Chapter. 1 フレイヤを追って、あっちへこっちへ

  

「ちえっ、おまえなんかついてこなくったって、よかったのに。場所は行けば分かるって、先生だって言ってったじゃないか」

 先生の館のある丘を降りながら、ぼくはミュアに言ってやった。

「余計なお世話なんだよ、案内なんてさ」

 でも、ぼくがいっくら文句を言っても、ミュアはびくともしなかった。

「じゃあ、インディはインディで勝手に行けば? ぼくはぼくで行くから」

「だ〜か〜らっ、なんでおまえが行かなきゃいけないんだよ?! どうせなら、代わりにお使いしてこいよっ」

 ミュアは、フンとバカにした目付きでぼくを見た。

「お使いを言いつけられたのは、インディだろ? ボクはフレイヤに会ってもいいな、って思ったから行く気になっただけだもん」

 なっ、なんて生意気な猫なんだっ?!

「なら、別々に行こう! そうだ、そうしようぜ!!」

「いいよ」

 ――しかし、別々に行こうにも、道は一本道。
 結局、ぼくとミュアは互いにそっぽを向きながら、一本道の両端を並んで歩くことになった。わざとなのか、そうなってしまうのか、ミュアはほとんどぼくと同じ速度で歩くから、これじゃあ一緒に行ってるのと変わんない。

 てくてく、てくてく歩き続けて、いーかげんに疲れたぼくは村と村の中間地点ほどに植えられている雨宿りの木を見つけたところで一休みすることにした。
 木の根元に座ったぼくの側に、ちょこんとミュアも座り込む。

「……なんだよ、別々に行くんじゃなかったのか?」

「ボクも疲れたから、一休みするんだよ。インディ、ボクの分のミルクを持ってるんだろ? 早く出してよ」

「ほんっと、ずーずーしいよな、ミュアって」

 とは言うものの、ぼくも用意してきたごはんをミュアに分けない程腹も立っていないので、ミュアの分を渡してやった。ともかく、おなかに物を入れるといらだちも収まるもんで、ぼくもミュアもなんとなく機嫌をなおしていたりして。
 我ながら、現金なもんだ。

「ねえ、インディ。どうして、ロッドやブーメランを持ってこなかったんだい?」

 休む時にマントを外したせいで、ミュアはぼくが武器を外してままだと気づいたらしい。
「出かけに急いだから、忘れてちゃったんだ」

「なら、引き返せばよかったのに」

「だって、単なるお使いだろ? 別に、いちいち武器なんて持ち歩く必要ないじゃん」

 旅にでるとか、もっと遠い場所に行くならともかく、半日で行ける場所に行くのに武装していくなんてすっごくバカげた気がして、わざと持ってこなかったんだ。
 それに最近は、あんまりロッドやブーメランを持ち歩く気になれないんだよな。なんてゆーか、……子供っぽい気がしてさ。

 それなりに魔法を使えるようになったとはいえ、結局ぼくの魔力じゃ日常的に使えることもないから、ロッドなんて持ってても荷物になるだけなんだ。
 ロッドをもらって、多少の魔法を操れるようになったばかりの頃は、ぼくはすっかり有頂天になってどこに行くにもロッドを手放さなかったけど、今は違う。

 伸び悩みっていうのか……どうも魔法の上達が遅くなった気がするせいか、いまいち魔法の訓練にも身が入んない。今になってから思うのもなんだけど、ぼくって魔術師に向いてないんじゃないかって、根本的な疑問さえ感じるもんね。

 ――と、そんな事を考えていると、ミュアがじぃっとぼくを見上げているのに気づいた。まるで、ぼくの悩みを見抜いたような目にドギマギしてしまう。
 それをごまかそうと、ぼくは元気よく立ち上がった。

「さぁーて、そろそろ行くかあ。ところでさあ、ミュア。おまえ、フレイヤって知ってるわけ?」

「そうだよ、あのお屋敷には前に先生と一緒に行ったことがあるんだ。フレイヤとは仲良しさ。かっわいいんだぞ、うにゃにゃ」

 話を反らしたことにも気づかず、ミュアは得意げに笑う。

「おっまえなあ……その笑い方、なんとかなんないのかよ?」

 そんな事を言い合っているうちに、ぼく逹はヴィーニールについた。初めて来たけど、ヴィーニールはとっても立派な町だ。
 大きな円形の広場から、何本もの石畳の道が広がっていて、そのうちの一つは町外れの小高い丘に向かって、真っ直ぐ伸びていて――。

「あれがそうだよ、あの丘の上にあるヤツ」

 ミュアは気軽に言うけど……。

「ふぇええっ、すっげえお屋敷!」

 同じように町外れの丘に立っているとはいえ、アザゼル先生ん家とはえらい違いだ。
 ふもとから中腹にかけて、白い光沢のある石の壁がうねうねと続き、見栄えのいい離宮がいくつも配置されている。

 それを渡り廊下らしき物で繋いであるという建物は、古くからある宮殿の造りと同じ物だ。
 そして、一番大きな館そのものは、ほとんどお城っ!

「はあ……」

 これはもう、溜め息をつくっきゃない。予想をはるかに越える豪邸に呆然とするぼくを、ミュアが軽くひっかいた。

「なにしてんだよ、インディ。早く行こうよ」

 ミュアは慣れた様子で、とことこ駆け出した。……や…、やっぱ一緒に来てよかった、かも。
 ぼく逹は白い館の門をくぐった。が、フレイヤにはあえなかった。
 と、いうのも――。

「あら! まあまあ、どうしましょ。実はね、あの子、今朝出発したところなのよ。いえ、本当は明日の予定だったんですけどね、船の都合で急がなければならなくなったの、タナでハミの使者の方々と落ち合って、そこから船に乗るんですよ」

 でっぷりと太った、気さくなおばさん。
 とてもこの豪邸に相応しいとはいい難いけど、この人がフレイヤのお母さんらしい。

 アザゼル先生の紹介状がきいたのか、ぼくとミュアは立派な客間に通され、奥様と直接ご面会してるってわけだけど……お母さんがこの『奥様』じゃ、フレイヤについてはあんまり期待できないかもな……。

 さっさと首飾りを押しつけて帰ろうと、ぼくが簡単に先生の伝言を伝えると、お母さんは大袈裟に首を傾げた。

「ええ、アザゼル様のせっかくの心遣い……ねえ、あなた、ご苦労だけど追いかけて行ってもらえないかしら? そうね、今からなら、アバシュの村で追いつけると思いますわ」
 

 じょおっだんじゃないっ! ――と、思っても、そうは言えないこの辛さ。

「は…はあ…」

「あのね、夕方迄には戻れるでしょうけど、もしも遅くなるようなら、アバシュの村で宿をおとりなさい、夜道は危ないから」

 勝手に往復のお使いを決め込んだお母さんは、お金が入っているらしい皮の袋を、中も見ずにそのままくれた。

「え、あの、そんなのはいいんですけどぉ……」

 ぼくはもじもじしている理由を、フレイヤのおかあさんはちっとも気づいてくれやしない。また、ミュアときたら、こんな時に限ってだんまりを決め込んで、ちっともしゃべってくんないし。

「じゃあ、急かして悪いけど、さっそく行ってくださいな」

「……はあ…」

 今更嫌だと言うわけにもいかず、こーしてうやむやのうちに、ぼくはアバシュの村に向かうことになったのだった  。


「もう、なんだってんだ、あっちに行けっ、こっちに行けって!」

 白い丘の館を出たぼくは、ぶつぶつぶつ文句を言わずにはいられない。

「往生際が悪いよ、インディ。引き受けたのはキミだろ」

 ミュアが言うけど、これがぶつぶつ言わずにいられますかってんだ!

「おまけに夜道は危ないって……子供じゃあるまいし、ぼくは一応魔術師なんだぞっ、お駄賃をもらったって」

 そこまで言ってから、ぼくはまだいくらもらったか確かめてないことに気づいて、皮袋をチェックしてみた。

「――やった!」

 なんと、5000Ψも入ってるっ!! さっすが、お金持ちっ!

「急ごうぜ、ミュア! ぐずぐずしてるとアバシュで追いつけないぞ」

「コロッと変わっちゃって……ホント、現金なんだから」

 ミュアの皮肉なんか、無視だっ、無視!
 そんなこんなで、ぼくとミュアは、今度はヴァーニールからアバシュに向かったんだ。

 行く手には、なだらかな山の稜線が連なっている。やがて、一番近く野山のふもとに、こじんまりと整った村が見えてくた。
 少し、赤みがかった石の建物が、どことなく変った感じ。アバシュはヴァーニールの地でも端っこの方にある辺境の村だった。

 街道はここから二つに分かれ、東側の山を越えれば、タナの地。
 南側の山を越えれば、カイルの地。

 ――もちろん、これらはミュアが知ったかぶりで言った知識で、ぼくは行ったこともなきゃ、知りもしなかったけどさ。
 ともあれ、アバシュの村に入ったんだけど……やけに、村はざわついていた。

「なんか、あったのかな?」

 市場が立っているとか、お祭りがあるって感じじゃなく、村人達は怯えたようにざわめいていた。村の真ん中の集会所らしき建物に、ひときわ人だかりができている。
 なんとなく、ぼくはそっちに行ってみた。

「山犬どもが掘り返したんじゃないか?」

「いや、山犬なんかの掘った穴じゃねえ。だいたい、山犬が棺まで…」

「なら、死人がひとりでに起き上がったとでも? そんな、馬鹿な!」

「だったら、自分で見てこいよっ!」

 もめる村人の会話に、ぼくはスキを見て割り込んだ。

「あのおっ、すいません」

 フレイヤのお母さんから聞いたフレイヤ一行の特徴を話すと、村人達はすぐに思い当たったみたいだった。

「ああ、あのヴィーニールの人逹の一行か。ちょっと前に、ここを通っていったがね」

 一足違いか。

「とにかく、墓が荒らされたとあっては、ほうってはおけんぞ、なんとかしなければ」

「司祭を呼べっ」

「いや、呪術師だっ」

 ぼくとミュアは顔を見合わせる。おもしろそうな話ではあるけど――。

「……関係、ないもんな」

 とにかく、タナで用事をすませなくっちゃ。

「確か、タナで使者と落ち合うって言ってたよな」

 王族の使者と落ち合ってからは、そう簡単に面会できなくなる。いかにぼくがアザゼル先生の紹介状を持っているとはいえ、手続きとかめんどくさくなるのは目に見えている。 できるなら、その前に用をすませておきたい。

「タナなら、東の道だよ」

 ぼく達は、すぐにアバシュの村を出た。

 

 

「ん? あれは……」

 アバシュを出てまもなく、さしかかった峠。
 向こうから5、6人の人が馬で下ってくるのが見えた。立派な縫い取りの入ったマントといい、見え隠れする豪華な服装と言い、普通の旅人とも思えない。

「フレイヤの一行かな?」

 フレイヤのお母さんから聞いた話だと、人目に立つのをさけてごく少数の、5、6人程度の地味な一行を仕立てたと聞いた。……しかし、これだけ立派な服を着てて『地味』っていうのも……つくづく、金持ちの人の考えることって分かんないや。

「あれ、フレイヤの一行かな?」

「でも……」

 ミュアが断りもなくぼくの肩に飛び乗り、目を凝らす。

「フレイヤはいないよ」

「でも、聞いてみるだけは聞いてみるか」

 ぼくは降りてくる一行を待ち、作法通りに身分を明かして上で、事情を説明してみた。


「おお、それはそれは。主人、フレイヤ様に代わって御礼申し上げまする」

 一人が、馬から降りて丁寧にぼくに一礼する。
 やっぱり、フレイヤの一行だったんだ。

「フレイヤ様はハミ王国の使者の方にお渡ししまして、我らはヴィーニールに帰る途中なのです」

「お渡ししたって……ハミ王国の使者とは、タナで待ち合わせるはずじゃ?」

 それにしちゃ、戻ってくるのが早すぎるよな。

「それが、ハミ王国の使者の方々は、わざわざ出迎えに見えられましてな。ハミ王国の大臣アマフト様の印をお持ちでしたし、あちらの国情の都合ともなればしかたがありません」


 そりゃ、送るあんた逹はそれでいーかもしんないけど、追っかけてるぼくの身にもなってくれいっ!

「なに、少し前に分かれてきたばかりですからな。馬を使えば、ミミールの井戸あたりで追いつけましょう。なんなら、私がそれをお届けしましょうか?」

 渡りの船のお言葉に、ぼくが喜んで甘えようとした時に、一人がいらん反対をした。

「しかし、物は魔法の品なのでしょう? それならば、やはりインディ様に送り届け願った方がよろしいのでは? なんといっても大魔術師アザゼル様の直々のお祝いの品、ゆめゆめ粗略に扱うことは許されませぬ」

 そ、そんなご大層なもんじゃないっつーにっ!!

「おお、それもそうですな。では、私の馬をお使い下さい。馬で走れば、すぐにフレイヤ様に追いつきます」

 結局、ぼくは無理やり馬を譲られて、自力でフレイヤを追うことになってしまった。ちえっ、馬は苦手なのに〜。

 

 

 

「わっ、わわっ?!」

 慣れない馬にしがみついて、ぼくはなんとか峠を越えた。
 もう、ここからはタナの領域だ。うねうねと下り坂が続いている。

「インディ、あれだ!」

 ぼくの肩で見事にバランスを取っているミュアが、先に気づいた。
 谷間を行く、10人ばかりの徒歩の列。輿やら、荷物やらを持っていて、中の一人だけ馬に乗っている。

「ラッキー! 意外と早く、追いつけたな」

 スキあらば振り落とそうとする馬にてこずっていたぼくは、心底ホッとした。だいたい予定外にあちこちに行かされて、もううんざりしてたんだ。

「こうなりゃ、走っちゃえ」

 ぼくは馬を飛び下り、手綱をつかんだまま走り出した。情けないけど、この方が早いっ。
 一行はゆっくりと、というより、やけにのろのろと進んでいて、追いつくのは簡単だった。でも、ぼくが呼びかけても一行は振り向きさえしない。

「待ってくださいーい、待って……ええーい、待てって言ってんのにっ!」

 何度目かに怒鳴ると、やっと、一行は足を止めた。
 ぼくはぜいぜいあえぎながら、やっと追いついた。

「フレイヤ!」

 ミュアが、呼びかける。
 列の真ん中で、馬に乗っているのがそうらしい。旅のマントにくるまっているけど、確かに女の子だと分かる。

 が、どういうわけなのか、お供のハミの使者逹さえようやく振り向いてぼく逹を見ているのに、一人だけ背を向けたままだ。……ぼく逹のこと、警戒してるのかな?

「フレイヤ、ボクだよ! ミュアだよ!!」

 が、ミュアの叫びにも反応なし。

「…………無視されてるぞ、ミュア」

 ――まさか、ミュアがフレイヤと知り合いだってのは、ただのハッタリだったんじゃ……。そんなぼくの疑いの視線を感じ取ったのか、ミュアがムキになったようにフレイヤの方へ駆け出した。

「フレイヤ!」

 と、お供の男達がゆっくりと、それでいていやな雰囲気でたちはだかった。ぼくはわけを話そうと、慌てて首飾りの箱を取り出した。

「待って下さい、ぼく逹、怪しい者じゃありません。ぼくはアザゼル先生の弟子で、えっと、首飾りを――わっ!」

 ぎょっとして、ぼくは息を飲んだ。
 男達が奇妙な動作で一歩退き、そのまま立ちすくんだからだ。ゾッとするような変化を起こしながら――。

 腐臭が、あたりに立ち込めた。
 あまりに意外なことだったので、ぼくはその意味にはなかなか気づかなかった。
 今の今まで、ごく当たり前の格好をしていた男達の顔が、溶けていく。肉が腐り、どろどろと滴り落ちていく。目玉が外れ、重たげにとろりとぶらさがった。

 顔や腕だけじゃなく、マントの下でもおぞましい変化は進んでいた。
 肉の盛り上がりをなくした体に、衣服がだらりをまとわりつくのを、ぼくは呆然として見つめていた。

「ゾンビだ……っ! こいつら、ゾンビだったんだ……」

 ゾンビを見るのは初めてじゃない。
 が、何度見ても慣れないおぞましさに、ぼくは吐き気をこらえるのがやっとだった。

「黒魔法だ! ……そうか、だから先生の精霊の首飾りで正体を現して……あっ、フレイヤがっ!!」

 ミュアが、珍しく切羽つまったような悲鳴をあげた。
 見れば、馬は勝手に進み始めていた。フレイヤはまったくこちらを見向きもしない。――何者かに操られているのかもしれない。

「インディ、フレイヤをっ! ……わあっ?!」

 追いかけようとするぼく逹を、ゾンビどもが阻んだ。
 ――くそっ、こんな時に限ってロッドもブーメランも持っていないなんてっ!!
 しかし、今更悔やんだところで後の祭り、ぼく逹はゾンビに取り囲まれてしまった。

 とっさに石を拾って、投げつける。


 ――グシャアッ!!


 いやな音がして、ゾンビの胸元に命中! そいつはぐらっとよろめいた。が、そんだけ。
 腐った肉に石を食い込ませたまま、ぞろり、と足を引きずって前に進む。思わず一歩下がったぼくに、別の奴が腕をのばしてきた!

「くそっ!」

 とがった石で、思いっきり払いのける!

「どわぁあっ!!」

 腕の半ばがもげたと言うかつぶれたと言うか、どろどろの肉が飛び散り、ぼくは悲鳴を上げた。それでも、そいつは平気だ。
 ……くそっ、こっちの方が先に心臓麻痺を起こしそうだっ!

「ちくしょうっ、こんな低級黒魔法なんか、ロッドさえあれば……!」

 ああ、どうしてぼくはロッドをおいてきちゃったんだろう!!

「首飾りだっ、インディ!」

 ミュアに言われて、ぼくはハッと思い出した。
 そうだ、なにもオタオタすることなんてないんだ。精霊の石の首飾りを使えばいいんだ!
 本当はフレイヤのものだけど、場合が場合だ。

「えっとぉ、ええと、こっちから順に、風、水、光、土、火だったな」

 ぼくは急いで、石を一つ外して手に握り込んだ。

「火の精霊よ、ここに力を!」

 短い呪文を唱え、地に石を投げつける。
 と、炎がほとばしった!
 精霊の炎は一気に膨らみ、黒魔法に操られたゾンビどもを灰にした。

「ふぅっ」

 ゾンビどもは全滅。きれいさっぱり、痕跡すら残らない。
 どんなもんだい、と言いたいとこだけど――。

「インディ、勘違いしちゃだめだよ」

 ミュアがちゃっかりと先回りする。

「アザゼル先生の力だよ、石に精霊の力を封じ込めたのは、先生だからね」

「ふん、分かってるさ、そんなこと! どーせ、この石は魔術の魔の字も知らない奴でも使え――あーっ」

 なんて、ごちゃごちゃ言ってる場合じゃないっ!
 フレイヤを乗せた馬は、谷間のずっと先の方へと行っている。ぼく逹は慌てて追っかけだした。

「インディ、気をつけて。フレイヤにはまだ、黒魔法が効いている。……様子を見た方がいい」

 ミュアの注意に、ぼくはフレイヤから少し離れて、後をつけることにした。フレイヤは見たところ、馬の手綱も持っていないのに、馬は操られたようにゆっくりと歩を進めている。

 街道を少しそれた、低い石積みの囲み。
 小さな町の広場ほどの大きさだ。かなり古い物らしく、あちこちと壊れたそこは、なにかの遺跡のように見えた。

「あ、まずい」

 フレイヤは馬を降り、石囲みの中にすっと消えた。ぼく逹も慌てて後を追う。

「ここ、なんだろ?」

 中央に、大きくはないが深そうな穴がある。そう、ちょうど井戸みたいな。
 脇に水瓶を抱えた、女神かなにかの像。
 周囲の地面は石で固められ、螺旋状に緩やかなスロープがついていた。

 フレイヤはそこをふらふらと歩き、穴の底に向かう。フレイヤの頼りなげな細い影が、細く、長く伸びていた。
 その影が女神像に届いた時、像の影がすっと動いた。――いや、女神像の影から、誰かが現れたんだ……!!

 黒ずくめの小柄なそいつは、人には違いなかった。が、大きく傾いた陽が、オレンジ色に照らし出したその顔は、およそ人間離れしたものだった。
 

 のっぺりとして鼻も口もない。アーモンド型の目だけが、ぽっかりと――仮面なのだ。
 腕以外はマントですっぽりと覆われて、体付きさえ分からない。しばし、ぼくはその異様な姿に目を奪われた。
 が、仮面の人物が弓矢をつがえたのを見て、ぼくは弾かれたように駆け出した!

「やめろおっ!」

 仮面の人物はギクリとしたように、フレイヤにむけた弓矢を下ろした。不気味な目の孔が、ぼくの方を向く。まったく影のように佇んででいたかと思うと、いきなり腕を突き出してきた。
 そして、気合いのような叫び。

「ハッ――!!」

 呪文か?!

「インディ、危ないっ!」

 ミュアの注意に、ぼくはスロープの石積みがぐらっと揺れるのに気づいた。とっさに後ろに跳ぶ。
 目の前で、崩れ落ちてきた石が粉々に砕け散った。

 ぼくがかわしたと知るや、相手は甲高い叫び声を上げた。今度は呪文と言うより、何かの合図に聞こえる。
 別の声がそれに答えた。

 石をすりあわせるような、嫌な響き。どこに潜んでいたものか、大きな鳥……いや、寸づまりのドラゴンが飛び出してきた!
 巨大なコウモリにも似た、奇怪な姿の化け物だ。
 たまらなく嫌な鳴き声を張り上げ、頭上をかすめ飛ぶ。

「くっそお」

 ぼくは迷わず、首飾りの石を握った。今度は――風の精霊だ!

「風の精霊よ、ここに力を現せっ!」

 呪文と共に精霊の石を投げつけた瞬間、見えない波が押し寄せ、ぼくを地べたに叩きつけた。
 かわされたか――?!

 だが、その見えない力は一瞬にして去った。ぼくが急いで起き上がった時、仮面の人物は信じられないジャンプ力で、醜いドラゴンに飛び乗った。
 精霊の力が敗れたわけじゃない、確かに相手の黒魔法をくじいたんだ。
 そいつはアッという間に逃げ去った。

「何者だ、あいつ……」

 顔は見えなかった。
 が、背格好はぼくとほぼ同じ位、手や肌のつやから見て、おそらくかなり若い。それでいて、あいつはぼくには使えない魔法を幾つも使ってみせた。しかも、精霊魔法よりも習得の難しい黒魔法の使い手だ。

「どうやら……フレイヤはずいぶんと厄介な事件に巻き込まれたらしいね」

 小生意気なミュアの意見だが、ぼくも今回ばかりはまったく同感だった。このままじゃすまないような――そんな嫌な予感がしたんだ。
                                    《続く》


 

2に続く→ 
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