エピローグ |
どこまでも広がる青空の下、ぼくは水色に輝く川のほとりの土手で、のんびりと日向っぼっこを楽しんでいた。 「なあ、ミュア。おまえもそう思うだろ?」 ぼくの隣でちょこんと腰を下ろして、自慢の毛並みを手入れしているミュアはお義理のように返事を返す。 「にゃあお」 「それにしても、先生遅いな……。確か、今日帰ってくるんだよね?」 「みゃお」 ――ちぇっ、ホント物足りないったら。 はっきり言って、ぼくは大いに不満だっ。 「先生、信じちゃくれないだろうな。おおかた『夢でも見たんだろう。だいたいインディ、おまえという奴は、いつもそうやって夢のようなことばかり考えているから……』なーんて言うだろうな」 ……まあ、信じてくれたらくれたで、手酷いお説教がまってるだろうけどさ。魔界封印をしたのは確かにぼくだけど、その封印も解いたのもぼくなんだから。 「あんなにがんばったのにさあー、結局なんにもならなかったな」 魔界の街の中央にあった丘の上の魔法陣……ぼくが最初に迷い込んだ所に6つの捧げ物を配置し、魔界封印の呪文を唱えて、ぼくは魔界を封印しなおした。 魔界に紛れ込んだときと同じものだけを手にして、ね。せっかくぼくが集めた物や、手に入れた魔力なんか、かけら一つも残さずに! 「みゃあ、にゃあおーん」 ぼくをなだめるように、ミュアが鳴く。 「はいはい、分かってるって。命が助かっただけでもありがたく思ったら? ……って言いたいんだろ?」 魔界を封印する直前、ここで得た力をすべてなくすって聞いたぼくがごねた時、ミュアはそう言ったんだよな。 魂を失ったぼくは、勝利と引き換えにあやうく死ぬところところだったんだから。実際、ぼくも戦いが終わった時は、そのつもりだったし覚悟だってしていた。 ミュアは炎の湖でそうやってぼくに飛びついてきて、ベルフェガーの炎に焼かれて灰になった。 だったら、同じくベルフェガーの炎で焼いちゃったぼくの魂の砂時計の灰も、ブラックファイアで復活させられるんじゃないかってね。 自分の魂を、自分の手で取り戻してね。 いくら力があったって、自分の魂をほかの人に取られちゃったら、なんにもならないもん。 それに、ぼくは曲りになりにも魔法が使えたんだ。 「……でもなあ」 ちろっと、すました顔で尻尾をなめているミュアを見た。 魔力がなくなったのより、他のどんなことより、一番びっくりして、ショックだったんだからなっ! 「にゃお」 「まったく……ミュア、おまえぼくより魔力があるって威張ってたじゃないか。それなのに、にゃお、だって?! なんとか、言って見ろよ、ほらっ」 ふいをついて、長い尻尾を引っ張ってやってけど、やっぱりにゃおにゃおとしか言いやしない。 「ふぎゃあっ、ふぎゃっ!」 すかさず、ミュアが爪でひっかいて報復してくる。……こんなとこは変わってないんだけどなあ。 「いてっ、いてっ、悪かった、悪かったってば!」 ミュアの爪から逃げ回っている内、ぼくは街道の方から人が下が村に向かってくるのを見つけた。背の高い、マント姿の老人――間違いない、アザゼル先生だ! 「ミュア、先生が帰ってきたよ! 迎えに行こうぜ」 駆け出したぼくの肩に、ちゃっかりミュアが飛び乗ってきた。もうすっかり慣れた重みが、かえって心地いい。 あの、ベルフェガーの炎の湖でのこと……ぼくはあの気持ちを絶対に忘れない。ミュアを焼いた炎を見つめ、それを抱きしめていた時の気持ち。
「インディ! わしの留守中に何も変わりがなかったか?」 ぎょろりと目をむき、唇の端をつり上げる。初めて見たら思わず逃げ出すような、先生にしかできない笑い方だ。 「え…っと……ええっ、もちろんですよ、先生! なあ、ミュア」 「にゃおん」 ミュアはぼくの肩に乗ったままで、先生の手に頭をちょいとこすりつけた。でも、いつものように先生の肩に乗っかるつもりはないらしい。 「ふうむ……」 先生は片方の眉をぐいとあげ、ぼく達をしげしげと見比べた。――やだなあ、今までのことがバレなきゃいいけど……。 「ほう、なるほどな。ミュア、ちょっとおいで」 先生はミュアを抱き上げて首輪を取ると、なにやら呪文を唱えながら、それを握りしめる。 そして、ミュアの耳元にボソボソと話しかけると、ミュアがこっくりとうなずく。 なんなんだ? 「先生。いったい、その首輪は何か意味があるんですか?」 「何、単なる封印にすぎんわい。それより、インディ、さっさと荷物をもたんか」 そういってドサッと山のような荷物を押しつける。……ああ、これで優雅な日々も終り、また魔術師見習いとは名ばかりの、お手伝いさん代わりの家事に追いまくられる日々が始まるのか……。 荷物を押しつけて身軽になった先生は、さっさと一人で館に向かって歩き出す。ぼくもその後を追ったけど、なんせ荷物は重いわ気が重いわで、緩やかな丘を登るのもノロノロとした足取りになる。 そんなぼくをからかうように、ミュアはことさら軽やかな足取りで、ぼくの回りをうろつき回る。 「インディ、もっと早く歩けないの? そんなにノロノロ歩いてちゃ、家に戻る前に日がくれちゃうよ」 「え……っ?!」 驚くぼくのを、ミュアはすました顔で見上げている。 「どーしたんだよ、インディ。ボクにしゃべって欲しかったんじゃないの?」 この生意気さ――正しく、ミュアの声だっ! 「ミュアっ、やっぱり、おまえしゃべれるんじゃないかっ。なんで今まで黙ってたんだよ?!」 「だって、声を封じられていたからね」 けろりとした調子で、ミュアは後足で首輪のなくなった首をかく。 「そっ。魔力の強い魔界では、ほとんど効き目はなかったけどね。あーあ、やっとこれで自由にしゃべれるや。キミが弟子入りして以来、ずうっとあれをつけてキミのお守りをしてきたもんな」 そう言って、大きく体を伸ばす。……やっぱ、この猫はしゃべらない方がいーかもしんない。 「なにがお守りだよ、ったく。だいたい、先生はなんでそんなことをしたんだ?」 「そりゃあ、キミの性格や素質を見定めるためにだよ。いーかげんで軽はずみな人間に、魔法なんて教えられるはずないだろ? 言わば、今までの間はキミはテストされてたわけ。ぼくはそのために、ただの猫としてキミを見守ってきたのさ」 ミュアは真面目な顔をして、ぼくの真正面に向き直った。 「そして、ボクの目を通して写ったキミは、あの青い石に記録される。もちろん細かな行動そのものじゃなくて、キミの行動や言葉から読み取れるキミの人間性なんかがね。あの石を手にして呪文を唱えれば、それはイメージとなって術者の頭に伝わるんだ」 そっ、そんなこと、聞いてないぞっ。 「最初から言ってたら、テストにならないじゃないか。 それに、やましいことをしてないなら、別にボクに見られていたってかまわないだろう? 見損なわないでほしいな。だいたい、風呂とかトイレとか自室にいる時とか、最低限の部分まで覗き見たりしなかったよ」 「そっ、そりゃあ、そーかもしんないけど……」 でも家事をサボってたこととか、魔界の封印を解いちゃったこととか――そーゆーのはバッチリ見られちゃってたんだ! ううっ、……ぼく、考えてみれば、ミュアの前でろくなことしなかったよな。 「どーしたんだよ、顔色が悪いよ」 おおっ、悪いともっ! 「ねえ……ミュア、知ってるんだろう。教えてくれよ、ぼくはテストに失格したのかい――それとも……?」 思い切って聞いてみると、ミュアはその水色の目を瞬かせた。 「そんなの、ボクに聞かれても困るよ。あれはボクの目を通してキミを調べるだけで、ボクの意見が反映されるわけじゃないもん。ま、ボクに言わせれば、キミは 」 ミュアは気を持たせるようにそこで言葉を切ると、ひょい、と身を翻して丘を駆け登りだした。 「あっ、待ってよ、ミュア! 言いかけでやめるなんて、ずるいぞっ!」 「インディ、ボクの意見は先生と同じだよっ。答えは、先生に直接聞いてごらん!」 それが怖いから、ミュアに聞いてるんじゃないかっ。 「何をもたもたしている、インディ=ルルク? そんなことでは、明日からの新たな修行にはついてこれんぞ」 そして、再びぎょろ目をむいて笑った。 「まずは、風の精霊の呼び方を教えてやろう――修行は厳しいぞ、心しておけよ」 先生のすぐ足元で、一足先に駆けていったミュアが、得意げに尻尾を揺らしている。 「はいっ、先生!」 急に、荷物の重さを感じなくなった。ぼくは丘の道を、一息に駆け登っていた。
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