プロローグ |
ヒュルウ、ヒュルウ、ヒュウ――。 なんにも事情を知らない人から見れば奇妙な光景としか見えないけど、見る人が見れば、ちゃーんと分かるんだよな。 ぼくはまだこの魔法は使えないけど、それでもそれっくらいは知っている。 ぼくは手にしていたモップを投げ出して、アザゼル先生の机の上から急いで紙を持ってきて床に広げ、窓を開けてやる。 やっと丸暗記したばかりの意味不明の複雑な呪文を唱えると、白い羽はふわりと中に舞い降りてきて、見えない手に操られてすらすらと字を綴りはじめた。
『古き友人アザゼルよ 助力を仰ぎたいことが起きた。 このままではヨギの力は滅ぼされるやも知れぬ。なお、ヤズゥの薬草を持参してもらえば幸い。我が病に効ありとのことゆえ。
「えー? んなこと、突然言われたって……困るよなあ」 と、羽に向かって文句を言ったところで、用件を伝え終わった白い羽は無責任にも溶けるように消え去ってしまった。 大魔術師として名高いアザゼル先生は、偉い人から内密に相談ごとをもちかけられることが多くい。今も、1週間程前から外国に行ったっきりなんだ。 連絡を取ろうにも――ぼくにはメサジュの魔法は使えないし、普通に手紙を書いたら届く頃には先生が帰ってきちゃうだろうしなあ。 「それにしても……セミヤザさんって聞いたことないな」 ヨギってのは聞いたことがあるけど。 ふーん、なんかおもしろそう。……って、言っちゃ悪いか。 「言っておくけど、インディ。めったなことを考えちゃだめだよ、キミはまだまだ半人前なんだから」 「えっ?! わっ?! ミュアっ?!」 ぼくの心を読んだようなタイミングの良さで、突然口を出してきたのは一匹の猫っ。 焦げ茶色のポイントの入ったシャム猫は、小生意気に水色の瞳をきらめかせながらぼくを見上げる。 しゃべることのできるミュアは、ただの猫なんかじゃない。アザゼル先生の飼い猫で、猫のくせしてぼくよりもずっと頭もよければ口も回る、とにっかく生意気な奴なんだ。 「なんだよ、ミュア。ぼく、まだなんにも言ってないだろ!」 「言われなくても、インディの考えていることぐらい分かるよ。キミ、先生の代わりにヨギの僧院に行こう、って思っただろ?」 ぎくっ。 「いいかい、キミは魔術師とはいえ、まだ半人前なんだよ。勝手なことをして、先生に叱られても知らないからね」 ぎくっ、ぎくっ! ――ん、まてよ? 「あっ、そうだ! ぼく、やっぱりセミヤザさんのトコに行かなきゃ!」 「インディ…!」 ミュアの非難を封じるため、ぼくは先手を打って早口に言った。 「だって、先生が留守なら留守って知らせてあげなきゃ! それって、弟子のぼくの役目だよな。半人前のぼくにはメサジュの魔法は使えないし、それならどうしたって歩いて行くしかないもんね♪」 ふっふっふ、こんな時には自分が半人前でとってもよかったと思ってしまうぞ? 「ほら、それにセミヤザさんって病気なんだぜ、せめてヤズゥの薬を届けてあげなきゃ。 うん、これは正解!」 「――やれやれ。キミって、変なところだけ頭が回るよね」 ミュアが苦笑交じりにうなずいた。 「じゃあ、ミュア、ぼくはちょっと行ってくるから、後はヨロシク!」 と、留守を押しつけようと思ったのは、甘かった。 「ちょっと待ってよ、インディ。キミ一人でなんて、危なっかしくて行かせらんないよ。ボクもついていくからね」 「ええ――?!」 冗談じゃない、ミュアがついてきたんじゃ、せっかくの解放感も半減だっ! 「いいよー、ぼく一人でっ。ぼくももう子供じゃないんだしさ、薬草を届けるぐらいできますよーだ」 「子供じゃない、なんて言ってる内は子供だよ」 幾つなんだか知らないけど、ミュアはやけに大人ぶった口調で言った後、とっておきとばかりにもったいぶって言った。 「それに、インディ。キミ、ヨギの僧院がどこにあるのか知っているの?」 「ぐぐ……っ」 そっ、そーいえば知らないっ! 「素直になりなよ、インディ。なにか、ボクに言いたいことがあるんだろ?」 ――ちえっ、教えてくれりゃあいいものを、ミュアの奴ってばもったいぶっちゃってさ。……けど、頼んだところで教えてはくれないのは分かっている。 「……ミュアも一緒に来てくれない?」 「ま、しょうがないな。いってあげるよ」 えらそうに言う割には、ミュアは出かけるのが待ち切れないようにぼくの肩に飛びのってきた。 「だいたいキミって奴は、ホントに調子に乗りやすいんだからお目付け役のボクがついていなきゃ、どんな無茶をするか分かったもんじゃないよ」 へえへえ、そーですか、そーですか。 なんせ、アザゼル先生ときたら、出かける前に思いっきりごちゃごちゃと用事を押しつけてくれて、いーかげんうんざりしていたんだ。 「さっ、さっさと支度して出かけようぜ!」 こうして、ぼくはミュアと一緒にヨギの僧院に向かって旅立ったのだった。そのせいで、とんでもない事件に巻きこまれるとも知らずに――。
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