『思いがけないラスボス ー後編ー』

  

「ええええっ!?」

 マァムの驚きの声は、決して小さくなかっただろう。だが、それは素っ頓狂な悲鳴に完全にかき消されてしまった。

「はぁあああああああああああッ!? な、なんだってぇえええーーーーっ!?」

 実の娘以上に驚きまくっているポップは、ほとんど腰を抜かしているような有様だった。

 だが、それはマァムにとってはいい方に働いてくれた。どんなに動揺していても、自分以上に驚きまくっている人が側にいると、妙に落ち着いてしまうことがある。

 今のマァムも、そうだった。
 本来だったら、母一人、子一人で暮らしていたマァムの方こそ、この事態に仰天すべきだったのかもしれない。だが、ポップがこれ以上無いぐらいに驚愕した結果、マァムはわずかに落ち着きを取り戻した。

 いつも通りのように見えて少しばかり恥ずかしそうにしている母と、無表情なようでいてどこか柔らかみを増したように見えるヒュンケルを見比べながら、自分に言い聞かせるように声をかける。

「そ、そうだったの……全然知らなかったわ」

「ごめんなさいね、相談ぐらいしたかったんだけど……なにせ、あなたとは全然連絡が取れなかったから」

 母にそう言われると、マァムも弱い。
 大戦の時は世界を救うまでは、大戦後もダイが見つかるまでは、そう言い訳しながら帰宅しようとしなかったのはマァムの方だ。一応、無事を知らせる手紙ぐらいは時々は送っていたが、考えて見ればポップと一緒に旅をしていたマァムの居場所を、レイラが知るはずもない。

 常に場所を変えて移動していたせいで、レイラからマァムへ連絡する手段などない。それを思えば、なぜ教えなかったと責めるなどお門違いだと思う。
 が、ポップの方は全くそう思わないらしい。

「て、てめえっ、なんでこんな大事な事、なんにも言わなかったんだよッ!? こないだ会った時、何にも言わなかっただろうがっ!」

 腰を抜かしたままなのに、もの凄い勢いで食ってかかっている。口調だけなら相手の襟首に掴みかかるような勢いだが、腰が抜けているので全く様にはならないのだが。

 瞬間移動呪文の使えるポップは基本的にマァムと一緒に歩いて旅をしているが、その合間合間に仲間達とも魔法で連絡を取っている。大抵はマァムもポップと一緒に魔法で移動するのだが、ヒュンケルと連絡を取る時だけは、ポップはいつも一人で動きたがった。

 他のメンバーも揃っている時ならともかく、ヒュンケルが単独で動いている時は特にそうだった。そんな焼きもちっぷりに呆れつつも、それでポップの気が済むならと思ってマァムも放置していたのだが……どうやら、それが思いっきり裏目に出たらしい。

「この前、と言うと確か三ヶ月ほど前だったな」

 確認するように、ヒュンケルが聞きかえす。

「ああ、そーだよっ。そん時は、なんにも言ってなかっただろう、てめえ! なんっでこんなことまで、だんまりを決め込んだんだよっ! おれはともかくとして、おれがマァムと一緒にいたのは知ってただろっ!?」

 こんな不誠実なことはないとばかりに、ポップはカンカンになって怒りまくる。

「ああ、知っていた」

「ならっ! マァムのお袋さんと結婚する前に、マァムにその……っ、なんか言うぐらいしたってよかっただろっ!? マァムはなぁ、早くに親父さんを亡くして、母親と二人暮らしだったんだぞ! ちったぁ気ぃつかえよっ!」

 興奮しまくるポップに対し、ヒュンケルの応対はどこまでも淡々としたものだった。

「それは無理だ」

 それを聞いて、ポップはさらに怒りのボルテージが上がったとばかりに顔を真っ赤にして、口を大きく開く。
 が、その前にヒュンケルが静かに言った。

「オレが彼女と……レイラと初めて会ったのは、二ヶ月前だからな」

 その言葉に、ポップは口をあんぐりと開けたまま固まった。

「え? え? エエ……二ヶ月前ニ、初メテ会ッタ? ソレナノニ、モウ結婚ッテ……?」

 驚きすぎたせいか、片言になりかかっているポップに止めを刺したのはレイラだった。

「そうなの。実際に結婚したのは、一ヶ月ほど前かしら」

 その言葉に、マァムも目を剥いてしまう。
 出会って一ヶ月で結婚とは、驚くようなスピード結婚だ。見合い結婚でだって、なかなか成立しないような速攻である。

「まあ、私は再婚だから結婚式も挙げなかったし、長老に立会人を頼んで婚前の誓いをあげただけね。知り合いにも、手紙で知らせるだけで済ませたのだけど」

 ネイル村は、在住する神父もいないごく小さな村だ。
 だから、結婚式や葬儀などで神父の代役を務めるのは主に長老の役目だ。望まれれば、僧侶であるレイラが取り仕切ることもあるが、さすがに本人の挙式を本人が行うわけにはいかない。

 驚きのあまり立ち尽くしているマァムに、ヒュンケルはどこかすまなそうに言う。

「……すまなかったな、マァム。本来なら、娘であるおまえに許可をもらってから、婚儀を済ませるべきだと思ったのだが……」

 律儀に頭を下げるヒュンケルを止めたのは、レイラだった。

「謝らなくていいわ、ヒュンケル。一刻も早く結婚したいと望んだのは、私だもの」

 だから、文句を言うのなら私に言ってねと、レイラはマァムに向かって微笑みかける。
 いつもと変わらぬ、母親としての見慣れた笑顔だ。
 それにホッとしたせいか、マァムもようやく微笑み返す。

「ううん……驚いちゃったけど、別に文句を言うつもりなんてないわ」

 それは、マァムが以前から心に決めていた誓いだった。
 もし、レイラが再婚する時が来たのなら――娘として、それを祝福しよう、と。






 幼い頃は、もちろん違っていた。
 ごく幼い子供にとって、両親は絶対の存在だ。父親と母親は生まれつき対の存在だと思っていたし、それは一生続く不動のものだと信じて疑いもしなかった。

 しかし、ロカが若くして亡くなってしまい……マァムは、両親が絶対の存在ではないと思い知らされた。父を失ったマァムの悲しみは深かったし、レイラも夫を亡くして悲しんでいた事を知っている。娘には見せないように気遣っていても、レイラの嘆きをマァムはなんとなく悟っていた。

 その悲しみが薄れてくると……まだマァムが小さな頃から、レイラには再婚話が舞い込んできた。おしどり夫婦と有名だっただけに、ネイル村内ではさすがにレイラに再婚を申し込む猛者はいなかったが、近隣の村から再婚話はちょくちょく寄せられるようになった。

 それも無理もない話だと、今のマァムなら分かる。
 レイラはネイル村はおろか、その周辺の村で一番の美人だと若い頃から有名だった。

 その上、気立ても良く働き者、料理上手と言うことなしだ。女手一つで子供を育てるのは大変だろうとレイラに寄り添ってくる男達を、幼いマァムはあまり歓迎できずにいた。

 亡くなったとは言え、父親はロカただ一人だ。
 そして、出来るなら母親にもずっと父親だけを想っていて欲しい……そんな風に想っていた。

 今思えば、それはいかにも幼い甘えだったように思う。
 幼い少女から娘へと成長していく中で、少しずつ考え方は変化する。
 大切な人を失って、それでもその人だけを一途に想い続ける気持ちは確かに美しいかも知れない。

 だが……それだけに縛られるのは悲しすぎるし、人生は長すぎる。
 その想いは時間が経つに連れ、強くなっていった。

  特に大戦後、ダイを探すポップを身近に見るようになってからは、尚更だ。まるで自分の責任であるかのように、行方不明のダイを探そうと無茶な旅を繰り返すポップを見ているのは、辛かった。

 失った人を大切に想う気持ちは、そのままでいい。だが、それでも自分の幸せも考え、自分の人生を楽しんでもいい――そう想えるようになっていた。

 それは、レイラに対しても同様だ。
 ネイル村に帰る機会がなくてなかなか話す機会も無かったが、レイラがもし再婚するのならば賛成する気持ちを伝えたい……そう思うようになっていた。
 たとえ相手が誰だろうと、娘として応援しよう、と――。






「でも……まさか、その相手がヒュンケルになるだなんて思いもしなかったけど」

 驚きと気抜けが入り交じったような気持ちで、マァムは目をパチクリさせて呟く。そんな娘を見て、レイラは明るく笑った。

「あら、驚いたのは私の方よ。
 誓いを立てる際に初めて名前を聞くまでは、まさかこの人がアバンの使徒だったなんて思いもしなかったもの。ましてや、あなた達とパーティーを組んでいただなんて、想定外もいいところよ」

 楽しげに笑うレイラは、ぐっと若返ったように見える。それこそ、マァムと母子ではなく姉妹と言われても信じてしまえそうなぐらい、活き活きとして見えた。

 その華やぎが、マァムには眩く思える。――が、同時に、疑問も一つ湧いた。

「初めて名前を聞くまでは、って……普通、知り合ったら、互いに名乗りあわない?」

 それは、人付き合いの基本中の基本のはずだ。
 しかし、それを聞いて、ヒュンケルは気まずげに俯いた。そんな彼をフォローするように、レイラがまたもおかしそうに笑う。

「フフ、そうよね。だけど、私がこの人に出会った時は……魔の森でひどい怪我を負って倒れていた時だったの」

 それを聞き、マァムは思わずヒュンケルを見てしまった。茫然自失したポップでさえ、非難がましい目をヒュンケルに向ける。

 最後の戦いで戦士として再起不能と診断されたヒュンケルの体調は、そのままだ。普通に暮らすには不自由ないし、戦士として本格的に戦うことは出来ないが、それでもそれまで身に着けた剣術を全て失ったわけではない。弱い怪物や、盗賊や山賊の類いをあしらうぐらいの術は残っていた。

 ただの旅人して旅をするぐらいなら十分だと言い、大戦の後、ヒュンケルは一人で当てもなく旅立っていった。
 そのことをマァムはいつも心配していたし、素直ではないポップも、いつだって兄弟子を気にしてブツクサ言っていた。

「てんめぇ……っ、あれほど無茶すんじゃねえって言っただろ!? なに、おれらが知らねえとこで無茶やらかしてんだよっ!」

 憤慨したようにポップが怒鳴るが、ヒュンケルはそれに対しては不満げに眉をひそめた。

「……おまえにだけは、言われたくはないな」

「なんだとぉっ!? ……ふがぁっ!?」

 いきり立つポップを、マァムはとりあえずボコッと殴って黙らせる。

「ポップは少し黙ってて。……母さん、話の続きを聞かせて」

 娘とその連れのやりとりを見ても全く驚きを見せないレイラは、すました顔で平然と続けた。

「あなた達って相変わらずねえ。まあ、いいわ。とりあえず、怪我が治るまでは家に泊めることにしたの。訳ありの様子だったし、名乗りたくないのなら無理に聞くつもりはなかったから……『剣士さん』として、傷が癒えるまでお世話するつもりだったの」

 そこまで朗らかに語っていたレイラの目が、ふと伏せられた。

「だけど……一緒に暮らすうちに気づいたわ。この人が、身体だけではなく心に深い傷を負っていることに」

 その言葉に、ふてくされていたはずのポップさえ、真顔になる。
 そう――それは、仲間であるポップもマァムも知っていた。知ってはいたが――癒やしてはあげられなかった傷だ。

 それこそ、魂にまで刻み込まれるような深いその傷は、たとえ仲間であっても、師であるアバンにも完全に癒やすことはできなかった。

「……とても、放ってなんかおけなかった。ううん、放っておきたくないと思ってしまった。だから、側に寄り添うことにしたのよ」

 そう言って微笑むレイラの顔は、まるで聖母のようだった――。







「…………」

 しばし、沈黙したままマァムはなんとなく、部屋の中を見回す。
 気づくのは、部屋の変化だった。
 変化と言っても、それほど大きなものではない。むしろ、ごく細やかな違いにすぎない。

 例えば、以前は使われていなかった椅子に新しいクッションが置かれているとか、食器棚に見慣れぬ食器がわずかに増えているとか――そんな、微妙な日常品の変化があるぐらいだ。

 だが、そんな細やかさが、確かに母親が父とは違う男性を受け入れて生活しているのだと気づかせてくれる。

 ――と、静かにマァムを見つめるヒュンケルと目が合った。
 どこか不安そうなその目は、まるで許しを請うているかのように見える。その目を見つめながら、マァムは自分で、自分の胸に問いかける。

 だが――心は凪いでいる。
 自分でも不思議なぐらい、気持ちは穏やかだった。確かに驚きはあったが、それだけだ。

 大戦の時、エイミがヒュンケルへの想いを打ち明けた際に感じたような動揺は、なかった。

 それは、相手がエイミではなくレイラだからなのか。それとも、自分の心がもうポップを選び取ったからなのか。
 どちらにせよ、浮かんでくるのは静かな、そして暖かな想いだった。

『強くて……でも、とても孤独で……ものすごく気になる人――』

 マァムにとって、ヒュンケルへの想いはずっとそうだった。
 ポップを選んだ後でも、その気持ちは変わっていない。ただ、自分では癒やせなかった彼の傷を、尽きることの無いその孤独を、誰かが癒やしてくれるのならいいと、心のどこかで心配していた。

 その相手として、まさか自分の母親が立候補してくるだなんて想像すらしていなかったが……だが、悪くないと思える。

 ――いや、悪くないどころか、意外なぐらいに似合って見えるのは、身びいきと言うものなのだろうか?
 すでに、マァムの中で二人に向ける言葉は決まっていた。

「おめでとう、母さん。それに……ヒュンケル。母さんをよろしくね?」

 マァムからの祝福の言葉に、ヒュンケルがハッとしたように顔を上げる。だが、彼が何か言うよりも早く、またもポップが大声でわめき立てる。

「ま、待て待て待てマァムッ!? おまっ、それでいいのかよっ!? 分かってんのかよ、お袋さんが再婚するんだぞっ!?」

「分かってるわよ。っていうか、再婚するんじゃなくて、もう再婚しちゃっているんでしょ? ちょっとは落ち着きなさいよ、ポップ」

「なんでおまえはそんなに落ち着いてんだよっ!? だいたい、出会ってまだ二ヶ月も経ってないのに、再婚しちゃってんだろ!? そんな、お世話になった人相手に、その……っ、手が早すぎるとか、不謹慎すぎるだろっ!」

 興奮しきってまくし立てるポップを、やんわりなだめようか、それとももう一発殴っておこうかと悩むマァムだったが、それよりも早くレイラが爆弾を落とす。

「あら、それは違うわ、ポップ君。こんな、真面目でお堅くい人が自分から手を出してくるわけないじゃない。むしろ、逆ね……私の方から押し倒したの」

「はぁああっ!?」

 あまりにも明け透けすぎるお言葉に、ポップがその場に固まった。それこそ、アストロンでもかけられたかのように、ぱっくりと口を開いたままの珍妙なポーズのまま固まっている。
 そんなポップに対して、レイラはクスクスと小悪魔的な笑みを浮かべる。

「結婚をしてでも、彼を側に縛り付けたいって望んだのって、私の方だわ。彼の責任感につけ込んででも、私のものにしたかったって言ったら……軽蔑するかしら?」

 それを聞いて、ポップはますますカチコチに固まるばかりだ。
 が、マァムは苦笑しながら首を横に振った。
 それを聞いたところで、祝福の気持ちは全く変わらない。どちらかというと、ますますお似合いだという気持ちが強まるばかりだった。

 戦いに関してはどこまでも無茶をするヒュンケルだが、人間関係にはひどく敏感で臆病な、繊細なところがある。そんな彼にはこれぐらい強引に、ぐいぐいと迫ってくる女性が似合っているのかも知れないと思える。

 だが、ヒュンケルは相変わらず、どこか不安そうにマァムを見つめながら問うた。

「……いいのか?」

「いいも悪いもないわ。だって、母さんもヒュンケルも、この人なら……って思ったんでしょう?」

「ああ」

 力強く頷いておきながら、それでもヒュンケルは不安そうに眉をひそめる。

「……だが、おまえは母一人子一人だと聞いた。それにオレがいては、おまえが帰りにくくなるのでは……」

「気にしないで。結婚したって、母さんが母さんなのに変わりは無いもの」

 マァム的には、そこはたいして問題は無い。
 今のマァムは実家で暮らしてはいないし、この先も多分、実家に時々帰ることはあっても、本来の意味で『帰る』ことはないだろう。

 それどころか、新しく自分達の家を用意しようと思っていたところだ、ある意味、ちょうどいいとも言える。

「それに、私だってそろそろ正式に家から出ようと思っていたところだったの。ちょうど、その話をするために戻ってきたところだったのよ」

 驚きの連続で忘れかけていたが、本来はポップもマァムもそのつもりだった。

「あら、そうだったの? ずいぶん遅かったのね、待ちくたびれていたところよ?」

 皆まで言わなくてもお年頃の愛娘の意図を察したのか、レイラは訳知り顔で頷き、ポップへと声をかけた。

「そういうお話なら、中で聞きましょうか。いい加減、二人とも家にお入りなさいな」

 レイラに進められて、マァムもようやく、自分達が玄関に突っ立ったままだと自覚する。驚きすぎて、扉の所で騒ぎ続けてしまったことを恥ずかしく思いながら、マァムは未だに硬直しているポップを促した。

「ほら、ポップ! いつまでそうしてるのよ、なんのためにここに来たと思ってんのよ?」

「……なんためって、そりゃ、マァムの親御さんにご挨拶……」

 呆然とした顔のままそう呟いたポップは、ハッと息をのむ。そして、ぎこちない動きでヒュンケルを真っ向から見つめた。その顔が、見る見るうちに青ざめていく。

「ポップ? ポップ、どうしたの?」

 きょとんとしてポップに呼びかけるも、返事は無い。
 ぶるぶると全身を震わせながら、ポップは譫言めいて呟いた。

「……ゃ……だ……!」

「え?」

 戸惑うマァムの目の前で、ポップは絶叫する。

「ヒュンケルをお義父さんって呼ぶだなんて…………死んでもいやだぁああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 そう叫んだと思うやいなや、ポップは身を翻して逃げ出していった。
 それこそ、止める間もない早業だった。まだ、駆け出し魔法使いだった頃のように臆面も無く敵前逃亡してしまった恋人に、マァムはあっけにとられるしか無い。

 が、一拍の間をおいて、ふつふつと怒りが込み上げてくる。顔を真っ赤にして、マァムも怒鳴った。

「ちょっと!? あんたって人は……っ、どこまで性根が据わらないのよーーっ!?」

 その怒りの絶叫は、すでに姿も見えなくなっているポップの耳に届いたかどうか。

 しかし、マァムは止まらない。
 手にしていた荷物をドサッと落とすようにその場に置くと、レイラ達の方を一瞬、振り返る。

「とにかく、あいつをひっ捕まえてくるからッ! また、後でね!!」

 大戦中に、戦いの中でよく見せた表情を浮かべる妹弟子を見て、ヒュンケルが苦笑する。

「一人で大丈夫か? あいつは、逃げ足は速いぞ?」

 それは、控え目ながら手助けはいるかという問いに等しい。
 彼にしては珍しくからかいを含めたその言葉に、マァムは振り返りもしなかった。

「平気よ! 絶対……逃がしたりなんかしないんだからッ!」

 一瞬、身を沈めて姿勢を正したかと思うと、マァムは疾風のごとく駆けていった。ポップを上回る速度で、その背中はあっと言う間に魔の森へと消えていく。
 そんな二人を、レイラとヒュンケルは並んで見送った。

「あらあら……まったく、ついにポップ君も覚悟を決めたのかと喜んだのにねえ?」

 おかしそうに、レイラが笑う。その目は、微笑ましいものでも見つめるように優しい光を浮かべていた。それは、ヒュンケルも同じだった。

「……オレは、別に反対する気もないのだがな」

 むしろ、大賛成と言ってもいい。
 ヒュンケルにとって、マァムは天使に等しい。闇に落ちた自分を救ってくれた慈愛の使徒が、自分自身の意志で誰かを愛するようになることを、ずっと望んでいた。

 その相手がポップだというなら、何の不満もない。諸手を挙げて祝福する。
 それこそ大戦の最中から、ヒュンケルはずっとそう想っていた。時としてマァムの背を押し、二人の手助けだってしてきたつもりだ。

 ――が、残念ながら、ヒュンケルのそんな気持ちは、あの意地っ張りな弟弟子には欠片も伝わっちゃいないのだが。

「確か、あの子達が出会ってからもう三年よね。そういう意味で付き合い始めたのは……多分、半年ぐらい前だったし」

 ポップもマァムも、自分達がいつから恋人になったかなど公言はしなかったはずだが、母であるレイラの目にはまるっとお見通しだったようだ。

「まったくもう、結婚までいったいどれぐらい時間をかける気でいるのかしら? 待ちくたびれちゃうわ」

 レイラの楽しげな疑問に、ヒュンケルは答える代わりに苦笑し、そっと彼女の肩を抱きしめた――。    END 


《後書き》

 まずは、最初から土下座させていただきます……ヒュンマ、ヒュンエイ派の方々、ごめんなさいっ!
 これはずっと前に思いついた『ヒュンケルとレイラさんって案外お似合いじゃね?』と言う個人的妄想話の一つです♪

 ヒュンケルのように深く傷ついた繊細な男なら、マァムやエイミさんよりももっと包容力のある大人の女性の方が似合うんじゃないかなと思い、作品中でマァムを越える聖母資質を持つ女性を探したら……レイラさんしか思いつかなかったんですよ〜。

 まあ、この話を考え始めたのは結構前だったので、レイラさんの性格は捏造も良いところなんですが。思いも掛けず獄炎の連載が始まった時には、これもお蔵入りにしようかとマジで悩んだシリーズネタの一つでもあります(笑)

 しかし、長年放置していたネタを書いてみたら思った以上に楽しかったので、仕上げてみました♪
 なお、この話ではダイが行方不明状態で3年後、ヒュンケルは戦後に回復していない状態で旅に出た設定で書いてます。

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