Act.6 アドルの代わりに |
頭が……重い……。 「よかった、気がついたのね」 ぼくが目を開けるか開けないかのうちに、嬉しそうな女の子の声がした。目の前に広がってるのは、鮮やかに揺らめく若草色の髪――フィーナだ。 「ここは……?」 「ジェバさんの家よ」 ぼくはちゃんと手当てされて、ベッドに横たわっていた。そして、フィーナはその枕元の椅子に座って、ぼくを除き込んでいる。 「あれから……どれくらいたった?」 「まる一日ぐらいかしら。なかなか目を覚まさないから心配したわ、アドル」 「…………?!」 アドル!! 「あっ、動いちゃだめ!! あんなにひどい怪我だったんだもの、動いたりしちゃだめよ!」
「アドル、お願いだから横になって、ね? なにか欲しいものがあるなら、わたしが持ってきてあげるから」 「え……っと、じゃあ、……水! 冷たい水を、持ってきてくれる?」 ホントのこと言えば水なんて欲しくなかったけど、フィーナがこの場からいなくなってくれるなら、なんでもよかった。 「分かったわ、今、汲んでくるから待っててね」 走っていくフィーナを見送ってから、ぼくはアドルに向かって話しかけた。 「アドル、アドル?! どうしたんだよ、聞こえないの?!」 頭をよぎるのは嫌な予感――あの時、頭への衝撃波を受けて、アドルはぼくより先に意識を失ったんだっけ。 「アドルッ、アドル! 返事をしてくれよぉ……っ」 『……う…ぅうん……』 苦しげな呻き声――でも、確かにアドルの声に、ぼくは心からホッとした。 「アドル!! よかった、気がついたんだね。心配したよ、なかなか目覚めないから……」
『……そんな、女の子みたいにきゃんきゃん騒ぐなよな。頭がガンガンするだろ』
「アドル……? そんなに気分が悪いのかい?」 返事の前に、長い間があった。 『ヒロユキ。……これは言わないでおこうと思ったけど、やっぱり言っておくことにする。 「うん」 『前から薄々感じていたが……どうやらオレ達の五感は、平等じゃないみたいだ。視覚と聴覚はともかくとして、オレには味覚も嗅覚も全然感じない。それに触覚も鈍いんだ。おまえが何かに触っているは分かっても……オレにはそれが自分の感覚として、伝わらない』 ショックだった。 『だけど、痛覚……こいつだけは、おまえ以上によく感じるみたいだ。ヒロユキ、おまえ、今、頭が痛いか?』 聞かれて、ぼくは初めて体の痛みが少ないことに気づいた。よく考えてみれば、あれほど強く頭を打ったら……もっと頭が痛かったり、後で気分が悪くなったりしてもおかしくないんだ。 『全部を、オレが引き受けてるってわけじゃない。……ただ、割合にしてオレの方に多くダメージがきている……そういうことじゃないかな。 アドルの声はひどくだるそうで、今にも消えいりそうに弱々しいものだった。 『オレ……なんだか、疲れちゃったみたいだ。……少し、休ませてもらうぜ』 その言葉を最後に、アドルの気配がふっと薄れる。ダルク=ファクトの衝撃を受けた時に消えてしまったのとはちょっと違うけど、ひどく薄れていて遠い感じだ。 呼びかければ、また返事をしてくれるかもしれないけど、ぼくは疲れきっているアドルに無理をさせたくなかったから、そっとしておくことにした。 「お待たせ。水を汲んできたわ」 ハアハア息を切らして、フィーナが戻ってきた。服に水滴の跳ね返りが幾つもついている。どうやら冷たい水が欲しいと言ったぼくの言葉を真にうけて、井戸から水を汲んできたらしい。 ぼくのために、わざわざ――感動しかけたぼくに水をぶっかけたのは、フィーナの何気ない一言だった。 「はい、アドル!」 ……ぼくは、アドルじゃない。 「どうしたの、アドル? ……また、気分が悪くなったの」 心配そうに顔をよせてくるフィーナを見て、ぼくは唐突にすべてを打ち明けてしまいたい衝動に駆られた。 ――でも、結局言わなかった。 ぼくの考えていることは、みんなアドルにも分かってしまうはずなのに。 彼のいないところで、そんなことを言うなんて、なんだか抜け駆けみたいでスッキリしないもんな。 「どうかしたの?」 考え込むぼくを心配して、フィーナが声をかけてきた。 「……いや、なんでもないよ。それで、ジェバさんはどうしているの?」 「今、サラさんのお墓に……もうじき、戻ってくると思うわ……」 フィーナの言葉が終わるか終わらないかのうちに、扉が開いてジェバばあさんが顔をのぞかせた。 「すいません!」 謝って、謝りきれることじゃないけど、謝らずにはいられなかった。 「ぼくのせいで……サラさんが」 「いや、アドル殿のせいではないよ」 ぼくの言葉を遮って、ジェバはゆっくりと言った。 「あれが……あの娘の天命じゃったんじゃろう。こうなることはトバ家に生まれた時より、定められていたんじゃ。 ぼくにというより、自分に言い聞かせるような言葉だった。それだけに、聞いていて胸に迫る。ジェバのためにも、そしてサラのためにも、サラの遺言を果たそうとぼくは強く心に決めた。 「ぼくはサラさんから、3冊目のイースの本がラスティンの廃坑にあると聞きました。身体の具合さえ治ったら、明朝にでもそこに向かおうと思うます」 そう宣言すると、フィーナが泣きそうな顔をした。 「でも……そんなに早くなんて。怪我だって軽くはないのに」 「だから、具合しだいだと言っただろう? ちゃんと、その辺は考えているから大丈夫だよ、フィーナ」 ぼくもアドルの調子が戻らなきゃ、無理をする気はないもんね。 「サラさんの話によると、イースの本を集めるのは一刻を争う事態になってきたみたいだし……悪いけど、フィーナの記憶を取り戻す手伝いは、当分後回しになっちゃうけど。ごめんね」 ううん、とフィーナは何度も首を振った。 「そういうわけですので……ジェバさん、フィーナのことをよろしくお願いします」 「ああ、任せておくがいい。それじゃあ、ゆっくりと体を厭うておくれよ」 部屋の明かりを落とし、ジェバはぼくに休むようにと言い残して部屋を出た。フィーナもそれに続こうとして 扉の所で立ち止まり、じっとぼくを見つめる。 「どうしたんだい、フィーナ?」 「……ううん、なんでもないの。……ただ」 潤んだ目でぼくを見つめ、フィーナは思いきったように言葉を続けた。 「……無事に帰ってきてね、お願い」 「……」 ぼくはなんて答えたらいいのか分からず、黙り込んでしまった。 「それだけなの。じゃ」 ふわりとスカートと髪をなびかせて、フィーナは扉の向こうへと走り、ぱたんと戸を閉める。ぼくは半分ぼーっとした状態で、彼女の出ていった扉を眺めていた。
「うわっ?!」 朝早く、ぼくは元気一杯のアドルの声に叩き起こされた。 「アドル、もう、よくなったの?」 『おう、元気ビンビンよ! 昨日、たっぷりと休みをとったからな』 「そうか、よかったぁ。それじゃあ……」 昨日のことは覚えているかどうかを聞こうと思ったけど、ぼくは寸前で気を変えた。アドルがまともに答えるかどうか怪しいものだし、だいいちそれでまたアドルに気を使わせるのも悪い。 『何が『それじゃあ』……なんだよ、ヒロユキ?』 「それじゃあ、出かけようって言おうとしたのさ。さっ、フィーナとジェバさんに挨拶して、出かけようぜ、アドル!」
影の世界では魔物どもが暗躍し、牙を研いでいるはすなんだ。 「ねえ、アドル。サラさん、仕切りにアドルに許してくれって言ってたけど……あれって、どーゆー意味だったのかなあ」 『そんなの、オレに聞かれたって分かんないよ』 アドルの返事は本気でそう思っているのか、それとも本心を伏せているのかさっぱり分かんない。お互いだいたいの考え伝わるとはいえ、アドルってぼくに比べるとポーカーフェイスっていうのか、本心を隠すのがうまいんだもんな。 五感が違っていたことなんかアドルから言われるまで、ぼくにはさっぱり分かんなかったぞ。 「でも、アドル、サラさんに許すって言ってただろ?」 『あの状況なら、分かってても分かんなくても誰だってそう言うだろ。ヒロユキだったら、違うのか?』 「……違わない」 『だろ? ラスティン――とうに閉鎖された、銀の鉱山。なぜ閉鎖されたのは、アドルも知らないそうだ。 『ただ、坑道に化け物が出るって噂なら聞いたことあるけど』 ううっ、ぼく、お化けだの幽霊って苦手だっ。 ジェバに用意してもらったランタンに火を灯し、用心しながら進んで行く。だが、異様な感覚は入ってすぐに感じ取れた。 ……なんだか、変だ。 『ヒロユキ、おまえも感じているみたいだな。……どうやら、この洞窟にはおまえを歓迎してくれるヤツがいるようだぜ』 「嬉しくもない歓迎だね」 でも、ぼくの好みとは関係なく、きっと魔物はやってくるだろう。 ぼくは前後左右、油断無く視線を向けつつ、ゆっくりと坑道の奥へと向かった。ぐねぐね折れ曲がった、侵入者の方向間隔を狂わせるために造られたとしか思えない複雑な道を、ぼくは気をつけて歩いていった。 迷わないように左の壁沿いに伝うようにして、どのぐらい歩いたことだろう……どんどん通路は細くなってきた。人が一人通るのもやっとなぐらいだ。 ちょっと体格のいい成人男性だったら、とっても通れやしないっていうぐらい細い通路を抜けて、ぼくはちょっと広いホールのような部屋に出た。 「ぷはぁっ、なんだよ、ここは?」 そこは、まったくもって変な所だった。ホールというよりは、獣の巣穴っぽいんだけど、でも、完全に獣の巣とも思えない。半分以上壊れているけど、天井とか、床とかに人の手が加えられた形跡が残っている。 『ふぅん、ここはどうやら隠し坑道だったらしいな。ほら、宝箱があるだろ? 「ふぅん。変わった風習だね」 ホント、この世界の風習はぼくの知っているものとはずいぶんと違う。 『……だが、ここはただの隠し坑道じゃないな。どうやら、獣か魔物かが住み着いているみたいだ。 アドルの言葉を裏づけるように、ぴちゃぴちゃと妙な音が後ろから響いてきた。それに、鼻を突く生臭い臭い……。 「くっ、臭いなぁ」 鼻を押さえて振り向いたぼくの目に、不気味な姿が飛び込んできた! 「う……うわぁああああっ?!」 人の形をした、巨大なゼリー状の固まりっ! 『気をつけろ、ヒロユキ! そいつはグリエルだ!!』 気、気をつけろって言われても、こんなヤツにどう気をつけろって言うんだっ? 心臓マヒでも起こさないように、目を背けてろとでも言うのかっ?! 「……あぁああ……っ!!」 常識から思いっきりはみだした不気味な生物に、ぼくは戦うどころかまともに悲鳴をあげることさえできずに、ただ立ちすくんでいた。 『ヒロユキっ、盾をっ!!』 アドルの声に、かろうじてぼくは盾をかざすのに間に合った。 それに気を取られたせいか、ぼくはその体液を完全にはかわせなかった。ほんの数敵の滴が、左足の太腿に降りかかる。 「ぐわぁあっ?!」 ズボンの生地から白い煙が立ち昇り、左足に激痛が走る! ほんの数滴かかっただけなのに。
毅然としたアドルの声が、ぼくを励ます。 「アドル……」 ――そうだ、この身体はアドルのものなんだ。 ぼくは歯を食いしばって、グリエルから距離を取った。 ほんの数滴でこの威力だ、ヤツの身体がまともにぶつかってきたら……ただじゃすまされないだろう。 『ヒロユキ、早く反撃するんだ!』 「分かってるよ、アドル!」 反撃だ!! ふっとんだ腕は岩壁にぶつかり、ぐちゃりと嫌な音を立てて潰れる。 「げげぇっ?!」 な、なんなんだよっ、いったいっ?! 「冗談じゃないっ」 くそっ、不死身の怪物なんかいてたまるかっ! いくら防具を着けていても、小手や胴をやられるより面を打たれる方が遥かにこたえるのはそのためだ。 神経を集中させる……これが、試合だと思えばいい。そう思って見てみると、グリエルは確かに雑魚に違いない。 胴でも、小手でも、面でも、いくらでもスキがある。体液に気をつけていても、面を取るのは容易に見える。 息を吸う。吐く。吸う、吐く、吸う、吐く……。 「お面ッ!!」 ズサッ!! ゼリー状の肉塊から白濁した体液と、ピクピクと脈打つ色鮮やかな内臓がドロドロと流れ出る。 ぼくは軽い吐き気を覚えて、慌ててそいつから退いた。しばらくは剣を構えたまま様子を見たが、再生してくる気配はない。 「ふぅっ……」 喉元に込み上げてくるものをなんとかこらえ、ぼくは自分をなだめるように大きく吐息をついた。 この震えは、怪物が相手とはいえ初めてこの手で生き物を殺した罪悪感からくるものなんだろうか? 『無理はないぜ。初めての戦いなんて、そんなもんさ。おまえはよくやったよ』 「アドル……」 ずきん、ずきんと、左足が痛む。 『ヒロユキの太刀筋、悪くないな。基本がかなりできている。 アドルに保証されて、それまで張り詰めていた気がホッと緩むのを感じた。そのゆとりが、憎まれ口をたたく余裕を与えてくれる。 「……ちぇっ、アドルも人が悪いな。弱点を知っているなら、最初から教えてくれればいいのに」 『戦いの最中に相手の弱点を見つけだすのも、一流の剣士の条件だぜ。……それに、オレの声を頼りにされすぎても困るからな』 「どうしてさ?」 『サラが死んだ直後にダルク=ファクトがやってきた時のことを、忘れたわけじゃないだろう?』 ぼくは頷いた。もちろん、忘れやしない。 『つまり……オレの指示を聞いて、それから反応していたんじゃ間に合わないこともあるってことさ』 「ああ、そういうことなのか」 今の戦いで、アドルがほとんど口出ししなかったのは、そういう理由だったんだ。 現に、アドルの指示があったにもかかわらず、ぼくはダルク=ファクトの攻撃をかわしそこねた。 「もっと……強くなりたいなぁ」 それはアドルに対しても呼び掛けじゃなくて、ぼくの本心がぽろっと口からでた言葉だった。 ちょっとは剣道に自信があったけど――こんなに実戦が恐ろしいものだなんて、思いもしなかった。 『なれるさ。ヒロユキは、もっと、もっと強くなれる』 静かな、落ち着いた声がぼくの心の波を静めていく。それはぼく自身の不安や、迷いよりも確かなものに聞こえた。 「……なれるかな?」 『ああ。おまえは、すでに剣の基礎ができている。その割には実戦経験がなさそうだけど、でも、それなら実戦をつめばいいだけの話だ。 「そう……だね。ぼく、強くなりたいよ」
アドルのように。 「アドル……悪かったね、怪我させちゃって。今度は、もっとうまくやるからさ」 『ああ、そう願いたいね』 どこかで、アドルの苦笑が聞こえる。 「アドル……。ぼくはきっと、強くなるよ」 それが、アドルの身体を乗っ取ってしまったせめてものお詫びだと、ぼくは思った。 アドルの代わりに強い戦士になることが彼のためにもなることだと、その時、ぼくは本気でそう思ったんだ――。
|