『お兄ちゃんと呼ばないで ー中編ー』

  

 翌日の夕方。
 ヒュンケルは急ぎ足で、王宮の奥へと向かっていた。
 目指す先は、王族専用の食堂だ。本来ならば王族のみが集まって会食する私的な場だったが、現在、パプニカ城にいる王族はレオナただ一人だ。

 一人で使うには広すぎるからと、レオナは必ずダイとポップを夕食の場に招く。時間が合えば朝食を共にすることも多く、場合によっては三賢者やバダックが加わることもあり、そこはいつも賑やかだ。

 ヒュンケルも時間が空く時は、よく招かれる。

 まあ、無口なヒュンケルはただその場で食事をするだけで、特に会話に加わるでもないが、それでもその賑やかな雰囲気は嫌いでは無かった。
 ただ、夜勤を含む不規則な職務上、ヒュンケルが食事に参加する率は低い。せいぜい、一週間に一、二度あるかないかぐらいのものだろうか。

 たまにエイミから、もっと参加出来ないかと控え目に誘われることもあるが、ヒュンケル的には今のペースで十分に満足している。

 しかし、今日は特別だった。
 レオナからの勅命で、今夜は絶対に夕食参加するようにと言われている。理由は分からないが、レオナの命令ならばヒュンケルに否やはない。

 一度、パプニカ王国を滅ぼした贖罪として、レオナの命令には無条件で従おうとヒュンケルは随分前にすでに誓っている。たとえ、それがヒュンケルにとって意味不明な命令だったとしても。

(……そう言えば、昨日のあれは結局なんだったのだろう?)

 歩きながら、ふと、ヒュンケルは昨日の出来事を思い出す。
 レオナに執務室に呼び出された際、ダイとポップがいたのは、別にいい。仕事の都合で、ポップがレオナの執務室で共同作業するのはたまにある。

 ダイには特に仕事はないのだが、それでも二人の側にいることはしょっちゅうだ。

 まあ、書類の積んである執務机をほっぽり出して、お茶用に置いてあるローテーブルにトランプやらお菓子が広がっていたところを見ると、どう見ても仕事をさぼって遊んでいたようだが、それに関して口出しする気は無い。

 レオナやポップが日頃、どれほど忙しく働いているかを知っている身としては、たまの息抜きぐらいは必要だと思う。ポップだけなら多少は小言を言ったかも知れないが、レオナが一緒なら話は別だ。

 王女として人を指揮することに長けた彼女は、ちゃっかりサボりながらも期日までにはきちんと仕事を仕上げるのと得意としている。その彼女が率先してさぼっているのなら、何の問題も無いだろう。

 まあ、ダイやポップが突然、ヒュンケルに向かって変なコトを言ってきたのには少々驚いたが。

 ポップから罵られたことは、別にいい。
 ポップがヒュンケルに向かって悪態をつくのはいつものことだし、気にするまでもない。

 ダイが自分を兄と呼んでくれた方が、驚きだ。
 ダイは素直なようで、根は頑固だ。

 誰に対しても素直で屈託ないダイだが、自分を曲げない心の強さを持つ彼は、時々ひどく不器用になる。そのせいで、実の父親に対してもなかなか父と呼べなかったぐらいだ。

 そんなダイに『兄』と呼ばれたのは驚きで――そして、どこか、心がほっこりするほど温かいものだった。

 それを思いだして、ヒュンケルはわずかに微笑む。……とは言っても、それはごくわずかなものであり、よほど彼に親しい者でなければ表情が変わったことさえ分からないほどかすかな変化にすぎなかったが。

(しかし、姫の用事とはなんだったのだろうかな?)

 と、気持ちを切り替えてそう思うヒュンケルは、知らない。
 一連の出来事を結びつけて考えず、そうやって一つ一つを別々に考えるから肝心なことが分からないままなのだと、この朴念仁戦士はまったく気づいちゃいなかった――。








「あっ、ヒュンケル、待ってたよ!」

 部屋に入るなり、真っ先にそう言ったのはダイだった。目をらんらんと輝かせ、両手に早くもナイフとフォークを握りしめたダイは、食事を待ちきれないのかそわそわとしている。

「遅くなってすみません」

 約束した時間にはまだ余裕はあるはずだが、すでにレオナ、ダイ、ポップの三人がテーブルに着いているのは確かだ。
 取り合えずレオナに謝罪をすると、彼女は上機嫌に首を横に振った。

「あら、謝ることなんてないわ、まだ時間前じゃない。それより、こちらこそ急に無理を言ってしまって悪いわね」

 労いの言葉に、ヒュンケルは気にする必要はないばかりに軽く首肯し、用意されていた席に着いた。

「さぁ〜て、役者も揃ったわね。それじゃ、お願いね」

 レオナの言葉に、室内にいた給仕係が動き出した。一糸乱れぬ見事な動きで、ワゴンから食事が配膳され始める。

 篭に盛り付けられた温かいパン、柔らかな湯気を立てているスープ、主菜であろう肉料理は、二種類のチキンだ。
 一種類は自然なクリーム色に仕上げたコールドチキンで、細かな野菜が刻み込まれたソースが載せられたそれは、いかにも上品な仕上げだった。

 が、ダイの目は、大皿に文字通り小山のように盛り上げられた唐揚げに釘付けだった。揚げたて特有の油の弾ける音を立てている茶色の山は、一際良い匂いを放ってどっしりとした存在感を主張している。

 普通の唐揚げは食べやすい大きさにカットされているが、今日は主に骨付き肉の肩揚げだった。それも、食べやすいように細工してチューリップ状に調えたものではなく、手羽中、手羽先など元の部位が一目で分かる骨付き肉が雑多に用意されている。

 正直、この食堂にはちょっと場違いなメニューで、むしろ兵士達の食事に向きそうなボリューム重視さではあった。
 さらに、色鮮やかなサラダなどが次々にテーブルを彩った。

(……?)

 一気に食事を並べる手法に、ヒュンケルは些か疑問に思う。
 王宮での夕食は、基本的にフルコースだ。

 前菜から順番に食事を運んでくるのが普通であり、庶民育ちのダイやポップ、ヒュンケルにとっては馴染みにくい。が、レオナにとってはそれが通常であり、マナーの練習になるからと言って夕食はコース仕立てだ。

 朝食や昼食では、気楽さを重視してこんな風に食事を一気に配膳することもあるが、夕食でそれをするのは珍しい。
 が、最後に少量の果実が入ったピッチャーをテーブルに載せると同時に、給仕や侍女達が一礼して、全員が一斉退室したのは驚かされた。

 正直、これは初めての事例だ。
 王族の食堂には、常に給仕係や侍女がいるものだ。フルコースの時はもちろん、朝食で全ては以前を済ませた後でも、部屋の隅に置物のように控えて雑務に備えるのが普通である。

 他国からの客人との会食ならまだしも、仲間内での食事でわざわざ人払いすることなどなかった。

 思わず、ヒュンケルは答えを求めるように仲間達を見回す。
 しかし、ダイはヒュンケルのそんな視線に気づいてさえいなかった。きらきらと目を輝かせて、大盛りの唐揚げに見入っている。

 ポップは――ヒュンケルが部屋に入った時からずっとそっぽを向いたままで、目すら合わせてくれやしない。分かりやすくむくれているポップは、どうやらヒュンケルに対して腹を立てている様子だ。
 まあ、いつものことと言えばいつものことだが。

 レオナと目が合うと、彼女はとびきりの笑顔でにっこりと笑いかけてくる。が、その笑顔は同時に『何も言う気は無いわよ』と言う意思表示でもある。

「では、食事にしましょうか」

 レオナの呼びかけに、ダイはパッと目を輝かせる。

「うんっ、いただきまーす! あっつっ」

 さっそく唐揚げに手を伸ばし、嬉しそうにそれにかぶりつく。その熱さに手を焼きながらも、はふはふしながら楽しげに食べるダイを微笑ましげに見つめながら、レオナはコールドチキンを丁寧に切り分け、口へ運ぶ。

 ヒュンケルも取り合えず、ダイに習って唐揚げを多めに食べ始めたのだが……ポップだけは食事が進まない様子だ。ぷんとそっぽを向いたまま、つつく程度にしか食べようとしない。
 そのせいもあって、食卓はいつになく静かだった。

 いつもなら一際賑やかなポップがむくれて、会話上手なレオナがなぜか微笑むだけで沈黙を通しているのだから、無理もない。
 それでも、普段ならばダイが無邪気に話しかけて雰囲気を持ち上げてくれるだろう。

 が――今日ばかりは無理そうだ。
 ダイときたら、すっかりと唐揚げに夢中になっている。扱いにくい骨付き肉を存分に食べ尽くすため、会話などすっぽりと忘れて食事に集中しきっていた。骨付き肉は骨の際の肉こそが美味いものとは言え……これではさすがに、食卓の雰囲気が重すぎる。

 かといって、口下手なヒュンケルにしてみればこんな状況でどうすれば良いか、見当もつかない。

 と、その時、レオナがわざとらしく咳払いした。
 それを聞いて、ポップがビクッとしてそちらへと目を向ける。

 微笑みを浮かべ、だがどこか冷たい目で睥睨する姫君に、ヤケに引きつった顔をしている魔法使い――無言のまま目を見交わす二人の間には、なにやらアイコンタクトが成立しているらしい。

 ……もっとも、ヒュンケルにはその意味はさっぱりだったし、チキンに釘付けのダイは全く気づいてもいなかったが。
 とりあえず、そっぽを向いていたはずのポップは、一つ咳払いをしてからようやく口を開いた。

「お……おまえさぁ〜……」

 その言葉に反応したのは、ダイだった。

「? なに、ポップ?」

 両手に骨付き肉を握りしめ、きょとんとして聞くダイを、ポップは怒鳴りつける。

「いや、おめえに話しかけたんじゃねえって!」

「あ、そうなんだ。でも、ポップ、なんで壁の方ばっか見てるの?」 

 怒鳴られたことなど全く気にしていないダイは、不思議そうにそう聞く。実際、ポップがずっと壁の方を向いているからこそ、ヒュンケルもポップの呼びかけがダイに向けられたものかと思っていた。
 が、ポップはジト目でヒュンケルを睨みつけながら、ぼそぼそと続ける。

「だから、おっ……おまえに言ったつもりだったんだよ」

 その台詞と同時に、慎ましくスープを飲んでいたレオナがわずかに咽せる。マナーが完璧なレオナにしては珍しいなと思いながら、ヒュンケルは応えた。

「そうか。何か用か?」

 わざわざ人払いまでしたのなら、特別な話でもあるのかも知れない。そう思い、ヒュンケルは食事の手を止めてポップに注目した。

 またもぷいっと壁の方を向いてしまったポップは、ひどく言いにくそうに口を開く。
 その挙げ句、出てきた言葉は突拍子もないものだった。

「お……お……、お……お元気、ですか?」

「ぷぷぷっ!」

 それを聞いて、思わず吹き出したのはレオナだった。
 ダイの方は一瞬だけきょとんとした表情を見せたものの、すぐに複雑な構造の骨付き肉へ関心を戻してしまう。

 すでにフォークやナイフを忘れて手づかみで骨付き肉を堪能しきっている勇者は、頼りになりそうもない。
 仕方が無いので、ヒュンケルはとりあえず答えた。

「……ああ。元気だが」

 ヒュンケルがそう答えた途端、レオナは声を噛み殺して壁の方を向いてしまう。一瞬、何かあったのかを気を回したが――口元を抑え、肩をふるわせるレオナはどうやら必死で笑いを堪えているらしい。

「チッ……いっそ調子でも悪くなりゃいいのに」

 小さく、ポップがぼやいたような気もしたが、まあ、たいした問題ではないだろう。相変わらずそっぽを向いたまま、ポップはまたも言いにくそうに話しかけてくる。

「お……お、肉は、お……いしい、ですか?」

 半ば食卓に背を向けたレオナが、盛大に吹き出す。今度は堪えきれなかったのか、はっきりとした笑い声を立てていた。

(それにしても、さっきからなぜ敬語なんだ?)

 一瞬、そんな疑問が浮かんだが、とりあえず余計なことは言わずに聞かれたことだけに答える。

「ああ。おまえは食べないのか?」

 そう答えた途端、ポップはまたも舌打ちして小声で悪態をつく。

「……別に、肉なんざどうでもいいんだよっ」

(なら、なぜ聞いた?)

 途方に暮れるヒュンケルだが、長年鍛えられ続けた表情筋には一向に変化が現れない。傍から見れば、表情一つ変わらないとしか思えないだろう。

 何を言ってもポップを怒らせてしまうのはヒュンケルにはよくあることなのだが、さすがにこれはどうしていいものか。
 表情一つ変えずに悩むヒュンケルだったが、そこにレオナが割り込んできた。

「ぷ、ぷくくっ、ま、まあ、ポップ君、お……おちついて。お……水でもいかが?」

 『お』だけをヤケに強調して発音しながら、王女が手ずからピッチャーの水をグラスに注ぎ、ポップへとすすめる。
 その親切に対してギロッと睨み返しつつも、ポップは注がれた水を一気に飲み干した。

「あら、ずいぶん喉が渇いていたみたいね。もっと、お……水をどうぞ♪」

 くすくす笑いながらレオナが再びピッチャーを傾けると、ポップはそれもほとんど飲み干してしまう。そして、叩きつける勢いでグラスを食卓に置き、ヒュンケルへと向き直った。

 じろっと見上げてくる目は、明らかに据わっていた。
 すぅっと息を吸い込んでから、ポップは大声で不満をまくし立てる。

「だいたいだなぁっ! おれはっ! そもそも兄弟弟子ってのが、最初っから気にくわなかったんだよッ!」

 ポップの突然の、しかも話の脈絡もないいきなりのカミングアウトに、ヒュンケルのみならずダイやレオナまで目を丸くした――。   《続く》 


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