Act.5 サラが伝えてくれたこと

 

   『おい、見てみろよ。フィーナのいた所を』

「ん? これ?」

 アドルに言われて初めて、ぼくは壁のレンガのような石の中で一つだけ色違いの物があることに気がついた。
 ちょうど、手枷で捕らわれていたフィーナの真後ろに隠れる位置にある。

   『なんかの仕かけっぽいな。ヒロユキ、ちょいと触ってみろよ』

 言われるままに触ってみると、不意に壁ごとボロッと崩れた。

「わわっ?! ぼ、ぼく、壊すつもりなかったのにっ」

   『なにバカなこと言ってんだよ、これは隠し部屋の入り口だ!
 おたついてないで、中に入ってみろよ』

 恐る恐る中へ入ろうとしたぼくに、フィーナがぴったりとくっついてくる。彼女は今まで閉じ込められていたせいか、妙におどおどしていてぼくを頼ってくれているんだ。
 そっと触れる程度にぼくの腕をすがるフィーナは、すっごく可愛い。
 なんだか、自分が強くて頼りがいのある男になったみたいで、ちょっといい気分だ。

   『なにニヤついてんだよ、おまえは。
 ヒロユキが何をしようと文句をいう気はねえが、それはオレの体なんだぜ。それだけは忘れるなよ』

「う、うるさいなー、分かってるよっ」

 つい口に出して答えると、フィーナが不思議そうにぼくを見つめる。

「あっ、なんでもないんだっ。ぼく、ちょっと独り言を言うくせがあってさー、気にしないでいいよ。それより、早く中に入ろう」

 隠し部屋は、2メートル四方程の小さな部屋だった。床の真ん中に宝箱がぽつんと置いてある。

「宝箱か……どうしようかな?」

 独り言を言うふりをしてアドルに相談した末、ぼく逹は宝箱を開けることにした。
 幸い罠や鍵もかかっていないもので、中に入っていたのは銀色の優美な盾だった。

   『こいつはシルバー・シールドだな。並の盾よりも遥かに軽く、それでいて頑丈だ。いい物を手に入れたぜ』

 アドルの言葉通り銀の盾はずいぶんと軽くて、腕につけてもそんなに負担にはならなかった。大きさもそこそこだから、剣を振り回すのに邪魔になるということもじゃない。

「よーし、後はイースの本を探すだけだな。行くよ、フィーナ」

 

 


「うん、ここには何かありそうだな」

 さんざんっぱら迷路を歩いたあげく、ぼく逹がたどり着いたのは地下とは思えないくらい大きな広間だった。奥の壁に接して巨大な祭壇が設けられており、半分以上崩れて男か女かさえ分からない石像が立っている。

   『一種の礼拝堂みたいだな。この荒れ様から見て、ずいぶんと長い間使われていなかったみたいだが……』

「歩いてきた距離から考えればここが神殿の中心部みたいだし、イースの本があるとしたら、ここしかないんだけど」

 アドルから聞いた通りの説明をそのままそっくりフィーナに話ながら、ぼくはその辺を探してみた。

 しかし、中央の祭壇らしき物の上に乗っているのは、小さな銀の鈴一つだ。多分、これがゼピック村の村長の言っていた鈴だろうけど、肝心のイースの本はどこにあるんだ?
 ぼくとフィーナで手分けをして探してみたけど、ちっとも見つかりゃしない。

「まいったな……アドル、なんかいい考え、ない?」

 フィーナに聞かれないように、小声でアドルに相談する。

   『そうだな……よし、ヒロユキ、石像を調べてみな。特に、台座の部分を重点的に』
 言われた通りに探してみると、なんと巧妙に隠された引き出しがあった!
 それに、その中にジェバばあさんにもらったのと同じようなイースの本が!!

「すごーい、アドル。よく分かったわね」

 フィーナが感心していうが――そんなの、ぼくの方が聞きたいっ。

   『たいしたことじゃないさ、ここの迷宮に入る時も神像がキーワードになってただろ? 同じ設計者が作ったものなら、やはり似たような場所に隠しておくと思ったのさ』


 アドルはこともなげに言うけど、でもやっぱりすごい。

「じゃ、イースの本も見つけたことだし、いったん村に戻ろうか。フィーナだって休んだ方がいいもんね」

 というわけで、ぼくとフィーナはとりあえずゼピック村に戻ることにした。

 

 


「ほほう、なるほどのう。記憶喪失とはのう……」

 ジェバばあさんにジロリと見られ、フィーナは怯えたようにぼくの腕にすがりつく。彼女を安心させるようににこっと笑いかけてから、ぼくはばあさんに向き直った。

「ええ、彼女は自分の名前以外、何も覚えていないそうです。そのまま見捨てるわけにもいかず――ご迷惑だとは思いましたが、ここに連れてきてしまいました」

 ゆっくりと言葉を選んで話す間、ぼくはすごく緊張していた。弁論大会の時だって、こんなに緊張したことってない。なんせ、ぼくの説得にフィーナの今後がかかっているんだから。

 記憶を取り戻すために一緒に旅をするのはいい――だけど、フィーナはあまりにも弱ってた。
 長い間、あんな牢屋なんかに閉じ込められていたから無理もない。
 なによりも、フィーナには休息が必要だった。

 そのために、ジェバの協力を得ようと言い出したのは、アドルだった。
 ひとまずフィーナを落ち着ける場所に預け、占い師サラの助力を仰ぐ――ぼく逹にはそれ以上に策は思いつかなかったんだ。

   『やっぱり、嘘をつくのはちょっと気が重いな』

 溜め息まじりのアドルの声がする。
 頭が痛くなるほどあれこれ考えた末、ぼく逹はフィーナが本当はどこにいたのかを秘密にし、魔物に襲われかけていたかわいそうな娘さん、ということにしてここに連れてきたんだ。

 ぼくはフィーナが魔物だなんて思ってないけど――ジェバや村の人もそう思ってくれるかどうか、自信がなかったもんで。
 まあ、この際嘘も方便と開き直るっきゃない!

「それはそれは……大変じゃったのう。いいとも、わしは気楽な一人暮らしじゃ、娘っこの一人や二人、いくらでも預かってやろうぞ」

 うっ、でもこうも素直に信じられるとかえって良心が疼くっ。

「おぬしに村の宝である銀の鈴を取り戻してもらった恩がある以上、村長も嫌とは言うまいて。うむ、それにしても2冊目のイースの本も手に入ったことだし、言うことなしじゃな」

 至って上機嫌なジェバはにこにこして、フィーナを預かることを承知してくれた。

「ああ、若い娘がそんな泥だらけの、破けほうだいの服を着ているもんじゃないぞい。こっちにおいで、着替えを出してやるから。すまぬがアドル殿、ちょっと席をはずさせてもらうぞ。どうぞ、ごゆっくり食べてくだされ」

「え、ああ、お構いなく」

 ジェバがいそいそとフィーナを連れて隣の部屋に行くのを見送り、ぼくはホッと一息ついた。――まっ、これで、フィーナの問題は五割り方片づいたってもんだ。
 安心すると、目の前にあるご馳走の方に気がいってしまう。

 正直、ぼくには見慣れないものばかりなんだけど、でも、ぼくはこの世界の食事は割と気にいっている。難を言えばパンが主食なのが純粋日本人のぼくとしちゃ、ちと物足りないけどさ。

「うわー、おいしそうだね、アドル。どれから食べようか、迷っちゃうな。ねえ、アドルはどれを食べたい?」

 なんせ、量が多いから全部食べきれるとも思えない。ぼく自身はおいしい物は最後のお楽しみに取っとく主義だけど、やっぱりこの身体はアドルのものだから彼の希望を聞いておきたい。

   『オレはどれでもいいよ。気を使わなくていいから、ヒロユキの好きな物を食べろよ』

 苦笑するようなアドルの声。

「そう? じゃ、お言葉に甘えて……いっただきまーす」

 安心してジェバが用意してくれた食事を食べつつ、ぼくはこれからどうしようか、アドルに相談してみた。

「これからどうする?」

   『そうだなあ……。これ以上、ジェバを当てにはできないし、やっぱり、ミネアまで戻って、サラに今後の行く先を占ってもらうか?
 この村じゃ、あまり聞き込みも意味がなさそうだし』

「うん、そうだね。この村の伝承を聞いてみるのはいいけど、下手に聞くと……フィーナが神殿の地下に閉じ込められていた少女だって、バレちゃうかもしんないもんね」

 パンを千切りながらそう答えると、なぜかすぐに答えが戻ってこなかった。そして、しばらく経ってから、呆れ果てたよーな響きの声が。

   『……おいおい…………』

「なんだい、アドル?」

   『おまえなー。オレはてっきり『次のイースの本』はどうやって探すかって話をしてたかと思ったぜ。
 おまえって、完全にフィーナにいかれちまったみたいだな』

 皮肉たっぷりなアドルの言葉に、ぼくは飲みかけていたスープに噎せまくったっ!!

「ぼっ、ぶほっ……ごふぅうっ?!」

 焦って口を拭いつつ、ぼくは必死に反論した。

「アドルッ?! 突然、何を言いだすんだよっ、びっくりするだろっ?」

   『お、そんなに焦るとこを見ると、どうやら図星だな。ははっ、隠そうたってダメさ、オレにはおまえの考えは、手にとるように分かるんだから』

 アドルはあくまでぼくをからかう。
 顔がほてるのを感じながらも、ぼくは逆襲したっ。

「アドル! それを言うなら、ぼくにだって君の考えは分かるんだからなっ!! アドルだってフィーナのこと、気にいってるくせにっ!!」

 ぼくの言葉に、心のどこかでアドルが動揺する感覚が伝わってきた。
 普段は同じ年とも思えないくらい落ち着いているくせに、こういう処は年相応みたいだな。
 それがなんとなくおかしくて、ぼくは返事をしないアドルに、もう一度話しかけた。

「そうなんだろ、アドル」

 ……やっぱり、返事はない。
 もう少しからかおうか、それともいい加減に切り上げて、今後の相談をやり直そうかと考えながら、ぼくは無意識にスプーンですくった物をぱくんと食べ――悲鳴を上げたっ!!
 

「う……っぎゃああぁあッ?!」

   『なっ?! どうしたんだ、ヒロユキ?!』

「か……か、か、辛っ、舌がっ…舌が燃えるぅ〜」

 まるで山葵に七実唐辛子をたっぷりとかけ、洋芥子で和えたような衝撃っ!!
 ううっ、この世に生を受けて16年間、こんなに辛いもんを食べたのって、生まれて初めてだぁ〜。

 なのに水をがぶのみし、少しでも喉の痛みにも似た辛さを静めようとしているぼくと違って、アドルは呆れたような口調でのん気に言う。

   『なんだよ、一瞬、毒でも食べたかと思ったぜ』

 ぼっ、ぼくだってそう思ったわいっ!

   『ははぁ、おまえ、ビワサの実をそのまま食べたのか。バッカだなあ、それは薬味なんだよ。ほら、そこの肉料理にちょっとだけ添えて食べるものなのさ』

 そんなこと、最初に言ってくれいっ!! ――と、怒鳴ろうとして、ぼくはあることに気がついた。

「アドル……? 君は、辛くないの? って言うより、味!!
 ちゃんと、味を感じているのかい?」

 ぼくの問いかけに、アドルが息を飲む。それが、はっきりと『しまった!!』と言わんばかりの態度なのが、なぜかぼくにはよく分かるんだ。

「アドル、ちゃんと答えてくれよ。君……ひょっとして、味覚は感じてないんじゃないのかい?」

 不安になって、ぼくはもう一度聞いてみた。
 ぼくには、アドルの体を乗っ取ってしまった負い目がある。それでも、五感はどうやら共通しているらしいと思ったから、少しは気が楽だったんだ。

 ……まあ、アドルにしてみれば体は自由に動かせないわけだし、迷惑度は大差はないかもしれないけど、それでも、何かを見たり感じたり、そんなことができれば少しは慰めになるだろうって、そう思っていたのに。

 ましてや問題は味覚、16歳の育ち盛りにとっちゃ三度三度のおいしい食事は大問題だっ!!

「アドル、聞こえてるのかい?!」

   『……そんな大声出すなよ、ちゃんと聞こえてるから。
 そうだよ、おまえの言う通り、オレには味はほとんど分からないんだ』

「……アドル」

 ぼくには、なんて言っていいのか分からなかった。まさか、アドルが味覚を無くしてたなんて。
 そんなこと、思いもしなかった。

   『気にするなよ、ヒロユキ』

「そんなこと言ったって……!! なんで、今まで言わなかったんだよ?」

 これでアドルを責めるのはひどい八つ当たりだと思いながらも、ぼくは思わずそう言っていた。だって、知らなかったとはいえ、ぼくは食事の度に、アドルに何を食べたいかとか、あれこれ相談していたんだ!!
 我ながら、なんつー無神経なことを……!

   『大したことじゃないからさ。
 オレはおまえ程、食い意地は張っていなくてね』

 明るい、からかう口調を聞いて、ぼくはなんとなく分かってしまった。アドルが味覚を無くしたことを言わなかったのは、ぼくがそれを知ったら、気に病むことを知っていたからだ。

   『ヒロユキ、心配するこたあないぜ。
 味覚は感じなくても、視覚と聴覚はちゃんと感じる。それにさ、物は考えようだぜ。味覚を感じないってことは、おまえがとんでもなくまずいもんを食べたって、オレは平気のへいざなんだから!』

「でも……」

 そもそも、ぼくが体を乗っ取らなきゃ、ぼくがまずいもんを食べる可能性自体がないと言い返そうとした時、ちょうどジェバが戻ってきた。

「アドル殿、何を一人で騒いでおるのかの?」

 うっ、やばい、聞こえてたのか?

「えっ、いやぁ、別になんでも!! あ、ジェバさん、これ、すっごく美味しいですねっ!!」
 笑ってごまかしていると、ジェバの後ろからフィーナが現れた。

 ――ドキッ…。

 またもや、ぼくのものともアドルのものとも分からない動揺が、胸を騒がせる。
 だって  フィーナって、すっごく可愛くなってたんだっ!
 元々可愛いとは思っていたけど、ぼろぼろの服をちゃんとした服に変えただけで、こんなに可愛く見えるだなんて、思いもしなかった。

 女の子って、服一つで雰囲気までガラッと変わって見えるんだ。
 ぼくがあんまり凝視していたせいか、フィーナは不安そうに自分の服を見下ろした。

「あ……何か、おかしいですか?」

 とんでもないっ!
 ぼくはぶんぶん首を振って、慌てて言った。

「ううん、よく似合うよ。うん、ホント!」

 真っ白いエプロンに、ちょっと少女趣味なドレス風の衣装。ぼくの目から見ると、ほとんど『不思議の国のアリス』って感じだ。

「よかった……。これ、ジェバさんにお借りしたんです」

 い? ジェバって……。
 思わず皺だらけのジェバばあさんを見つめてしまったぼくに、憤慨した口調でクレームがつけられた。

「わしの服ではないわっ、あれは姪のサラの昔の服じゃ!!」

 あ、深〜く納得。

「そうそう、サラさんと言えば、ぼく、もう一度彼女の所へ相談に行こうかと――」

 ちょうど、そう言った時のことだった。扉に何かがぶつかったような、鈍い音が聞こえたのは。

   『敵かっ?!』

 アドルの注意に、扉に駆けよりかけた足が一瞬止まる。
 様子を伺うが、扉が開く気配がない。

「アドルさん……!!」

 不安げなフィーナに、ぼくは低い声で答えた。

「下がっていて……ぼくが開けるから」

 用心しつつ扉を開けたぼくは、そこに倒れている人を見て悲鳴を上げそうになった。ぼくの代わりのようにフィーナが悲鳴を上げ、ジェバが駆けよってくる。

   『なぜ、サラさんが……?!』


 そう、倒れていたのは、あのミネアの町の占い師、サラだった。彼女は全身に、見るも無残な大怪我を負っていた。ともかく彼女を抱き起こさなきゃ。
 が、ぼくが彼女の肩に手をかけた途端、サラは呻き声をあげた。

「あ……」

 少し触れただけの手が、血で真っ赤に染まっている。
 今更ながら、彼女を起こそうとすればどうしても痛々しい傷に触れてしまうことに気づき、ぼくはどうしていいか分からなくなった。

「サラさん、大丈夫ですか?! いったい、どうして……?!」

 抱き上げれば、かえって痛みを味合わせることになるかもしれない――そのためらいがぼくの手を鈍らせる。だが、サラは血にまみれた白い手を延ばして、ぼくの手をしっかりと握った。

「剣士……どの……。ご無事でなにより……わたくしは、ずっと案じて……おりました」


「しゃべっちゃダメだ! 今、すぐ、手当てをするから……っ!! ジェバさんっ」

 姪の惨状に呆然としていたジェバが、ハッとしてバタバタと家の奥に走り込む。フィーナもそれに従ったのを横目で見て、ぼくは力を込めて彼女を抱き起こそうとした。

「いえ……いいのです。わたくしは……もう死にます。……その前に、剣士どの……に、お伝えしたいことがあって、参りました……」

「そんなの、後でいいよっ! 今は、手当てが先だよ!!」

「それでは……遅いのです。わたくしは……もはや、十分と……もちませんわ」

 こんな状況だと言うのに、サラの微笑みは透き通るように美しかった。

「けど……っ」

   『ヒロユキ、やめろよ。
 オレには分かる……彼女は、もう助からない。末期の願いだ……反対はやめて、彼女の話を聞いてやれよ』

 静かに、アドルがぼくを諭す。

「アドル……」

 アドルが、この状況で悲しんでいないとは思えない。ぼくの胸いっぱいを占めるこの感情は、ぼくだけのものじゃないのだから。  でも、それでもアドルがサラの話を聞けと言うなら……ぼくもそれに従おう。

 ぼくは少しでも彼女が楽な姿勢をとれるように抱きかかえ、耳を目一杯そばだてた。
 どんな小さな声でも聞き逃さないように。

「……ミネアの町から……まっすぐ北……、ラスティンの廃坑……そこに、3冊目のイースの本があります……。ダルク=ファクト……の侵略が、本格化して……まいりました。 どうか……お急ぎを……」

 拙い、とぎれとぎれの言葉。
 でも、その言葉の一つ一つが、サラの余命を削っていくのが分かる。彼女の呼吸がどんどん苦しげなものに変わっていく。
 でも、ぼくにはどうすることもできなかった。

「……それから……レア……。いつか、彼女に……会って……わたくしの代わりに……彼女が、……あなたを導きます。……お忘れ…なきよう……」

「――うん、分かった。分かったよ、サラ。忘れない……!」

 絶対に、ぼくは忘れやしない。
 サラの言った言葉も、そして彼女の勇気も。断末魔の苦しみを乗り越え、ぼくに伝えてくれたものを一つ残らず記憶に刻み込もうと、ぼくは彼女を抱きしめた。

「本当に、感謝している。ありがとう……!」

 だが、サラはぼくの言葉にかすかに身動ぎした。

「いい……え……剣士……どの……。わたくしは……ゆる…されない……ことを……しました…」

「サラ?」

「……一つの希望……ゆえに……わたくし……は、一つの……魂を……見殺しにしようと……。お許しを……っ」

「何を言ってるんだよ、サラ?!」

 ぼくは彼女が何を言っているのか、分からなかった。

「……もう……一人のあなた……には……お分かりの……はず。……恨むのならば……どうか、わたくしを……」

「もう一人の?」

 アドル?
 アドルには分かるんだろうか?
 強くそう思うと、アドルの答えが返ってきた。

   『ヒロユキ、サラに伝えてくれ。
 オレは、彼女を恨んでないって。許しを請う必要はないって』

「サラさん……。アドルは、恨んでなんかいませんよ。だから、許しを請うことはないって――そう言っています。だから、しっかりして!」

 その瞬間の、サラさんの表情が忘れられない。
 重荷からやっと解放されたような――とても、幸せそうな微笑みを浮かべ、彼女の目は閉じられた。

「サラ……さん……」

 彼女の手から、力が抜けていた。……いいや、力じゃなくてもっと別な……そう、言うなれば、生気というものが消えてしまったんだ。
 初めて死を目の当たりにして、ぼくはそれに打ちのめされた。

 サラさんとは――そう親しかったわけじゃない。
 たった一回しか出会ったことのない、言わば通りすがりにも等しい人なのに、それでもこんなに、その死にショックを受けるのが意外だった。

 これが、死というものの重みなんだ……。
 ほとんど虚脱状態に陥ったぼくは、後ろから聞こえた悲鳴に正気を取り戻した。

「……サラッ?!」

 ジェバさんだ。
 彼女は一目で、状況を悟った。せっかく持ってきた包帯や薬を投げ出して、ジェバはサラに駆けよってきた。

「サラ……サラ……ッ」

 なにかに操られたように、ぼくは彼女から離れた。それと入れ違いに、ジェバが動かなくなった姪の体にすがりつく。声を出さずに、静かに泣くジェバの背を抱くようにして、フィーナが顔を埋めている。
 その肩がかすかに震えているように見えるのは、ぼくの目のせいなのか?

 ぼくの心は、悔しさで一杯だった。怒りと悲しみが、ぼくの目を曇らせていた。――そして、それはアドルの心でもある。
 心のどこかで、アドルの押し殺した涙が流れているのを、ぼくは確かに感じていた。

「……フフフ、人間とは脆いものだな」

 どこからともなく聞こえる笑い声。
 それを聞いた途端、ぼくは雷に打たれたようなショックを受けた。

「ダルク=ファクト!!」

 どんな時だって、こいつの声だけは間違えっこない!!

「どこだっ?! どこにいるっ?!」

 叫ぶと同時に、ぼくは走りだしていた。フィーナとジェバの止める声が聞こえたような気もするが、ぼくの怒りはすでにコントロールできる範囲を越えていた。
 それでもアドルが止めたなら、まだなんとかなったかもしれないけど、今はアドルさえもがいつもの冷静さを失っていた。

   『あっちだ!! あそこに、ヤツがいるッ!!』

 木立ちに紛れるように立っていた男を見つけるのとほぼ同時に、彼は木の影から抜け出てきた。まるで出番のきた役者のように優雅な動きでぼくの目の前に立ったダルク=ファクトは、余裕の笑みを浮かべて言った。

「かかってくる気か……。フッ、笑止な。
 ――いいとも、少しならば遊んでやろう」

 彼が手を伸ばして途端、何かがぼく目がけて飛んできた!

「うわっ?!」

 何とも分からぬものがもろに腹にぶつかり、ぼくはひっくり返りそうになった。

   『踏ん張れ、ヒロユキ!!
 左手を前にっ、盾で急所をかばうんだっ!!』

 アドルのアドバイスで、ぼくは連続して襲いかかってくるダルク=ファクトの攻撃を避けた。シルバー・シールドは、ダルク=ファクトの攻撃をよく防いでくれた。
 が、それだけだ。

 ぼくはかろうじて攻撃を避けるだけで手一杯で、反撃にでることさえできなかった。それに、段々さばききれなくなって、見えない衝撃波がぼくにダメージを与えていく。

   『危ないっ、伏せろっ!!』

 アドルの注意も一瞬遅く、ぼくはもろに頭に衝撃波をくらってしまった。

「ぐぅっ?!」

 強い衝撃に、意識がぐらりと揺れた。アドルの悲鳴が聞こえ、ふっとそれが途絶える。
 

「えっ、あぁ……っ?!」

 ぼくが意識を失わなかったのは、はっきりいってそのおかげだった。
 アドルの気配が不意に消えたことに、体に加えられた痛み以上のショックを受けて、皮肉にもそれがぼくの意識を繋ぎ止めた。

「ほう  まだ私の相手には未熟とは言え、あの衝撃波を受けて意識があるとはたいしたものだな」

 楽しげといってもいい声で、ダルク=ファクトが笑う。
 ダルク=ファクトは迷うように、少しだけぼくを見つめ、それからくるりとぼくに背を向けた。

「いいだろう、今は生かしておいてやろう。
 また、会おう。もっと強くなった頃にな……その時を楽しみにしているよ」

 嘲笑う声を聞きながら、ぼくは今度こそ意識が遠のいていくのを感じていた――。
                                   《続く》

 

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