『思いがけないラスボス ー前編ー』

  

「えっと、本日はお日柄も良く……いや、これだとなんか変だよなー、今日、曇りだし。こ、こんにちは、お久しぶり……って、これだと普通すぎだよな、改まった感じが全然無いし! 

 いっそズバッと言うべきなのか? お宅のお嬢さんをください……っ! 一生、お嬢さんを守りますから! ――って、マァムの方がずっと力が強いのに、そう言うのもなんか変か? うわぁああっ、いったいなんて言えばいいんだよっ!?」

 頭をガシガシ掻きむしりながら一人で大騒ぎしている恋人を、マァムは至って冷静な……というか、生ぬるさを伴った目で見守っていた。見守るだけでなく、自分の足下なんか全く見ていないせいで危なっかしい恋人が木の根っこに躓いて転びかけたのを、しっかりと支える。

「ちょっとポップ、危ないじゃない。どうでもいいから、せめて足下ぐらい見て歩きなさいよ」

「いやっ、どうでもいいわけないだろっ!? なんたって、これからおまえのお袋さんに『お嬢さんをください』って言いに行くんだからッ!」

 やたらめったら緊張しまくっているポップは、歩き出そうとしてまたコケかけている。

(……いっそ、担ぎ上げて運んじゃった方が早いかしら?)

 内心ため息をつきつつ、マァムはポップを支えるついでに手を繋ぐ。指と指を絡める恋人繋ぎ――なんて甘さなど欠片もない、手首をガッチリと掴むそれは、要救助者の腕を取るそれに近い。
 なのに、突然手を取られたポップは、ぶわっと顔を赤くする。

「お、おいっ、マァム、いきなり何すんだよ!?」

「何って、ただ手を繋いだだけじゃない」

 あっさりと答えるマァムには、なぜポップが騒いでいるのかなど分からない。

 なにしろ、二人の関係は恋人……しかも、結婚も約束しあった関係だ。付き合いも長いし人前で言えることではないのだが、すでにアレコレと致してしまった仲でもある。それを思えば、手を繋ぐ程度で何を騒ぐ必要があるというのか。

 さらに言うのならば、ここは人前でも何でもない。
 むしろ、人の気配などまるっきりない森のど真ん中。怪物達が無数に棲みついていることで世界的に名高い、魔の森の中である。旅人すらめったに通らない場所であり、人目など気にする必要もない。

 そして、魔の森育ちのマァムにしてみれば、森を歩く際、年下の同行者と手を繋ぎ合うのはある意味で当たり前だった。

「いい? 手を放しちゃダメよ、森で迷子になったりしたら危ないんだから」

 森では、迷子になるのはほんの一瞬で事足りる。
 ほんの僅か目を離しただけで、子供がいなくなってしまうなんて有り触れた危機だ。慣れ親しんだその危機感から、つい村の子供に対するような口調で言ってしまったが、それはポップの気に削ぐわなかったらしい。

「なんだよ、ガキ扱いすんなっていっつも言ってんだろっ!」

 と、むくれるポップを見て、マァムは笑いを噛み殺すのに苦労する。
 だって、ムキになって怒るその顔ときたら――。

(ホント、子供みたいなんだから……)

 今年で18歳になるポップは、パッと見たところとてもそうは見えない。大戦時とほとんど印象の変わらないその姿は、知らない人がみたとすればせいぜい15、6歳程度だろうか。

 年から言えば、とっくに青年だろう。
 だが、自分とほぼ変わらない身長のままの少年を、マァムは優しく見つめる。

 ポップの成長が遅い理由を、マァムは知っていた。
 それは、単なる体質や個人差ではない……魔王軍との戦いの中、一度死んだポップは、ダイの父である竜騎士バランの血により蘇生した。その影響があってか、一時は成長が完全に停止していたようだ。

 その事に関しては、本人よりもマトリフやアバンの方が心配していたようだが、一年ほど前から徐々に成長が再開しはじめたらしいので、その心配はどうやら杞憂で終わったらしい。

 今のポップはまだ年相応とは言えないが、これぐらいなら個人差の範疇と言える。元々自分の方が年上なこともあり、マァムはそれを特に気にしたことは無かった。

 が、ポップの方はそれをやたらめったら気にしているのだが。
 マァムより年下と思われるのを嫌がるし、いつだったかマァムの弟と勘違いされた時など、呆れるぐらいにムキになって怒りまくったものだ。

(そんなに、気にすることなんかないのに)

 その本音と一緒に、マァムは笑いを噛み殺す。
 確かに、今のポップとマァムの年齢差は、本来以上に離れて見えるかもしれない。

 だが、この先、10年、20年が経てば、そんなのは誤差の範囲内だろう。この先もずっと一緒にいるのだから、問題など無い――少なくとも、マァムはそう思っている。

「とにかく、もっと気楽にしてよ。家には母さんしかいないんだから」
 
 父が早く亡くなった後、母のレイラは女手一つでマァムを育ててくれた。祖父母も近隣にはいないし、そもそもポップとレイラは元から顔見知りだ。

 マァムとポップが付き合っていたことだって、前々からレイラは知っているし、むしろ早くくっついちゃいなさいよと何度も笑いながらけしかけられていたぐらいだ。

 マァム的には、何一つ問題など無い。
 ……のだが、ポップ視点では違うようだった。

「いや、だからこそお袋さんからたった一人の家族を奪っちゃうみたいで、気になるし……まあ、マァムの親父さんがいないってのはある意味でラスボスがいないダンジョンみたいなもんだし、そこは気楽っちゃあ気楽なのかもしんないけどさ」

 そう言ってから、ポップは大慌てで付け足した。

「あっ、悪い、別におまえの親父さんがいないのがいいって言ってるわけじゃねえんだ!」

 その慌て振りを見つめながら、マァムは気にしていないとの意味合いを込めて微笑んだ。

 確かにマァムの父親であるロカは、若くして亡くなった。
 だが、それはもう、マァムにとってもレイラにとっても、心の決着がついた話だ。

 家族としての愛着や思い出を残したまま、ロカの存在は暖かくも遠い記憶となっている。

 マァムの記憶の中にいるロカの姿は……悲しいことに、もううっすらとした思い出に過ぎない。小さな頃にはひどく大きな存在と思えたものだが、実際に彼が残した衣装やレイラの話から聞けば、アバンとほぼ同じぐらいの体格だったようだから、そう大男だったわけではないようだ。

 声が大きくて、いつも元気な人だった……ような気がする。
 母やアバン、それにマトリフでさえもが、ロカは素晴らしい戦士だったと教えてくれたが、残念なことに幼かったマァムは父親が戦う姿を見た記憶がない。
 朧気な記憶をかき集めながら、マァムはなんとなく呟いた。

「もし、父さんが生きていたら……ポップとのこと、祝福してくれたかしら?」

 少しセンチな気分に浸るマァムだったが、ポップの返事は予想外の物だった。

「どーかなぁ? マァムの親父さんって、戦士だったんだろ? 『娘は絶対にやらん!』とか、言われそーな気がするんだよなぁ〜。『娘が欲しかったら、オレを倒してみせろ!』ってな感じにさ」

 大袈裟な口調で身震いしてみせるポップに、マァムはつい吹き出してしまう。

「もう、ポップったら!」

 口では責めるようなことを言いつつも、マァムは笑顔を浮かべていた。
 ポップはいつだって、そうだ――マァムが沈み込んだり、元気を無くした時には、こんな風に笑わせてくれる。

 会ったばかりの頃はただのお調子者としか思えなくて、そんなポップに腹立たしい思いをさせられることが多かった。

 ……が、随分経ってからようやく気づいた。
 素直じゃないポップの、さりげないそんな優しさにいつだって救われていたことに。

 それに気づいてしまった後は、もう、手放せないと思った。
 誰に対しても向けられるポップのその優しさを否定する気は無いし、独り占めしたいとも思わない。だが、そんなポップが落ち込んで助けを必要とする時に、側にいるのは自分でありたいと思った。

 最後の戦いでダイがいなくなってしまった後、笑顔と明るさを振りまきながら誰よりも熱心に親友を探すポップが、夜に泣きながらうなされているのを見て、とても放っておけなかった。

 その後、ポップとそんな関係になるのには……まあ、なんやかんやとあったものだ。
 自分から告白してきたくせに、ダイを探すのを優先して自分自身をないがしろにしているポップを、何度怒鳴りつけたことか。

 こうやってレイラに結婚の挨拶を申し込むのに、三年もかかってしまった辺りに、ポップとマァムの恋愛の生半可ではない起伏っぷりが現れている。だが、色々あったとは言え、とにかく、ポップもマァムもようやく覚悟を固めた。

 ……正確に言うなら、マァムの方はとっくに覚悟を決めていたのに、ポップの踏ん切りが遅かっただけなのだが。
 お互いの親にきちんと挨拶をして許可をもらい、細やかでもいいから結婚式をあげよう――二人の想いは、一致していた。

 今日は、その第一歩だ。
 どこまでも逃げ癖の抜けないポップが、自分の親よりも先にマァムの親……即ちレイラに先に挨拶しようと主張したため、二人でネイル村に向かっているところだった。

 正直、ポップの瞬間移動呪文で飛べば一瞬で着くのだが、まだ心の準備が着かないだの何だのとゴチャゴチャ言うポップに付き合って、歩きで移動しているところだった。

(まったく勇気の使徒の癖して、ほんっと往生際が悪いんだから……) 

 半ば呆れつつ、マァムは声を殺してくすくす笑う。
 呆れる気持ちよりも、そんなかっこ悪い姿さえどこか可愛く見えてしまうのだから、これも惚れた弱みというものだろう。

「さ、行きましょう、ポップ」

 繋いだ手に少しばかり力を込めて、マァムはポップと並んで歩き出した。







「……ついに来ちゃった、な……」

 引きつりまくった表情で、ポップは小さく呟く。
 その表情は、まだポップが駆け出しの魔法使いだった頃に良く見たものだった。大戦中に逃げられない敵に出っくわした時には、ポップは大抵、そんな表情を見せた。

 あの頃は隙さえあれば、恥も外聞も無く逃げ出していたものだが……さすがに、今はあの頃よりは成長したらしい。
 深呼吸を一つしてから、ポップは覚悟を決めたように声をノックする。

 しかし、そのノックのせいで戸は呆気なく開いた。
 それを、マァムは不思議には思わなかった。ネイル村は全員が知り合いの、ごく小さな村だ。それこそ、誰もが家族か親戚のような感覚であり、夜はともかく、日中はほとんど施錠の習慣などない。

 まして、マァムの家の扉は直す人もいないせいで、かなり劣化していた。一応は閉めておいたつもりでも、ちょっとした衝撃で自動的に開いてしまう。
 が、ポップがいきなり開いた扉にギョッとし、声を張り上げる。 

「おっ、おじゃましますっ、おばさんっ! 本日は大切なお話が……っ」

 マァム宅の扉事情を知らないポップが、扉を開けたのがレイラと決めつけたのは無理もないだろう。

 しかし、開いた扉の先に人影は無かった。
 自動的に大きく開いた扉のせいで、部屋の中が丸見えになる。田舎の家には珍しくない作りだが、マァムの実家は入ってすぐに、台所と居間を兼ねた一番広い部屋になっている。

 料理用のオーブンがそのまま周囲を温めるストーブ代わりになり、一家団欒を過ごす場所になる作りだ。
 マァムの記憶している限り、レイラは家に居る時間はこの部屋で料理にいそしんだり、窓際の椅子に座って裁縫などの細かな作業をしていた。

 しかし、今、ポップとマァムの目に飛び込んできたのは予想を裏切る光景と、人物だった。

 ストーブの近くに屈み込んでいたのは、明らかに男性だった。
 シャツを脱いで側の椅子に置き、上半身を晒しているだけにその逞しさがよく分かる。

 ポップの声に応じて振り返った男の表情にはかすかな驚きが浮かんでいたが、ポップやマァムの驚きっぷりはその比ではなかっただろう。特にポップなどは口をあんぐりと開け、それこそ目玉が飛び出しそうな表情で驚愕していた。

 まあ、マァムの方も驚きっぷりに置いては似たり寄ったりだったかもしれないが。

「え……な、なんで――」

 驚きのまま問いかけたその言葉が、ポップの詰問と重なる。

「なんでっ、てめえがここにいやがるんだよっ、ヒュンケルッ!?」

 そう、そこに居たのは紛れもなくヒュンケルだった。
 いくらいつもの鎧姿と違うとは言え、仲間を見間違えるなど、ありえない。
 水際だった美貌が、村人風の地味な服とはそぐわないなと思ってから、マァムはその服に見覚えがあることに気づいた。

(あれは、父さんの……!)

 ロカが昔着ていた服を、レイラは手放すこともなくそのまま大事にしていた。何枚かはマァムの普段着へと手直ししたが、それ以外の服は箪笥にしまい込んで大切にしまい込んだままにしていたはずだ。

 その服を、ヒュンケルはごく当たり前のように着ていた。当惑したような表情でマァム達を見やるヒュンケルは、逆に質問してくる。

「それに答える前に……お前達こそ、今までどこに行っていたんだ?」

 口調は静かだが、その声音にはやんわりと咎める様な声色が感じられた。
 だが、それは決して不快な響きでは無かった。むしろ、こちらを心配して行き先を尋ねる親のような……アバンの優しさを思い出させる声音だ。
 しかし、ポップはいつものようにヒュンケルに強く反発する。

「そんなの、おまえには関係ないだろっ!? いいから答えろよ、なんだっておまえこそ勝手に人の家に入り込んでるんだよっ!?」

「……それは、おまえの方だと思うのだがな」

 困ったように、ヒュンケルが苦笑する。その表情を見て、マァムは意外に思った。

(なんだか……いつもと、違……う?)

 どこがどう、と言えるほどの変化ではない。
 だが、マァムから見たヒュンケルは、それでもいつもの彼とは違って見えた。それに困惑していた時、奥の方の扉が開く。

「いやね、何を騒いでいるの、ヒュンケル?」

 扉を開けて入ってきたのは、レイラだった。
 だが、一瞬とは言え、マァムは驚かされてしまう。

(えっ……!?)

 若返ったような――真っ先に、そう思った。
 マァムに知っている限り、レイラは常に『母親』だった。村でも一番と呼ばれた美人だったが、まるでそれを抑えるようにいつも控え目な身なりに抑えていた。子供のマァムから見れば、おばさんと呼べる年代の女性だった。

 だが、今、目の前にいるレイラは――驚くほど若く見える。
 服自体が、変化したわけではない。マァムも見慣れた、昔から着ていた村人風の服、そのままだ。

 しかし、生き生きとした表情が、わずかに小首を傾げたその仕草がやけに可愛らしく、レイラを若返らせている。それに、ヒュンケルへの呼びかけも驚きだった。

 とっさにマァムが思いだしたのは、エイミの声だった。
 ただヒュンケルと名前を呼ぶだけでも、エイミの声には熱が感じられた。親しみ以上の気持ちを込めたその呼びかけに初めて気づいた時、マァムはひどく動揺したのを覚えている。

 仲間達がヒュンケルと呼び捨てるのは何も気にならなかったのに、エイミが彼の名を呼ぶのを聞いた時は、妙に胸の奥がざわめいて落ち着かない気持ちにさせられた。

 時間が経つにつれその気持ちは落ち着き、今ではすっかりと忘れてしまっていたが――他ならぬ自分の母親からのヒュンケルへの呼びかけに、その時の記憶を思い起こさせられる。

「え……、あら、マァム? まあまあ、ポップ君も来ていたの?」

 部屋に入ってきたレイラがマァム達を認めて、ちょっと焦ったようにそう言った。

「いやだ、まだ何も話していなかったのに……、まさか、こんな急に、ええっと、なんて説明すればいいの……!?」

 顔をわずかに赤らめ、いつになく焦ったように見える母を、マァムは可愛いと思ってしまう。と、そんなレイラの側にヒュンケルがスッと寄り添った。
 ごく当たり前のようにレイラの肩に手を置き、落ち着かせるように抱き寄せる。

 レイラのその距離感は、マァムにとって初めて見るものだった。
 父を亡くして以来、レイラは何度も持ち込まれた再婚話を撥ね除けていたし、こんな風に男性と親しげにするところなど一度も見た事が無かった。セクハラばかりしまくるマトリフからも、さらっと距離を取るのが常だった。

 そんなレイラが、今、逃げる素振りも見せずにヒュンケルの腕の中にすっぽりと収まっている。それは、一対の絵の様に様になる光景だった。

「説明なら、オレがしよう」

 そう母に話しかけるヒュンケルの微笑みを見て、マァムはさっき感じた違和感の正体を知った。

 今のヒュンケルは、表情がずいぶんと和らいでみえる。
 大戦中も、その後も、ヒュンケルはどこか張り詰めた雰囲気を持つ男だった。自分の過去を悔い、自分には幸せになる資格などないと思い込んでいるようなこの戦士が、マァムもずいぶんと気になっていた。

 強いのに、悲しそうで……寂しそうで、目の離せない人――マァムにとって、ヒュンケルはそんな男性だった。

 だが、今のヒュンケルはどこかが違って見える。
 わずかな微笑みを浮かべたまま、自分達に向き直ったヒュンケルは静かに呼びかけてきた。

「マァム」

 改まって名前を呼ばれ、どきんと心臓が跳ねる。その鼓動が収まらぬうちに、ヒュンケルは静かな声で爆弾発言をかます。

「聞いて欲しい。オレはおまえの母、レイラと……結婚したんだ」

 《続く》

後編に進む
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system