『四界の楔 ー吐露編ー』 彼方様作 |
ダイ君の突撃を受けて、思いっきり固まった二人の姿は見ものだったわ。 勿論、ポップ君とヒュンケルの間に「男女の感情」がないのは解ってる。あるのは仲間意識と兄妹弟子としての親近感位でしょ。 ――――今の所は。 ただ、まぁ…体勢が悪かったわよね。 ポップ君の、正直悔しい位しなやかで綺麗な手が、ヒュンケルの頬に触れてたんですもの。ダイ君からすれば、焦るのも解るわ。 あのネズミ君の話が本当なら、彼女は年上が好みなんじゃないかって思うもの。 実際にそうだったら、あたしに取っては有利な材料なんだけど、例が一人だけじゃ断言するのは早計ね。 ま、それはさておき、ダイ君はどうするつもりかしら。 「……何時からいた」 あら?向こうに先手を打たれちゃった。 「え?い、いつからって…」 あらあら。ダイ君ってば本当に素直と言うか、嘘も誤魔化しも出来ないのね。 「それ」 そう言ってポップ君が示したのは、マァムとメルルが持ってるトレイ。 「朝持ってきてくれた時は、湯気立ってたろ?けど、今は全然じゃん」 流石の洞察力と言うべきかしら。 「で、何時からいた」 ニッコリと…うわぁ。何だか凄味のある笑みね。最初に飛び込んだのがダイ君だからでしょうけど、この質問を受けなきゃいけないのはあたしなのよね。 「全ての命は幸せになる為に生まれてくる…って所からね」 タジタジになっているダイ君に代わって応えると、ポップ君は大袈裟な位、大きなため息を吐いた。 「立ち聞きするって決めたのは、姫さんか」 「あら、どうして?」 確かにその通りなんだけど、決めつけられるのは何故かしら。 するとポップ君は他の皆の顔を見回して、一言。 「他にいないだろ」 ……失礼ね。 「ま、別にいいけど」 聞かれて困る話をしていた訳じゃないし。そう言いながら、小さく息を吐く。ポップ君って、結局何時もそうよね。大抵の事は苦笑や溜息一つで許しちゃう。 それは、何時から? 最初は違った筈よ。ねぇ、それはもしかして秘密を抱えてると言う、後ろめたさからくるものなの?だったらさっさと白状して、楽になっちゃいなさいよ。 勿論、簡単な事じゃないって事位、予想はつくわ。 でも、先刻君がヒュンケルに言った事。それは君自身にも当てはまる事よ。あたし達は皆、お互いに幸せになって欲しいと思ってる。まさか自分は例外だなんてバカな事、考えてないでしょうね? 「それで、どう思った?」 「私はポップに賛成よ」 「ええ、私も」 ポップ君の静かな問いに、マァムとエイミが即座に反応する。余計な事を言わないのは正解、かしら。核心部分はもうポップ君が言ってるものね。これ以上言葉を重ねても、逆にヒュンケルの負担になる可能性が高いでしょうし。 「うん。皆、幸せな方がいいよね」 これがダイ君のいい所なんだけど、恋愛はそういう訳にはいかないのよ? メルルは…あら?なんだか哀しそう? 「でも、どういう話からそんな事になったの?」 「あ――――、暗黒闘気の話から」 「え?でも…」 ここでマァムが口を挟む。昨日、もう二度と使わないと誓ってくれた筈だ、と。…ふぅん、戦闘中にそんな話をしてたんだ。それでヒュンケルは、これからは光の力だけで戦うと「マァム」に誓った、と。 こっちはこっちで、何だかアヤしいわよねぇ。 「いや、それとは別口」 マァムもだけど、ポップ君もそっち方面には無関心というか…これは手強いわよ、ダイ君。勿論、恋敵として、あたしにとっても。 「別って?」 「こいつ、昨日あれだけ暗黒闘気でダメージ受けたのに、朝にはもう平気だって言うからさ」 「?それがどうかしたの?」 確かに暗黒闘気のダメージは抜けにくいものだけど、平気だと言うのならそれはそれでいいんじゃないかしら? あたしがそう言うと、ポップ君はまた溜息一つ。 ねぇ、それこそ幸せが逃げちゃいそうよ。 「良くないよ。それって、体が暗黒闘気に馴染んでるって事なんだから」 あたしが一番知りたい、尋きたい事はポップ君のことなんだけど、これは時間がかかりそうね。 〈マァムの場合〉 驚いた、と言うのが正直な気持ち。 ポップとヒュンケルって、そんなに距離が近いとは思ってなかったから。でも、そうね。相手がヒュンケルでなくても、きっとポップは同じ事を言うんでしょうね。――――幸せになれ、って。 ただ私としては、それは一旦中断して欲しいわ。 「ねぇ、ポップ。その話も大事なのは解るけど、完全に冷めちゃう前に食べて欲しいの。あなた、朝からスープしか口にしてないんだから。何なら、温め直してくるわ」 「や、別にそこまでしなくても…って、ヒュンケルは?」 「オレもそのままで構わない」 この二人なら、そう言うわよね。とにかく、人の手を取るのを嫌がる傾向が大きいんだもの。 朝と同じようにテーブルを組み立てて、食事の準備を整える。 そして…ねぇ、そこまで朝と同じじゃなくていいじゃない。 スプーンを持ったまま、ミルク粥を掬っては落とすって。 「ポップ、食べないと駄目だよ。クロコダインが言ってた。細すぎて、軽すぎて、抱き潰しそうで怖かったって」 「げ」 ダイの言葉に、ポップが嫌そうな声を上げる。 でもホント、ポップって魔法使いと言う職業の関係以上に、細いのよね。知らない人が見たら、とても戦場に立てるようには思えない位。その上魔法使いは本来、後衛の筈なのに、ポップってば積極的に前に出るし。 あ、食べ始めてくれた。 やっぱりダイの言葉が一番効くのかしらね。水分多めの食事だけど、朝と違って水分だけ選り分けて食べられるものじゃないから、朝よりはちゃんと栄養も摂れるし。 「…マァム」 「何?」 「これ、置いて行ってもらっていいか?後で食べるからさ」 そう言ってポップが示したのは、ドライフルーツ入りのヨーグルト。一度には無理でも食欲が出てきたのはいい事だわ。 「だったら、後でまた持ってくるわよ。それは冷たい方が美味しいもの」 「いや、だから別にそんな…」 「何言ってるのよ。そんな事、手間でも何でもないわ。仲間なのよ?変な遠慮なんかしないで」 こんな事に気を遣う位なら、あんな無茶をする方を止めて欲しいんだけど…言っても無駄よね。きっとポップは全部解ってて、それでも止められないんだろうから。 「じゃ、頼んでいいか?」 「勿論よ」 上目遣いで微笑まれて、つい可愛いなんて思っちゃう。妹がいたらこんな感じなのかしら。 「そろそろ、いい?」 レオナがそっと尋いてくる。 そうね。温野菜は半分だけど、ミルク粥は全部食べてくれたし、ヨーグルトも後から食べるって言って…ハムとチーズは無理だったみたいだけど…十分、よね? ポップの方は、一応これで安心だとして。 そのポップがつい先刻言った、ヒュンケルの体が暗黒闘気に馴染んでるっていうのは、どういう事なのか…いい事じゃないのは解る。 それを言ったのがポップだっていうのが、余計に不安だわ。 だってマトリフおじさんが、ポップを「頭でっかち」だって言ってたもの。これって一見貶してるようだけど、つまりポップの知識量は認めてるって事。あの自分にも他人にも厳しいおじさんが。 そんなポップが言う事だもの。 憶測と勘とかじゃない、わよね。 「暗黒闘気って、人間が使っていいもんじゃないんだよ」 「どういう意味?」 「使えるかどうかが問題なんじゃない。使うべきじゃないって事だ」 言いながら、ポップの視線がヒュンケルに戻る。言われたヒュンケルは、何時もよりずっと気難しい表情になってる。 当然よね。 ヒュンケルだって、ポップが頭が良いって事は知ってるんだから。 〈メルルの場合〉 これまで過酷な人生を歩んできたヒュンケルさんに、幸せになって欲しいと言ったポップさん。 貴女は幸せですか? 幸せになる気はありますか? マァムさんが言ったように、全部でなくともちゃんと食べてくれた。朝に比べれば、随分体調が良くなっているのは解るんです。 そうして今は、またヒュンケルさんの話。 大切な、重要な話だと解ります。 ですが、私にとって一番優先されるのは、貴女なのです。 「俺が知ってる限り、暗黒闘気を使った人間の末路は二つ」 「末路って…」 不吉な単語に、他の方達が眉を寄せる。でもポップさんは、それには頓着せずに先を続ける。心を大切にする方だけど、時と場合によっては実利を優先する冷静さを持っている方だから。 「暗黒闘気の毒気に耐えられずに早死にするか、本人の意思とは関係なく体の生存本能が勝って、暗黒闘気に耐えられるだけの『人間以外の何か』に変化してしまうか」 「そんな」 声を上げたのはエイミさんだけど、他の方も一様に愕然とした表情になる。ヒュンケルさんは一度聞いていたのでしょう、変わらないまま。 「治療法はあるの?」 それでもすぐにそう訊けるのは、レオナ姫の強さ。 「俺は知らない。師匠にも尋いたけど、知らなかった。もしかしたら、探せば何処かに知ってる人がいるかも知れない。俺が読んだ文献にはなかっただけで、治療法が著されているものがあるかも知れない。或いは普通に人生を終えた奴もいるかも知れない」 いずれもが、仮定の言葉。 ポップさんの視線が鋭くなる。 「つまり、現状お手上げって事だ。そもそも、暗黒闘気を使わずにいれば自然治癒するのか、それでもジワジワ進行し続けて行くのかも解らない」 普通に考えれば、影響は抜けて行くんだろうけど。 最後に、ポップさんは小さくそう呟いた。両手はきつくシーツを握り込んで…きっと自分の中途半端な知識が悔しいと…そう思っているのが解ります。 「それは勿論、使わないのが一番でしょうね。で、ヒュンケルってば、それ聞いて自分みたいな罪人に相応しいとか何とか、そんな風な事を言ったんでしょ?」 「ま、そういう事。ったく、どんだけマァムや姫さん達が心配してると思ってんだか」 「あら。それは君だって同じよ。何時も何時も無茶ばっかりして」 「うっわ。もしかしてヤブヘビ?」 「そこでヤブヘビって言っちゃうあたりが、もう駄目よね。君だって『幸せになる為に生まれてきた命』でしょ」 ポップさんとレオナ姫の掛け合いが始まった、と思ったら、最後に姫様が私が一番言いたい事を言って下さった。 けれど。 「オレは今現在、十分幸せだけど?」 ポップさんは当然の事とあっさり言った。ただ「今の状況」で幸せだと言う事が、皆さん驚きだったようで。 「幸せって…ポップ君」 「皆に会えたし。そりゃ戦争中ではあるけど。これだけ信頼しあえて、お互いに大切だって思える仲間に会えたって、幸せじゃないか?」 ――――ああ。 やっぱりこの人は「今」しか見ていないのだ。 彼女がヒュンケルさんに言った「幸せになって欲しい」という願いは、彼女自身には未来への言葉になりえない。一体彼女はどんなものを背負い、それ故に未来を諦めているのか。 「確かにそれは間違ってないわね。でも女の最高の幸せは、愛する人と結ばれて添い遂げる事よ!」 力一杯そう宣言した姫様に、ポップさんは一瞬きょとんとして、次いで困ったように微笑った。 「そう言われても…俺、そこまで乙女な思考回路してないし」 「ポップ、おれを好きになってくれないの!?」 「いきなり何を言うか――――っ!!」 爆弾発言…と言っていいのか…したダイさんに、ポップさんが思わずと言った風に絶叫する。 ヒュンケルさんのお話は、何処に行ってしまったんでしょう。 〈エイミの場合〉 ヒュンケルに言った事だけでなく、ポップ君の考え方は変わっていると思ったわ。人間と魔族や怪物の命が等価だなんて、パプニカだけでなく、魔王軍に甚大な被害を受けた他の国の人達にも同じ事が言えるのかしら、なんて少し意地の悪い事を考えてしまった。 だけどすぐに、そんな事を考えた自分が恥ずかしくなった。 だって彼女は魔王軍との戦争の最前線に立っているんだもの。それはつまり「命を奪う罪」の意識とも常に戦っていると言う事。 そして今まで、周りにそんな雰囲気を感じさせる事もなかった。 姫様はポップ君が抱えている秘密を相当気にされているけれど、彼女の強さはその秘密からくるのかしら。 またその博識さにも驚かされた。 ただ暗黒闘気についての話は、何時の間にか変わっていた。 「おれ、ポップのことが好きだって言ったじゃん!」 「そういう話は、他の人間がいる所でするもんじゃないんだよっ!」 ああぁ…姫様の前で痴話げんかが始まってしまった。 「何でさ。もしかしておれが嫌いだから、知られたくないとか言う!?」 「お前は羞恥心ってもんを学べ!」 今までずっと姫様とポップ君中心に話が進んでいたのに。ヒュンケルは、そんな二人を何処か複雑そうな表情で見ている。 「えっとね、ポップ君。それ、皆知ってるから」 とにかく、二人のこんな会話を止めたくてそう言うと、ポップ君は怪訝そうな表情になった。それで彼女が死の大地にいた間の事を教えると。 「……くそネズミ」 ボソリとそう呟いた。確かに大勢の前でベラベラ話すような事じゃないわよね。それはダイ君も同じなんだけど。 「それで尋きたい事があるのよ」 ここでまた、姫様が会話に入ってくる。けれどそれは恋愛に関する事ではなかった。 「君がその死の大地からダイ君を助ける為に使った呪文…バシルーラ、よね」 あの時と違い、決めつけた形で尋くのはポップ君の言い訳を封じる為? 「効力は似てるけど、違う。ルーラのエネルギーを凝縮してダイにぶつけた。アレンジとも言えない荒業だよ」 「…よくそんな事出来たわね」 「極限状態で無我夢中だったからな。同じ事をやれって言われても、多分、無理」 「きっちりパプニカ城にコントロールまでしたのに?」 「そりゃダイの安全を確保する為にやった事だから、そこまでやれなきゃ意味ないだろ」 「ふぅん。無我夢中だって言った割には、ちゃんと冷静に考えて魔法力のコントロールまでやってのけた、と」 「…姫さん?」 姫様の追及にポップ君がまた怪訝そうな表情になる。 チラリとヒュンケルを見ると、今は少し心配げな表情。基本的に無表情な人だけど、よく見ていれば解りにくくはあっても、きちんと表情はある。 アバンの使徒の絆が特別だと言うのは解るの。特に同じ戦場に出て連携を取ったりもしているのだろうから、その絆はより強固になっていくのだとも解る。…後方にいる、私とは違って。 「ポップ君、ロモスでマホカトール使ったんですって?」 「ああ…それが?」 「君なら知ってるわよね。あれが賢者の呪文だって」 「そうだけど、先生も使ってたぜ」 詰問とも取れる姫様の言葉に、彼女はサラリと答えた。そんな風に返されるとは、姫様も考えてはいなかったでしょう。 「俺なんかとは比べ物にならない、デルムリン島全体を覆うって言う規模でさ。あの人、魔法使いの呪文のドラゴラムまで使ってたし」 賢者の呪文も魔法使いの呪文も使いこなす「勇者」。一体アバン様と言う方はどれだけ万能だったのか。そんな方に長く師事してきた彼女もまた、職業を越えた呪文を使えるようになった、と言いたいのかしら。 「そう言えば、そうだったね。先生も使ってたっけ」 ダイ君が何となくのんびりした口調で言う。 どうもこれで姫様の気が削がれてしまったらしい。 と言うより、ダイ君の前で余りポップ君を追い詰めるような事はしない方がいいと判断されたのでしょうね。 ヒュンケルは―――ずっと黙ったまま、だけど…ポップ君を見る目が今までと違うように見えるのは考え過ぎ? そうであって欲しい。 ―――――そして。 ああ、もう限界かなって思ったんだ。 姫さんに色々言われた時。 ま、自分であれこれやらかしたんだから、自業自得なんだけど。さて、どうするのが皆にとって一番いいだろう。 幸せでいて欲しいし、幸せになって欲しい。 それこそダイが言ったみたいに、俺のことなんてさっさと思い出にしてさ。 《続く》
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