『四界の楔 ー吐露編ー』 彼方様作

レオナは最後の書類にサインを入れると、それらをマリンに渡して厨房へと向かった。

あの後マァムと話して、ヨーグルトを持って行く役を譲ってもらったのだ。

“だって、あれじゃ何も解らないのと同じだわ”

ダイのことを抜きにしても。

“誤魔化されてなんて、あげないんだから”

彼女が抱えている秘密。

皆の前では話しにくいと言うのなら、一対一で話してみよう。

ポップが女だと知った日から、それ程時間は経っていない。けれど状況は激変してしまっている。そして彼女は戦力としては勿論、その存在そのものが大きい。

本当は無理に聞き出すものではないのは解っている。

けれど、もう猶予はない。

「…メルル?」

厨房で、彼女は静かに座って待っていた。

「私もご一緒してよろしいですか?」

その佇まいと同じように静かに言われて、レオナは一つ瞬きした。そう言えば、彼女は優れた占い師であったのだ。その力で、彼女は自分達には見えないポップの「何か」が見えているのかもしれない。

「ええ、勿論」

一対一ではなくなるが、それ以上にメルルの力は心強い。

そうして救護室に行くと、大きな体を丸めてドアの前で困ったように行ったり来たりしているクロコダインの姿を見つけた。

「何してるの?」

「おお、姫。メルルも。いや、ポップの様子を見に来たのだが、返事がなくてな、どうしたものかと」

既にヒュンケルが部屋を出ている為、ポップ一人でいる所へ入るに入れずにいたらしい。

「寝てるのかしらね」

レオナが軽くノックすると、返事があった。

「あらぁ」

それを聞くと、レオナは一度クロコダインを見上げて、遠慮なくドアを開けた。思いがけずまた人数が増えてしまったが、クロコダインなら問題ないだろう。いや、寧ろいてくれた方が有難い。

アバンやマトリフのように、ポップは自分が信頼する「大人」に心を開きやすい傾向がある。クロコダインは彼女の「師」でこそないが、十分その条件に適っている。

“ああ、その点でもダイ君は不利かもね”

部屋に入ると、ポップはベッドの上で蹲っていた。

「ポップ君?」

「あれ?」

マァムが来ると思っていたのだろうポップは、きょとんとした表情になった。

「クロコダインが困ってたわよ。寝てた?」

「あ、悪い。ちょっとウトウトしてた」

「いや、それは構わん。もう、大分いいようだな」

言いながら、何時もポップがダイにやっているのと同じように、クロコダインが大きな手でポップの頭を撫でる。

「ん、ありがと。心配かけて、ホントごめん」

ポップはそれを嫌がるでもなくそのまま受け入れて、何となく嬉しそうに、少しばかりはにかんだ笑みを見せた。

“……ポップ君て、本当に「大人」に弱いのね”

重いものを抱えているからこそ、無自覚に頼れると思った相手に寄りかかってしまうのだろう。

そうして次にポップが浮かべたのは、苦笑だった。

「姫さんが来たって事は、先刻の続きをって事でいいのか?」

「それは…話してくれる気があるって事?」

確かに聞き出すつもりで来たのだが、まさか本人から言い出すとは思っても見なかった。けれどポップはそれには答えず、メルルへ視線を向けた。

「メルル……今までありがとな。きつかったろ?」

「いえ、私のことはいいのです。話して下さるのですね」

「ん。まぁ、話さなきゃいけないとこまで来ちゃったかな、てさ」

つまり、そうでなければやっぱり話す気はなかったと言う事かと、メルルは心の中で溜息を吐いた。それでも話してくれる事に違いはないのだと、気を取り直す。

「メルルは知ってたの?」

驚きと共に、何処か責めるような響きを感じて、ポップはその先を制した。

「俺は何も話してないぜ。ただ占い師としての力で、気付いた事があるだけ。で、それを口止めしたのは俺だから、メルルを責めないでくれるか?

「そんなつもりはないわ」

「なら、いいや。で、おっさんも何か尋きたい事がある訳?」

「…お前が構わないのなら」

「うん…」

クロコダインの言葉に、また苦笑する。色々思う事はあっただろうに、ずっと黙って待っていてくれたのが察せられたから。

“この面子ってのは、良かったって言うべきなのかな”

少なくとも大きく取り乱す事はないだろう。

「最初に確認なんだけど…姫さんは、ダイが好きか?」

「ええ。諦める気はないわよ」

いきなり何を言い出すのかと思いながら、勝気に答える。今ここで、関係のない事を尋かれるとは思わない。

「うん。安心したよ。俺には無理だから」

「自分がダイ君を男として見られないからって意味なら、怒るわよ。それにダイ君はあと2〜3年もしたら、絶対良い男になるんだから」

あっさりと言われた事に、流石にレオナが反論する。

ポップがダイを「男」としては見ていない事をチウから聞いていて、更にポップ自身の言動も何処か保護者めいたものである事を、レオナも感じているからだ。

半ば以上予想していた答えに、ポップは一度目を閉じた。

――――さぁ、ここからだ。

加減を間違えてはいけない。

流石に、何から何まで包み隠さずとはいかないのだから。

「その時には、俺はもういないから」

「え?」

「俺の時間は…長くても、多分あと半年もない」

今までと同じトーンで、同じようにあっさりと言われた為に、その言葉の意味がすぐには掴めなかったらしい。

「ちょ…っと待ってよ。君、そんな体で戦場に出てたって…言うの?」

当然と言えば当然の勘違いに、ポップは薄く笑った。

「俺は健康体だよ」

「じゃぁ、何なのよ?あと半年って」

区切られた時間の重さ。だと言うのに、当のポップはまるで何時もと変わらない。それが逆に不安を煽る。

「ただ俺が、そういう存在だって事」

「だから!解るように話して!」

珍しくレオナが声を荒げる。

ここにいる三人は、一度ポップの死を見ている。その彼女が死を連想させるような事を言ったのだ、落ち着いていられる筈がない。

ましてレオナは、幾ら聡明とはいっても、まだ14歳だ。その上、メルルのように事前に何かを覚悟していた訳でもなく、ましてクロコダインのように成熟した大人でもないのだから。 by 彼方
14:35「姫。ここは暫くポップの話を聞こうではないか」

そのクロコダインに諌めるように言われて、レオナは唇を噛んだ。

そうだ。自分はポップの秘密を聞き出す為に来たのだ。それが予想以上に深刻そうだからと言って、取り乱してどうする。

「ええ…そうね。ごめんなさい、ポップ君。続けて」

「ああ」

レオナを落ち着かせてくれたクロコダインに一度視線を向け、それからポップはつい、とメルルを見た。

「メルル。あの時尋いたよな、ダイが竜の騎士なら俺は何なのかって」

「はい」

「竜の騎士が戦う者なら、俺は護る者。――――竜の騎士が世界のパワーバランスを保つ為に在るなら、俺は世界そのものを安定させる為に在る」

淡々とした口調で、何時ものポップからは想像も出来ない、一切の感情を含まない声で語られる内容は、それこそ想像の範疇を軽く越えていた。

「四界の楔―――そう呼ばれる者」

「四界?三界ではなく?」

思わずと言った風に、クロコダインが尋く。

「うん。もう一つは、精霊界。天界と近すぎて、別の世界と認識されにくいけど…確かにあるんだ」

「そうか」

「そしてこの四界は、別々の世界でありながら互いに影響を及ぼし合っている。一番解り易い例は魔法契約かな。姫さんなら、解るだろ?」

「ええ」

「で、その最大の影響はどういう形であれ、何処かの世界が滅びれば、他の世界もいずれは滅びる、と言う事」

変わらない口調でとんでもない規模の話をされて、三人は絶句した。

一つの界が滅びれば、他の全てが滅ぶ。

「それ…本当、なの?」

レオナが、やっと言葉を絞り出す。

微かに震えているメルルを支えるようにしながら、クロコダインはただポップを見つめている。

「試してみようって訳にもいかないからな。けど、本当じゃなかったら俺達みたいなの作らないだろ」

「…達?」

「俺で8人目。って言っても、前の楔が役目を終えたら、すぐに次が生まれるって訳じゃない」

ポップの口調は変わらない。

自分のことの筈なのに、いや寧ろそれ故なのか、完全に説明する為の口調。

「その役目は世界の狭間で眠りにつく事。生命力と魔法力でもって世界を安定させるのに、その状態がベストだから」

つまり、それ以外には全く力を使わないように。

「待って。それ、一人の力で可能な事なの?」

「そんなに莫大なエネルギーが必要な訳じゃないんだ。小さな綻びを修復し続ける感じだから」

だが、どんな小さな綻びでも放置し続ければ大きくなるし、数も増える。

それを防ぐ為に。

だから「楔」。

「世界の安定」を繋ぎとめる者。

――――ここでポップは一つ嘘を吐いた。神の存在を表に出さないように。本当の理由は、弱体化し、四界のバランスを保つ為の力が足りなくなった神の力を補う事だ。

けれどスティーヌに言ったように神の在り方を疑いたくなる情報を口にする気はない。

「ねぇ、ポップ君で8人目って言ったわよね。期間はどの位なの?」

「それは一人ずつ違う。今までは長くて二百年。短ければ百年足らず、てとこだな」

何時の間にか質疑応答形式になっているが、ポップは気にせず言葉を紡ぐ。寧ろその方が都合がいい。話せる事、秘すべき事の選択がしやすくなる。

だがポップ自身が気にも留めずに言った年数に、三人は瞠目した。

百年単位。

つまり目覚めても、家族も友人・知人も誰一人いない、と言う事。

「目覚めた…後は?」

「さあ」

「さあ…って…」

「別に知っても、知らなくても同じだし」

話自体はひどく重いものなのに、ポップの口調は話が進む程にあっけらかんとしたものになっていく。

そして、ここで二つ目の嘘。

目覚めた後、楔は眠っていたのと同じだけの時間を生きる。眠りについた時と同じ姿で。―――つまり、この時点で楔の時間は止まる。「普通の生活」に戻れる筈もない。

だと言うのに「神」の感覚では、それは褒美らしいのだ。

仮死状態の眠り。その拘束時間と同じだけの時間を「自由」に生きろ、と言う事らしい。

けれど。

生活の基盤を全て失い。

精神は眠りに入った当時の少女―――人間のまま。

なのに体はもう、人間と言えるものでなく。

これでどうやって生きろと言うのか。こんなものは「自由」ではなく、ただ「放置」するだけではないか!

だからこそ、ヴェルザー達は動いた。

最初に水先案内人に。

眠りの時間の守護者に。

そして目覚めた後の庇護者になる為に。

ただ、そんな事まで知らせる必要はない。何よりここを話してしまえば、やはり「神」へと繋がりかねない。
ポップの表情を見て、レオナは小さく息を吐いて質問を変えた。

「メルルは…何に気付いたの?」

「俺の体に浮かぶ紋様に」

「ポップさん」

メルルが心配そうに声をかけてくるのにポップは緩く首を振り、テランでの事を語った。

それを聞いて、レオナはハッとした。

ポップが女だと解った直後、服装の事で言い合っていた時に、彼女が一瞬だけ見せた昏い瞳。自分はあれを「絶望を知る者の瞳」だと、奇しくも同じテランで判断した。

あの瞳は、この事に由来するものだったのだ。

ポップ本人にも、何時浮かんでくるか解らないと言う三色の紋様。それを見たくないが為の肌を全て覆う服。

自分が、知らぬ事とはいえポップの触れて欲しくない部分を抉っていたのかと思うと背筋が震えた。

「メルルは知られたくないって言う、俺の願いを聞いてくれたんだよ」

「ポップ君…」

「ま、その後自分で色々やっちゃったからさ」

不安が不信に変わる前に、不協和音が生まれる前に、話す事にした、と。

微笑みすら浮かべているポップに、三人は言葉もない。

これ程のものを背負いながら、この少女はあれ程明るく振る舞っていたのか。自分には「未来」がないと知りながら、「未来」を得る為の戦いの最前線に立っているのか。

「ポップ…お前が間違ったと言ったのは、まさか…」

クロコダインが、昨日パプニカへの帰途での会話を思い出して尋く。それは否定が欲しくて尋いた事だった。ポップが自分達と出会った事を間違いだと感じているなどと、思いたくなかった。

だがポップは僅かに困ったように、小さく笑った。

「先刻、おっさんはいなかったけど…俺は今、掛け値なしに幸せだって思ってる訳」

レオナとメルルがハッとする。

ポップはその反応に少しばかり苦笑して、先を続ける。

「たださ…今言ったみたいに、俺はもうすぐいなくなる。そうしたら、自惚れでもなく、皆悲しむだろうし、傷付くだろ?俺は、自分が幸せである為に皆の心を犠牲にしてるんじゃないかって、な」

「それが、間違い、だと?」

クロコダインの声が微かに震える。

「今までの7人は、極力人と関わらない生き方をしてたんだ」

ポップが視線を落とす。

それは初めて見せるポップの弱さ。こればかりはポップ自身にはどうしようもない、根本的な迷い。ただ、もうどうにかなる時期は過ぎている。本当に、今更な事なのだけれど。

「バカな事言わないで!」

レオナが押し殺した声で反論する。

「ひ、姫さん?」

気丈なレオナの瞳にうっすらと涙が滲んでいるのに気付いて、ポップが慌てる。同性だろうが、「泣かれる」事自体が動揺に繋がる。

「あたし達と会った事が間違いだなんて、言わないで!」

「いや、その…ちょっと意味が」

出会った事が間違いなのではない。

この生き方を選んだ事が間違いだったのだ、と。

“…同じ事、か”

結局「会わない方が良かった」と言っている事に変わりはない。

「ポップ。例えお前がいなくなると解っていても、オレはお前と会った事が間違いだとは思わん」

クロコダインが力強く言い切る。

「お前が居なかったら、今のオレはいない」

「私もです。ポップさんと会っていなかったら、私は私の力を逃げる事にしか使わなかったでしょう」

二人の言葉に、ポップは瞬きした。

そんな風に思われていたなんて、考えた事もなかった。

「あ、りがとう…」

それ以外に何が言えるだろう。第一、下手に言葉を重ねたら泣いてしまいそうだった。

ただそれでも尚、「本当の事」を、「全て」を話せない、話そうと言う気になれない自分に嫌気も差す。

「ダイには話さんのか?」

「そう、ね。戦う者と護る者…対みたいな感じじゃないの?」

クロコダインの問いに、レオナが重ねる。

だがポップは静かに首を振った。

「いや、関係性は全然ないよ。それに…ダイにだけは話すつもりはない」

拒絶とも取れる言葉に、三人は顔を見合わせた。その様子を見て、三人に何かを言われる前に口を開く。

「あいつはあいつで、もう重いものを背負ってるんだ。他の奴のものでまで煩わせたくない」

「それも解らんではないが…あれ程お前のことを好いているんだ。返って酷ではないか?」

「それでどうなる?俺は、これ以上あいつに俺に傾倒して欲しくないんだよ。俺に執着したって、後で苦しいだけなんだ。なのに…っ」

「ちょっと、落ち着いて。ポップ君」

自分のことを話している間は達観にしろ諦観にしろ、冷静さを保っていたのに、ダイの話題になった途端に感情を乱したポップをレオナが宥める。

恋愛対象ではなくても。

大切なのだと。

出来る限り、傷つけたくないのだと。

「ご…めん…」

まだ少し荒い息を吐いたまま、小さく呟く。

「いや、オレの方こそお前の気持ちも考えずに、すまなかった」

率直な謝罪に、ポップは泣きそうな顔で微笑った。そのままクタリとベッドヘッドにもたれかかる。

「疲れさせちゃったわね。もう休んで」

「けど…」

「いいわ。一番肝心な部分は解ったから」

レオナもまた、何処となく疲れたように見える。それだけポップが語った内容の与えた衝撃が大きかったのだろう。

「あと、さ…。言わなくても大丈夫だとは思うけど」

「ええ。今まで通りに、でしょ」

「ああ…頼む」

頭を下げようとしたポップの肩を、クロコダインがそっと叩く。

「頼まれるまでもない。お前が出来る限り知られたくないと言うのなら、オレ達はその意思を尊重する」

「うん…」

「話して下さって有難うございます」

メルルが優しく微笑む。
あれ程黙秘を貫いていたポップが、漸く話してくれた事が嬉しい。たとえそれが自分達三人だけだったとしても。そして恐らく、全部ではなかったとしても。

三人が部屋を出ると、ポップはパタリとベッドへ倒れ込んだ。

“ああ…本当に…”

自分は恵まれている。

それでも、話せない。

結局、ポップは秘密にしていた中心部分、自分が如何に特殊な存在かを真っ先に話す事で、その他の全ての疑問を封じたのだ。

魔法使い以外の呪文を使える事も。

男として生きてきた本当の理由も。

何時、どうやってそれを知ったのかも。

クロコダインに限って言えば、魔の気配の有無も。

何もかも。

だがポップが本当に隠しておきたい事は、唯一つ。

この楔のシステムが、神の力の衰退からきている事。そして楔を作った事に安穏として、力を取り戻す努力も、他の方策を探る事もしていない事。

つまり「神の怠惰」について。

“だって、信じるものがなくなる”

どう言った所で、人々の多くが最終的に拠り所にしている存在だから。

“それにしても…”

タイミングの問題なのか、未だにダイ以外にはあの状態を見られていないのが不思議だった。

先刻もクロコダインのノックに気付かなかったのは、何もウトウトしていたからではない。またあちら―――狭間の世界―――に意識が引っ張られていたのだ。

“ま、知られないに越した事はないけどさ”

独占欲なのか何なのか、ダイもこの事については誰にも話していないらしい。レオナあたりに話していれば、これもまた追及されていただろう。

“後はもう…成り行きに任せるしかない、かな”

元々、切れるカードは少ないのだ。

そしてたった今、最強のカードを切った。

ポップはまた、首元に手をやりバンダナに触れた。「神」を拠り所に出来ないポップにとって、今もまだアバンが最終的に拠り所だから。                             END


 彼方様から頂いた、素敵SSです! いよいよ、ポップが自分の意思で秘密や心情を仲間達に打ち明け始めました。ただ、まだ全部を打ち明けたわけではなさそうですし、なによりも女の子達には心を開いてきたのに、ダイに対してはむしろ距離を感じてしまうのですが(笑)

 主人公なのに、なんて不憫な……! ヒュンケルやおっさんだけでなく、女の子達にも完敗している哀れな勇者様を、こっそり応援中ですともv

 


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