『空白の僧侶戦士 3』

 

 迷いは、一瞬だけだった。

(今だわっ!!)

 全身をバネに変え、マァムは弾けるようにジャンプした。それこそ、今の自分の力を全て振り絞る勢いで。

 身体のあちこちが、痛む。ことに、ハドラーに踏みにじられた腕が酷く痛んだが、それでもかまわなかった。身体の痛みを無視して、マァムは全力でハドラーに体当たりを仕掛ける。

「ムッ!?」

 それは、ハドラーにとっても不意打ちだったのだろう。
 なにやら考え事に耽っていた上に、マァムになど見向きもしなかったハドラーは一瞬対応が遅れた。だからこそ、マァムはハドラーの腕に思い切りよくぶつかり、その腕をぐらつかせることが出来た。

 それと同時に、マァムはポップを抱え込み、ハドラーを蹴りつける。その反動で、ポップを奪い取ることが出来た。

(やったわ!)

 腕に抱え込んだ少年の温もりに、歓喜が込み上げる。
 そのままゴロゴロ転がり、マァムはポップ諸共茂みの中に転げ込んだ。

「は、ハドラー様っ!? ええいっ、あの小娘め、生意気な真似を……ッ!」

 小柄な魔族が耳障りな声で騒いでいるが、そんなのはマァムはほとんど気にしていなかった。むしろ、そんな風に騒いでくれた方が逃げやすくなると思ったぐらいだった。

 敵から少し離れた茂みの中で、マァムはそっと身を起こす。幸いにも丈の高い茂みは、中腰の姿勢の少女をすっぽりと覆い隠してくれる。動くのには少しきつい姿勢だが、この格好のままなら逃げられる。

 ポップには悪いが、このまま彼を引きずっていこう。そう思って、マァムは極力足音を立てないようにジリジリと逃げ始めた。
 しかし、その時、不気味な声が響き渡った。

「……毒錬成ナンバー413」

(え……)

 ぶわりと、一気に何かがマァムを包み込む。
 彼女が知るはずも無かったが、マァムの居場所のみならず、その周辺に一気に広がったのは無色透明のガスだった。

 ただ、見えもしないガスを視覚情報から知ることは出来ない。
 だが、そのガスには普通の空気とは全く違う特徴があった。

(なに!? この匂い……!)

 それは、一瞬だけならばとても良い匂いと思えた。
 たとえるなら、上等な香水。
 着飾った貴婦人が通り過ぎる一瞬、ふわりと残り香が漂うのならば、素晴らしい匂いだと言えるだろう。

 しかし、その匂いは強すぎた。
 まるで香水の瓶をすぐ近くでぶちまけられたように、強い匂いがマァムを包み込む。どんなに良い匂いでも、強すぎればそれは臭いだ。
 たまらず、マァムは咽せて咳き込んでしまった。

「そこか」

 ハドラーの声と共に、ガサガサと茂みをかき分ける音が響く。さすがは魔王と言うべきか、その足取りは全く焦った様子がなく堂々とした物だった。でも、だからこそまだ逃げられるチャンスはある。

(いけない、早く逃げなきゃ……!)

 そう思い、マァムはポップの腕を掴んで引っ張ろうとした。
 だが、しっかりと握りしめたはずの手から、ポップの腕が滑り落ちる。

(え?)

 戸惑うマァムの視界が、一瞬暗くなる。
 ハッとした時は、目の前の世界は90度傾いていた。

(……!? え!? どうなってるの!?)

 木や茂みが生えている方向に、とてつもない違和感を覚える。なにより、ほっぺたに当たる湿った感触と、濃厚な土の臭いが気持ち悪い――そう自覚してから、マァムはようやく気がついた。

(違う……! 世界が傾いたんじゃ無いわ)

 傾いたのは、世界ではなくマァムだ。
 何の前触れもなく、無様に地面に倒れてしまったのだ。慌てて起き上がろうにも、身体に全く力が入らない。起きなきゃ、起きなきゃと思う気持ちは、手足とまるっきり繋がってくれなかった。

「クククッ、いい様じゃのう」

 嘲笑う声が、すぐ近くから降ってくる。
 顔を上げて確かめたかったが、それも叶わない。今のマァムには、顔を傾けて周囲の様子を確かめることすら出来なかった。倒れた姿勢のまま、無様に転がっているしかない。

 限られた視界の中で、自分に向かって歩いてくる魔王の姿だけは真正面からみることができた。悠揚迫らず歩み寄ってきた魔王は、面白がっているような表情でマァムを見おろす。

「ふむ……、麻酔効果は確かなようだな」

「ヒッヒッヒッ、その点はお任せあれ。ワシの得意分野ですからのう。ですが、この毒の真価は先ほど説明した通り、別にありますのじゃ」

 得意げに笑う老魔道士の声に、マァムは自分がなんらかの毒を盛られたことにようやく気がついた。

(……キアリーを……ッ)

 マァムが使うことのできる、数少ない回復系呪文が脳裏に浮かぶ。しかし、ここまで身体が痺れきってしまえば、自分で自分を回復することは出来ない。念の為、魔弾銃にも一発だけキアリーを詰めてあるのだが、この状態では銃を撃つなんて不可能だ。

(どうすれば……そうだ、ポップは!?)

 絶望的な状況の中で、マァムはなんとか目だけを必死で動かして、ポップの姿を探そうとする。

 と、その時、ハドラーが無造作に何かを持ち上げた。
 右腕を掴まれ、壊れたマリオネットのようにだらりと持ち上げられたのは、ポップだった。マァムのように麻痺させられたのか、気絶しているのか、ぐったりとしていてピクリと動かない。

 見せつけるようにポップを一度高く持ち上げたハドラーは、無造作に彼を放り投げた。

「……ッ!!」

 マァムの喉から声になりきっていない悲鳴が上がるのと、ドサッとポップの身体が落下する音が響くのは、同時だった。

(ポップッ、ポップッ!?)

 魔法使いだけあって、ポップは体力的には貧弱だ。
 受け身もろくすっぽできないし、同じ程度の攻撃を受けても、いつもダイやマァムよりも酷いダメージを受けてしまう。放り投げられたポップの身を案じ、マァムは必死に動こうとする。

 全く動かなかった筈の身体が、ほんの僅かだけ動いた。
 だが、それは芋虫のようにもぞもぞした動きに過ぎない。

「ほおほお、我が毒香を嗅いで、そこまで動けるとは人間にしてはなかなか……まあ、実験には手頃じゃろうて」

 嘲笑い声と共に、マァムの身体がフワリと空に浮く。

「……!?」

 生まれて初めての体験にマァムは恐怖するが、マァムの身体はたいした高さにまで浮かばなかった。先に歩き出した老魔道士の背丈と同じぐらいか、少しばかり上の高さに浮いているだけだ。

 ちょうど、子供が風船を空に浮かべたまま持ち歩くように、老魔道士はなんらかの魔力でマァムを空中に浮かばせ、移動させているらしい。どこに連れて行かれるのかと恐怖したが、そこまでは遠くなかった。

 と言うよりも、さっき逃げ出した場所へと連れ戻されただけだ。
 ポップとハドラーの戦いのせいで、周囲のものが焼き尽くされてぽっかりと空き地になった場所――そこに、ポップもいた。

 辛うじて焼け残った木の下に、立っている。と言うよりも、立たされていると言った方が正確だろう。

 木の枝に貼り付いた悪魔の目玉から伸びた触手が、ポップの両腕や腰に絡みつき、吊り下げる形で立たせている。以前、マァムがロモス城でそうされたように、身動きできないように拘束されているのだ。
 未だ気絶しているのか、ポップはぐったりと頭を垂れたまま動かない。

「やれやれ、まだ目を覚まさないとはひ弱なガキじゃ」

 わざとらしく首を横に振りながら、ザボエラは杖を軽く振るった。その途端、マァムの身体は一気に重くなり、地面の上に落下する。何の心構えもなく仰向けに落とされたせいか、その落下はマァムにはひどくこたえた。

「……っ!! ぁ……ッ、く……っ!」

 苦痛に呻くマァムは、気づかない。
 たいしたことのない高さから落ちた程度なのに、この痛みは尋常ではない、と。いくら受け身を取れなかったとしても、ここまで痛むこと自体有り得ないはずだった。

 痛みにのたうつマァムの目の前に、再びハドラーが立ちはだかる。寝そべった姿勢から見上げる魔王の巨大さに、マァムは思わず息をのんだ。

 先ほど、相対していた時よりも、ずっと巨大で、ずっと恐ろしい存在に思える。
 魔王はマァムを見て、ニヤリと笑いながら言った。

「ザボエラよ、そっちの魔法使いの小僧を起こせ。どうせなら、その小僧にも見せてやりたいからな……あのロカの娘の本性が、どの程度のものなのかを、な――」







「……や、めて……ポップに、なにをする気なの!?」

 とっさに叫んだ言葉は、かすれていていつもの張りがないのが自分でも分かった。もっと叫びたかったが、喉まで痺れてしまったのか声は喉元で押し込められてしまう。

「ほほう、この期に及んで自分よりもあの小僧のことを心配するとは余裕よのう」

 ザボエラの嘲笑いが、耳障りだった。
 だが、かろうじて声を出せるだけの今のマァムには、何も出来ない。
 身動きもできず、無様に寝転がったまま、マァムはそれを見上げているしかできなかった。

 ザボエラはぐったりとしているポップの鼻先に、手を伸ばして自分の杖を突きつける。わずかに杖先が光ったかと思うと、ポップが小さく呻きだした。
 二、三度瞬きをしたポップは、ぼんやりと目を開ける。とりあえずポップが意識を取り戻したことに、マァムはホッとせずにはいられなかった。

 だが、ポップはまだ意識が朦朧としているのか、ぼんやりとした様子で周囲を見回し――ハドラーを見て、ギョッとして叫ぶ。

「……っ、ぇ、ハドラーッ!?」

 そんなポップを面白そうに見やりながら、ハドラーは笑う。

「フン、ようやく目覚めたか。今から貴様に、面白い物を見せてやろう」

 そう言いながら、ハドラーの足が軽くマァムを蹴飛ばす。

「マァム!? てめえっ、マァムに何をする気だよっ!!」

 騒ぎ立てるポップに、ハドラーがわずかに眉をひそめる。と、ザボエラが杖を一振りした。

「やれやれ、喧しい小僧じゃ。少し黙っておれ」

 杖の動きと共に、触手がシュッと伸びてポップの口元を覆う。口を塞がれ、ポップの暴れ方がより激しくなる。だが、以前、悪魔の目玉に囚われた経験のあるマァムには、それは無駄だと分かっていた。柔らかな触手は伸縮性に富んでいて、こちらがどんなに暴れても緩みもしない。

「……っっ! ぅ……ッ、っツッ……ッ!?」

 マァムが全力でもがいてもびくともしなかった触手だ、ポップの腕力で敵うはずもない。むしろ、触手に締め上げられて苦しい思いをするだけだろう。

(やめて、ポップ!)

 そう、叫びたかった。
 だが、そう叫ぼうとしたその時、ハドラーは再び足を持ち上げてマァムの胸の上に乗せる。

「そう騒ぐな。いいか、小僧。よく見ていろよ」

 嘲るようなその響きに、マァムは息を飲む。
 その瞬間、マァムの脳裏を染め上げたのは恐怖だった。
 さっき腕をそうされたように、胸を強く踏みつけられれば、ただでは済まない。よくて、大怪我……いや、確実に死ぬだろう。

 無残な死を予測して、さすがのマァムも恐怖に震え上がらずにはいられない。こんな形で死ぬなんて想像もしていなかったし、ましてやその有様をポップに見せつけられることになるだなんて――。
 しかし、震え上がる恐怖の中、マァムはキッとハドラーを睨みつけた。

(負ける、もんですか……! たとえ、死ぬとしても、心だけは……ッ!)

 どんな苦痛や、死の恐怖にも、決して心だけは屈しない。毅然とした死を迎えることが、今の自分に出来るたった一つの抵抗だとマァムは信じた。

 そして、それが無意味なことだとは思わない。
 クロコダイン戦でポップの見せた捨て身の勇気が、ダイの力になったように、死を瀕した時の自分の姿がポップに対して、なんらかの力を残すと信じたい。

 ハドラーが望んだようには、決して振る舞わない。命乞いなどして、この男を楽しませるなんて真似をするものか。
 マァムは魔王を見上げ、決然と言い切った。

「……殺すなら、殺しなさい!」

 なのに、マァムのその決意をハドラーは鼻で笑う。ザボエラの方は、声を立てて嘲笑った。

「ヒョッヒョッヒョ、勇ましいのう。じゃが、その態度がいつまで持つか……ヒッヒッヒッ」

「何をされても、私は……私達は、魔王軍の言いなりになんかならないわ!」

 人をバカに仕切ったその言い草に、マァムは強気に言い返す。
 しかし、その時、ハドラーの足が踏みつける。
 とっさに、マァムは目を閉じる。

 強烈な痛みを覚悟して身を強ばらせたのに、痛みはなかった。代わりにマァムを襲ったのは、今まで一度も味わったことのない心地よさだった。

「……っ!?」

 ぎゅっと踏まれた胸は、痛みを感じなかった。
 さっきそうされた時は、痛く、苦しくてたまらなかったのに、今のハドラーの足には力がこもっていない。

 ただ、足を乗せただけ――
 それでも、そんな風に踏まれた重み、何よりも悔しさや屈辱を全く感じないはずはない。なのに、その予想を裏切ってマァムが感じたのは、胸の先がゾクゾクするような奇妙な疼きだった。

「え……?」

 戸惑うマァムを見おろしたハドラーが、ニヤリと笑う。と、次の瞬間、ハドラーは足を軽く揺さぶる。
 その動きが、マァムに与えた衝撃は大きかった。

「……ぁあっ!?」

 鮮烈な刺激が、胸を掠める。
 それは、マァムにとって生まれて初めての感覚だった。乱暴すぎる動きだったのに、一瞬とは言え痺れるような心地よさが胸を貫く。

 それがなんと呼ばれる物なのか、マァムは知らない。
 だが、身体の真奥から沸き起こるその感覚を恐れて、身をよじっていた。

「や、やめてっ、何をするの!?」

 悲鳴じみた声を上げるマァムに与えられたのは、魔族達の嘲笑だった。
 そして、ハドラーの足がゆさゆさとマァムの胸を揺らす。

「……っうぅっ!?」

 悲鳴を上げるのではなく、声を噛み殺すために、マァムは呻く。
 胸を揺さぶられるその感触に、マァムは今度こそ認めざるを得ない。これが――快感だという事実を。

 その揺さぶりがもう少しでも続けば、マァムは耐えきれずに声を漏らしてしまったかも知れない。

 だが、揺さぶりは始まった時と同じように、急に止まった。
 その事実にホッとしながらも、マァムは気づいてしまった。

「ヒヒヒッ、どうじゃ? もっと、して欲しいのではないかの?」

 嘲笑うザボエラの言葉に、マァムは身を震わせる。
 そんなことはないと、言い返したい。その気持ちは、確かにある。だが、同時にマァムは知ってしまった。

 痒くて痒くてたまらないところを掻きたいと思う気持ちのように、今の快感をもう一度味わいたいと思う気持ちがあることに。
 その事実が、マァムの心を深く傷つける。

(な、なんで……っ!?)

 動揺するマァムは、この急激な快楽の原因を考えることは出来なかった。考えるよりも先に、ハドラーが最悪の言葉を言うのを聞いてしまったから。

「小僧、見ているか? この女の本性を」

 蔑むその言葉よりも、目を見開いているポップの姿の方がよほどマァムには辛かった。

(いや……!)

 固く瞑った目から、涙が滲むのがマァム自身にも分かった――。 《続く》


《後書き&予告♪》

 うちの地下でのマァムの選択は、たいていの場合最悪の結果を呼ぶような気がします(笑) アドベンチャーゲームなら、バッドエンド連発コースですよね。

 でも、どんな状況でも敵に屈することなく気丈さが彼女の真骨頂だと思います!
 ……で、そんな高潔な女の子だからこそ、徹底的に貶めたくなってしまうダーク妄想が沸き起こっちゃいます。す、すみませんっ(全力土下座っ)


 

4に続く
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