『マイ・スィート・ディジー 6』

  
 

 貴族達は皆楽しげで、足取りも軽やかだった。
 なにしろ、王族やごく限られた一部の人間にしか許されないとっておきの薔薇園に呼ばれるというだけでも、名誉になる。

 それに今回は特別に、勇者と大魔道士も加わるとあっては、派手で賑やかなことを好むベンガーナ貴族達が盛り上がるのも無理はない。
 この機会に彼らとの親交や面識を深めようと考える貴族達に混じって薔薇の迷路を歩きながら、貧相な中年男は一人、皆とは違う思惑にほくそ笑む。

(くっくっくっ……果たして、あの小生意気な大魔道士めがどのような無様を晒しているか、楽しみなことよ)

 ポップに飲ませた媚薬は、個人差はあれど1時間程度は効く。
 性的興奮を高め、認識能力を狂わせる効き目のある媚薬を飲めば、いきなりその気になるし、目の前にいる者を恋人もしくは想い人と思い込んでしまう。

 大勢の人の目の前で、せいぜい恥ずかしい姿を晒すといいと、中年男は内心せせら笑う。 自分は決して表に出ないように気を使い、代わりにジュリアーノに非があるようにうまく立ち回ってあるだけに、中年男は完全に見物気分で中庭へと向かう。

 ポップを罠に掛けて、スキャンダルをしかけようと画策する中年男にとっては、ジュリアーノはもってこいの存在だった。
 なんの酔興かポップにやたら執心してアプローチを仕掛けているあの青年が、媚薬に浮かされたポップを目の前にして、理性が保てるとも思えない。

 なにしろジュリアーノは若い上に、駄目駄目な二代目と評判も高い道楽息子だ。目の前で想い人が媚態を見せていて、我慢が効くとも思えない。
 理想を言えば、適当な段階で正気に戻ったポップが自分をレイプしたジュリアーノに報復する展開が、中年男にとっては一番都合がいい。

 いかに正当防衛とはいえ、英雄が一般人に力を振るったなら、それは大きな問題になりかねない。
 ポップや彼を後見する立場であるパプニカ王国側は当然、ジュリアーノに非があると主張するだろうが、はっきり言ってジュリアーノは利用されただけだ。

 当然、ジュリアーノの実家、フォルクス家は免罪を主張するだろう。ベンガーナで1、2を争う名家である貴族の抗弁は、否応なくベンガーナ王国そのものにも影響を与える。そうなれば両国を巻き込んだ、泥沼のスキャンダルへと発展するだけだ。

 中年男にしてみれば、どっちでもいいのだ。
 失脚するのが、ポップであっても、パプニカ王国であっても、フォルクス家であっても。 どう転んだとしても、中年男にとっては損になる話ではない。

 最悪、パプニカ王国とベンガーナ王国の間が険悪になり戦争が勃発したとしても、歓迎できる。
 戦争で苦しむのは民衆だけであり、貴族にはそんなものは無縁と中年男は考えていた。それどころか、巧く立ち回ればどさくさに紛れて暴利を貪れるチャンスとさえ思える。

(しかも、まさか勇者までもが罠にひっかかるとはな)

 花園の入り口を守る衛士から、中に入れろと要求するダイを断ったところ、彼が空を飛んで中庭に行った話はすでに聞いている。
 まさか、勇者がこの場所を嗅ぎつけるとは思わなかったが、それはそれで好都合だ。
 中庭での騒動にダイが加わるのなら、話はさらに大きくなる。

 ダイがポップを救うためにジュリアーノに力を振るうようなら、ポップではなくダイが糾弾の対象になるだけの差だ。
 大魔道士よりも勇者の方が知名度が高いだけに、なおスキャンダルが効果的になる。

 唯一の問題は、移動呪文魔法の使い手であるダイやポップが逃げる可能性だが、その点も中年男の想定内だ。
 二人がこの場から逃げるなら、それはそれでもよかった。その場合は、レイプ事件ではなく逃げたことそのものを問題にするつもりだった。

 飛翔呪文は目につくから、衛士だけでなく他の多くの者に目撃される。
 彼らが中庭から逃げだすのに移動魔法呪文を使えば、軌跡で逃げたのは一目瞭然になる。 その時は、勇者ダイが仮にも一国の王の誘いを、こんな形で無礼にすっぽかしたと大袈裟に喧伝する気でいる。

 いくらベンガーナ王が知り合いには気さくで、多少の非礼も見逃す寛大さを持っていたとしても、体面に必要以上に拘るのが貴族というものだ。
 王をないがしろにした事実を貴族連中が大袈裟に受け止め、咎めを望む方向に話が進めば、いくら勇者とはいえ只では済まされない。

 というか、只で済ます気などない。
 中年男としては、そういう方向に世論を傾ける気が満々なのだから。勇者やパプニカに友好的な王が穏便な方向に話が進めようとしても、そう簡単に納めさせる気などない。

 その場に残ったジュリアーノや現場に残された痕跡などを大袈裟に指摘し、問題を炙り出してやる気だって充分にある。
 勇者か、大魔道士、そうでなければフォルクス家のどれか……もしくはその全てを貶めるスキャンダルへと発展させてやるつもりだった。

 意気揚々と歩く中年男だったが、後少しで中庭に辿り着く最後の通路へいく手前の曲がり角で、人々が列を作って固まっていた。
 何事かと様子を見てみると、道を塞ぐように並んで立っている二人の男がいた。

 金髪美形な片方は、すぐに思い当たる。紛れもなく、フォルクス家の馬鹿息子ジュリアーノだ。
 その側にいる黒髪のずんぐりした男は、正直中年男の記憶にない。

 貴族本人はともかく、その従者にまで興味をもたないせいだ。それでもまあ、ジュリアーノの側にいるからには、彼の従者かなにかだろうと考えはしたが。

「え〜、皆様、申し訳ありませんが、ここでしばしお待ち願えるでしょうか? ただいま、勇者様と大魔道士様が皆様を歓迎するための趣向をご用意中でして……準備が整うまで、後数分かかりますので」

 そう説明しながら、従者はジュリアーノの脇腹を軽くこずく。
 と、ジュリアーノはひどくびっくりした表情を浮かべながらも、慌てて調子を合わせる。


「えっ……あ、ああ、実は、そうなんですよー。紳士諸君もお麗しい貴婦人方も、どうかもうしばらくお待ちください」

 調子よくそう言うジュリアーノの様子がどことなく落ち着かなく、なおかつなんとなく前屈み気味な姿勢……と見えるのは、事情を知っている中年男の穿ち過ぎとばかりは言えないだろう。

(ふん、とんだ茶番だな)

 中年男にとってみれば、それは猿芝居にしか見えなかった。
 この中庭から、魔法を使わずに脱出するのは事実上不可能だ。なにしろ周囲の迷路にはこれだけの人がいるのだ、生け垣からこっそりと逃げたとしても必ず人目につく。

 いかにジュリアーノがフォルクス家の御曹司と言っても、自宅の館ではなく王宮で、後数分の間にこの状況で事件を揉み消すだなんて不可能だろう。
 単に、子供が闇雲に悪戯がバレるのを恐れて見え透いた言い訳をするのと同じように、事件発覚を遅らせるだけの小細工にしか見えなかった。

 むしろ、数分後に事実が発覚した時に騒ぎが大きくなるだけのことだ。
 そう思い、中年男はニンマリと人の悪い笑みを浮かべていた――。

 

 


 話は、数分前に遡る――。

「ポップ、大丈夫? 顔色がスライムみたくなってるよ、どっか休めるとこに行こ」

 自分のマントを外してポップの身体を隠すように覆いながら、ダイはできるだけ優しく彼を抱き寄せた。
 ダイにしてみればお茶会なんかどうでもいいし、ジュリアーノにはムカっ腹が立つが、それよりもポップが最優先だ。

 こんなことをされたポップを、安全な場所へ連れて行ってゆっくり休ませてあげたい。ポップがこんな格好を人に見られたくない以上に、ダイだってこんなポップを人目に晒したいだなんて思わない。

 そのために瞬間移動呪文でとりあえずどこかに行くつもりだったのだが――その手を、クラウスががっしりと掴んで引き止めた。

「勇者様、大魔道士様、非礼は伏してお詫びします! なんならこのクソ大馬鹿野郎な主君を、後で煮るなり焼くなりぶっ殺すなりどうしてくれても構いません!」

「えっ、ををいっ?!」

 と、動揺するジュリアーノの頭を鷲掴み、クラウスは彼の頭を地面に押しつけるついでに自分も深々と土下座をかます。

「が、筋違いの上に無理な相談なのを承知でお願い致します……っ! なんとか、この場を取り繕ってはいただけませんか?!」

「なに勝手なこと、言ってんだよっ?!」

 反射的に、ダイは怒鳴り返す。
 加害者から被害者に頼むには、あまりに身勝手な言い分としか思えない。
 が、クラウスは食い下がった。

「ええ、身勝手は百も承知です!
 これがただの貴族間のスキャンダル程度で済むんなら、オレだってこんな無茶は言いませんよ。だけど、これって状況が悪すぎますんでね。
 状況からして、大魔道士様をはめようとした奴がいたってことですよね?」

「…………!」

 その言葉に、反応したのはポップの方だった。
 何かを考え込むような表情になり、黙り込む。
 いつもとは別人のように真剣で、鋭さを感じさせる怜悧な目付き――ダイにとっては、見慣れた顔だった。

 そんな時、ポップは目まぐるしく頭脳を働かせて最善手を模索している。追い詰められた状況を打破する時に、見せる顔だ。

「そんな奴がいるってえのにこの場から逃げ出すのは、いかにもまずいです。欠席裁判ってのは、一方的に進んじまいますからね。
 最悪の場合、国際的なスキャンダルどころか、戦争になりかねませんよ、これ。


 この馬鹿主君を助けろ、とは言いません。
 ですが、パプニカとフォルクス家……いえ、パプニカとベンガーナの戦争勃発を防ぐためと思って、お力を貸してはいただけませんか?」

 文字通り地べたに頭をこすり付け、言葉遣いも改めて真摯に頼み込むクラウスに対して、ポップはぽつりと呟いた。

「30分……」

 そう言ってから、思い直したようにポップは首を横に振る。

「いや、20分でいい。時間を稼いでくれ。それだけあれば、なんとか手を考えられる」


「分かりました」

 ポップのその言葉を聞いて、クラウスは力強く頷いて彼らに背を向け、迷路の方へと向かっていった。詳しい説明を求めようともせず、ついでに役立たずの主君を引きずっていくのも忘れない。

「責任持って、20分だけはオレが時間を稼ぎます。――身嗜みやその他のものを整える時間も必要でしょうし」

 そう言われて、ポップは顔を赤くする。いくら媚薬による混乱や催淫効果が解けたとはいえ、さんざん追い詰められ、高められた身体がそのままなのは変わらないのだ。

「ご安心を、20分の間はご懸念無く」

 それだけを言い残して、クラウスとジュリアーノが迷路の中へと消える。
 二人っきりで中庭に取り残されてから、ダイは気づかわしげにポップに話しかけた。

「ポップ、いいの? っていうか、ホントに大丈夫? やっぱり、あいつらなんかほっといて、逃げちゃった方がいくない?」

 ダイに言わせれば、ジュリアーノやクラウスがいくら困ろうと、自業自得だ。いくら頼まれたからって、そんなのをわざわざ助けたいだなんて思えない。
 だが、ポップは小さくかぶりを振った。

「ここで逃げるわけじゃ、いかねえ……! でも、あいつらのためなんかじゃねーよ」

 そう言いながら、ポップはハラリとマントを落とす。
 当然のように、まだ興奮を残す身体が露になった。ポップらしからぬ大胆さにギョッとするダイに、ほっそりした身体が抱きついてきた。

「策はあるんだ。でも、まず、これ……っ、なんとかしねえと……! ダイ……ッ、10分、やるから、これ……なんとか、してくれ……っ」

 切羽詰まったようにそう言いながら、腰を擦りつけてくるポップが見せる色気に、ダイはくらくらとしてきた。
 ポップの言い分は、分かる。

 男として、ここまで盛り上がった分身を放置なんてのは、そりゃもう生殺しもいいところだ。
 前後の事情や手段はさておき、一度開放しなければ収まらない。

 それは、分かる。
 だが、同時にダイには心配もあった。

「で、でも、ポップ……いいの?」

 媚薬や他人の手によって無理やり快感を引き出されたポップが、ショックを受けていないはずはない。
 だいたい、ダイが最初にポップを押し倒してしまった後など、ポップはダイに触れられるのにも怯えていた。

 それなのに今、自分が触れたりしたら、嫌なことを思い出させたり、ヘタしたら嫌われたりするんじゃないか……そんな不安がダイにはある。
 しかし、ポップはもどかしそうに、強くダイを抱き締めてくる。

「――おれは、おまえがいいんだよ……っ!」

 噛みつくように言うなり、積極的にキスを仕掛けてきたのはポップの方だった。
 こんなことは、数える程しか経験がないだけに、思わずダイは硬直してしまった。
 しかも、本気のキスだ。

 誘惑するように歯列をなぞり、舌を絡めようとしてくる。いつもなら、ダイから仕掛けてもなかなか応じてはくれないようなことを、自分から仕掛けてくるだけで驚きだ。
 たちまち、ダイはその気になった。

「う、うん……っ、おれもポップがいいっ!」

 不安や心配など吹っ飛んでしまった。うわずった声で言いながら、ダイもまたポップを抱き返し、熱烈なキスを与える。

 ジュリアーノなんかを助ける気はさらさらないが、ポップの頼みなら何の不満も無いし、全力で協力する気はいつだってある。
 そして、ダイはポップの望みに、進んで全面協力した――。

 

 

 

「ちょっと、いつまで待たせますの? わたくし、待ちくたびれましたわ」

「ちょっと、君、勇者様達の支度はまだ整わないのかね?」

 20分後。
 迷路の通路という半端なところで待たされた貴族達が口々にそんな不満を漏らし始めるのを、中年男は口を閉ざしたままで見守っていた。

 別に扇動するまでもなく、待たされることに不満を持つ貴族達がせっつき始める。その度にクラウスが苦しい言い訳をし、ジュリアーノがヘラヘラと愛想笑いを浮かべるというパターンが数分続いた後、明るい声が中庭の方から聞こえてきた。

「お待たせしました! もう、こっちに来てもいいですよ〜」

 声の主は、ポップだ。
 その声に導かれるように進んだ貴族達の目の前に、舞い狂う薔薇の花びらが映る。
 それは、まるで雪のように。

 いや、ただ上から下に落ちるだけの雪よりも遥かに幻想的で、美しい光景だった。
 花びらは風に乗って舞っていると見せかけているが、実はそれが微弱な真空呪文を応用した技だと見抜いた者は、そう多くはないだろう。

 だが、そんな魔法の理屈を抜きはともかくとして、この光景を生み出しているのが誰なのかは一目瞭然だ。
 花園の中心で軽く両手を広げ、目を閉じて佇んでいる少年……大魔道士ポップの魔法だと、誰もが一目で理解した。

 思わずのように、感嘆の声がいくつか上がる。
 これだけでも一見の価値のある芸だったが、ポップは一度目を開け、茶目っ気たっぷりに片目だけつぶり直して言ってのける。

「せっかく名高いベンガーナの薔薇園に招待されたんだし、お礼に拙い余芸でもお見せしようかと思いまして。
 季節外れの花吹雪は、お気に召しましたか?」

「おお、おお、もちろんだとも! うむ、なかなかの見せ物だったぞ、ポップ君!」

 珍しいものを好むベンガーナ王は手を打たんばかりに喜びながら、上機嫌を示す。

「ありがとうございます、王様。
 でも、これだけじゃちょっとつまんないでしょうし、もう一つ、ちょっとした剣技と魔法の組み合わせ技でもご披露しようかと。
 ダイ、頼むぜ!」

「うんっ。――あ、王様、ちょっと剣を貸してもらってもいいですか? 兵士さんが持っている剣とかでいいんですけど」

 ダイの頼みを、ベンガーナ王は機嫌よく快諾する。

「うむ、すぐに用意させよう」

 近衛兵の一人に命じて、ダイに剣を貸すように手配する。
 ごく普通の量産品の剣を手にした勇者は、生け垣の前で腰の高さに構え……それから剣を一閃させた。

 その素早さは、見物客が驚きの声を上げる暇さえなかった。
 まさに電光の素早さでダイは剣を振るう。
 見物していた貴族達からは、剣が何度か光を放ち、風が数度吹いたとしか思えない素早さだった。

 彼らがダイが何をしたのか悟ったのは、勇者が剣を鞘に納めた後だった。
 空中に幾つもの薔薇の花が、飛んでいた。
 ダイが目に求まらぬ早さで茎を切り飛ばし、上に跳ね上げたのだ。

 それも、一つ二つなんて数じゃない。ざっと2、30はありそうな薔薇の花が、高々と空を舞う。
 と、そこにポップの声が響いた。

「ヒャドッ!」

 ポップの指から放たれた魔法の光は、花の一つ一つを直撃した。
 並の魔法使いの魔法なら、薔薇が氷の固まりに封じられてゴロンと地に落ちるだけだろう。

 だが、ポップの放った氷系魔法も絶妙の弱さにコントロールされていた。
 一瞬で薔薇を樹氷のように凍らせた後、魔法の風で貴族達の頭上に運ばれ、フワリと落ちた。

 自分の手元に落ちてきた、世にも珍しい凍り付いた薔薇を見て、貴婦人達はさっき以上の歓声を上げる。


「まあ……素敵!」

「なんて、綺麗なの。こんなの初めて見ましたわ」

 薔薇に気を取られるご婦人方とは裏腹に、紳士諸君の興味はダイの見せた離れ業とも言うべき剣技に集められる。

「素晴らしい、さすがは勇者様ですな」

「あの剣の冴えは実に見事ですな。そうそうお目にかかれますまい!」

 誰もが上機嫌に、勇者と大魔道士の見せた妙技を絶賛する。
 大魔道士の名前こそ有名だが、ポップはその割にはめったに魔法を使うことがない。それに、ダイの剣技を見てみたいと望む者は多いが、それを実際に叶えた者はごく少ない。


 王に望まれてもそうそう披露してはくれない腕前を見ることができて、誰もが満足こそすれど不満などない。
 唯一、文句をつける権利を持っている、薔薇園の主であるベンガーナ王などは率先して手を打っているぐらいなのだから。

「お気に召して、よかったですよ。
 ただ、これをやっちゃうと薔薇園が目茶苦茶になるもんで、申し訳ないんですが……」


 みんなから浴びせられる拍手に、堂に入った態度で一礼しながらそう言うポップに対して、ベンガーナ王は至って寛大だった。

「なぁに、薔薇など構うものか。花などはどうせ散るものだし、また咲くものだ。
 だが、ダイ君やポップ君の腕前を見れるなど、めったにあることではないからな」

 そう言って豪快に笑うベンガーナ王は、ダイ達を咎める気配すらない。
 なにしろ、武勇を好むベンガーナ国王は薔薇園をそう重視してなどいない。

 理由もなく荒らして逃げたのならまだしも、それなりの理由や謝罪があるのなら、気にさえしないというのが本音だろう。
 だが、ポップはとんでもないとばかりに、首を横に振った。

「いや、せっかくの薔薇園を荒らしといて、それじゃあまりにも申し訳ないですから。
 幸い、フォルクス家の若当主が責任を持ってくれるそうです」

 唐突にそう言われ、フォルクス家の御曹司ジュリアーノは間の抜けた声を上げる。

「へっ?」

 と、おたつくだけの主君に比べて、クラウスの方がはるかに腹が据わっていた。

「もちろんですとも。王様、事後承諾になって申し訳ありませんが、この件に関してはフォルクス家で責任持って全面的に弁償させていただきますので」

「お、おい、クラウスッ?! そんなこと勝手に決めたら、パパ……じゃなくて、父上に後で叱られるんじゃないのかな?」

 おろおろとうろたえるだけのジュリアーノに、乳兄弟はこそっと囁く。

「ご心配なく、坊っちゃん。詳しい経過と被害額総計はオレがちゃんと、書面にして旦那様にご報告しときますから」

「そ、そうか?」

 と、愚かにも安心する主君を眺めつつ、クラウスは頭の中でざっと被害額を計算しはじめる。
 正直、お世辞にも安いとは言えない。薔薇なんて花は、所詮金食い虫だ。人間がこまめに手入れし世話を焼かなければ、咲くこともできないようなひ弱な花である。

 こんな大金を勝手に使ったとバレれば、まず間違いなくジュリアーノは説教と小遣い減額の上に謹慎などの、厳しい罰則を食らうだろう。
 だが、ジュリアーノがしでかした愚挙を思えば、王室の薔薇園を弁償する程度で済ませられれば御の字だ。

 フォルクス家現当主は、公平な上に計算高い男だ。今回の事件が息子に非があり、それを不問にする代償がこの金額というのなら、安いものだと納得してくれるだろう。
 正式に強姦事件として訴えられた場合、明らかにフォルクス家の方に分が悪いのだから。


 だいたいジュリアーノは気付いていないが、激昂したダイかもしくはポップが、報復に彼を害する可能性だって、有り得たのだ。
 なにしろ彼らは全世界を恐怖のどん底に陥れた魔王を倒した英雄……外見は少年だろうと、中身は生きた人間兵器も同然だ。

 彼らがその気になれば、ジュリアーノどころかこの城ごと一掃されてもおかしくない。 ジュリアーノがしたことを思えば、親の説教程度で済むのは願ってもない幸運というものだろう。

「ですから、どうぞ、坊っちゃんは心置きなく叱られてくださいや」

 と、クラウスはジュリアーノに聞こえない小声で、付け加えた。

 

 

 

(こ、こんなはずではなかったのに……っ)

 苛立ちと抑えられない憤懣とともに、中年男は苦い思いで目の前に広がる和やかなお茶会風景を見つめていた。
 ダイとポップのパフォーマンスのせいで薔薇がほぼ散ってしまったが、めったに見れないショーに興奮した貴族達は、上機嫌に彼らを持てはやす。

 望んでいたスキャンダルらしき影など、微塵も見受けられない。
 まるで、なにごともなかったかのように、ポップは動揺のかけらも残してはいない。
 少なくとも、中年男には宮廷で顔を合わせる時の彼との差異を発見することはできなかった。

 にこやかで愛想がよく、他者の気を逸らさない会話を巧みに操ることのできる、社交的な二代目大魔道士。
 癪に障るぐらい、いつも通りの彼だ。

 確かに、ついさっき媚薬を飲ませたはずなのに、その後、彼に劣情を抱く男をここにくるように仕向けたと言うのに、そんな痕跡など微塵も感じさせない。
 むしろ、心地好い運動を済ませたとでも言わんばかりにすっきりとした様子で、そこにいる。

 まじまじとポップを見つめ過ぎてしまった中年男は、その当のポップと目が合う。罠にはめようとした相手からじっと見返され、中年男は慌てて目を逸らした――。

 

 

 

「……どうやら、あの男が黒幕みたいですね」

 貴族達に取り囲まれがちなポップの周辺が少し空いた時を狙い、目立たないようにクラウスがこっそりとポップにそう囁きかける。
 もちろんポップも、不審な気配を見せる中年男に気づいていた。

「みたいだな。誰だ?」

「レイスホース伯爵。43歳。公式な愛人だけでも3人ほどいらっしゃる艶福家で、それが原因で奥方と春から別居中ですね、確か」

 考えもせず、すらすらとそう答えたクラウスはニッと口端だけで笑って見せた。

「ま、目には目を、ってね。一つ、仕返しでもさせていただくとしますか」

 それだけを言うと、クラウスは来た時と同じようにさりげなくポップから離れていく。 それと入れ違いのように、ポップの側に寄ってきたのはダイだった。

「ポップ〜……」

 妙にすっきりした顔をしているポップに比べ、ダイときたら今一歩冴えない。大好物の餌を途中で取り上げられてしまった、子犬のような表情だ。

 本人達は気がついてないかもしれないが、それはジュリアーノが浮かべている表情と似通っているものだ。どことなく、ちょっと前屈み気味なところも同じだった。
 そんなダイに対して、ポップはちょっぴり後ろめたそうに言う。

「……しょーがねえだろ。時間、10分しかなかったんだから」

 そこで、いったん言葉を切り、ポップは少しだけ顔を赤らめた。

「――もうちょっとだけ、辛抱しろよ。パプニカに戻ったら、埋め合わせしてやっから」
 

「……うんっっ!」

 やっと、それこそダイの耳でやっと聞こえる程度の小声で囁かれたポップの言葉に、ダイはやっと彼らしい満面の笑みを浮かべた――。
                                                 《続く》
 

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