Chapter.9 罠を覆す鍵

 

「な…なんだって……?!」

 ぼくが、サタンの配下になる――そんな……そんなのって、冗談じゃないっ! そんなの、絶対にいやだっ!!

「いやだっ! ぼくはおまえの配下になんか、ならないっ!! 死んだってなるもんかっ!」


 立ち上がろうと、ぼくは必死にもがいた。こんな時に、多少の攻撃ぐらいで寝てなんかいられるもんかっ。

「なぜ、そうまであがくのです? わたしの配下になれば、今までとは比べ物にならない魔力、そして力が君のものになるのですよ。それが欲しくはないのですか」

「いやだ、ぼくがどうするかは自分で決める! 勝手に配下になんかされて、たまるもんかっ」

 魔力がどうのこうのいうより、自分が自分でなくなることが怖い。
 自分の意思をなくす方が、たまらなく恐ろしい。
 ブローケルに心を奪われかけた時のことを、ぼくは覚えている。あんなの、一生忘れっこない!

 外から加えられた圧力で、人に言われた言葉をそのまま真実だと思いこまされてしまう。なにか変だと思ってはいても、それを追及する意思さえなくして――それで、友達でさえ信じられなくなってしまうんだ。
 そんなのは、絶対にいやだ!

「ぼくはおまえのいいなりになんか、ならない! ぼくの意思は、ぼくのものだ!!」

「だが、いずれはわたしの物となる。魂は、すでに我が手中にあるのですから」

 サタンの組んだ手の下で、砂時計は静かに、だが一定の速度を保って下へと落ちていく。砂は下側に小さな山を築き、その裾野をジリジリと広げていた。
 いやだ、絶対にいやだぞ  だが、どうやってそれを食い止めればいい?
 精霊の力も使えずに、どうやったらサタンを倒せるんだ……?

「インディ、魔術書が!!」

 ミュアの叫びに、魔術書のページが動いているのに気がついた。ミュアを助ける方法が分かった時みたいに、一人でにめくれている。
 ぼくはそれに飛びついた。

 

 

  第十二章
    ☆狡猾なるサタン また自惚れしものなり

       サタン 汝を侮りたること おおいなり
       自らの仕掛けし罠を破る術 サタン それ知りたるも
       汝の気づかざるを 嘲笑いたり
       そはなんぞ サタンの与えよこせしものは
       サタンの罠 覆す鍵 汝すでに手にしたり

 

 

 ――なんなんだか分からないじゃないか、ちっとも!
 サタンの罠を破る鍵をぼくがすでに持ってるって……それが何なのかはっきり書いててくれなきゃ、なんの意味もないじゃないかあ〜っ!

 ぼくが悩んでいる間にも、砂は落ち続けていく。――もう、半分近くも落ちているっ。
 サタンがニヤニヤ笑いながら、砂時計を軽く揺さぶった。
 砂がっ……ぼくの魂の砂が、慌ててこぼれ落ちていくっ!

「わ――っ、やめろっ!」

 言っても無駄と分かってても、叫んでしまう。
 早くしないと――早くしないと、ぼくの魂はサタンのものになってしまう!

 何が、サタンに通用するんだ?
 魔力を封じられたぼくに、何ができる?
 どこにサタンを破る鍵を持っているというんだ?!

「分かったぞ、インディ!」

 本をじっと睨んでいたミュアが叫んだ。

「ランプだ……こいつが、キミにランプをくれたんじゃないか!」

 さすがはミュアだ! ぼくより、ずっと冷静だっ。

「……ベルフェガーの炎か?!」

 そうだ、それに違いない。
 挑戦だったんだ、ベルフェガーの炎を取ってきてくれ、とわざわざぼくにランプを渡しにきて、ぼくが気づかないでいるのをあざ笑っていたんだ。

 はん、バカなうぬぼれ屋め、こんな罠すぐ見破れるじゃないか! ……ぼくは分かんなかったけど。でも、ぼくの側にはミュアがいるんだ!
 ようし、見ていろ。自分の罠で自滅すればいいんだ!

 ぼくはにわかに勢いづいた。
 ベルフェガーの炎をブーメランにうつしとる。サラマンデルの炎にも耐えたブーメランは、ぼくが封印した炎なんかに負けず、炎に覆われても燃えもしなかった。

「ほう、やっと気がつきましたか。それで、どうなさいます?」

 サタンはあくまで余裕たっぷりに、意地悪く笑う。
 ――ハッタリなのか?
 だが、そんなことにかまっていられる余裕はない。砂はもう、下側にたまった分の方が多いんだ。

「いけえっ!」

 ベルフェガーの炎をまとったブーメランは、一直線にサタンへと飛んでいった!
 サタンのマントが大きくひらめいた。
 かと思うと、マントからバッと炎が吹き出す!
 炎の輪となってサタンを襲ったブーメランは、その何倍もの炎に飲み込まれた。

「うわっ?!」

 見えない力に打ちのめされ、ダメージを負ったのはぼくの方だった。だが、そのダメージよりも精神的なショックの方がずっと、大きかった。
 効かないだなんて――!!

 ブーメランが力を失って、それでも忠実な鳩のようにぼくの目の前に戻ってきた。ブーメランは、まだベルフェガーの炎に覆われている。
 だけど、ぼくにはそれを手に取るだけの気力がなかった。

「ベルフェガーは魔界の生き物、我が同族です。その力がどうしてわたしを倒せる道理があります?」

 サタンがぼくの愚かさを、心底楽しそうに笑っている。
 だけど本に――魔術書に書いてあったのに?!
 すでに罠を覆す鍵を手にしている、と。それとも、何か別のものなのか?

 悩むぼくの目の前で、容赦なく砂は落ちていく。
 サラサラと、早くも遅くもない速度で、でも確実に落ちていく。それと同時に、ぼくの中からも何かが崩れ去っていく。
 ぼくがぼくであるという自意識と、今までに培ってきた自信が。

「いやだ……」

 自分を失いたくはない、でもそうするための方法が分からない……。
 鍵はすでに持っているというのに、ぼくにはそれが何かさえ分からないんだ。

 …いや……違う……でも、分からない――もう、どうしていいのか、分からない!
 ぼくはついにがっくり膝をついた。

「そうですとも。 おとなしく、わたしの前に跪きなさい。後、少しで、君の魂はわたしのものです」

 砂は八分目までこぼれおちていた。
 ――もう、だめだ。
 サタンの手の中の砂時計を、ぼくはぼんやりと見つめていた。

「インディ! いったい、どうしたんだよ、ここまできて諦めるのか?!
 インディってば! バカ! 弱虫! 意気地無し! 立てよ、立てってば!!」

 ミュアがぼくのくるぶしを噛み、膝をひっかき、腕に飛びついた。
 その痛みで、ぼくはようやくミュアに目を向けた。

「だけど……もう、ぼくには何もできない…」

 魔力は効かない。
 サタンへの攻撃は、ぼく自身へと跳ね返ってくる。もう、打つ手なんて、何もない。
 だけど、ミュアは諦め悪くぼくを責めたてた。

「魔力がなければ、キミはただの意気地無しかい?! なんとかしろよ、考えろよ、最後までやれよ! ここで諦めるんだったら、あの時、炎の湖に飛び込んだ方がよかったじゃないかっ!!」

 泣き叫ぶように、ミュアは激しく叫んだ。

「そうさ――諦めるんなら、……意気地無しのインディなんか、さっさとサタンに魂をやっちゃえ! どうせなら、焼いちゃえばいいんだ!」

 焼く……。

「そうか…!」

 分かった……分かったぞ!
 そう、ぼくはすっかり早合点してたんだ。
 ベルフェガーの炎は、確かにサタンには通用しなかった。でもそんなの、あたりまえだ。


 魔術書では、『罠を覆す鍵』と言っていたんだ。『サタンを倒す鍵』じゃなく。
 なら、そもそも罠と何か。
 魂の砂時計がサタンの手にあるせいで、ぼくの力が封じられていることだ。

 なら、それを覆すには――。
 ぼくは砂時計を見た。
 ベルフェガーの炎で砂時計を焼けば……ぼくの魂はなくなるな。

 でも、それでもいい!
 サタンにやるくらいだったら、いっそ自分で焼いてしまった方がさっぱりする!!
 砂はもう9分目までこぼれ落ちている。

 ぼくはすぐさま、行動に移った。
 ベルゼブルの羽、ブローケルの鱗、ベリアルの鎌、百面樹の根……今まで集めた物と魔術書をミュアの前に投げ出した。

 ロッドだけは、戦いに備えて手に握っておく。……これが、役に立ってくれればいいんだけど。

「ミュア、後は任せたっ! ……もしもの時は、きっと、魔界を封印してくれよ」

 ミュアならできる。ぼくはそう確信していた。自分でやるよりも、安心できる。
 ミュアは、マジカルキャットだもの。
 材料さえ集めれば、そんなのお茶の子さいさいさ。

「インディ、まさか…?! ――自分の魂を焼く気かっ!?」

 自分で言い出したくせに、ミュアが驚いた顔をする。

「やめろっ、やめろってばっ!! どうなると思ってるんだよっ!!」

 ミュアの声を聞いていると決心が鈍りそうなので、ぼくはあえてサタンにだけに神経を集中させた。
 今こそ、罠を覆してやる!
 ブーメランをふりあげたぼくを見て、サタンはすべてを察したようだった。

「やめろっ! おまえは、魂を失うことになるぞっ!!」

 サタンが初めて声を荒げた。
 やっぱり、これが正解だったんだ!

「いいよ」

 ぼくは強気に言い返した。

「言っただろう? 死んだっておまえのいいなりになんか、ならないってっ!」

 最後の数粒が落ちる瞬間、ぼくのブーメランは砂時計を一瞬で灰に変えた。

「ぐ……ぁああああ――っ!!」

 その途端、鋭い痛みがつきぬけた。
 体を高熱で焼かれたような痛み……でも、体にはなんの変化もみられない。あたりまえだ、焼かれたのは魂なんだから。

「く…へ…へへ、やったね……」

 痛みをこらえて、ぼくはロッドを握りしめた。……ちゃんと、持つことができる。魂を焼いても、まだ、ぼくは生きている。
 それに、ロッドのクリスタル球が強い輝きを放っている。封じられた魔力が戻ったんだ!


「ク……よくも……よくも……!」

 サタンは、偽りの仮面を脱ぎ捨てた。
 ずるそうな微笑みは消え、魔界の支配者の本性を現した。黄色く燃える目が、まっすぐにぼくを見据える。

 長い骨張った指先がひらめいて、目の前のなにもない宙をつかんだ。
 と、床の上にある奇妙な図形の中に、灰色のもやが出現する!

「混沌の淵に落ちるがいい。そして、永遠にさ迷うのだ……」

 ぼくとサタンは、ぽっかりと口を開けた灰色の空間をはさんで、睨み合っていた。
 ぼくをそこへ引きずり込もうとする、恐ろしい力――見えない大きな手にわしづかみにされているみたいだ。

 今こそ、戦う時だ。サタンの力を打ち破るために。
 ぼくはロッドをかかげ、すべての精霊に呼びかけた!

「カトゥラタンブーラ、善き精霊達よ、聞け。
 魔術師インディ=ルルクに、その加護を!
 サタンの開きし混沌の淵を、今我が手にて閉じん!」

 風の精霊シルフェが、
 水の精霊オンディーヌが、
 光の精霊ケレットが、
 地の精霊グノーメが、
 火の精霊サラマンデルが――すべての精霊達がその力をぼくに貸してくれた。

 灰色の空間をはさみ、見えないうねりが起きていた。ぼくの力とサタンの力との、互いに逆向きに力のうねりだ。
 灰色の空間はぎらぎらと不気味な輝きを帯びていた。

 大きなうねりがぼくを襲う。
 力の波は立て続けにおしよせてくる。だけど、ぼくはあえてそれに逆らわず、ただ決して自分だけは見失わないようにガードした。

 ロッドの輝きが揺らぐ。
 ――じりじりと灰色の空間が広がっていく。
 サタンの目が燃えた。

 最後の、とてつもなく大きなうなりの前兆を感じた。
 ぼくも、最後の力を注ぎ込む時だ。この時のために、ぼくは力を溜めておいたんだ!

「カトゥラヴラドゥ……汝、選ばれし者の国へ還れ!
 魔界の司祭者サタンよ、おまえこそ混沌の淵の底へ戻るがいい!!」

 ぼくはロッドを灰色の空間に向け、残る力すべてをそこに解き放った。
 白い輝きがほとばしった!
 灰色の空間は歪み、捩れ、やがて小さな渦が現れた。

 サタンの指先から、見えない力が襲いかかる!!
 だが、ぼくの体をも包みこんだ白い輝きはそれを遮った。小さな渦はゆっくりと、だが確実に力を増して広がっていく。

 そして、ふいにその中央に穴が開いた。――これこそ、混沌の淵、魔界の司祭者サタンの戻るべき所だ。
 ぼくはサタンにロッドを突きつけ、とどめの呪文を吐きだした。

「カトゥラヴラドゥ……サタンよ、還れ!」

 灰色の渦が膨れ上がった。

「わたしの……負けのようだな」

 混沌の淵に沈みつつあるサタンが、苦笑気味に笑う。

「……だが、おまえはこの魔界を……はたして、出られるのかね…」

 不吉な言葉だ。最後のあがき――か?

「だけど、ぼくは勝ったよ……!」

 渦に飲み込まれるサタンに、ぼくは言った。

「そうかもしれない……だが、魂をなくしたおまえは…もう長くはないぞ……今のおまえは…肉体の生命力の余力で生きているに過ぎん…。すぐに…それも尽きる……おまえが生き延びる道は一つ……我らと同じく闇に落ち、他の人間の魂を刈り取るしかないぞ……!」
 

 ゆっくりと、混沌はサタンを飲み込んだ。

「でも、ぼくの勝ちだ。ぼくはおまえのいいなりになんか、ならなかった。――これからだって、ならないよ……!」

 サタンを封じ込めた灰色の混沌は、次第に縮んで、やがて消えた。
 後に残ったのは、ブラックバイブル……。そして、魔界を封印するための残り5つのアイテムに囲まれた、一匹の猫だった。

「ミュア……ぼくは諦めなかったよ。最後まで、ちゃんとやりとげただろ?」

「インディ…キミってやつは……っ!」

 ミュアがぼくに駆け寄ってきて、飛びつこうとした。ちょうど、炎の湖でやったみたいに。
 だけど、ミュアの体はぼくの体を突き抜けた!

「えっ、なんだよ、これ、どーなんってんだよ?!」

 手からロッドがすり抜けて、からんと床に落ちた。よく見ると、体の末端の部分が、透けているっ?
 ……そうか、魂がなくなって――そしてサタンの言った通り、肉体の生命力が尽きかけてきたんだ。

 ぼくは落ちたロッドにもう一度触れてみた。……ふむ、気合いを入れていれば、まだ物をつかむことぐらいはできるみたいだ。

「インディ……」

 ミュアが辛そうにぼくを見上げた。そんなミュアに、ぼくはつとめて明るく声をかけた。
 

「大丈夫だよ、ミュア。ぼくは、死んだりなんかしない。そして、サタンみたいな魔物にもならない。ちゃんと魔界を封印をして、おまえと一緒に人間界に帰るんだ」

 焼けて灰になってしまったぼくの魂と、ミュアを見比べながら、ぼくは言った。
 そう、ぼくにはその方法も分かっている。いつものことだけど、ミュアがぼくにヒントを与えてくれたんだ――。
 

                                                                                  《続く》

 

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