Act.3 約束と、解放の伝承 |
「さて、と。これで準備はできたね。じゃあ、行くよ、アドル」 なんとか酔いもさめ、一通りの防具やら旅支度はすんだ。となれば、後はサラさんの忠告通り、ゼピック村のジェバって人に会いに行くっきゃない。 そのおばあさんが、次に何をすればいいのか教えてくれるはずだ。ちょっとは明るくなってきた見通しに、ぼくは元気良く町から出て歩き出した。 『ところでヒロユキ、おまえ、ゼピック村がどこにあるのか知ってるのか?』 ピタッと足が止まった。 「え〜っ、アドル、知らないの?!」 『悪かったな。』 憮然とした声が、頭に響く。 『言ったろ、オレだってここは最近に来たばっかりなんだよ。』 「困ったな、それじゃあ、ぼく、いったいどこに向かって歩いていたのさ?」 『そんなの知るかいっ!』 しょうがない、町に引き返して誰かに道を聞いてこよう。 ぼくとアドルの会話――正確に言えば、アドルの声は他の人には聞こえないから、ぼくだけの会話を聞いていたらしい。 「あのう、すみません、道を教えていただきたいんですが」 逃げられるかと思ったけど、その子は小首を傾げて立ち止まった。とはいえ、どこか異様な物を見るようなその目付きと言い、そこはかとなく怯えたようなその態度と言い、……かんっぜんに誤解されてるっ。 ああ、アドルと話す時はもっと気をつけることにしよう。 「ゼピック村へ? ……あなたが?」 不思議そうに、少女が瞬きする。 美人っていうよりは可愛いって言った方がぴったりする子で、まっすぐに人を見る瞳が印象的だった。 かすかにウェーブがかかった髪が、明るい空色で、瞳の色は緑とも青ともつかぬ深い色合い……日本で生まれ育ったぼくにはそんな色は不自然に感じるけど、この世界ではそんなのが当たり前なのかもしれない。 「ええ、ゼピック村に。ジェバって人を尋ねに行くんです」 「まあ……」 くすっと、女の子が笑った。ようやく警戒心を解いた彼女の表情に、ぼくは思わず見とれてしまった。 「ゼピック村に行くなら、町の東側の出口から出ないと駄目ですよ。 先に立って歩き出しながら、彼女はレアと名乗った。吟遊詩人で、あちこちを旅しながら大切な人を探しているのだと言う。 「でも、最近は本当に物騒で……この間など盗賊にハーモニカを盗まれてしまいました」
「ええ、とても。銀でできたハーモニカで、綺麗な音がするんですよ」 無くした物はしかたがないと言う彼女の穏やかな笑顔に、ぼくはもし、機会があったら必ず取り戻してあげようと決めた。ドニスにサファイアのネックレスを取り戻してあげたみたいに。 『ヒロユキは、ホントにお人好しだな。』 ぼくの心を感じたのか、アドルが笑う。 『それとも、彼女に惚れたか? とびっきり可愛いもんな。』 「そんな下心はないよーだ」 思わず小声で言い返すと、レアが不思議そうに首を傾げた。 「え? 何か、言いました?」 「いっ、いやいや、なんでもっ! ただの独り言っ」 慌ててごまかしながら、ぼくは声に出さずにアドルに文句を言った。 (アドルだって、分かっているくせに!) その文句に対する返事はないけど、アドルの思いもぼくには分かる。 そう ちょうど、母親のような……現実の母さんじゃなくって、小さな頃に極度に理想化して考えた『母』のイメージに近い。ぼくは別にクリスチャンじゃないけど、なんとなく、聖母マリアを連想してしまう。 アドルの身内はもういないって聞いたけど、アドルも同じ思いを抱いているのがぼくには分かる。わざと『惚れた』なんて下世話な言い方をしたのは、アドル特有のからかいってものだ。 「ゼピック村はこの道沿いに真っ直ぐです。森に囲まれた小さな村ですが、平和でいい所ですよ」 町の出口まで送ってくれたレアは、そう教えてくれた。 「どうもありがとう。あのさ、レアはどこに行くの?」 「私ですか? 当分は、このミネアの町にいますわ」 ふむふむ、これでハーモニカを見つけた時にどこに行けばいいのか確認できたぞ。 「では、気をつけて……最近は魔物も多いですから」 町を離れるぼくに、レアはいつまでも手を振ってくれた。ちょうど、初めてお使いに出た小さな子を見送る母親のように。 『いい子だな。ハーモニカ、見つかるといいな。』 人気のない道に出ると、アドルと話すのになんの気遣いもいらなくなる。 「うん。そうだね」 本当に、どことなく不思議な、でも素敵な女の子だ。
『こーゆー時はまず、村長の家に行けばいいんだよ。こんな小さな村は閉鎖的だからな、面倒でもちゃんと筋を通した方がいい。』 「でも、村長の家も分からないんだよ?」 『そんなの、簡単に分かるさ。ヒロユキ、家の扉に注意しながら歩いてみな。』 アドルの言う通りにゆっくり歩いていくと、特に大きくも立派でもない家の手前で、アドルがぼくを止めた。 『ストップ! ここが村長の家だ。』 「え? どうして分かるんだい?」 『ほら、扉を見てみろよ。盾の模様が刻まれてあるだろ? これはな昔からの習慣で、村長の家はここだと現す印なんだ。 「へー、そうなんだ」 そんな習慣はぼくは聞いたことも、見たこともない。やっぱり、ここは異世界なんだ。 木の扉をノックすると、壮年の男の人が出てきた。 「どなたかね?」 意志の強そうなぶっとい眉が目につく男が、ジロッとうさんくさげにぼくを見た。 「あ……あなたが村長さんですか? ぼく、えーと、その……」 うっかりと本名を言いそうになって口ごもると、アドルがフォローしてくれた。 『アドル=クリスティン。イースの本を探している冒険者です、って言いな。』 アドルの言葉通りに言うと、急に男の顔付きが変わった。 「ほう、そうかい、そうかい。イースの本を探しているのか、なるほどねえ。いやあ、よくこの村にきてくれたね、わしはこの村の村長だ」 打って変わってにこやかにそう言うと、村長はぼくを中に通してくれた。 「そうか、イースの本を探しているのか、うん、若いのになかなか見所があるねえ」 掌を返したような歓迎ぶりに、ぼくは戸惑った。そんなぼくの戸惑いにお構いなしに、村長は話を切り出してきた。 「ところで旅のお方。恥を晒すようで言いにくいのだが……実はこの村の象徴である銀の鈴が、神殿に戻ってしまったのだ。ここ数年、凶作続きだわ魔物が多くなるわで、少々、作物の値を操作してしまったのが、原因だと思うのだが……。 「はあ?」 何か聞く前から、いきなり頼みごとをされちゃったぞ? それに、神殿に戻ったって?
うむむ、つまりはぼくの立場って、警察官みたいなもんなのか。 「でも、なんでそれが神殿に?」 『神から与えられた神器は、持ち主が資格を失うと自動的に一番近くの神殿に戻るんだ。 …………慣れてきたとはいえ、ホント、この世界ってぼくの知っている世界とは常識が違うなあ。 「分かりました」 引き受けると村長はすっごく喜んで食事でもと薦めてきたけれど、ぼくはそれを辞退してジェバの家を教えてもらった。
ぼくがクリスタルを見せると、ジェバばあさんは喜んで迎えてくれた。 「イースの本を探しておるのじゃろう? わしは確かにその一冊を預かる者じゃよ。持ってゆきなさい」 拍子抜けするぐらいあっさりそう言い、ジェバが渡してくれたのは小さな本の形をした彫刻だった。 「――これのどこが、本なわけ?」 手にした本は、驚くほどに軽かった。 「これっていったい、中には何が書かれているんですか?」 「それは6冊の本を集めた者にしか、分からんことじゃよ。古来より、イースの本は6冊そろって初めてすべてが分かると言われておる。 「イースの復興?」 占い師サラから聞いた、イースの国。 アドルでさえ、こう言った。 「でも……エステリアはかつてイースだったんだろう? なのになぜ、そうまでイースに拘るのかな。まるで、イースとエステリアは別の国みたいだ……」 アドルの返事を期待しての独り言に、ジェバが反応してくれた。 「ふむ、おもしろいことを言うのう。……まあ、確かに同じ場所にあるわいな。 「へ? 対照的って…?」 『おまえには分からないか? 二つとも、オレ達の世界の古い言葉なんだよな。 「ああ、なるほどね」 アドルの説明に、ぼくは今度こそ深く納得した。 「でも……名前の字面だけ聞いていたら、イースよりもエステリアの方が良さそうな気がするけど。 ぼくの素朴な質問は、ジェバにとっては明らかに予想外の、それこそ常識のかけらもない発言だったらしい。 「なるほど、変わっておるのう。サラが選ぶわけじゃ」 「――どーいう意味?」 「なに、褒めておるんじゃよ。今までのイースの探索者とは全く違っておる。……おぬしならば、イースの本をそろえることができるかもしれぬの」 一人で頷いてから、ジェバは困った風に眉を寄せる。 「ふむ……何から話したものかのう」 しばらく悩んだ末、ジェバはこんな風に話を切り出した。 「はるか昔、イースは楽園だった……いくらおぬしでも、それぐらいは聞いたことはあるじゃろう?」 ぼくは頷いた。……昨日聞いたばかりとはいえ、聞いたことがあるのには間違いない。
「クレリアって、何?」 「不思議な力を持つ金属じゃよ。それが具体的にはどんな物であったのか、文献には残されておらぬがのう。 そして、イースは滅びた……今から百数十年以上も昔の話じゃ。だが、人々の記憶にはいまだにイースは息づいておる。魔の横行するこの現実の地よりも、誰もが楽園を懐かしむ。 人々は見たこともないイースの話を子供達に語り継ぎ、楽園の再興を夢に見る。イースの本をそろえようとする者は、いつの世にも後を絶たぬものよ」 語り部のようなジェバの話には、説得力があった。でも、ぼくはそれに素直に頷けなかった。 「でも、それって、ちょっと変だよ」 『おい、ヒロユキ。 咎めるようにアドルがぼくをたしなめたけど、でも、ぼくにはどうも納得できない。』 「いくら懐かしんでも、『昔』が戻ってくるわけじゃないんだ。 人間、その気になればどんなに環境が変わったって頑張れるはずだ。 なんせ、いきなり異界に放り出されたぼくが言ってるんだから、間違いない! 「イースに住んでいたのは、人だけではなかったんじゃよ――イースは、女神の治める国じゃった。常に、二人の美しい女神が人々に幸せを約束してくれたのじゃよ。 「め、女神ィ?」 なんか、話がいきなりぶっとんだな。 「そうじゃ、もうその名も忘れられた女神達じゃ。 「……女神でも死ぬの?」
「幸せを約束してくれた女神と楽園が消え、残されたのは魔が解放された島……人々の心が過去に惹きつけられたとして、誰がそれを責められるかのう?」 そう言われると、しょせんはこの世界に迷い込んできただけのぼくには、もう、言うべき言葉を失ってしまう。 「これは2冊目のイースの本の手掛かりじゃ。 イースの本は人を選ぶ本じゃ……おぬしにその資格がなくば、その本は再びわしの元に戻ってくるじゃろう。
アドルがそう話しかけてきたのは、ジェバの家をそそくさと立ち去った後、第二のイースの本があると言う北の神殿に向かっている最中のことだった。 「んー、なんかさ……。ぼく、何をやってんだろうなって、思ってさ」 イース。 「そりゃあこの世界の人にとってはイースってのは、大切なものなのかもしれないけどさー、ぼくは見たことも聞いたこともないんだもんなー」 それなのに、イース復活のために動く……って言うより動かされるのは、少なからぬ抵抗がある。 『そんなの、気にするなよ。』 ぼくの落ち込みを感じ取ったのか、アドルはぼくの心を見透かしたような口調で言った。――実際、見透かしてるんだろうけど。 『別にこの世界の住人全部が、イースだの神頼みだの、そんなのだけを頼りに生きているわけじゃないよ。 きっぱりと、アドルが言い切った。ぼくを慰めるためのおためごかしとはかけ離れた、サバサバした声音で。 『イースに拘るかどうかなんて、人それぞれだろ。』 「う……ん、そうだね」 そうだ、アドルの言う通りだ。 「ありがと、アドル。ちょっと、元気でた」 『そうか。じゃ、張り切って行こうぜ。まずは北の神殿へ!』
|