『四界の楔 ー吐露編 2ー』 彼方様作

結局ポップが目を覚ましたのは、太陽が西に傾き始めた頃だった。

“うわー”

その事実に自分で驚くやら呆れるやらした後、ポップはベッドから出た。

「あれ?」

朝はそこまで気が回らなかったが、バンダナはともかく着替えがない事に気付く。

“……信用ないな”

脱走防止の為だろうとあたりをつけるが、仕方ない事とは言え溜息しか出てこない。そして確かに、今の格好で外へ出ようとは思えない。

「ポップ」

「ひゃうっ」

いきなり後ろから声をかけられて、ポップは飛び上がった。

「すまん、驚かせたか」

「お、お前、まだいたの?」

「ああ。大人しくしていろと言われてな」

「―――それ、聞いたの?お前が?」

それはポップにとっては純粋な驚きだった。ポップの感覚としては、そう言われたところでこの男はとっとと修行なり、偵察なりに出て行くだろうと考えていたからだ。

「気になる事もあったしな」

「あ、ああ…」

中途半端になってしまった朝のあれか、と思う。――――と。

「え?わ…」

いきなり抱き上げられて、ポップの思考が一瞬止まった。そのままベッドに戻されて、口をパクパクさせる。

「な、なな…何」

「目が覚めても2〜3日は大人しくしていろ、と言うのが医師の診断だ」

淡々と告げられて、ポップは心から脱力した。

だったらそう言えばいいだけなのに、何故突然抱き上げると言う実力行使に出るのだ。

「ちなみにこれは、城中の者に通達されているぞ」

続けられた言葉に、今度はガックリと肩を落とす。

「……何処まで信用ないんだよ」

つまりヒュンケルが先に行動に出たのも、言うより早いと考えたせいだろう。

思わず呟いたポップに、ヒュンケルが小さく溜息を吐いた。

「それだけ心配されていると言う事だ」

「解ってるさ、それ位」

諭すように言われて、言い返す。それは昨夜からずっと、心の奥で燻っている事なのだから。

「では何故、あんな真似をした」

「え?」

「激昂した演技をしてまで、ミストバーンとキルバーンを追ったのは何故だ」

「演技…って」

「一瞬、オレを見ただろう。あの時のお前の目は冷静そのものだった」

「っ」

言われて息を呑む。

結構な距離があった上、目が合ったと思ったのはほんの一瞬だったのに、そこまで見抜いたのか、この男は。

「――――必要だったからだよ」

「どんな」

「そのうち解るさ」

「ポップ」

詳しい事を話そうとはしないポップに、ヒュンケルが明らかに不審を示す。それは彼には珍しい事だった。

それだけ昨日の自分の行動が、ヒュンケルは勿論、周囲に相当な不安や心配をさせたのだろうとは解るし、テランの時と同じように不謹慎と解っていながら、その事を嬉しいとも思う。

けれど、本当の事など話せる訳がない。

「皆に散々心配や迷惑をかけた事は悪かったと思ってる。だけど」

「今は無理だが、いずれは話す、と?」

「……ああ」

勝手に自己完結してくれたヒュンケルに、内心ホッとする。全く予想外の問いだっただけに、この場で執拗に問い詰められたら流石に誤魔化しきれる自信がなかったからだ。

ヒュンケルはヒュンケルで、ポップが嫋やかとさえ言える外見とは裏腹に、強靭な意志を持っている事を知っている上、口論になった時に自分が彼女に勝てるとは到底思えないと言う考えの下、話を打ち切ったのだ。

「では、昨夜泣いていたのは?」

“…やっぱ聞こえてたか”

いきなり質問が切り替わったが、朝の口ぶりから察するにそうではないかと思っていたので、こちらに関しては動揺はなかった。

「オレは…こう言っては何だが魔王軍にいた頃、人が泣き叫ぶ声は多く聞いてきた。だが、昨夜聞いたお前の声はそのどれより悲痛に聞こえた」

「思い入れの違いだろ」

「どういう意味だ」

バンダナに触れながら、さらりと言ってのけたポップに問い返す。

「人間を憎んでいた頃の見ず知らずの人間の泣き声と、人間側に立っていて、更に身近にいる仲間の声が同じに聞こえる筈がない。お前自身の心境の変化が原因じゃないのか?」

自分の泣き声がヒュンケルにどう聞こえたかなど、ポップには解らない。

だが「どれより悲痛」だったなど、認めたくない。

「いや、しかし…」

ポップの説明におかしな所はない。

それでも、あの心を切り裂くような痛みを伴った泣き声が、本当にそれだけの理由で「そんな風」に聞こえたとは思えない。そう反論しようとしたヒュンケルに先んじて、ポップが更に続ける。

「ついでに言えば、女が泣いてた理由を知りたがるなんて、悪趣味もいい所だぜ?」

皮肉っぽい笑みと共に言われ、ヒュンケルは言葉に詰まった。何しろ対人関係の経験値が殆どないせいで、こんな風に言われると強く出られなくなってしまう。

そんな中、ポップがずっとバンダナに触れている事に気付く。

レオナからされた説明。

今朝のダイの言葉。

アバンの使徒全員が持っている“しるし”より、アバンの魔法が宿っていたと言うそのバンダナの方が「自分だけのもの」と言う意味で、ポップにとっては比重が大きいのかもしれない。

“アバンを想って、か?”

ダイやポップを守る為、二人の目の前で散ったと言うアバン。

その時の彼女の衝撃はどれ程のものだっただろう。

そこまで考えて、ヒュンケルは眉を顰めた。何となく面白くない。この感情は何なのか。

「で、俺が朝言った事は覚えてるか?」

今度はポップが尋く。

「ああ」

ひどく苦い表情で「ヤバい」と言っていた、あれは何なのか。






厨房で、ダイはマァムとメルルの作業を興味津々で見ていた。

ヒュンケルの分は他の皆と同じだが、ポップの分は明らかに病人食だ。

今朝は水分だけで、昼はずっと眠っていて、元から食が細い上に丸一日何も食べていないようなポップに、通常の食事を持って行く訳にはいかない。

生野菜ではなく、温野菜に。

パンは細かくして、ミルク粥に。

ドライフルーツも細かく砕いて、ヨーグルトに混ぜる。

肉や魚は無理だろうが、一応薄くスライスしたハムやチーズを少しだけ。

「食べてくれるでしょうか?」

出来上がった食事を運びながら、メルルが不安そうに呟く。

「大丈夫よ。ポップって、人の好意を無碍にしたりはしないから」

朝もそうだった。本当は食欲は全くなかった筈なのに、周囲の心配を感じてスープ半分とはいえ食べてくれた。ましてマァムとメルルが自分の為に態々手をかけてくれた、となれば尚更だろう。

「うん。それに絶対お腹空いてるよね」

ダイの感覚からすれば、丸一日をスープ半分で過ごすなんて信じられない。眠っているだけだって、お腹は減るのに。

ダイの本心としてはやっぱりずっとポップについていたかったが、もしそうしてしまった場合、途中で彼女が目覚めた時に、かなりの高確率で呆れられるのは流石に想像が出来た。

何よりも、覚醒したハドラー。

その部下らしい、ヒムと言う白銀の戦士。

それらを考えれば、ポップだけについてる訳にはいかない。自分も強くならなければ、ポップも他の仲間も守れない。昨日みたいな事は二度と御免だった。

だからクロコダインと共に、ずっと模擬戦をやっていた。

そのクロコダインは今、チウに拝み倒されて相手をしてやっている。つくづく気のいい男である。

「あら」

廊下の角を曲がると、書類の束を持ったレオナとエイミとバッタリ出会う。

「もしかして、それ…ポップ君とヒュンケルの?」

「ええ。流石にちょっと無理して起きて貰ってでも、食べさせないと」

魔法力は眠りによって回復するが、体力は栄養を摂らないと眠りだけでは回復しない。

「ふぅん。じゃ、あたしも行こうかしら」

レオナの自由時間は、そう多くない。またポップの体調を考えれば、なるべく同じ時間に済ませた方がいいと判断しての事だ。

ヒュンケルへの想いを自覚し始めたエイミも、黙ってそれに従う。

部屋につくと、もしまだポップが眠っていた場合を考え、ダイは朝とは違い、そっとドアを開けた。

その途端に聞こえてきたのは、ポップの静かな、けれど鋭い響きを伴った言葉だった。

「全ての命は、幸せになる為に生まれてくるんだよ」

直接言われたヒュンケルだけでなく、その場にいた全員が息を呑んだ。

一体どんな会話の流れだったのかと思うが、ここにいる者はヒュンケルのこれまでの人生や人となりを知っている。故に何となく察する事は出来る。

「その幸せになるべき命を、オレは数え切れない程奪ってきた」

淡々とした、けれどひどく苦い声に思わずマァムとエイミが部屋に飛び込もうとするが、レオナがそれを押しとどめる。

盗み聞きと言う、些か後ろめたい行為になるが、これはチャンスだ。

沢山の秘密を抱えたポップの考えを知る事が出来れば、多少なりともその秘密を解くヒントになるかもしれない。

小声で囁いたレオナに、二人が渋々従う。

最も二人の感情は微妙に違っているが。

「だから?」

「ポップ?」

素っ気なく言ったポップに、ヒュンケルが目を眇める。だがポップは構わず先を続ける。

「そんなの、俺だって同じだ」

「お前が、何時」

「殺したのが、人間じゃないってだけだ。言っただろ、全ての命って。人間を殺せば重罪で、それ以外の怪物や魔族を殺しても罪にはならない?確かに人間の法では裁かれないだろうけど、命を奪ってる事に違いはないんだよ」

寿命が違おうが、命の価値は等価だと言うポップに、ヒュンケルもレオナ達も驚愕する。

初めて聞く考え方だった。

だが、クロコダインやチウ達の事を考えれば、納得できない話ではない。

そしてそれは鬼面道士ブラスを養父に持ち、多様な怪物を友として育ち、自らも純粋な人間ではないダイの中に、ストンと落ちた。

彼女がそんな風に考えているのなら、何の抵抗もなくダイをただ「ダイ」として受け入れたのも当然だろう。

「だが、魔王軍は…」

「ああ、勿論、自分の幸せの為に他の命を踏みつけにしていいって事じゃないぜ。ただ俺、お前からもおっさんからも、魔王軍の目的って聞いた事ないんだよな」

今まで戦った、他の連中からも。

言われて、ヒュンケルは初めて思い当ったかのように瞠目した。確かに知らないのだ、バーンの目的を。

「こういう言い方もなんだけど、ただ単に人間を滅ぼす事が目的って訳でもないだろ」

ダイ達もまた、今まで持つ事のない疑問だった。

ただ攻撃を受けるから、蹂躙されるままではいられないと防戦の為に戦っていたのが今までだった。目的が何かなど、考える余裕などなかった。

こう言いつつも、ポップにはある程度の見当はついていた。

キルバーンは、ヴェルザーがバーンに四界の理を説いたと言っていた。

そしてバーンはそれに聞く耳を持たなかった、とも。 by 彼方
15:26つまり目的は人間を殲滅する事ではなく、いわゆる人間界と言われるこの地上世界そのものの破壊なのだろう。その過程で、必然的に地上の命は全て奪われる事になるのだ。

「ま、これは俺達だけで話す事でもないから、この際置いとくとして」

ポップはあっさり話を打ち切った。

そのまま真っ直ぐにヒュンケルを見据える。

「不幸に逃げるな、ヒュンケル」

「…逃げる?」

この言われ方に、ヒュンケルが片眉を上げた。心外だと言わんばかりの表情だが、ポップが気にする筈もない。

「お前がどう生きようが、どう償おうが、許さない奴はいなくならない。けど、少なくとも、今、この城にいて、お前をきちんとヒュンケル個人として認識してる奴で、お前に不幸になって欲しいと思ってる奴はいない」

「ポップ、お前…」

「一番お前を許していないのは、お前自身だ」

ほんの僅かなドアの隙間からは、声は聞こえても二人の姿は見えない。けれどポップの声は今までで一番と言って良い程、真摯で優しい。

“ポップ…”

その声に、女性陣はともかくダイは焦りを感じずにいられない。

今までずっと、何だかんだ言ってもアバンを除けばポップの一番は自分だと思っていた。ランカークスで、ポップもそう言ってくれた。けれど先刻、命が等価だと言ったように、ポップの中では本当は皆同等なのかもしれない。

「なぁ、解ってる?それがお前を闇から引き上げたマァムや、お前を許した姫さんに対する冒涜になるって事を」

「そんなつもりはない」

「つもりはなくても、事実としてそうなんだよ」

言葉そのものは辛辣だが、声音はずっと優しいまま。

音を立てないよう、慎重に、慎重に、これ以上ない程ゆっくりと、ドアの開きを広げていく。

一体、中で二人はどんな風に相対しているのか、気になって仕方がない。

マァムはポップの体調と、ヒュンケルの心が心配で。

ダイとエイミは恋心で。

レオナは二人の心理と、ポップの秘密への探求心で。

メルルはポップを説得する材料が欲しくて。

ただマァムとメルルはトレイを持っている関係上、どうしても後ろ側になってしまうが。

「別に気にするなとか忘れろとか言ってるんじゃない。不可能な事だし、実際そうなっちゃいけないだろ?」

ポップの手が、そっとヒュンケルの頬に添えられる。

「だけど、お前に幸せになって欲しいと思ってる奴がいる事も忘れないでいて くれ」

竜騎衆と戦った時の、ポップだけが知っている言葉。

あんな哀しい、あんな寂しい思いを抱えたまま、この先ずっと生きて行くのかと思うと胸が詰まった。アバンも、彼の養父と言うバルトスも、そんな事は望んでいないだろうに。

「だから―――不幸に逃げるな。幸せになる事を恐がるな」

真っ直ぐな、凛とした声。

ドアの隙間からは、ベッドに座っているポップと、その前に立っているヒュンケルの姿が垣間見える。

華奢な少女と、逞しい青年が見詰め合っている図は、それだけで絵になっていた。

“ポップ君て…天然タラシだわ”

ヒュンケルの精神状態を心配しての事だとは解るが、とんでもない殺し文句を言ってくれるものだ。

だがここが、ダイの我慢の限界だったらしい。

「ポップ!」

想い人の名前を叫んで、部屋の中に飛び込んでいく。

“ああ、もう”

嫉妬を覚えない筈がない。

旅の始まりから、ずっと共に在った二人。ポップが少年の姿に擬態していた時から、ダイにとってポップは特別だった。

そしてポップにとっても、命を懸ける程にダイは特別だった。

けれどポップの感情が未だに友情、或いは保護者意識が全部らしいのに比べて、ダイは何時の間にか友情が恋情に変化していた。

ポップが女だと解った時に、危惧した通りになってしまった。

“でも、諦めないんだから”

ポップが抱える秘密は当然気になるし、心配なのも変わらない。

ただ、それと恋愛は別物だ。

ダイに続いて、女性陣も部屋に入っていく。

それぞれの思惑を胸に。

                                                                                                       《続く》

 

3に続く
1に戻る
神棚部屋に戻る

inserted by FC2 system