『四界の楔 ー吐露編 1ー』 彼方様作 |
・ポップが女の子です。 この四点にご注意の上、お楽しみくださいませ♪
朝食を摂り終えると、ダイは救護室に直行した。 本当はもっと早く、本音を言えば夜通しついていたかったが、レオナに止められたのだ。ポップが目覚めた時に、返って彼女に気を遣わせるだけだと。 そうして、その先が救護室だと失念しているとしか思えない勢いでドアを開けた。 「ポップ!」 「……っ」 ポップがゆっくりと体を起こす。だがその視線はひどく剣呑で、ダイは思わず一歩引いた。 「え…っと、ポップ…?」 「―――眠い」 ボソリと呟かれて、ハッとする。 つまり、自分がドアを開けた音と、声とで叩き起こしてしまったと言う事か。 そう言えば、昨日医者が「自然に目覚めるまで待った方がいい」と言っていた、ような…気が、する。 「う、うるさくして、ごめん」 実際には夜中に一度起きている為、その問題はクリアされているのだが、そんな事はダイには解らないし、診断結果を知らないポップ本人にも解らない。 「…ま、いいさ。心配してくれたんだろ?」 苦笑と共に手招きするポップに、ホッとする。 「うん…。もう、平気?」 顔色は戻っているし、昨日のように辛そうではないが、何しろ平気な振りが得意な彼女のこと、そうそうすぐに信用は出来ない。 「ああ。…?どうした?」 何故か扉付近で固まっているダイに、ポップは小首を傾げた。何時もなら呼ばなくても、子犬の如く駆け寄ってくるのに。 「ポップって…」 「んー?」 「何か段々、普通の女の子みたいになってくね」 「―――――はぁ?」 唐突にも程がある言葉に、ポップは手を止めた。その自分の姿が第三者からどう見えるかを、ポップは意識していなかった。 寝乱れた長い髪を肩から胸へと流し、手櫛で整える仕種は男のものではない。しかもその動作にぎこちなさはなく、極く自然にやっているのだから、ダイがそう思うのも無理はない。 「ああ、男はやらない、かな?」 言われて、やっとポップは合点が言ったように呟いた。 とはいえ、ポップ当人にすれば今更な指摘だった。何しろ、毎朝やっている事だ。同室でありながら今までダイが知らなかったのは、ポップが起きる頃にはとっくに部屋を出て行っているからだ。 「お前が知らなかっただけだよ」 逆にそう指摘されて、ダイは少しばかりムッとした。 「…ダイ?」 ポップは寝起きも良くないが、寝相もそう良い方ではない。 以前は何とも思わなかったが、ポップへの感情を自覚してからは、彼女の寝姿は精神衛生上、非常によろしくない。 ポップは細身ではあるが、それは元の骨格が細いせいもあるからで骨が浮く程ガリガリな訳ではない。ちゃんと女性特有の柔らかさを感じられる程度の肉付きはある。 しかも夜着も長袖長ズボンではあるものの、昼とは違い、手袋はしていないし、首筋や足先も見えている。体全体からすれば僅かとはいえ、普段は完全に隠されている部分が露わになっている姿は、妙にドキドキしてしまう。 最初にポップが言っていた「間違いなんか起こりようがない」と言っていた、その「間違い」とやらがどんなものか具体的には解らないが、あの時と今の自分の心境の変化と、それがチウによって暴露されてしまった以上、漠然と同室が解消されるような気がしている。 まぁ、毎朝あのドキドキと戦う苦労を思えば、今はそれもいいかもと思う。今だって、その苦労を最小限にする為に、やたら早起きしているのだから。 それにあの時のレオナとポップの話からすると、男と女は部屋も別なのが「普通」らしい。 そこまで考えて、ダイは慌ててポップに駆け寄った。 「ポップ、大丈夫だったよね。何にもなかったよね!?」 「―――――お前、何言ってんの?」 またしても脈絡のない事を言われて、ポップとしては呆れるしかない。 「だって、ヒュンケルもこの部屋で寝てたんだよ!」 「え…?」 言葉と共に、ポップが寝ているベッドから3台先のベッドの向こう側、5〜6基のパーテーションが仕切りとして置かれてる場所を、ダイは指差した。 「…成程」 何となく、状況は掴める。 パーテーションをチラリと見て、そう呟いただけの妙に反応が薄いポップにダイが首を傾げる。 「それだけ?」 「病人、怪我人を一つ所に集めてるだけだろ?」 「そう…なんだけど」 「看護もやりやすいし、避難者と各国からのお偉いさん達の為に、かなりの部屋数を使ってるだろうから、その辺の関係もあるんじゃないか?それにまぁ、あの超がつく堅物が女と一緒の部屋に押し込まれたからって、問題行動を起こすとも思えないしな。第一、結構重傷だったろ?」 しかもその女ってのが、俺だしなー。 そう言って笑うポップに、ダイが唖然とする。 彼女が言った事は、言い方こそ違っていても、昨日レオナが言っていた事と意味合いはほぼ同じだからだ。 「何で解るんだよ?昨日だって、クロコダインが来てるって見てもいないのに解ってたし」 「大体の状況さえ知ってれば、これ位想像つくだろ。おっさんのは、ただの消去法」 あっさりそう言われるが――――少なくとも自分にはそんな想像はつかない。 そして後半部分は、更に解らない。 「ショーキョホーって何?」 「…そこからか。簡単に言えば、状況に合わない条件を引いて行って、残った奴を選ぶ事だ。昨日のは、俺達の中でトベルーラを使えるのは俺とお前しかいない。けど、幾らお前でもあの短時間で体力や魔法力が全快する訳がない。となると、他に来れるのはガルーダって移動手段を持ってるおっさんだけで、一緒に来ると考えるのが妥当だって事だ」 一気に説明されて、ダイは頭がショートしそうになった。 ポップが自分よりずっと頭がいいのは解っているが、昨日も今日も目覚めたばかりで、よくここまで頭も口も回るものだ。 「ヒュンケルと一緒に寝てたのは、何とも思わないの?」 「誤解を招く言い方するな。てか、お前、あとでヒュンケルに謝っとけよ」 「え?何で?」 「お前。先刻、あいつにとんでもなく失礼な事言ってたぞ」 「おれ、何か言ったっけ?」 「自覚なしか。あいつが俺を襲ったんじゃないかって尋いたろ」 「ヒュンケルがポップを攻撃する訳ないじゃん」 「お前…」 このボキャブラリーの貧困さは、どうにかしなければと思ってしまう。 そのポップの呆れにも似た表情をどう受け取ったのか、ダイが不安そうに覗き込んでくる。 「ポップ?」 「うん。勉強しような?ダイ」 ニッコリと、満面の笑みで言われてダイは顔をひきつらせた。いきなりポップのレベルを自分に求められても、無理に決まっている。というか、何処をどうしたら「勉強しよう」になるのかが理解出来ない。 「え、でも、今そんな時間ないし」 「今はな。けど、せめて普通に字くらい読めるようになっとかないと、後で困るぞ」 「困るって、例えば?」 「ずっと俺が一緒だったから実感ないのかも知れないけど、字が読めなきゃ旅だって出来ないんだからな」 「でも、ポップはずっとおれといてくれるだろ」 「論点をすり替えるな。お前、まさか俺の時間を削り取り続ける気か」 突き放すような言い方に、ダイは眉を寄せた。 ほんのちょっと前まで、結構いい感じで話せていたのに、どうしてこうなったんだろう。 妙に気落ちした風なダイに、ポップが苦笑する。 「んな顔するなよ。別に一人で勉強しろなんて言ってないだろ?」 言い方が悪かったな、と何時ものように頭を撫でるポップに、ダイは嬉しさ半分、悔しさ半分な気分になる。 ポップに頭を撫でて貰うのは心地よくて大好きだけど、この行為自体が子ども扱いなのは解るのだ。 「ポップ…」 「ダイ?」 頭の上の、起き抜けで手袋をしていないポップの手を取って、両手に握り込む。 強力な攻撃魔法を生み出す、けれどとても優しい手。 「おれ、ポップが好きだよ」 「ダ…」 「ポップに頭撫でられるの、大好きだけど…これっておれのこと、子どもだって思ってるからだよね?」 「ダイ…」 真っ直ぐに見つめてくる瞳。そこにはランカークスの時のようにスルーはさせないと言う強い意志が込められていた。 「そりゃポップから見たら子どもかも知れないけど」 それでもちゃんと自分を見て欲しいというダイに、ポップの左手が無意識に首元に伸びる。そして今日はまだ髪を纏めていない事を思い出したらしく、その手が何かを探すようにパタパタと枕元付近を彷徨う。 その動きに気付いたダイが、ポップの手を強く握り込んだ。 「痛…っ」 「何で?」 「え?」 「そんなにアバン先生が好き?おれなんか目に入らない位?」 「あ…」 トレードマークのバンダナは、ベッドの一番隅に小さく畳まれて置かれていた。 ダイの言葉にひどいショックを受けたように動きを止めたしまったポップの、漆黒の瞳だけが大きく揺れていた。 ――――未来を見ていない、と。 そう言われた気がして。 「どうして…」 「ポップ?」 「何で俺なんだよ?お前、姫さんが好きだったんじゃないのか?」 「言ったろ。レオナとポップは違うって。それに何でって尋かれても、困る。ポップだからだよ。他の誰かじゃ意味がない」 余りにも真っ直ぐに言い切られて、ポップは瞠目した。 「酷い事言ってるって解ってる。先生がおれ達を庇って…から、そんなに時間も経ってないのにって。でも、おれ待つから。ポップが先生のこと、ちゃんと思い出に出来るまで、待てるから」 「…っ」 言葉が、出てこない。 全ての言い訳を奪われて、ポップはただダイを凝視するしか出来ない。 何時の間に。 戦場ではさておき、普段は本当に子ども子どもしていた彼は、何時の間に「子ども」ではなくなったのだろう。 けれど、答えはすぐに出る。 10歳の時の自分と同じ。 己が何者かを知って、子どもではいられなくなった。勿論、だからといって一足飛びに大人になった訳でもないけれど、「普通の子ども」でなくなったのだけは確かだった。 どうすればいい? どうすれば、この一途に純粋な少年を最大限傷付けずに済むだろう。 アバンのことを思い出に出来る頃には、きっと自分は「ここ」にはいないのに。 逃げられるものなら。 誰かに助けて貰えるなら。 そう思う一方で、その考えが自体が間違っていると、無駄な思いなのだと、本能レベルで刻まれている。 それはきっと、今までの七人も。 「俺なんか好きになったって…幸せにはなれない、のに…」 呆然としたまま、考えるより先に零れ落ちた言葉。 それに反応したのが早かったのは、当のポップではなく、ダイだった。 「何で!!」 「わ…」 「それ決めるの、ポップじゃないだろ!何でそんな事言うんだよ!?」 「ダイ…」 勢い任せに押し倒された事より、瞳の中に怒りより悲しみの色を見付けてしまい、ポップは唇を噛んだ。 “何やってるんだ、俺は!!” 「何で、『俺なんか』なんて…」 あれ程ダイを肯定し続けたのと同じ口で、何故自分を否定するのか。あんなに頭が良いのに、どうして解ってくれない。 泣きそうな声と表情に、混乱していたポップは逆に冷静になった。 「悪い…。昨日、失敗したのが…思ってたより堪えてるのかも」 「本当?」 「ああ。ごめん」 フワリと微笑ったポップに、ダイもやっと表情を緩めた。 “―――――ごめん” 今更だ。この五年、ずっと心の奥底に押し込め続けてきた。今の状況を考えれば、せいぜい後数カ月。たったそれだけの時間、耐えられない筈がない。 それに、ダイに自分以外の宿命の重さなど感じて欲しくない。 もう十分以上に、重いものを背負っているのだから。 「ポップ」 「ん?」 「ちゃんと覚えておいてくれよ。おれがポップを好きだって事」 「ああ…」 ――――忘れないよ。たとえ何百年眠る事になっても この辛さも苦しさも、幸せだからこそより感じるものだと言うなら、もうそれでいい。 誓った事があるのだ。 何があっても、譲れない誓いが。 「ところで、ダイ」 「何、ポップ」 「いーかげん、どけ」 ダイが半ばベッドに乗り上げ、ポップを押し倒していると言う、第三者が見れば誤解する事間違いなしの体勢だ。 あっさりと今までの雰囲気を吹っ飛ばしたポップに、ダイはガックリと肩を落とした。だが、少なくとももうスルーされる事はない筈だ。 “一歩前進、だよね?” ――――実際は後退しているようなものなのだが。 「どかなきゃ、ダメ?」 「……は?」 ポップの方が背が高いから、立った状態だとどうしても「抱き着く」感じになってしまう。けれど今の体勢なら、ちゃんと「抱き締める」事が出来る。これはダイの男としてのちょっとしたプライドの問題だった。 「それは…ちょっと、なぁ」 今までにない戸惑った表情を見せるポップに、ダイは首を捻った。 その様子にポップは内心で苦笑する。 『ベッドの上で男女が抱き合う』意味を、全く考えていないと言うか、想像もしていなさそうなダイに、「男として見て欲しい」と訴えた相手には悪いと思いながら、何処かホッとしていた。 “こういう所が「子ども」なんだって言ったら、どうするんだろうな” ふとそんな事を思うが、流石にそろそろマズイ。 何が、と言えば。 「…それにお前、ヒュンケルの事完全に忘れてるだろ」 「――――あ 」 そもそもダイが入って来た時点で、ヒュンケルだって起きた筈だ。と言うかポップが目覚めた程の音に、彼が目を覚まさない筈がない。いや、もしかしたらそれ以前に起きていて、ベッドと扉の位置関係上、出るに出られなかった可能性さえある。 二人が話し込み始めてからは、尚更出られなかっただろう。 話の内容が内容だった上、ポップでさえダイの勢いに押されてしまったのだ。あのコミュニケーション能力の低い男が声をかけるタイミングを掴めなくても無理はない。 「ほら、とっとと行って来い」 「う、うん」 忘れていたと言う罪悪感からか、バタバタとパーテーションの向こうへ駆けて行ったダイを見送って、一つ息を吐く。 昨日程ではないが、正直まだ体が重い。 あのヒムと名乗った新たな敵の事を考えると落ち着かないが、今日一日は大人しくしておいた方がいいだろう。 “最初の形…ポーン…チェスの駒、か。王はハドラー…。問題は数…一体ずつですめばいいんだけど…” もし、本物のチェスと同じ数だけいるとしたら、戦況の悪化程度では済まないだろう。 “てか、ダイの奴…この事もちゃんと話してるんだろうな?いや、おっさんもいたから、その点は大丈夫か” 失礼なのは承知の上だが、ポップはダイの「説明能力」は全く信用していない。加えて、自分が絡むと周りが見えなくなってしまう傾向(今だってそうだ)がある為、昨日の事に関しては更に信用度が落ちる。 “俺が悪いんだけどさ” また一つ、息を吐く。 まだ「子どもの恋愛」の域を出ないが、本気なのは解った。尤も、応じられるかというのは、また別の話だ。 “あいつ…どの位生きるんだ?” 純粋な竜の騎士であればヴェルザーに尋けばある程度の答えは聞けるだろうが、ダイはハーフなだけに未知数だ。 “ま、どっちにしろ何百年も待つなんてないだろ” 色々と考えていると、何とも表現しがたい奇妙な表情をしたヒュンケルと共に、ダイが戻ってきた。 それを見て、ポップとしては苦笑するしか出来ない。 「あー、と。悪かったな」 「いや…」 他人の…それも妹弟子と弟弟子の告白現場に居合わせるなど、気まずいなんてものじゃなかっただろう。 だがポップが気になるのは別の事だ。 「大丈夫、なのか?」 探りを入れるような声音に、ポップは小さく眉を寄せた。 “聞かれた…か?” 誰もいないと思っていたからこそ、だったのだが。尤も泣いた気配は伝わったかもしれないが、幾ら静かだったとはいえ、あの一言だけは流石に届いていない、とは思う。と言うか、そうであって欲しい。 「ああ。お前こそ」 表面的な生傷は回復魔法で治せるが、暗黒闘気そのものによるダメージはそう簡単には消えない筈だ。 「平気だ」 あっさりと言ったヒュンケルに、今度はポップははっきりと眉を顰めた。 「ポップ?」 この反応に、当のヒュンケルは勿論、ダイも不思議がる。ただ単にヒュンケルの体調を気遣い、今の言葉を不審に思っているのとは違うような感じなのだ。 「ヒュンケル」 「何だ」 「強がりとかじゃなくて、本当に平気なんだな?」 「ああ」 きっぱりと言い切られて、ポップは深々と溜息を吐いた。 「どうした?」 「お前、それヤバいから」 今度はポップがきっぱりと言い切る。 「それは、どういう…?」 「どういうも何も、そのままだよ」 理由を話そうとした所で、ノックの音が響いた。返事をすると、入ってきたのはマァム、メルル、エイミの三人。 マァムとメルルの手にはパンやサラダ、スープなどが乗ったトレイがある。 「あ、ごはん」 ポツンと呟いたダイが、ものすごーくバツの悪い表情になった。 「二人とも、お腹空いたでしょ」 エイミがテキパキと組み立て式のテーブルをベッドの横で組み立てる。そこに二人分のトレイが置かれる。 「ほら、ヒュンケルもそっちのベッドに座って」 「あ、ああ」 「ポップさんは、こちらに」 マァムとメルルに促されて、二人は斜向かいの形で座る事になった。 「ご、ごめん。二人とも」 自分は「朝食を済ませて」来たのに、二人に対して全くその気遣いが出来なかった事に、思わず謝罪の言葉がダイの口を突いて出た。 「何が?起きてるかどうかも解んないんだから、食事を持ってこなくてもおかしくないだろ?実際、お前が来るまで寝てたし。それに一人で二人分持ってくるのも難しいしな」 「そうよ。それにダイが血相変えて戻ってこなかったから、ポップもヒュンケルも普通に起きたか、眠ったままでも容態が変化してるとかないって思ってきたんだもの」 ポップとマァムの息の合った説明に、ダイは瞬きした。 そこに更にメルルが続く。 「それにこういった事に気を回すのは女性の方が得意なものですから、そんなに気になさらないで下さい」 「そういう事よ。こっちこそダイ君の行動をバロメーターみたいにしちゃって、ごめんなさいね」 最後にエイミが締め括る。 この間、ダイとヒュンケルは一言はも発していない。いや、口を挟むタイミングがなかったと言うべきか。 “女の子って…” 見事な言葉の連携に、ダイは呆れていいのか感心していいのか解らない気分になった。チラリとヒュンケルを覗き見ると、何時もの無表情の中に微かな困惑の色を見付けて、何となく安心する。 だがしかし。 その後、普通に食事を始めたヒュンケルに対し、ポップはトレイを見つめたまま、スプーンを手にしようともしない。 「食欲、ない?」 ダイが尋くと、ポップは困ったように微笑った。 「んー。スープだけなら、何とか」 漸くスプーンを持つが、それでもスープをかき回すだけで口に運ぼうとはしないポップに、一様に心配そうな視線が向けられる。 「一口とか、二口とかでもいいんだけど…食べないと体力も戻らないし」 食事の介添えをするように隣に座ったマァムに言われて、ポップは無駄に器用に固形物を避けて、本当に「スープ」だけを口に入れた。 半分ほど中身が減った時点で、ポップはスプーンを置いた。 「…悪い」 その瞳が今までとは違い、妙にトロンとしている。 「それはいいのよ。眠い?」 「ん…もう暫く…いいか?」 殆ど言い終わるかどうかの内に、マァムにもたれかかりながらコトリと眠りに落ちる。そんなポップをマァムは心配そうにしながらも、何処となく柔らかい笑みを浮かべてベッドに寝かせ直してやる。 「どうかしたんですか?」 不思議そうに尋くメルルに、マァムはクスリと笑った。 「何だかポップって、男の子のフリをしてた時より素直なんだもの」 ポップの男としての言動は、恐らくあの父親がモデルなのだろう。そしてきっと、あの意地っ張りな所もバレない為の部分が大きかったのではないか。 「だよね。ポップ、前より女の子っぽくなってるよね」 ダイが勢い込んでいうと、マァムもまた優しく笑った。 「ええ。言葉も以前ほど荒っぽくないし」 そう言ってから、マァムはエイミに向き直った。 「ごめんなさい、エイミさん。レオナにはもう少し待ってって伝えて下さい」 「ええ。ポップ君の回復が優先だもの」 強い輝きを宿した瞳が隠されてしまうと、その顔には未だ疲労の色が濃いのが見て取れる。 「ヒュンケルも。今日一日は安静にしておいてよ」 最後に毛布を綺麗に整えてから、マァムはヒュンケルに釘を刺した。 体調を万全にする事も、大切な仕事だ。まして最前線に立つ戦士なら尚の事。 「…ああ」 珍しく素直に頷いたヒュンケルに、マァムとエイミが顔を見合わせる。 とりあえずいい傾向だろうと判断する。 ヒュンケルとしては中途半端になったポップの言葉の続きが気になり、それを優先させようと考えただけなのだが。 一体、何がヤバいのか。 そして昨夜――――何が原因で泣いていたのか。 更に死の大地へ向かう前に見せた瞳。 レオナやクロコダイン達と同じように、ヒュンケルもまたポップに尋きたい事が山積みだった。 《続く》
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