『五色の光 ー前編ー』

  
 

「あれは……っ!」

 『それ』を目の当たりにしたアバンは、目を見張らずにはいられなかった。
 真っ先に浮かんだ感想は、不覚にも『美しい』だった。
 空をゆったりと飛ぶ、巨大な鳥――最初は、そう思った。だが、よくよく見ればそれが鳥ではないことは、一目瞭然だ。

 形こそは翼を広げた鳥に似ていても、それは明らかな人工物だった。羽ばたきもせず、それでいて明確な意志を持って空を飛んでいる。起きた時、今日は曇りかと誤認したのは、その巨大な鳥が太陽を遮っているからこそだった。巨大な鳥だけに、その影の範囲も驚異的だ。

 文字通り、町一つをすっぽりと覆い尽くしてしまうほど、巨大な人工の鳥――呆然と空を見上げているアバンに、通りすがりの男が声をかけてくる。

「おいっ、あんたっ! なにボーッとしてんだよ、逃げねえとヤバいぞ!」

「あれは……いったい、なんなんですか?」

「そんなの、分かるもんかよ! だけど、あいつから落ちる爆弾で幾つもの町や国が破壊されたって話だぜ!」

 焦っているせいか口調は些か荒いが、彼は親切な男なのだろう。逃げる足を止めて、わざわざアバンの問いに答えてくれている。

 実際、ほとんどの人間は避難の準備に忙しいのか、見知らぬ旅人に構う余裕すらない。アバンがルーラ――移動呪文で突然、この町にやってきたことすら、誰も関心を向けはしなかった。
 誰もが、自分の事だけで精一杯だったからだ。

 ここは、カール王国の町の一つだ。なんだかんだ言って、アバンにとってはカール王国こそが故郷であり、一番情報が集めやすい場所だ。世界の状況を確かめるために複数の場所を巡って情報を集めるつもりだったが、アバンが真っ先に選んだのはやはりカールだった。

 王都はすでに壊滅していたため、同じカール王国でも辺境に当たる中で、一番大きな町を選んだ。そこを皮切りに、世界各地を飛んで情報収集していく予定だった。

 各国は、無事なのか。
 魔王軍の侵略は、どこまで進んでいるのか。
 そして――新たな勇者となるはずのダイやポップは、いったいどこにいるのか。

 しかし、まさか最初に飛んだ場所で、こんなものに出っくわすとは、さすがに想定外だ。

 引っ越しさながらに荷台に荷物を詰め込んでいる者や、多すぎる程の荷物を背負った旅支度をした家族連れなどが、町にはあふれかえっていた。
 そのせいで、一見、町は祭りのように賑やいで見える。

 だが、人々の口から漏れ聞こえるのは緊張感を波乱だ声や、尖った諍いの言葉だった。
 誰もが逃げようと焦っているせいで町は緊張感に包まれているが、幸いにも致命的な騒ぎにまでは至っていない。

 実際に攻撃を受けているというのなら、もっとパニックになって大騒ぎになっていたかもしれない。あるいは逃げ道が限られ、狭い通路を我先にと逃げようとしていたのなら、騒動は免れなかっただろう。

 しかし、巨大ながらもゆったりとした動きを見せる巨鳥の下から逃げるのが目的だというのなら、逃げる範囲は広範囲になる。

 それぞれが思い思いの方向に、黙々と逃げているせいか混雑はあっても、諍いはほとんど起きていなかった。人を押しのけ、争いながら自分だけ逃げ延びようとする、地獄絵図を見ずに済んだことにアバンはわずかな安堵を感じる。

 だが、それでも日常ののんびりとした感覚とはかけ離れた、奇妙な緊張感とざわめきが町を支配していた。

「その話は……本当なんですか?」

 聞き捨てならない剣呑な話に、アバンはスッと目を細めて問いただす。少なくともアバンの知っている範囲では、魔族がここまで大がかりな攻撃を人間達にしてきた試しなどなかった。

 過去の歴史上でも、実際にアバンが体験した先の魔王戦でも――。
 しかし、男は怒り半分、呆れ半分に怒鳴り返してきた。

「本当に決まってんだろ!? っていうか、あんた、そんなことも知らないなんて、なんて呑気なんだよ!? いったい、今までどこにいたんだよ!?」

「あー……ちょっと、噂が全く届かない所にいましたのでね」 

 苦笑しつつ、アバンは質問をぶつけてみる。

「ところで、パプニカ王国やロモス王国がどうなったか、ご存じですか?」

 ベンガーナ王国で少し探りを入れてみたが、噂はあやふやで統一感がなかった。

 パプニカ、ロモス共に滅びたという噂や、逆に復興して魔王軍と戦っているという噂が混同していた。なまじ、ベンガーナ王国は魔王軍の襲来が薄かったせいか、人々の関心も薄く、危機感に乏しかったようだ。

「その二国は知らねえが……オーザムやリンガイアはすでに滅びたって噂だから、ヤバいんじゃねえの? オレらのカール王国だって、城が落ちたって話だしな」

 男の口から聞いた噂に、ずん、と心が重くなるのを感じる。
 実際に、カール王国が落城しているのを目の当たりにしただけに、他の噂まで信憑性があるように感じてしまう。

「では……勇者の噂は、知りませんか?」

 震えそうになる声を抑え、アバンは期待を込めてそれを聞いてみた。しかし、その返答は振るわなかった。

「勇者? さあ、どうしてるんだか……15年前に魔王を倒したっきり、旅に出たって話だろ? とっとと戻ってきて、魔王を倒して欲しいもんだぜ」

 本気で言っているわけでもない軽い口調が、耳に痛かった。

「とにかく、ここからは逃げた方がいいぜ。あの鳥の下だけはやべえって、噂だからな」

「ご親切に、どうもありがとうございます。あなたもお気を付けて」

 丁寧に頭を下げるアバンに、男はぞんざいに手を振って、足早に去って行く。大荷物を背にしているのに、その足取りは走るように速く、あっと言う間に人混みに紛れて見えなくなった。

 それを確認してから、アバンもまた、歩き出した。
 元々、アバンはある程度情報を集めた後、ダイの育成を依頼してきたパプニカ王国に行くつもりだった。ダイとポップを探すための情報を、アバンは何よりも求めていた。

 しかし、今、その目標を投げ捨てる。
 あれほど巨大で、アバンでさえ知らない高度な技術で作られた人工物ならば、魔王軍が拘わっていないとは思えない。むしろ、あれ程の規模の移動基地なら、敵の本拠地と言われた方が納得できる。

 どうしても見過ごすことの出来ないものを目の当たりにして、ここで退くつもりなどない。アバンは迷いのない足取りで、歩き出す。
 巨鳥から離れるのでは無く、巨鳥のいる方向に向かって――。







 追跡は、楽と言えば楽だった。
 なにしろ、目標の大きさが大きさだ。見失う心配など、欠片もない。それに四方八方に逃げ惑う人々も、鳥の進行方向だけは避けようとしている。人混みから抜け出すまで、そう時間はかからなかった。

 風向きとは逆に進んでいるところから見ても、あの巨大な鳥には自走性があるのは確かだ。実際に、鳥は明らかに一方向に向かって飛んでいた。その方向に、アバンは思い当たる場所があった。

(ロロイの谷……ですか?)

 出身国なだけに、アバンの脳裏にはカール王国の地図は一通り頭に入っている。

 ロロイの谷とは、断崖絶壁に囲まれた盆地だ。
 人里離れた辺鄙な場所にある上、水源もない立地のせいで人も住み着かない場所だ。アバンも名前だけは知っているものの、残念ながら一度も行ったことはなかった。

 ゆえに、アバンは鳥の後を徒歩で追っていた。
 とてつもなく巨大な鳥とは言え、その飛行速度はごく遅い。それが最高速度なのか、あるいは速度をわざと抑えているのかは分からないが、人が走っているのと同程度の早さでしかないのだ。

 その気になれば、真下まで追いつくのも難しくは無かっただろう。だが、アバンは通りすがりの男の忠告を忘れなかった。
 あれから爆弾が降ってくるのであれば、真下は避けるに越したことはない。それに、あれが人工物ならば当然、操縦している者もいるに違いない。

 それを考えると、目立つようなことは避けたかった。鳥からある程度距離を取りながら目的地を調べ、可能ならば潜入調査をしたいところだ。

(ですが、それは難しいかもしれませんねえ)

 ため息をつきつつ、アバンは魔法力をそっと巡らせて再確認してみる。
 ルーラは自分が行った経験のある場所へと移動出来る呪文だが、行った経験は無くとも視認できる範囲になら移動出来ることは、あまり知られていない。

 ルーラは移動上の斜線に障害物があれば失敗するので無制限とは言えないが、コツさえ掴めば、視認範囲内ならば魔法力の限り何度も移動することができるという便利な使い道がある。

 実際、アバンもそれを試そうとした。
 上空に浮かんでいるだけに、巨鳥に飛ぶまでに邪魔な物などない。なのに、最初に飛ぼうとした時、失敗した。

 まるで、強い壁に遮られたような違和感に、アバンはあの巨鳥には結界が張られているのだと察した。しかも、何度か試して見たがその結界は相当に大きいようだ。

 結界が薄いかも知れないと期待して、何度も違う場所に飛ぼうと試しては見たが、それらは悉く失敗してしまった。どうやら、あの巨大な鳥全体をまるごと覆っているらしい。

 言うまでも無いが、結界の広さは術者の魔法力に比例する。
 とてつもない威力を持つだけで無く、広さにおいても前代未聞な結界は、術者の力量を余すこと無く知らしめていた。

(間違いなくハドラー以上……いや、ハドラーでさえ足元にも及ばない魔法力の持ち主のようだな)

 ハドラーが大魔王バーンと呼んだ相手を、アバンは知らない。
 名を聞いたのも初めてだったし、過去の記録でも似た名前の魔王や魔族も見た覚えはない。

 しかし、名のみ知る大魔王は、アバンの想像を遙かに上回る強敵らしい。
 それを思えば、ますます彼や、彼の本拠地の情報が欲しかった。

(空を飛べたらよかったのですが……)

 自分にトベルーラ――飛翔呪文のセンスが無いことが悔やまれる。
 移動系の呪文には、持って生まれたセンスが重要だ。ルーラ――移動呪文はこの上なく便利な呪文ながら、使い手の数は少ない。国に一人か二人……そのぐらいしか存在しない希少呪文だ。

 そして、さらに使い手が限られるのが、ルーラの応用系と言えるトベルーラだ。空を時代に飛ぶことの出来るこの呪文は、歴史を振り返っても使い手は数える程しかいない。

 アバンも一時期、熱心に修業や研究を重ねたものの、自分には無理だと見切りを付けた呪文の一つだ。

(こんなことなら、マトリフに習っておけばよかったですね)

 苦笑交じりに、アバンはかつての仲間を思い出す。
 あの老魔道士は、トベルーラの使い手だった。年齢のせいで弱った足腰なぞなんのその、トベルーラで滑るように低空滑走して見せたかと思えば、不意に空高くまで飛び上がるなど、自由自在に飛行してみせた。

 もしマトリフならば、ルーラで行けなかったとしても、トベルーラであの巨鳥の上にまで飛び上がって偵察できただろう。

 しかし、アバンにはその力は無いし、生憎、今はトベルーラに代わるような魔法道具も持ち合わせていない。
 どうしようか迷いながら追跡を続けるアバンの目の前で、巨大な鳥はゆっくりとだが速度を落とし始めた。

 空を見上げれば、太陽が高く昇っているのが見える。ちょうど、真昼となる時間帯に巨鳥はロロイの谷の真上に、ぴたりと動きを止めた。停止しても全くブレること無く、空中に優雅に浮かんでいる巨鳥を遠くに見つめながら、アバンは少しばかり悩む。

 巨鳥から見つからないように、アバンは極力物陰に隠れ、距離を取りながら追跡していた。そのせいで、アバンはロロイの谷からは少々離れた場所にいる。

 徒歩のまま移動するなら、小半時ほどはかかってしまうだろう。
 ルーラを駆使して移動するにせよ、周囲を崖に囲まれたロロイの谷は飛んでいくには不向きな場所だ。下手をすれば、敵に見つかるだけになりかねない。

(というより……あそこにいるのは、敵? それとも、味方か……?)

 巨鳥があの地に降りるというのなら、迷いはしなかった。即座にルーラで移動し、乗り込める隙を窺っただろう。
 だが、爆弾を落下する能力を持ち、町を破壊してきたというあの移動要塞は、空中に不自然に止まったままだ。

 アバンの記憶にある限り、ロロイの谷に町はおろか村すら無かった。なのに、わざわざそこを目指したのには、なんらかの理由があるはずだ。魔王軍でさえ無視しきれない、どうしてもそこに行かねばならないなんらかの理由が――。

 あらゆる可能性を考慮し、様々なパターンを予測する間も、アバンは足を止めなかった。
 ほとんど走っているような早足で歩きながら、じっとロロイの谷を見つめていたアバンは、気づいてしまった。

 かすかに上がる煙や、魔法の光――かの場所で、戦いが発生していることに。

 いったい、誰が戦っているのかは分からない。人間と魔王軍……もしかすると、人間同士、もしくは魔王軍同士の戦いなのかもしれない。なにしろ崖が全てを覆い隠しているため、アバンに見えるのは時折立ち昇る煙や、一瞬で消える魔法の余波だけだ。 

 ただ分かることは、巨大な鳥型の要塞が微動だにせず、それを見つめていることだけだ。
 まるで、はるか高見から人々の争いを見おろす、神のごとく――。

(いかなければ……っ!)

 迷いなど、一瞬で消し飛んだ。
 とにかくルーラで距離を縮めようと飛ぶべき場所を定めようとした時のことだった。
 ロロイの谷の中央部分から、突如、真っ白な光の柱が立ち昇った――。  《続く》

 

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