『冷たい雨に頬を打たれて』
  
 

 ぽつっと、顔に水滴が当たる。
 その水の正体を確かめるために顔を上げるまでもなく、目の前の地面にぽつぽつと小さな水玉が広がっていくのが見えた。

「わっ、大変っ」

「急いで、濡れちゃうわ!!」

 突然降り出した雨に、途端に周囲がざわつく。特に慌てているのは、屋根もなしに道端に広げた布の上に商品を並べていた、露天商達だ。大事な商品が濡れてしまっては一大事ばかりに、手慣れた素早さで荷物をまとめ、どこかへそそくさと逃げ出していく。

 商人達ほどではないが、女性や女の子達もかなり慌てている。さも大切そうに髪の毛を手で庇ったり、服を気にしながら小走りに逃げ去っていく。女性ほどではないが、男性も急ぎ足になる者が多かった。

 まっすぐに家に帰ろうとしているのか走る者、一時的に雨を凌ぐつもりなのか、ひさしのついた場所へと逃げ込む者など反応は人によって様々だが、雨から逃げる素振りを見せるという点では同じだ。

 ついさっきまで賑やかだった市場から、見る間に人が減っていく有様をダイは不思議な思いで見ていた。
 島にいた頃、小魚の群れに近づいた時のようだとダイは思う。

 群れで行動する小魚は、異変にとても敏感だ。大きな魚は割と大らかで、脅かしさえしなければ触れても逃げもしないぐらいゆったりとしているが、小魚はそうはいかない。

 少しでもいつもと違うと思った途端、一斉にさっと逃げ出してしまう。
 市場にいた人間達も、そう言う意味では小魚にそっくりだ。

(変なの、ただの水なのに)

 雨を浴びながら、ダイはさっきまでと全く変わりのないペースで歩いていた。もちろん、ゆっくり歩くダイの上にも雨は降り注いでいるのだが、道行く人達と違って彼には雨を避けようとする素振りすら見せなかった。

 デルムリン島育ちのダイにしてみれば、『雨』は避けるべき対象ではない。
 小さな島から旅だったダイが、世界を実際に見て驚いたことやびっくりしたことはいくらでもあるが、『雨』も驚かされた。

 ダイにとって、雨とは南の島特有のスコールをさすものだ。
 それこそ滝のような、叩きつけるような雨がどしゃどしゃと降り注ぎ、油断すれば身体を持って行かれそうな強風が吹き荒れる――それが、ダイが知っている雨だ。

 スコールの危険性はダイも肌に感じていたし、ブラスに常々注意されていたこともあり、そんな時にはちゃんと安全な場所に避難するようにしていた。幸いにも、ダイの友達の怪物達は天候に敏感なものが多かったため、スコールが来る前には大抵分かっていたし、そんな時は家や洞窟に避難するようにしていた。

 だが、旅に出てから知った雨は、ひどく穏やかなものだった。
 音もなく降る『雨』があるのだと、ダイは旅に出てから初めて知った。 
 もちろん、たまには風と一緒に降る雨もあったが、島のスコールに比べればスライムとキングスライムぐらいの差がある。

 静かに、天から降り注いでくる雨粒をダイは嫌いではなかった。ポップは濡れるだのなんだのと、雨の日は文句を言うことが多かったが、ダイにしてみれば何が問題なのかよく分からない。

 確かに雨が降れば濡れるが、そんなのはそのうち乾く。乾かなくても、後で着替えれば同じことではないだろうか。

 むしろ、雨の日に旅をすれば洗濯や風呂の手間が省けるのではないかとポップに提案してみたことがあったのだが、なぜか思いっきり『バカかっ、てめえは!?』と思いっきり怒鳴られたので、やめておいた。

 だからポップを初めとした皆と一緒に居る時は、雨が降ってきた時にはできるだけ雨を避けるようにしてはいたが、自分一人ならば話は別だ。急な雨で人通りの少なくなった市場の中を、ダイはゆっくりと歩いて行く。

 『雨』は静かに、穏やかに、ダイに降りかかる。
 水滴が、皮膚の上にポツンと落ちて、転げていく感触がちょっとくすぐったい。まあ、難を言えば今日は少しばかり気温が低いのか、雨粒が冷たく感じられる点だったが、それもそれ程気にはならない。

 ただ、『雨』のせいで市場の大半を占めていた雑多な店が一気になくなってしまったので、買い物の当てが潰れたのはちょっと困るが。
 元々、ダイが市場に来たのは露天が目当てだった。


「たまにさ、なんだか無性に食いたくなるんだよなー」

 そう言ったのは、ポップだった。
 別に、城での飯にケチをつける気はないんだけどさ、と前置きをしてからポップは、露天で食べるご飯やおやつがどんなに美味しいかを力説してくれた。

 例えば、ぶっとくて食べ応えのあるソーセージを串に刺したフランクフルト。たっぷりのケチャップと、気が抜けているのかあまりからくないマスタードを程よくかけて食べるといいだとか。

 例えば、ふわふわしていて甘い綿飴。
 一見すると棒に白い綿のかたまりを巻き付けたように見えるのに、口に入れると嘘みたいにふわっと溶けて、甘い味ばかりを残す飴細工。

 その他にも、舌の色が変わってしまうぐらいカラフルなシロップを使ったかき氷だの、小さなシーフードの入った簡易焼き菓子だの、小麦粉の薄い生地にキャベツと卵などを焼き込み、ソースで味付けする軽食だの、ダイはもちろんレオナや三賢者でさえ知らないような食べ物について、ポップは楽しそうに教えてくれた。

「ふぅん、珍しいわね。ねえ、ポップ君、そのレシピを知っていたら料理長に教えてやってくれないかしら? あたしも食べてみたいわ」

 好奇心の強いレオナが目を輝かせてそうねだったが、ポップは笑いながら軽く手を振った。

「ああ、ダメダメ。ありゃあ、家で作ったって美味しかぁねえんだよ。なんでだろうな、露天で作りたてをそのまま食べるのが一番っていうか、そうじゃないと美味しくないんだ」

 そう言われて、レオナは残念そうながらも素直に引き下がったが、ダイはそこまで聞き分けが良くはない。
 と言うよりも、変な意味で超素直でストレートな性格だった。

(作りたてが美味しいなら、買ってすぐにもってかえればいいよね、きっと)

 瞬間移動呪文と自前の足での全速力を駆使すれば、市場で買ってすぐのものをポップやレオナにおやつとして届けるのは不可能ではない。仕事で忙しいポップとレオナはそうそう城から離れられないが、魔王がいなくなった今となっては勇者は至って暇人だ。

 多分、事前に計画を知ったのならば、アポロ辺りが血相を変えて止めたに違いないが、幸か不幸かダイはこっそりとこの計画を実行するつもりだった。

 だが、思いがけない雨のせいで、どうやらダイはサプライズプレゼントに失敗してしまったようだ。それを思うと、頬に感じる雨の冷たさが少しばかり恨めしい。

(ちょっと、雨が嫌いになっちゃいそうだなー)

 などと考えながら歩いていたダイだが、降りかかる雨が不意に消えた。
 あれ、と思う間もなく、ダイの頭に勢いよく拳が振ってくる。

「いてっ」

 と、そう言ってしまったのは、反射のようなものだ。実際には、石頭には自信のあるダイの頭は素手で殴られたところでそう痛くはならない。むしろ、殴った相手の方が痛そうに拳をさすっていたりするのだが、ダイはとりあえず文句を言ってみた。

「ひどいなぁ。いきなり、なにすんだよ」

 と、文句を言ったところで素直に反省してくれるような相手だとはダイも思っていない。実際、勇者にいきなり鉄拳を震うと言う暴挙に出た魔法使いは、口やかましく文句を言い立ててきた。

「なにすんだよ、じゃねえよ! てめえこそ、雨の中、傘も差さずにフラフラと何してんだよ!? あーあ、こんなに濡れちまってるじゃねえか」

 なんて文句を言いながらも、ポップは手にした傘をダイにも差し掛けてくれる。すでにびしょ濡れなダイにとっては必要はないと思うのだが、ポップの親切が嬉しくて大人しく傘に収まる。
 だが、不思議なので聞いてみることにした。

「ポップ、なんでここにいるの?」

 この時間、ポップは仕事中のはずだ。一応、おやつの時間には小休憩があるにはあるが、それ程時間があるわけではないので城から出ることはあまりない。なのに、何故ここにいるのか不思議だったのだが、ポップはごく当たり前のように言った。

「そりゃ、おまえがいるからに決まってんだろ」

「でも、おれ、今日、どこに行くか言わなかったよ?」

 ダイの行動に、制限はない。
 レオナから、夕食に間に合うようにと言われているので門限はほぼ決まっているようなものだが、その他の行動は自由だ。

 とは言っても、ダイは基本的にパプニカ城周辺にいることが多いのだが、瞬間移動呪文を使えるダイはその気になれば、日帰りで国外に出掛けるのも自由自在だ。

 気が向いた時にデルムリン島に帰ったり、カール王国やロモス王国に言ってみたりと、ダイの行動範囲は存外広い。

 その上、ダイには行く先を予め誰かに告げておく習慣がないので、後になってからレオナにどこに行っていたのかと怒られることも多い。
 だが、ポップは当然だとばかりに笑った。

「そりゃあ言わなかったけど、でも、あんなに態度に出ていちゃあな。
 昨日、屋台の話をした時からそわそわしてたし、朝からおやつの時間やら用意やらをやたらと気にしてただろ」

 だからそうじゃないかと思った――そう言うポップは、ちょっと得意そうだった。だが、その顔はすぐにしかめっ面に取って代わる。

「けど、さっきから急に曇ってきたし、雨も降ってきたからなぁ。もしかして、傘を持ってないんじゃないかと思ったら、案の状だ。いい加減、おまえも雨の日は傘ぐらい使えってえの!」

 そう言われて、再び頭を叩かれる。だが、その拳はごく軽くって、痛くも何ともなかった。
 それに、たとえ痛かったとしてもダイは全く気にしなかっただろう。

 忙しいはずのポップが、わざわざダイを探しにここまで来てくれた……それだけで、胸の奥がぽかぽかするほど暖かい。

「どうせ、屋台なんてまたすぐに来るよ。そうしたら、今度は姫さんも誘ってこっそりと買い食いでもしまくろうぜ。
 でも、今日はさっさと帰ろうぜ。風邪でも引いたら、大変だしな」

 そう言いながら、ポップは温度を確かめるように軽くダイの頬に触れる。ついさっき、冷たい雨に打たれていたはずの頬にじんわりと温もりが伝わってきた――。      END 


《後書き》

 ダイ大世界に梅雨があるかどうかは分かりませんが、一応、イメージは梅雨ですv

 ところで、露天な食べ物屋が思いっきり日本の縁日に偏っていたりします(笑) ついでに言うと、普通、露天は土砂降りでもないかぎり商売できるように、最初から雨対策をしているものですが。まあ、ここではお話の都合上、雨にはめっちゃ弱い露天にしてみました(笑)

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