プロローグ
  

「よいか、インディ。ワシはしばらく戻れないと思うが、留守の間を頼む。ワシがいないからと言って、日々の修行を怠るではないぞ。おまえはちょっと目を離すと、すぐになまけるからな」

 ギョロリと、悪人面丸出しの凄みのある目付きでぼくを睨み付けるのは、アゼザル先生。


「それから館の掃除はもちろんだが……」

 どこまでも長々と続くアザゼル先生のお説教は、神妙にうなずきながら右から左へと聞き流す。こんなの、うっとおしくって一々聞いてなんかいられないもん。
 ぼくの名前はインディ=ルルク、ただいま魔術師修行中。
 ま、言ってみれば魔術師の卵ってワケ。

 そしてウダウダと同じ注意ばかり繰り返しているのが、ぼくの師匠のアザゼル先生。鋭い眼光の背の高い老人……って言えば聞こえはいいけど、先生はホントに怖い顔をしている。

 ぼくはもう慣れちゃったけど、初めて見る人は間違いなくビビるね。
 なんせ、つい先日遠い国からやってきた使者の人でさえ、怯えてたもの。
 なんでも、これまで4人もの魔術師が失敗した、難し〜い魔物祓いをやって欲しいって話だったっけ。

 顔だけ見てるとピンとこないけど、先生は世界でも十指に入る高名な魔術師なんだ。
 ぼくは一応、その一番弟子! ……のつもりなんだけど、まだ魔力のロッドも触らせてもらった試しがない!

 弟子入りして半年余、やらせてもらったことと言ったら、館の掃除に、炊事に、薬草の手入れ、etc……。――ぼくは、魔術師になりたいのであって、お手伝いさんになりたいわけじゃないのにっ!

 今までに何度となく魔法を教えてくれ、とせっついてるのに、先生は決まって『まだ、おまえにはその心構えができとらん』って言うんだ。
 家事をやってて、魔術師の心構えができるのかなあ?

「……これ、聞いておるのか?」

「はいはーい、聞いてまーす」

 先生のことは(それなりに)尊敬してるし、好きなんだけど、口うるさいのにはまいっちゃう。見送りのために館から村に通じる道を下りながら、もう三度も同じ台詞を聞かされている。

「本当に、おまえは……何をするのか、分かっておるのか?」

「はぁーい、分かってますって。館の掃除にィ、薬草園の手入れにィ、書庫の整理でしょ」
 

「ミュアの世話を忘れるでないぞ」

「にゃお」

 先生の肩の上から、水色の目がぼくを見下ろした。ただでさえ背の高い先生の肩にいるくせに、ことさらそれを誇るように首を高く上げて、勝ち誇ったようにぼくを見下ろしている猫がいる。

 ――ちぇっ、苦手なんだよな、こいつ。
 猫のくせしていっつも自分の方が偉そうな顔して、そこが指定席と言わんばかりにいつも先生の肩に乗っている。ぼくが手を出しても、優しく声をかけても、ぜんぜん鼻もひっかけないんだから。

 けど、仮にも先生の飼い猫、いくら気にいらないからと言って粗雑に扱うわけにもいかない。

「はぁあい、分かりました。大丈夫です、館の留守番はぼくに任せて、安心して出かけくださいよっ」

「……その軽さが心配なんじゃ」

 と、最後までしっかりと釘を刺した末、先生は出かけた。
 ――ふっふっふ、何かとうるさい先生がいなくなった今、今までやりたくてもやれなかったことを実行する絶好のチャーンス!

 というわけで、ぼくは先生を見送るやいなや、館へと駆け戻った。
 先生の館は一人とその弟子に猫一匹が暮らすには申し分ないほど大きく、掃除にはいつも苦労させられているけど、たった一か所だけ掃除どころか中にさえ入らせてもらえない部屋があるんだ。

 この地下室だけには絶対に入ってはいけない……と、弟子入りした時から近づかせてさえもらえない。ぼくとしては、それがすっごく気になってしかたがない。

 あたりまえだよね、誰だってそんな注意をされちゃ、逆に入ってみたいと思うに決まってる!
 で、自分の好奇心に忠実なぼくは、さっそく地下へと下りていった。

「にゃお! にゃあーおっ! にゃおおぉん!」

 ところが、ミュアのやつがうるさく鳴きながらついてくる。足下にまとわりつくから、邪魔でしょうがない。
 その様子は、まるで、ぼくが先生に禁止された扉を開けようとしているのを、知っているみたいだった。

 見張られているようで気分はよくないけど、なに、このぐらいの障害では冒険を求める少年の心は挫けないっ。
 古めかしい、大きな扉  そこには何重にも鍵がかけられている。

 でも、ぼくはその鍵を持っているんだ。
 ずっと前に、先生の道具箱の中にあるのを見つけて、それからチャンスがくるまで肌身離さず持っていたんだから。

 お守り代わりに持っていたそいつを、すっかり錆びついた鍵穴に差し込むと、扉は意外にも音も立てずに開いた。

「……うっぷ」

 中は、すっごく埃臭かった。
 ずいぶん長い間、開けたことがなかったに違いない。蜘蛛の巣やら訳の分からない虫の死骸がいっぱい混じった埃で、踏みいれた足が埋もれるほどだ。

 うげげっ。
 でも、中はガランとしていた。
 ただ、入り口の正面に祭壇みたいなものがあるだけ。

「……なんだよ、これ」

 もっと凄いものがあるんじゃないかって、内心期待していたのに、これはないよ、これはっ。
 先生ってば、何を考えてこの中に入っちゃいけないなんて言ったんだろ?

 近寄ってみると、祭壇の上には一冊の本とロッドが捧げるように置いてあった。もし、ホントに捧げてあるのなら触っちゃまずいかな、とちらりと思ったけど、ここまで分厚く埃に覆われてほったらかしてあるもんなら平気だろう。

 そう判断して、まず本を手に取った。
 埃を払ってみると、金色の文字が表紙を飾る立派な本だった。
 中の文字を確かめてみると、知らない文字ばかりが並んでいる。

 先生からこの国の言葉だけじゃなく、あちこちの国の言葉も多少は習ったけど、この文字はそのどれにも当てはまらない……ように見える。
 そう言えば、前に聞いたっけ。魔術師は大切な魔術書には、魔法を使わなければ読めない秘文字を使うって。

 そう考えると、なんだかドキドキしてきた。
 これって、魔術書に違いない。
 ロッドも、頭に赤ん坊の拳ほどの大きさのあるクリスタル球をつけた本物だ!

 本物のロッドと本物の魔術書を持っていると、気分はもう魔術師っ。
 浮かれて意味もなくロッドを振り回しているうち、足元に埃が舞い上がって、その下から何かが除いているのが見えた。

 床の石組みに刻まれた複雑な図形。
 細かな所はよく分からないけど、二つの正三角形を逆向きに重ねたアウトラインは……魔法陣だ。

 場所すらもタイムリーな状況に、ますます魔術師気分が盛り上がったぼくは、本とロッドをしっかり抱え、魔法陣の中央点に立った。

「にゃうっ!」

 ミュアがとがめるような声をあげるけど、そんなのは無視!
 こんなチャンスはめったにないし、第一ミュアは猫だから先生に告げ口もできやしないもの。

「§ΔΘΓκ……」

 消えかけた魔法陣の中で、ぼくは芝居がかったしぐさでロッドを振り上げ、アザゼル先生の口調をまねて呪文を唱えてみた。

 ――ここで誓って言っておくけど、ぼくは、ホントに魔術師の気分をちょっと味わいたかっただけなんだ。
 本当だよ!

 だいたい、呪文でさえうろ覚えだったから、インチキもいいところの口からでまかせだったんだから。
 なのに、ぼくのふざけた呪文に魔法陣の輪郭がぼうっと光り出した。

 すぐさま呪文を中断したのに輪郭の光は消える事なく、硫黄の煙までもが立ち上ぼり始める。それがぼくの回りでよじれて帯を作り……そして、いきなり風が――信じられないことに、館の地下室の中に突風が巻き起こったんだ!

 春に時々やってくる嵐よりも、まだ凄かった。地下室全体が、音を立てて揺れている。
「わ…わわ? な、なんだよっ、これはっ?!」

 自分の声すら聞き取れないほどの轟音が響き、体が飛ばされてしまいそうな風と、まともに立っていられないほどの揺れが激しくなっていく。
 館が崩壊するんじゃないかと思える激震にとても耐え切れず、ぼくは思わず頭を抱えてうずくまった――。
                                                    《続く》

 

1に続く
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