プロローグ

 

「インディ! おーい、インディっ!!」

 屋根裏部屋にアザゼル先生の大声が聞こえてきたのは、まだ日も昇らないうちだった。 まったく、年よりって奴ぁ朝が早いんだから付き合いきれないね。

「ふわぁあい?」

 あったかい藁のベッドでぐずぐずしながら返事をすると、怒鳴り声がぼくを急き立てた。
 

「早よ、降りてこんかいっ! ヴァーニールへ使いに行って欲しいんじゃっ!」

「今から? すぐに?」

「そうだ。急いで届けてもらいたい物があるんだ!」

「……ふぁーい」

 こりゃあ、すぐ降りないと大目玉が落ちそうだ。ぼくは手早くパジャマを着替えだす。アザゼル先生の人使いの荒さは、いつものことだ。

 世間の人は偉い魔術師だって褒めたたえるし、ぼくだって先生と崇めるからにはそれなりに尊敬してるけど、でもこの人使いの荒さばっかりは、弟子入りしてから2年半経っても未だに慣れないぞ!

 ぼくの名前はインディ=ルルク。大魔術師アザゼル先生の弟子で、ただいま魔術師修行中。
 やっと、『新前』から『まだ未熟』な魔術師の卵になったってとこかな。

 でも、ちょっとばかり魔術の腕が上がっても、ぼくのしていることは以前と全然変わりがない。
 先生の命令には一も二もなく絶対服従、掃除洗濯は言うまでもなく、朝もはよから使いっぱしりをさせられる始末だもんね。

 ぼくが寝ぼけまなこをこすりながら降りていくと、先生は戸棚の奥から小箱を取り出しながら言った。

「遅いぞ、インディ。まったく、寝起きの悪さはいつになったら直るやら……」

 ぼやきつつ、先生は小箱をぼくの目の前において、説明しだした。

「用と言うのは他でもない。これを、ヴァーニールにいるフレイヤという娘に届けてほしいのだ」

「フレイヤ? 誰です、それ?」

「ワシの遠縁の一族の娘で、今度ハミ王国に嫁ぐことになったのだ。つまり、未来のハミ王妃じゃな」

 先生はそのお祝いに贈物を用意したらしい。出発はまだ先のはずだったので、折を見て出かけるつもりだったそうだ。ところが、なんでもハミの方の都合で、急に婚礼の予定が早まったらしい。

 2、3日中にも、ヴァーニールを出立するという知らせがあったらしい。……ぼくは聞いてないんだけど。

「ワシはここ4、5日は重要な用があって、どうしても動けんからな。しかたがないから、とりあえず贈物だけでもおまえに届けさせようと思ってな」

「そりゃあかまいませんけど、先生の用ってなんです? ぼくもお手伝いした方がいいんじゃないですか?」

「おまえじゃ、なんの役にもたたんわい」

 身も蓋もなく、先生はあっさりと言ってのける。
 ……えーえー、どーせぼくはお使いぐらいしか脳のない、出来損ない魔術師ですよーだっ。

「なにしろフレイヤの一族は物持ちだし、嫁ぎ先と言うのもハミの王家だ。そんじょそこらの物ではしかたがない。ワシにだけできる贈物を、と考えたのがこれだ」

 ぼくの憤慨も知らん顔で、先生は小箱を開ける。中に入っていたのは首飾りだ。

「どうじゃ?」

 聞かれて、ぼくは……返答に詰まった。
 別にぼくは首飾りに詳しいわけじゃないけど……でも、この首飾りはどう贔屓目に見たって、立派とはいえない代物だった。

 鎖は古びていて、今にもぷっつんと切れそうだし、色も形もバラバラな石がくくりつけられるようについていて  はっきし言って、センス悪いっ!

 お姫様に(あ、正確には王妃様か)なるような人に、こんなみすぼらしいものを届けにいくぼくの身にもなってほしいよ。
 でも、そう思ったのはぼくの早合点で、それはなかなか大したシロモンだったんだ。

「これは5つの精霊を封じ込めたものだ」

 先生は、一つ一つを指で指し示した。

「こっちから順番に、風、水、光、土、火。いいか、インディ、フレイヤに直接渡して、教えてやってほしいのだ。精霊の加護が必要な時には、石を外してそれぞれに精霊に呼びかける呪文を唱えれば、その場に適応した魔法が発動する」

 言うなればインスタント魔法ってわけだ、こいつは。

「インディ、言っておくが……」

 ぼくが一瞬考えたことを、先生は見抜いたらしかった。ギョロリとした目を剥いて、先生はこうつけくわえるのを忘れなかった。

「半人前とはいえ、おまえも魔術師の端くれなら、こういうものを便利だと思ってはいないだろうな。フレイヤは魔術師でもなんでもない。
 本来なら、精霊の力を軽々しく扱ってはならんのだ。しかし、旅の用心と思って、特別にワシの力を分けてやるのだ。おまえは自分で、こういう力を身につけねばならんぞ。それにはだな――」

「修行あるのみ! でしょ、先生?」

 んなセリフは百万回ぐらい聞いたもんね、先読みするなんてわけないさ。
 先生はまたギョロリと目を剥いて何か言いかけたが、どっこい、ぼくの方が早かった。


「で、場所は? ヴァーニールのどこですか?」

「行けば分かる。ヴァーニールの町でも、一番大きな館だ。白い丘の上にある――」

 より一層不機嫌になった先生の声を、明るい声が遮った。

「ボク、知ってるよ」

 ようやく朝日の差し込んできた出窓の所に、いつのまにかミュアが座っていた。
 ミュア――先生の一番弟子だと自称する、物知りなおしゃべりマジカルキャット。

 焦げ茶色のブーツを履いたみたいな足をそろえ、水色の瞳でボクとアザゼル先生を代わりばんこに見つめている。枯れ草色の体が露に濡れて光っているところを見ると、ちょうど朝の散歩から帰ってきたとこらしい。

「前に行ったことあるもの」

「おお、そうだったな。じゃあ、案内してやってくれ」

「うん、いいよ。インディ一人じゃ心配だしね」

 ミュアはすとん、と窓枠から飛び下りた。長い尻尾をピンと立てて、もったいぶった様子でぼくの側にとやってくる。
 ちぇ、ちぇ、ちぇっ!
 ミュアの奴、猫のくせにまた先輩ぶっちゃってさ!

「おお、それからな」

 ミュアをけっとばしてやろうかと考えてると、また先生が言った。

「ついでに買い物をしてきてくれ。岩塩と、サラトガの香料が切れているから」

 先生は無造作に、2000Ψ程入った皮袋をぼくに渡した。

「届け物と、お使いと――」

 ミュアが指揮でも取るように尻尾を振り、前足で髭をこすりながら言った。

「うん、多分、暗くなる前には戻ってこれるよ」

 そんなわけで、ぼくは精霊のロッドも持たずに出かけたんだ――。
                                   《続く》

 

1に続く
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