?
 こっちこそ言い遅れたが、オレはジャンクって言うんだ。よろしくな」

 ニヤリと笑うジャンクの顔を見て、バランはようやくこの男が誰に似ているのか気がついた。
 顔立ちは、確かに違う。

 だが、浮かべる表情や強情そうな癖っ毛は、ダイのすぐ隣にいた魔法使いの少年に、驚く程よく似ていた――。      《続く》

 

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