プロローグ |
「よいか、インディ。ワシはしばらく戻れないと思うが、留守の間を頼む。ワシがいないからと言って、日々の修行を怠るではないぞ。おまえはちょっと目を離すと、すぐになまけるからな」 ギョロリと、悪人面丸出しの凄みのある目付きでぼくを睨み付けるのは、アゼザル先生。
どこまでも長々と続くアザゼル先生のお説教は、神妙にうなずきながら右から左へと聞き流す。こんなの、うっとおしくって一々聞いてなんかいられないもん。 そしてウダウダと同じ注意ばかり繰り返しているのが、ぼくの師匠のアザゼル先生。鋭い眼光の背の高い老人……って言えば聞こえはいいけど、先生はホントに怖い顔をしている。 ぼくはもう慣れちゃったけど、初めて見る人は間違いなくビビるね。 顔だけ見てるとピンとこないけど、先生は世界でも十指に入る高名な魔術師なんだ。 弟子入りして半年余、やらせてもらったことと言ったら、館の掃除に、炊事に、薬草の手入れ、etc……。――ぼくは、魔術師になりたいのであって、お手伝いさんになりたいわけじゃないのにっ! 今までに何度となく魔法を教えてくれ、とせっついてるのに、先生は決まって『まだ、おまえにはその心構えができとらん』って言うんだ。 「……これ、聞いておるのか?」 「はいはーい、聞いてまーす」 先生のことは(それなりに)尊敬してるし、好きなんだけど、口うるさいのにはまいっちゃう。見送りのために館から村に通じる道を下りながら、もう三度も同じ台詞を聞かされている。 「本当に、おまえは……何をするのか、分かっておるのか?」 「はぁーい、分かってますって。館の掃除にィ、薬草園の手入れにィ、書庫の整理でしょ」 「ミュアの世話を忘れるでないぞ」 「にゃお」 先生の肩の上から、水色の目がぼくを見下ろした。ただでさえ背の高い先生の肩にいるくせに、ことさらそれを誇るように首を高く上げて、勝ち誇ったようにぼくを見下ろしている猫がいる。 ――ちぇっ、苦手なんだよな、こいつ。 けど、仮にも先生の飼い猫、いくら気にいらないからと言って粗雑に扱うわけにもいかない。 「はぁあい、分かりました。大丈夫です、館の留守番はぼくに任せて、安心して出かけくださいよっ」 「……その軽さが心配なんじゃ」 と、最後までしっかりと釘を刺した末、先生は出かけた。 というわけで、ぼくは先生を見送るやいなや、館へと駆け戻った。 この地下室だけには絶対に入ってはいけない……と、弟子入りした時から近づかせてさえもらえない。ぼくとしては、それがすっごく気になってしかたがない。 あたりまえだよね、誰だってそんな注意をされちゃ、逆に入ってみたいと思うに決まってる! 「にゃお! にゃあーおっ! にゃおおぉん!」 ところが、ミュアのやつがうるさく鳴きながらついてくる。足下にまとわりつくから、邪魔でしょうがない。 見張られているようで気分はよくないけど、なに、このぐらいの障害では冒険を求める少年の心は挫けないっ。 でも、ぼくはその鍵を持っているんだ。 お守り代わりに持っていたそいつを、すっかり錆びついた鍵穴に差し込むと、扉は意外にも音も立てずに開いた。 「……うっぷ」 中は、すっごく埃臭かった。 うげげっ。 「……なんだよ、これ」 もっと凄いものがあるんじゃないかって、内心期待していたのに、これはないよ、これはっ。 近寄ってみると、祭壇の上には一冊の本とロッドが捧げるように置いてあった。もし、ホントに捧げてあるのなら触っちゃまずいかな、とちらりと思ったけど、ここまで分厚く埃に覆われてほったらかしてあるもんなら平気だろう。 そう判断して、まず本を手に取った。 先生からこの国の言葉だけじゃなく、あちこちの国の言葉も多少は習ったけど、この文字はそのどれにも当てはまらない……ように見える。 そう考えると、なんだかドキドキしてきた。 本物のロッドと本物の魔術書を持っていると、気分はもう魔術師っ。 床の石組みに刻まれた複雑な図形。 場所すらもタイムリーな状況に、ますます魔術師気分が盛り上がったぼくは、本とロッドをしっかり抱え、魔法陣の中央点に立った。 「にゃうっ!」 ミュアがとがめるような声をあげるけど、そんなのは無視! 「§ΔΘΓκ……」 消えかけた魔法陣の中で、ぼくは芝居がかったしぐさでロッドを振り上げ、アザゼル先生の口調をまねて呪文を唱えてみた。 ――ここで誓って言っておくけど、ぼくは、ホントに魔術師の気分をちょっと味わいたかっただけなんだ。 だいたい、呪文でさえうろ覚えだったから、インチキもいいところの口からでまかせだったんだから。 すぐさま呪文を中断したのに輪郭の光は消える事なく、硫黄の煙までもが立ち上ぼり始める。それがぼくの回りでよじれて帯を作り……そして、いきなり風が――信じられないことに、館の地下室の中に突風が巻き起こったんだ! 春に時々やってくる嵐よりも、まだ凄かった。地下室全体が、音を立てて揺れている。 自分の声すら聞き取れないほどの轟音が響き、体が飛ばされてしまいそうな風と、まともに立っていられないほどの揺れが激しくなっていく。
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