『春の風の匂いに包まれて』 |
ふわりと、風が匂った。 「あ、この風、いい匂いがするね」 そうダイが言った途端、ポップが呆れたような声を上げる。 「はあ? 風がぁ? おまえ、バカ言ってんじゃねえよ」 「でも、ホントだよ。ポップも嗅いでみなよ!!」 強くそう主張すると、ポップは読みかけの本を置いてやれやれと勿体つけながらもダイのいる窓際までやってきた。 「ん、確かに甘い匂いがするな」 「だろ? 今日の風、いい匂いだよね!」 と、はしゃぐダイの頭を、ポップが軽くこずく。 「だから、バカか、おめえはっ!? これは、風に匂いがついてるんじゃなくって、沈丁花の匂いだよ!」 「ジンチョウゲ? なにそれ、怪物かなんか?」 きょとんとするダイに、ポップは呆れかえったような様子ながらも説明してくれた。 「んなわけあるか、沈丁花ってのは花の一種だって。 いつもそうだが、ポップの説明は的確で分かりやすい。 「じゃあさ、風の吹く方向に行けば、ジンチョウゲのとこへ行けるんだね! 行ってみようよ、ポップ!」 「はあ? なんでわざわざそんなこと……っ」 読書に戻ろうと思ったのか、すでに元居た場所に戻りかけていたポップの手を、ダイは強引に掴んで引っ張ってみる。 「いいじゃないか、行こうよ! こんなにいい匂いなんだもん、どんな花か見てみたいもん」 それは、本心とは言いきれなかった。 それと同じように、ポップと一緒にちょっとした遊びにいきたくなったのだ。 「沈丁花ってのはこの辺じゃ有り触れた花だし、別にそれ程、目立つ花じゃねえんだけどな〜」 面倒くさそうにポリポリと頭を掻きつつ、ポップはさっき置いた本の所へと戻ってしまう。 (でも、しかたがないよね) ポップが付き合ってくれないのは残念だが、無理強いするほどの用事ではない。ポップが本を読むのに忙しいのなら、邪魔をする気はないのだ。所詮、花の香りを追いかけるなんて遊びにすぎない。 仕方がないとは分かっていたが、それでもさっきまで膨らんでいた気持ちがしぼんでいくのを感じる。さっきまではあんなにワクワクしていたのに、一人で香りを追いかける気さえなくなっていく。 しかし、開いたまま本を手に取ったポップは栞をそこに挟んでから、本を閉じて再びその場に置く。 「ま、ちょっとならいいか。たまには息抜きも必要だしな」 そう言われた意味をすぐには分からず、ダイはきょとんとするばかりだった。そんなダイを、ポップは急かす。 「なにやってんだよ、行かないのかよ?」 ちょっと膨れたように言われてから、ダイはパッと表情を明るくした。 「ううんっ、ポップと一緒に行くよっ!!」
思ったよりも小さな花だった。 風にのって微かに香っていた時とは比べものにならない匂いの強さにはびっくりしたが、濃密なその匂いはやはり甘く、心地よい。 「ああ、こんな所に生えていただなんてなー。これだと、城の連中も気がついてないんじゃねえの?」 ポップが言う通り、沈丁花の木はパプニカ城の片隅にあった。目立たない場所にひっそりと生えていただけに、探すのになかなか苦労させられたが、ダイとしては大満足だった。 匂いを辿りながら空を飛び、あっちでもない、こっちでもないと騒ぎながらパプニカの町の上をさんざん飛び回って、結局出だしのパプニカ城の片隅に辿り着いた。 「これ、レオナにあげたら喜ぶかな?」 「ああ、多分な。姫さんには珍しいんじゃねえの?」 そう言いながら、ポップは花を一差しだけ折り取った。 「匂いが強いから、少しだけにしとけよ。きっと、姫さん、喜ぶぜ」 手渡された沈丁花の枝を、ダイは慎重に受け取った。一差しだけなのに強い芳香を放つその花は、ここのところ忙しくて散歩も出来ず部屋にこもりっぱなしのレオナに、春の風を届けられるかも知れない。 END 《後書き》 |