『大魔道士と四人の旅 4』
  

 ちらっと見ただけならば、それは単なる揺らめきに過ぎなかった。
 おそらく焚き火を焚くか洋灯でも持っていたのなら、見逃していたに違いないほどの薄い光だ。

 だが、ポップが火を消したせいで浜辺は真っ暗だったし、運良く新月の夜だった。それに見張りのヒムを初めとした一同は、最初から海に注意を払っていた。ポップが言った、海を見張るという言葉を無意識にでも気にしていたのだから。

 よって、彼等は全員その揺らめきを目撃した。
 時に薄れ、時に色濃く見えるその揺らめきが最もはっきり見える瞬間を、偶然にも目撃したのだ。

「え……っ!?」

 めったなことでは驚きを見せない戦士達が、揃って息を飲む。 
 それは、世にも美しい蜃気楼だった。

 海の上に忽然と現れた都市は、光り輝いて見えた。それは星の光のように淡い光ではあったが、火を全くつけていない闇の中では十分すぎるほど明るく見えた。

 浜辺からでも、白亜の城を囲むように建物が建ち並ぶ都市がはっきりと見えた。
 空中楼閣――その言葉が、これ以上相応しい都市など他にないだろう。
 その都市は、文字通り空中に浮かんでいた。

 驚きに目を見張る一同の目に、その幻の都市が映っていた時間はそう長くはなかった。はっきりと見えていた蜃気楼は、すぐにその形を失ってモヤモヤとした光の揺らめきへと戻る。

 それ自体も珍しい光景には違いなかったが、先程見た鮮明な幻に比べれば一段落ちるのは否めない。

「……今の光景は、なんだったんだ?」

 驚きのまま、誰かが呟いた言葉に返事をしたのは、不機嫌さまるだしの子供っぽい声だった。

「――見たんだな。ったく、見張りはおれがやるって言ったのに、なんで起こさなかったんだよ?」

「「ポップ!?」」

 振り返ると、目の辺りをゴシゴシ擦りながらポップがあくび交じりに起き上がっていた。

「って、おまえ、あんなのが見えるって知ってたのか? なら、早く言えよ、あんな蜃気楼なんか、初めて見たから驚いたぜ」

 言い返すヒムに、ポップは軽く首を横に振る。

「――あれは、蜃気楼なんかじゃねえよ」

 そう言いながら、ポップはじっと沖の揺らめきを見つめる。
 揺らめく光はさっきほどはっきりとは見えないが、時折、かすめるように幻の都市の姿を映し出す。もっともそれは先ほど鮮明な都市の姿を見たから町だと見当がつくようなあやふやな代物で、今、初めてその揺らめきを見たのならば、はっきり言いきれない程度にぼやけた光景に過ぎなかった。

 だが、ポップはそんな曖昧な光景しか見ていないはずなのに、そこに見える光景を確信しているような様子だった。

 方角を確かめた後、ポップは夕方に用意した魔法陣の中央部分に立つ。不思議なことに、ポップがそこに立った途端、貝殻が仄かに光り出した。

「アバン先生に聞いたことがあるんだ。海辺に打ち上げられた巻き貝の殻には、ほんのちょっぴりだけ精霊の力が宿っているんだって」

 その台詞に、ヒュンケルも思い出す。
 ヒュンケル自身もまた、幼い頃、アバンに初めて海に連れて行ってもらった後で、似たような話を聞いた覚えがある。

『ほら、ヒュンケル。この貝を耳に当ててご覧なさい、海にいなくても波の音が聞こえるでしょう? これはですね、精霊の力が宿っているからですよ』

 少しばかりの茶目っ気を含ませ、ひどく自慢げにアバンが教えてくれた話を、ヒュンケルは信じたりはしなかった。地底魔城育ちのヒュンケルは、洞窟や狭い小部屋のように密閉された場所では、音が反響して響くことを身をもって知り抜いている。

 そんなものはただの自然現象に過ぎないと論破し、突っぱねた生意気盛りの少年を、アバンは叱らなかった。ヒュンケルの聡明さを褒めた後で、人生には少しばかりのロマンも必要ですよ、などと笑っていたのを覚えている。

 ヒュンケルの記憶にある限り、彼がアバンから貝殻について学んだのはそれだけだったが、どうやらポップはそれ以上の知識を持っているらしい。

 光る貝殻に囲まれた魔法使いは、軽く目を閉じて身構える。その身体からちりちりと光がこぼれ出すのは、ポップの魔法力が高められている証拠だ。ポップが大呪文を使う際、何度となく見かけた現象ではあるが、いつ見てもその光景には目を奪われる。

 どこにでもいるような平凡な少年が、希代の魔法使いへと取って代わる瞬間だ。
 固唾を呑んで四人が見守る中で、少し甲高さを残す声が朗々と響き渡った。

「海に宿る精霊よ、我が声に耳を傾けたまえ。
 彷徨える魂達の声を、ここに呼び寄せよ。
 在りし日の姿を、ここに呼び寄せよ。
 忘れられしものを、今一度ここに蘇らせたまえ!」

 その呪文を聞いて、ヒュンケルはふと思い出す。
 ヒュンケルが以前、養父であるバルトスの遺言を聞いた時に活躍した魔法道具――魂の貝殻のことを思い出す。だが、ポップが今使った呪文はそれを遙かに上回る大がかりなものだった。

 ポップが呪文を唱え終わると同時に、沖の蜃気楼がぶわりと膨れあがる。次の瞬間には、彼等は町の中に突っ立っていた。

「えっ、ええっ!? な、なんじゃ、こりゃ!?」

 一際騒いだのはヒムだったが、声こそ上げなくとも心境的には残りの三人も似たような物だった。
 なにも無かったはずの浜辺にいきなり賑やかな町が出現したのだ、驚かないはずがない。しかも、周囲は驚く程明るくなっていた。いつの間にか、そら似は太陽が浮かんでさえいる。

 あまりにも急激な変化に立ち竦む四人にはお構いなしに、町の人々は楽しげだった。ごく普通に噂話をしながら、町の中を自由気ままに歩いている。そのうちの一人、ボールを追いかけた子供がこちらに走ってきた。

 転がるボールを見て、拾い上げてやろうと屈んだのはクロコダインだったが、グローブのような手をボールがすり抜ける。
 それは、指の間などでボールを取り逃がしたのではない。
 確実に掌の中に収まるはずだったボールが、文字通り掌をすり抜けたのだ。

「!?」

 驚きに目を見張るクロコダインの巨体に、子供が突進してくる。それは、わざと相手にぶつかろうとした動きでもなければ、相手に気がつかないままよそ見して走ってくる動きでもなかった。

 真正面を向いているのにクロコダインの姿など意識していない様子で走ってきた少年は、そのまま彼の巨体をすり抜けていく。しかも、少年はそれに全く気づいた素振りも見せなかった。何事もなかったかのように、ボールを追って走って行く。
 それで、やっと四人は気がついた。

「実体じゃないのか……!」

 そして、ポップがさっき口にした蜃気楼ではないという言葉と、呪文の言葉を合わせて考えれば、簡単に推測出来る。
 今、自分達が目にしているのは、死せる魂達の姿……即ち、幽霊なのだと。
 しかし、そうと分かっても信じられない気持ちなのは変わりない。

 どこまでもリアルで、色鮮やかな光景はこれが現実ではないと分かっていても、つい手を出したくなるほどに明瞭だった。
 整備され、様々な店が並ぶ大通りには、大勢の人々が行き交っている。その人々の靴音やざわめきまでもが、はっきりと聞こえてきた。

「ソアラ姫がご無事で良かったわ!」

 何気なく聞こえてきたその声に、表情を強張らせたのはラーハルトだった。そんな彼のショックに追い打ちをかけるかのように、聞き覚えのある国の名が人々の口の端にのぼる。

「全くだよ、これでこの国も安泰だな」

「王様もさぞやお喜びでしょう、本当に良かったわ」

 見慣れぬ町並みの随所に掲げられた紋章は、紛れもなく今は亡きアルキード王国のもの。
 無邪気なまでに自国の姫君の帰還を喜ぶ国民達は、王が出したお触れを疑ってもいないのだろう。

 国を騙し乗っ取ろうとした悪党に攫われた姫が無事に帰還し、悪党の方は処刑される――噂から窺い知れるその事実を聞いて、ラーハルトが顔を顰める。だが、彼は口に出してまで不満は言わなかった。

 彼等の噂する悪党とは、紛れもなくバランのことだろう。
 王の都合に合わせたお触れはデタラメだし、バランの罪はただの冤罪だ。だが、そうと分かっていても文句など言えようはずもない。
 この後、バランが何をしたかを知っていれば――。

「……この人達は、知らないんだな……」

 ぽそっと呟いたポップの言葉に、誰も応えなかった。
 アルキードの人々は、何も聞こえないが故に。
 そして、ヒュンケル達はアルキード王国のその後の悲劇を知っているからこそ、何も言えなかった。

 黙り込んだ彼等を突き抜けながら、賑やかに笑いさざめくアルキードの人々――だが、その姿はフッと消えた。

 現れた時と同じ様に唐突に消えた幻の町は、瞬時に元の沖の位置に戻っていたが、四人はそれを不思議に思う余裕もなかった。それ以上に、突然、ぺたんとその場に座り込んだ魔法使いの少年に気を取られていた。

「ポップ!?」

 一番ポップの近くにいたヒュンケルが、真っ先に彼に駆け寄って肩を掴む。その場がポワッと明るくなったのは、ラーハルトがすばやく洋灯に火を入れたおかげだ。

 大呪文を使った後は、ポップは体調を崩すことが多い。最悪の場合、意識を失うことだってある。それを心配しての行動だったが、今回は幸いにも意識はしっかりしていたらしい。

「なんだよ、いちいち騒ぐなよ」

 不機嫌そうに言いながらヒュンケルの腕を振り払っているところを見ると、結構大丈夫そうだ。
 だが、座り込んだまま動かないポップに、クロコダインが優しく声をかける。

「どうした? 気分でも悪いのか?」

 気遣う兄弟子には容赦なく反発するポップだが、手放しに人の良い獣王に対しては、意地を張る気はないらしい。

「いや……平気だけど。ただ……こんなに平和そうな光景が見えるなんて思ってなかったから、びっくりしちゃってさ……」

 ポップの口調は驚いていると言うよりは、戸惑っているように聞こえた。
 その気持ちは、悲劇の国、アルキード王国の伝承を知る者ならば十分に理解できるものだろう。バラン側の立場から、詳細な情報を握っている者にとっては尚更だ。

 一瞬で、そこに住んでいた人々ごと消滅してしまった王国。
 間違いとは言えソアラを殺してしまった王族達はともかくとして、ただアルキード王国に住んでいた人間にとっては、とばっちりとしか言いようがない。理由も分からず、何の前触れもなく、突然に住んでいた場所も命も奪われてしまった彼等がもし幽霊としてこの世に留まっているのなら、さぞや怨みに思っているに違いない――そう考えるのが多数派の意見というものだろう。

 だが、現実はまるっきり違っていた。
 アルキードの人々の幽霊……彼等は、ひどく幸せそうだった。

 実際、彼等にとってはこの時こそが一番幸せな時期だったのだろう。アルキード王国が消滅したのは、魔王ハドラーが勇者アバンに倒された後のこと。復興も一段落ついて、人々が平和を享受していた頃の話だ。

「ああ、豊かな国だったようだな。……存外、アルキード王は悪い王ではなかったのかもしれないな」

 王は、その国の主だ。
 絶対王政に置いて、王の個性は良くも悪くも国に影響を与える。たとえば、王が財を欲して民に重税を敷けば、その影響は必ず国民の心理に反映される。

 自分達を虐げる王を、民は決して尊敬などしないし、慕うはずもない。
 だが、アルキード王女の無事を我が事のように喜ぶ国民は、笑顔だった。王女のためでなく王の心情を慮って喜んだ彼等には、王への敬慕が感じられた。

 そして、アルキード王が政をきちんと行っていた様子は、町に現れていた。
 町は綺麗に整備され、売られている商品の数は多く、豊かだった。それは、その町の支配者の手腕を如実に物語っている。

 アルキード王は娘の恋に理解を示さない頑固者ではあっても、決して愚かな王ではなかったはずだ。

 少なくとも彼は、自国の民をよく治め、民達に愛されていた。それがどんなに難しいことか、実際にパプニカ王国の政務に拘わっているポップになら分かるはずだ。

「あー、その辺のこたぁ、オレにゃあよく分からんけどよ……あいつら、自分が死んでいることにも気づいちゃいないみたいだったな。幽霊ってのは、あんな風なのか?」

 一同の中で唯一、バランやアルキード王国の話など知らないヒムは気楽な口調でそう呟く。本気で聞いていると言うよりは、その場の空気をなごませるかのような軽口に近かったが、それに生真面目に答えたのはヒュンケルだった。

「幽霊には、二通りいる。怨みを持つ者と、何も知らぬ者だ」

 元不死騎団長だったヒュンケルは、それを知っていた。
 死は、生きている者から全てを断ち切る。その者にどんな大切な人がいようと、どんなに財産を持っていようと、どんな思いを抱いていようと、容赦なく切り捨てる。

 そんな理不尽とも言える死に、納得しきれない人間や魔族が死霊となる。多くの死霊は、死に際に抱いた恨み辛みの念に引きずられるまま闇へと落ちる。生前の性格を失い、怨みの念しか残さないまま生者に攻撃し続ける不死系怪物達を、ヒュンケルは長い間見てきた。
 だからこそ、そうではない死霊の貴重さも知っている。

「ごく稀だが……死んだことにさえ気づかないまま命を失った者が、死霊になることがある。彼等には、死んだ自覚がない。だからこそ、死の寸前の行動を繰り返し続ける」

 ヒュンケル自身も、一度、そんな死霊を見たことがある。
 あれは、ずいぶんと昔の話だった。まだヒュンケルが魔王軍に入らず、ミストバーンに連れられるまま、あちこちで修行していた頃のことだ。

 滝壺で自ら身を投じ、死ぬ男を見た。
 驚きは感じたが、ヒュンケルはその男が死んだと思い、捨て置いた。到底助かるような高さの滝ではなかったし、当時は人間を嫌っていた彼は関与したくはなかった。そもそも望んで死ぬような男に、それ以上拘わりたいとも思わなかった。

 しかし、翌日、全く同じ場所で、同じ男がまたも滝から飛び降りたのを見た時にはさすがに肝を冷やし、わざわざ男を探した覚えがある。結局男も遺体も見つからなかったが、さらに翌日も、そのまた翌日にも同じ場所で同じ男が飛び降り続けていた。

 ヒュンケルはその修行場に長居したわけではないのでそれ以降は知らないが、その後、執事のモルグに何かの拍子でその話をした時に、おそらくその男は幽霊だったのだろうと教えてもらった。

 自殺者や思わぬ事故で死んでしまった者には、稀にあることだとモルグは苦笑しながら言った。

 自分がとうの昔に死んでしまったことにも気づかず、自殺が失敗したと思い込み、何度も何度も自ら身を投じ続ける。何度となく死の恐怖を味わいながら、それでも死ぬことだけが唯一の救いだと思い込んだまま――。

 そんな救いのない繰り返しに陥っていた男に比べれば、あの町の幽霊達はずいぶんと幸せに見えた。

「なるほどな。自分が死んだことさえ知らぬ幽霊か……道理で幸福なわけだ」

 独り言のようなクロコダインの言葉を聞いて、ポップが今にも泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにする。あれ程の大魔法を使って見せた魔法使いが、途方にくれたような顔をしていた。

「おれ……、あの人達が苦しんでいるのなら、唱えなきゃいけない呪文があると思ってたんだけど……」

 普段のポップらしからぬ、弱々しい口調でそう呟く。
 悪霊なら、切って捨てればいい。この世に害を為す存在を滅するのに、悩みなどすまい。

 また、自分ではどうしようもできないしがらみ故に地上に留まる幽霊ならば、浄化させればいい。

 本人は大魔道士と名乗ることが多いが、魔法使いの呪文と僧侶の呪文を全て習得したポップは、実際には賢者だ。その気にならば、悪霊を消滅させることも、浮かばれない霊を浄化させることも容易い。

 だが、あの幽霊達はあまりにも普通だった。
 生きている人間と錯覚してしまうほど、どこにでもいそうな、平凡な人達に見えた。

 いかに高レベルの賢者の能力を備えていても、ポップ自身はまだ少年だ。青年と呼ぶにはまだ頼りなさが目立つこの少年には、そんな幸福な幽霊達にどう対処すべきか分からないらしい。

「ムッシュから噂を聞いてから……ずっと、もしかしたらって思ってたんだ。もし、アルキード王国の人達が幽霊になっているんなら……ダイがそれに気がつく前に、なんとかできないかって……」

 動揺しているせいか、ポップはいつもなら零しそうもない弱音をぽろぽろと取りこぼしている。
 そんなポップに、クロコダインやヒュンケル、ヒムはかける言葉も思いつかなかった。

 ようやく、ポップが何を望んでこの旅を始めたのかが理解できた。
 親友を思いやって悩んでいる魔法使いに、無骨な戦士達は何を言っていいか分からない。
 が、無骨者だらけの中で一番の無骨者は、臆することなく言い放った。

「案外、過保護なんだな」

「なにをぉっ!! てめえにだけは言われたかねえよっ」

 馬鹿にされたと思ったのか、ポップが反射的に言い返す。さっきまでちょっと弱っていたとは思えない反応に対して、ラーハルトは薄い笑みを浮かべていた。

「ダイ様は、そこまで心弱くはない。あの方の息子なのだからな」

 確信を持って、ラーハルトは言い切った。
 事実、ラーハルトは信じている。

 ポップが懸念したように、いつか、ダイが自分の母親の故郷を訪れたいと望む日が来るかもしれない。あるいは、噂が巡りに巡ってダイの興味を引きつけるか……まあ、きっかけはどうでもいい。

 いつか、ダイが自分の母の生まれた地を確かめに来る可能性は少なくないのは事実だ。そして、海上に見える不思議な町に気づけば、それを詳しく調べようとするだろう。

 ポップのように幻の町を引き寄せる魔法は使えなくとも、ダイには空を飛ぶ力はある。それに竜の騎士は、生まれながらに精霊の加護を強く受けている存在だ。揺らめく蜃気楼のような幽霊の町を追いかけ、真相を知ることはできる。

 だが、その真相にダイが打ちのめされるとは、ラーハルトには思えなかった。

「おまえは、ダイ様を信じられないのか?」

 どこか挑発的に、ラーハルトはポップに言い放つ。それを聞いた勇者の魔法使いは、一拍おいてからニヤリと笑ってみせた。

「――ハン、誰に物を言ってるんだよ? 言っとくけどな、おまえよりおれの方がダイとの付き合いはなげえんだよ」

 そう言いながら、ポップは立ち上がってパンパンとあちこちを叩いて砂をはたき落とす。
 その表情はスッキリとしていて、迷いがなかった。

 一通り砂を払った後、ポップはもう一度海を見た。
 黙って沖の方を見やるポップを見習って、一同はしばし海上の町を見つめていた。

 魔法の効力を失った上にすでに日の出が近付いているせいで、町はもう跡形も見えなかった。
 だいたい、新月の夜にでさえはっきりとは見えにくかった町だ。本来の町の姿をちらりと垣間見ることの出来る者は、よほど運が良く、目がいい人間に限られるだろう。

 現にポップが聞き込みをしたあの村でさえ、この幻には無関心だった。海では不知火が見えるのは当たり前だと思い、深く注意すら払っていなかった。おそらく、彼等はこんなにも身近に存在する幽霊の存在も知らないのだろうし、知ろうとも思わないだろう。

 そして、何も知らないのは幽霊達も変わらない。
 彼等は、自分達の死に気づかない。
 突然、自分達が国ごと滅ぼされたことも知らず、今までと同じ日々がこれまでも続くものだと疑いもしない。

 だが、それでもいつか、事実に気づく日がくるかもしれない。己の死を認め、浄化を望んでこそ初めて幽霊は天へ還ることができる。それまでにどのぐらいの時間がかかることか……それは、分からない。

 しかし、一度心を決めたポップは、そう長い間消えた蜃気楼を見つめはしなかった。気分を切り替えたように向き直り、一同に向かって手を伸ばす。

「じゃ、もうパプニカに戻るから、一緒に来るから掴まれよ。ついでだから、連れて行ってやるよ」

 横柄な誘いに、一同は苦笑する程度で済ませる。
 正直、ここから各自でそれぞれの帰路についてもいいのだが、四人は揃って律儀者だった。ポップの護衛をレオナから頼まれた以上、レオナの元に送り届けるまでが任務と心得ている。
 だからこそ、みんな、次々とポップに手を伸ばして触れる。

「ルーラ!」

 呪文と共に、彼等は光の矢となってその場を飛び立つ。その轟音に紛れて、素直じゃない魔法使いの声が聞こえた気がした。

 ――……ありがとな、みんな――






「あっ、やっぱりポップだっ! お帰り、ポップ、早かったんだね!! わぁ、クロコダイン達も一緒なんだね、いらっしゃい!」

 轟音と共にパプニカ城の中庭に着地するやいなや、兵士達が駆けつけてくるよりも早くやってきたのは、勇者ダイだった。
 寝起きなのかパジャマのままだが、寝ぼけるどころか元気いっぱいなダイは嬉しそうにポップに飛びついてきた。

「あれ? 潮の匂いがするけど……ポップ、海に行ってきたの?」

「よく分かるな、そんなの」

「そりゃ分かるよ、海っぽい匂いがするもん。いいなぁ、おれも行きたかったな」

 子犬のようにまとわりつくダイに、ポップは面倒くさそうに小さな包みを手渡す。

「まあ、お土産は買ってきてやったからいいだろ。ほら」

「ありがとう、ポップ! わ、平べったい変な魚だ! こんな魚、初めて見たよ?」

 さっそくその場で包みを開けたダイは、裁いてから日干しにした魚を見て目を丸くしている。

「それ、デルムリン島にもいる魚だって。ただの干し魚だよ……って、いきなり食おうとするなっ!」

「? 魚なら、食べ物じゃないの?」

「いや、食い物だけど! そのままじゃなくって火で炙ってから食うんだよっ! 全く、おまえといいヒュンケルと言い、怪物に育てられた奴ってのはどうしてこうズレてんのかなー?」

 なにやらとばっちりでヒュンケルにも悪口が被弾しているが、ポップの帰宅に上機嫌のダイは気にした様子もなく、にこにこしながらお土産を漁っている。

 今度は薄桃色の外殻と、内部には真珠の艶やかさを秘めた巻き貝を手にして、不思議そうに首を捻った。

「あれ? これ中身ないよ、ポップ」

「いや、貝殻を拾ってきたんだから、当たり前だっつーの! それに、それは姫さん用だっ」

 ぎゃあぎゃあと賑やかに騒いでいる勇者とその魔法使いのやり取りを、四人の戦士達は少し離れた場所から見ていた。
 口を出すつもりなど、毛頭ない――これこそが、彼等の望みなのだから。
 彼等の望みは、今も昔も変わっていない。

 目を離すと無茶ばかりしでかす魔法使いを、無事にその勇者と会わせてやること。
 それが叶った以上、不満などあるはずもない。満足しきった面持ちで、彼等はその光景を微笑ましく見守っていた――。  END

 

《後書き》

 580000hit記念リクエストその1『騎馬戦ズと、魔法を使うポップ』でした! まあ、作品内では脳味噌筋肉隊+1と表記しているので騎馬戦ズという名称は使っていませんが。

 しかし騎馬戦ズって冒険の旅には心強い仲間ですが、田舎の平和な町や村を旅する時にはこんなにも厄介で役に立たなかったとは(笑)
 でも、ポップと騎馬戦ズの言い合いが楽しくて、たいした事件ではないのにずいぶんと長引きました。そのくせ、魔法シーンがすっごく短くて申し訳ない気が……っ、すっ、すみませんっ。

 以前から、とばっちりで消滅してしまったアルキード王国が気になっていたので、彼等の話を捏造してみました。おそらく、自分達の死を嘆いたのは実際にバランと拘わった一部の者だけで、大半の人間は何も知らないままだったんじゃないかと思っています。苦痛も感じない程の、一瞬の死だったと信じたいです。

 物語には書きませんでしたが、王宮の中には自己嫌悪に苛まれてこの世に留まっている王族達の幽霊もいたかもしれません。彼等にとっては、幸せな自国の民の幽霊達を眺めるのは針のむしろかもしれませんが。
 どちらにせよポップはこの件には拘わらないと決めたので、後は幽霊達次第になります。

 ところで、今回の幻の町の話は「ニルスの不思議な旅」のエピソードを元にしています。
 そこに住んでいた人々は町ごと海に沈んでしまい、一年に一度だけ幻の町として浮上するという設定で、結末も意外な形で余韻を残すものだっただけに心に残っています。

 ついでの余談ですが、我が日本には、ハマグリが霧を吐き出すことで蜃気楼を作り出すと言う伝説があるんですが……巻き貝ならまだしも食用の二枚貝ではどうもロマンがない気がします(笑) 


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