『お兄ちゃんと呼ばないで ー後編ー』

  

「ポップ……? 兄弟弟子、って……嫌だったの?」

 ダイの目が、不安そうに揺れる。
 この上なく大事そうに握りしめていたはずの骨付き肉も、今にも手から滑り落ちそうだった。

 この場にいる4人はそろってアバンの使徒であり、兄弟弟子でもある。
 中でも、共に修行した仲であるダイとポップは、一番絆が深いと言っていいだろう。それを否定されたと思ったのか、ダイは今にも泣き出しそうな顔になってしまった。

 ヒュンケルを睨みつけていたポップだが、その言葉にダイの方をチラッと目を向けて、軽く首を振った。

「ん? まあ、おめえはいいんだよ。初めて弟弟子が出来るって聞いた時は、嬉しかったし。一緒の修行も、けっこう面白かったしよ」

 そう言われて、ダイの表情がパッと明るくなる。

「……よかったぁ!」

「ま、兄弟子なんだから面倒を見てやれだとか、弟弟子に負けても良いのかとかハッパをかけられるのは、ちょーっとめんどくさいかなとは思ったけど」

 ぶつくさと小声で文句を付け足すポップだが、安堵したダイはそれを聞き逃したか、もしくは気にしないことにしたらしい。
 自分が拒否されていないと分かった時点で、安堵したダイは再びしっかりと骨付き肉を持ち直して、もぐもぐと食事を再開する。

 が、ヒュンケルにしてみれば、とてもそう振る舞う気にはならない。
 ポップの敵意の篭もった目つきは、はっきりと自分に向けられているのだから。

「先生は自分の教えを受けた者なら、みんな兄弟弟子ですよって言ってたけどさ……でもよぉ、それって、なんかおかしくね? だって、一緒の時期に習ったとかならともかく、一度も会ったこともなくて、年齢だって自分よりも上か下かも分からねえのに、おれより前にいた弟子ってのは自動的に兄弟子とか姉弟子になるんだぜ!」

 まくし立てるポップの言葉に、レオナはちょっと考え込む素振りを見せてから、もっともらしく頷いた。

「ま、一理あるわよねえ。あたしもアバン先生の弟子になれたのは誇らしいとけれど、自分がダイ君やポップ君の妹弟子だとか言われると、ちょっと……って思うもの」

 相槌と言うよりは、暗にダイとポップをディスっているに近い発言だが、ポップはそれだと言わんばかりに大きく頷いた。

「そう、そこだよっ! ホントの兄弟でもないし、いくら兄弟弟子だからって上下関係だとか、呼び方を強制されるのって、なんかヤじゃねえ? 最悪、年下なのに兄弟子とか、姉弟子とかになっちゃうかもしんねえし!」

「そう言えば、マァムとあの大ネズミ君とかは、モロにそうだったわよねえ」

 納得したように、レオナも頷く。
 拳聖ブロキーナの教えを受けた者として、チウとマァムは兄弟弟子に当たる。年齢でも実力でも明らかにマァムの方が上なのだが、名目上は一応、チウが兄弟子にあたるのである。

 それに対してマァム自身は特に不満を漏らしたことはないが、ポップ的には納得いかないものがあるらしい。

「そうじゃなかったとしても、会って間もないヤツを兄だとか姉だとか思えないし、おれの方だってそんな風に呼ばれるのって、なーんか気にくわねえよ! せめて、前もって教えてもらっていれば心の準備とかもできたかもだけど……全然、そんなんじゃなかったし!」

 ポップの不満は自分の下の立場の兄弟弟子にではなく、主に上へと向かっているらしい。レオナやダイにはケチをつけることなく、ヒュンケルに向かって怒鳴りつける。

「だいたいさぁ……先生もズルいんだよ! おれより前に弟子がいたこと、はっきり言わねぇし! 聞いたって、カマを掛けたって、いつだって『さあ、どうでしょう』っとか言って、いっつもはぐらかして!」

 その不満は兄弟子(じぶん)ではなく、師(アバン)に言うべきではないだろうかと、ヒュンケルは少しばかり悩む。

 以前、魔王軍にいた自分が弟弟子達にした非道を思えば、どう文句を言われても仕方が無いと思ってはいるが――さすがに、自分とは全く無関係の所で師がやらかしたことにまでは責任を持てない。

「だいたい先生ってば、おれのことガキ扱いしすぎなんだよっ。いっくら黙っていたって、そんなの、あんだけ一緒にいれば分かるのによ……!」

 いかにも悔しそうにぼやくポップの言葉にこそ、共感を持ててしまう。
 それこそ、アバンの修行を受けていた頃のヒュンケルも、ずっと感じていた不満だった。アバンが自分に対して、何か隠し事をしていることに気づかない程、ヒュンケルは純粋な子供では無かった。

 だが、そんな配慮を有り難いと思える程、大人にもなれなくて……抱え込んだモヤモヤした思いを復讐心に変えてしまった。

 しかし、今となってはそれが間違っていたと、はっきりと理解できる。
 ダイ達と出会い、過去を思い直すことの出来た今のヒュンケルは、アバンの思惑にもポップの不満にも共感できるからこそ、かえって何をどう言えばいいのか迷ってしまう。

 そして、口下手のヒュンケルよりも、短気なポップの言葉の方がずっと早かった。

「先生がなんにも言わねえから、兄弟子ってどんなヤツなのかなって、色々考えちまったじゃねえかっ! 兄弟子ならアバン先生みたいなヤツなのかなぁとか、姉弟子なら超ボインで美人でお色気たっぷりの人なのかなぁ、とか!」

「……兄弟子はともかくとして、姉弟子になに期待してたのよ?」

 呆れたようにレオナが小声でツッコむが、ポップは水をもう一口飲んでからビシッとヒュンケルを指さした。

「なのにっ、実際に出会ったみたら、偽者かと思うような殺気満々マンだったし!」

「…………」

 それは、全く否定出来ないとヒュンケルは思う。

「けどっ、アバンのしるしは本物で……っ、あの日は先生が何をどう間違っててめえを弟子にしたのか、さんっざんっ悩んで眠れなかったんだからなっ! マァムのことだって心配だったのに、なんでてめえの……兄弟子のことなんかで悩まなきゃいけなかったんだよっ!? おかげで、あの日はほとんど眠れなかったんだからなっ!」

 カンカンに怒って怒鳴りつけるポップの傍らで、手にした肉を食べ終わったダイがこてんと首を傾げてから、ああ、と思いついたように目を輝かせる。

「そういえば、ヒュンケルと会った次の日、ポップすごく早起きしてたよね! 珍しかったから、おれ、覚えてる!」

 そう言った後で、ダイは心配そうに眉をひそめた。

「あの日って、ポップ、もしかして早起きしてたんじゃなくて寝てなかったの? それって、あんまよくないんじゃ……」

「んなこたぁどーでもいいんだよっ、今更っ。おれが言いたいのはだなぁっ、ヒュンケルの野郎が兄弟子だっていきなり言われたのにゃ、ぜんっぜんっ納得できなかったし、兄だなんて呼ぶ気なんかなかったってことだよっ」

 ポップの真っ向からの文句を、ヒュンケルはいたって神妙に受け止める。そう言われても、仕方がないことをしてきたという自覚はあるのだから。

「いいか……っ、おれはなぁ、おまえなんかを兄だとかお兄ちゃんだなんて、ぜーーーーったい呼ぶ気なんかなかったんだからなっ!」

 顔を真っ赤にしてそう言い切るポップに、驚きというか動揺を見せたのはレオナだった。

「え? ちょっとちょっと、ポップ君、今更何を言い出すのよ? いったい、どこまで往生際悪いの!?」

 と、小声でなにやらワタワタとレオナが騒いでいるが、ヒュンケルを睨みつけているポップは気づいちゃいない様子だ。

「だ、だから……っ、おれがおまえを、おに……ぃ……ち……ゃん、って呼ぶ気は、今も昔もぜんっぜんっねえけど……、どうしても、って言うなら……一回、ぐらいなら……そうしてやっても……っ!」

 歯を食いしばり、しどろもどろにそう言うポップに対し、ヒュンケルは迷わずに答えた。
 
「……いや、呼ばなくていい」

 ヒュンケル的には、それは善意のつもりだった。ポップに無理をさせたい、とは思わない。
 が、それを聞いた途端、さらにポップの顔が怒りでくしゃくしゃに歪む。

「てめえはぁああああーーーーっ!? てめえのっ、そーゆーとこが最大に気にくわねえんだにょ! ……はにゃ?」

 声を張り上げるついでに立ち上がったポップの怒鳴り声が、最後辺りでろれつが回れなくなる。それだけなら別に良いが、フラッと身体が大きく揺れるのを見て、ヒュンケルはとっさに手を伸ばして支えた。

「なにすんらっ!」

 怒ったポップが支える手を振り払おうとするが、その手には全く力がこもっていない。……と言うより、身体全体がぐんにゃりしていて、顔が不自然に赤かった。

 ついでに言うなら、呼気もわずかながら酒の匂いがするし――どう見たって酔っ払っている。
 その原因は、きっと――。
 ヒュンケルがピッチャーに目を向けるよりも早く、レオナが口を開いた。

「あらあらー、やだわ〜失敗しちゃったわー。お水と間違えて、白ワインを用意しちゃったみたいー」

 わざとらしく棒読みでそう言ってのけるレオナに、ヒュンケルさえ呆れずにはいられない。さすがのダイでさえ、疑わしげな目で彼女を見ている。
 そんな物は、どう考えたって間違えるようなものではない。

 と言うより、ワインなら普通は瓶ごと提供するのが普通だ。それをピッチャーに入れ替えさせていたのだが、どう考えても意図的だ。さらに、ピッチャーに入っていたフルーツ類はワインの匂いや口当たりをごまかすためでもあったのだろう。

「姫……お戯れもほどほどに」

 いくらアルコール度の低いワインとは言え、ポップは酒にはかなり弱い上に酒癖が悪い。それを自覚しているせいか、本人もあまり好んで飲みたがらない。

 それを知った上で騙して飲ませるのは、さすがにお遊びが過ぎるのではないかと、軽くたしなめる。それは、ダイも同じ意見のようだ。

「レオナ〜、これってやり過ぎだと思うよ」

 控え目ながらも、二人がかりでそう言われてしまうと、レオナとしてもこれ以上、強く出られないようだ。少しばかり気まずそうな笑みを浮かべながら、とってつけたようにポップに声をかける。

「わ、分かったわよ、ポップ君への罰ゲームはこれでお仕舞いってことで! もう、ヒュンケルをお兄ちゃんって呼べなんて強制しないわよ、ポップ君もそれでいい?」

 と、声をかけてもポップはレオナの方に見向きもしない。

「ばーか、かーば、ったく、てめえってやつはいっつもいっつも、人の覚悟とか、心の準備とか、あれこれ、いろいろ台無しにしやがって……! 気にくわねー、ぜってー、お兄ちゃんなんれ、よんでやらないにょ!」

 目を据わらせてブツクサ文句を言っているポップは、完全に酔っ払ってしまったようだ。既に立てもしないで床にへばり込んでいるし、今にも寝入ってしまいそうにぐてっとしている。

「……ヒュンケル、悪いけどポップ君を部屋までおくってもらえるかしら?」

 呆れつつそう頼んでくるレオナに一礼し、ヒュンケルは食事を中断してさっそく実行に移る。酔っているポップをひょいと背負い、そのまま部屋を出た。








「……外しちゃった、かしらねー」

 ポップとヒュンケルがいなくなり、ダイと二人っきりになった食堂でレオナは小さくため息をついた。

(悪気じゃ無かったのにね〜)

 今回のポップへの罰ゲームは、腹いせや嫌がらせのためだけではない。まあ、半分以上はその理由もあったが、別の思惑もあったのだ。

 ポップとヒュンケルの間にある、ちょっとした確執。
 それは大戦時からずっと彼らが引きずっているもので、レオナにしてみれば見ていてじれったいとしか言い様がない。

 口ではあれこれ文句を言っていても、ポップがヒュンケルを兄弟子として頼りに思っているのは一目瞭然だし、ヒュンケルもポップを弟弟子として庇護しようとしているのは明らかだ。

 ただ、どうにも相性が悪いというのか、単にポップが反抗期から抜けきっていないというべきか、二人が揃うとなんとなく刺々しい雰囲気になってしまう。

 大抵はポップが一方的にヒュンケルに不満をぶつけるだけで、特にケンカになるわけでもないのだが、仲間同士と言うにはどうにも距離を感じるのは否めない。

 それを、なんとかしてあげたいと思ったのは、レオナの親切心だ。……まあ、多少面白半分の気持ちがあったことは否めないが。
 形だけでも兄と呼ぶことで、なんらかのきっかけになればいいと思っただけなのだが、まだかここまでポップが嫌がり、ごねまくるとは予想外だった。

「こじれなきゃいいんだけど」

 仲を取り持つつもりが、逆に更にひび割れを大きくしてしまっては、さすがに気が咎める。
 だが、ダイはあっけらかんと答えた。

「大丈夫だよ、きっと」

 レオナと違って、ダイは全く心配している様子はない。

「そうだといいんだけど……」

 ダイほど確信は持てなくて、ため息をつくレオナにダイは不思議そうな表情を浮かべる。
 なぜ、レオナが心配しているのか分からない――そう言わんばかりの表情で、ダイは言った。

「レオナ、気づかなかったの? ポップ、あんなに何度も言ってたじゃないか。『なかった』って」

 一瞬、面食らった後で、レオナはようやくダイの言いたい事を察した。

「……ああ、そういうこと、ね」

 思い返せば、ポップは何度も何度も繰り返し、似たようなことばかりを言っていた。昔のことを引き合いに出してヒュンケルを兄弟子と認めていなかったと、強い口調で言いまくっていたからうっかり聞き逃しそうになったが、よくよく考えればそれらは全て過去形だった。

 つまり、裏返せば――今は、ヒュンケルを兄弟子と認めていると言うことなのだろう。それが分かれば、さっきまでのポップの言い分が別の角度から見えてくる。

「……ホント、素直じゃない人ね、ポップ君って」

 くすりと、笑いが込み上げてしまう。
 その上、ヒュンケルもまた、素直とはほど遠い男だ。唐変木男と意地っ張り少年の組み合わせでは、ズレまくってしまうのも無理もない。

 だが……それでも、あの二人ならなんとかなるだろう。ダイがそう信じたように、レオナもそう信じることにした。
 となれば、レオナが考えることは一つだけだった。

「ところでダイ君。ダイ君への罰ゲームとして、この後で絵本を読んでもらえる?」

「ええ、本〜?」

 困ったような顔を見せるダイに、レオナは優しく微笑みかける。

「あら、大丈夫よ、優しくてごく短い本だから。『ローラ姫伝説』って言う大昔の勇者とお姫様の物語なのよ」

「おれ、本を読むの、苦手なんだけど……本を読むなら、ポップの方がうまいよ?」 

 ときたま、嘘をつくけど、と大真面目な顔で付け加えるダイに、レオナは軽く首を振った。

「ううん、ダイ君に読んでもらうから意味があるのよ。ゆっくりで良いから、聞かせて……ね?」

 持ち前の切り替えの速さを活かして、レオナは今度はダイへの罰ゲームを存分に楽しむことにした――。







「……るっせー、……ばかやろー……、てめえなんて……おにいちゃん、なんて呼んでやんねー……」

 舌足らずな声が、呪詛のように何度も何度も同じ言葉を繰り返す。たいしておおきな声ではないが、なにせ背負っている相手が言う言葉なだけに、ピンポイントで耳元に響き渡るそのぼやきに、ヒュンケルは律儀に返事をする。

「ああ、呼ばなくていい」

 もっとも、ここまで酔っていては、返事を聞いたところでそれを理解できるとは思えなかったが。それでも、ヒュンケルは律儀に説明を繰り返す。

「姫も、もういいと言っていただろう?」

 さすがに、レオナの終了宣言を聞けば、何があったのかは分かる。
 事情までは分からないが、レオナの命令でヒュンケルを『お兄ちゃん』と呼ぶはめになったようだ。

「……ふーん、だ! ぜってー、呼んれ、やらねー……おにいちゃんなんて……」

 機嫌悪げに未だに文句を言っているポップは、自分が必要以上に『お兄ちゃん』と言いまくっていることに気づいていないのだろう。

 それをうっかりと笑わないように気をつけながら、ヒュンケルはいつもよりもゆっくりと歩く。酔っている人間を運ぶ際、下手に揺らせば酔いが強まって大惨事になりかねないと思えば、どうしてって歩く速度は遅くなる。

「ああ、そうしてくれ。……オレも、そう呼ばないで欲しいからな」

 そう言った途端、背中にしがみつく手にギュッと力がこもる。

「あぁっ!? なんれらよっ!?」

 顔こそ見えないが、声の感じからは不満度が一気にアップした様子だ。
 ついでに、ぽかすかと拳が背を叩く。なにせ酔っているし力などほとんど入っていないに等しいが、暴れられると落としてしまいそうになる。慌てて支える手に力を込めた。

「ポップ、そう暴れるな」

「やーらーっ! おにいちゃんなんて呼ぶ気はぜんぜんねーけろっ、てめーに呼ぶなっつわれると、ムカつくらろっ、せつめーしろぉっ!」

 ぽかぽかと背を殴りながら、ジタバタ足を振り回してもがいてるポップは、駄々っ子に等しい。幼児じみたその動きに、ヒュンケルは懐かしい記憶を思い出さずにはいられなかった。

(……オレも、こんな風だったのかな)

 それは、古い思い出だった。
 ヒュンケルがまだ幼かった頃、父であるバルトスに抱っこされて、こんな風に駄々をこねて暴れた覚えがある。その理由までは覚えていないが、歴戦の戦士であるはずの父がどこかオロオロした様子で、やけに慌てていたのだけは記憶に残っていた。

 逆に立場になってみると、あの時のバルトスの当惑がよく分かる。
 暴れる子供と言うのは、扱いに困る。力尽くで抑え込むだけなら簡単だが、自分に比べれば脆くて小さな相手を怪我させないように抑えるのは、ひどく難しい。

 本人の方は身の危険など全く考えず、身を仰け反らせようとしたり、捕まっている手をいきなり離したりするのだから尚更だ。あまりに暴れるせいで、支えるだけで手一杯で歩くこともままならない。

「はなせーっ、はなせってーっ! なんれらよっ、せつめーしやがれーーっ」

 喚き続けるポップを力加減に苦労して慎重に背負い直しながら、ヒュンケルは再び、当時のバルトスに共感してしまう。

『パパ……とは、呼ばないで欲しいな。できれば、父さん、と呼んでくれ』

 あれは、いつの頃だったか。
 まだヒュンケルの口が良く回らなかった頃、そんな風に言われた記憶がある。幼い子供にとってはパパの方が呼びやすかったのに、なぜ呼び名を変えなければいけないのか、不思議だった。

 まあ、最初こそ戸惑ったが、何度か繰り返している内に自然に『父さん』と言う呼びかけが舌に馴染み、いつしか意識すらしなくなった。そして、いつの間にか記憶の片隅に押し流されていた思い出だ。
 しかし、今ならばあの頃のバルトスの気持ちが分かる。

「なんれ、おにいちゃんって呼ばれるの、ヤなんらよっ!?」

 すっかりと拗ねて文句をつけてくるポップのその言葉が、くすぐったくてたまらない。

(……思っていたより、気恥ずかしいものだな)

 呼び名など、どうでもいい。
 そう思っていたはずだが、実際にこんな風に呼ばれるのは――いたたまれないぐらいに嬉しくって、それ以上に恥ずかしい。想像を遙かに超える呼びかけの威力に、むずむずするものを抑えきれない。

 我慢しきれずに『父さん』と呼ぶように言った、父の気持ちがよく分かる。
 だが、それをどう説明したらいいものやら――ヒュンケルが悩んでいる内に、ポップが急に静かになった。

「ポップ?」

 呼びかけたが、もう返事はない。代わりに、ぐーぐーと気持ちよさそうに寝息を立てている。とうとう限界を超え、眠ってしまったようだ。

「……言いそびれてしまったな」

 苦笑し、ヒュンケルは静かに歩き出す。

(『お兄ちゃん』はさすがに勘弁して欲しいが……『兄さん』や『兄貴』程度なら歓迎したんだがな……)

 ヒュンケルがこっそりとそう思ったことなど、ポップは知るよしも無かった――。      END 


 


《後書き》

 860000hit その1のリクエスト、『ポップが甘えてヒュンケルをお兄ちゃん呼びする話』でした♪
 ……って、甘えるどころか、思いっきり嫌がって抵抗しまくった挙げ句、まともに呼びかけも出来ずに酔っ払っちゃっていますが(笑)

 個人的には、ヒュンケルをぽかぽか殴る駄々っ子ポップが気に入っています。

 ヒュンケルがバルトスを『父さん』と呼んだ理由は、思いっきり捏造です。大抵、幼児の頃はパパ、ママの方が呼びやすいからそう呼ぶのですが、ある程度成長するとお父さん、お母さんに自然に変更するように促すのが普通ですが、ヒュンケルやバルトスはその辺が不器用そうなイメージです。

 ところで、最後に一言……!
 飲酒は成人してから! ええ、分かっているんですが、つい楽しくて飲酒させちゃいましたよ♪


おまけ話に進む
中編に戻る
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system