Act.8 見えない不安

  

   『……ロユキ。ヒロユキ、そろそろ起きな』

「……ふ……わぁああ、もう、朝?」

 いつものように布団を跳ね上げ、起き上がろうとして――ぼくは自分が布団どころか、壁によりかかった姿勢で眠っているのに気づいた。
 ……そういえば、ここは家じゃなかった。

 というか、日本でさえない。ここは異世界で、イースの本があると言われている廃坑の中だ。
 戦いが終わって、疲れて一休みしてたんだっけ。

   『寝ぼけるなよ、ヒロユキ。……しっかし、おまえっていい度胸してるよな。いっくら疲れたとは言え、化け物がいる洞窟でホントに寝ちまうんだから』

 おかしそうに、アドルが笑っている。

「おい、おい、アドル〜っ、それがこの化け物のいる洞窟で、人に昼寝を薦めた人間のとる態度かよ〜っ!」

 文句を言い返しても、アドルは笑うばっかりで返事をしない。

「もう、いつまで笑ってるんだよ、アドル!! さ、イースの本を探しにいくよ!!」

 

 


 イースの本はあっさりと見つかった。
 廃坑の奥に小さな神殿があり、イースの本は細工を施した箱の中に眠っていた。目的さえ遂げれば、もうラスティンの廃坑には用がない。

 ぼく逹は地図にかかれた抜け道を通り、何時間ぶりかに地上へと戻った。ずいぶん長く地下にいたように感じたけど、まだ夜にはなっていなかった。
 ただ、空一面どんよりした分厚い雲に覆われて、真っ暗になってたけど。

「朝、廃坑に入った時には、あんなに上天気だったのに」

 確かに、昼過ぎと言うよりは夕暮れに近い時間になっていたけど、まだこんなに暗くなるような時間じゃない。

   『嫌な予感がする……』

 ぽつりと、アドルが呟いた。
 その呟きには、さっきまでぼくをからかっていたのとは別人のように深刻な響きが混じっていた。

「どういうことさ、アドル?」

   『分からない……ただ、胸騒ぎがするとしか言いようがない。
 こんなの……初めてだ』

 戸惑いがちな、漠然とした言葉……でも、だからこそ、ぼくはアドルの不安が信じられた。
 天気が悪くなった――これは、そんな単純なものではないのかもしれない。ぼくは改めて空を見上げた。

 分厚い雲……遠くの方では、雷鳴が乾いた空気を切り裂いている。
 黒く澱んだ雲を見ていると、何か、邪悪なものが潜んでいたとしても少しも不思議はない気さえしてくる。

 アドルの不安は、ダルク=ファクトの侵略を予知しているのだろうか?
 それとも……?
 だが、どっちにしろ、ぼくには自分のできることからやっていくしかない。

「アドル、とりあえずミネアの町に行こう。レアに会えば、何か分かるかもしれない」

 銀のハーモニカを返してあげたいし、それにサラさんがレアに会うようにって言い残したもんな。

   『そうだな。……だが、なぜサラはレアに会うようにと、言ったんだろ?』

「さあ? 会って見れば分かるんじゃないかな。とにかく、ミネアに向かおう」

 曇った空の下、ぼくはできるだけ急ぎ足にミネアに向かった。伝染するように伝わってくるアドルの不安に、急き立てられるように。
 やっとミネアの町の家並が見える場所までやってきて、ぼくはその不安が正しかったことを知った。

「あれは!」

   『町が、燃えている……!』

 黒い煙を巻き上げ、いくつもの家が燃えているのがはっきりと分かった。
 遠目には夕食の支度の煙と見えたのは、家が燃える炎だったんだ!
 ぼくは慌てて走り出した。

   『止まれ、ヒロユキ!』

 鋭い警告に、ぼくは立ち止まった。

「アドル、なんだよ?! 町が火事なんだよっ」

   『気をつけるんだ、右の茂みに何かが潜んでいる!』

「え?!」

 ぼくが茂みから離れると同時に、音を立てて茂みから黒々と長い巨体が現れ、道を塞いだ。
「なっ、なんだよ、これ?」

 姿は百足だ――だが、ぼくの知っている限り、体長10メートル、頭の大きさだけでも1メートルもあるヤツを百足とは呼ばん!
 断じて、呼ばんぞっ!!

   『こんなのはオレも初めて見る。
 ヒロユキ、戦うのはちょっと待て。とにかく、相手の様子を見るんだ』

「様子を見ろっていったって……」

 普段だったら、ぼくはアドルの忠告に従っただろう。だが、今は燃えていく町並みが気にかかっていた。こんな、何を考えているのか分からない大百足なんかとにらめっこする気になんかならないっ。

   『本当に突っ込む気かよ。相手がどんな動きをするのか分かんないんだぞ』

「ウノスだって、コウモリだって倒せたんだ! 百足の一匹や二匹、なんとかなるさ!」


 わずかとはいえ、戦いをこなしたことがぼくの自信に繋がっていた。
 剣を抜き払うと、百足の動きが急に活発になった。ぼくの敵対心を読み取ったのかのように、牙をむき出しにして走り回る。

   『速い……!』

 感心とも、驚きともつかぬアドルの思念は、ちょうどぼくの考えたことと同じだった。……うっ、ちょっと早まったかも――ちらっとそんな後悔がよぎる。
 縦横無尽に走り回る百足の動きを交わしながら、ぼくはヤツの頭に攻撃をかけるスキを狙っていた。

 なんせ、百足は凄まじく速い。
 さっき、廃坑の中で戦ったコウモリ野郎とは比べ物にならない。こいつを攻撃するには、相当の勇気と、テクニックが必要だ。

「うぉおおっ!」

 雄叫びを上げて、ぼくは思いっきり突っ込んでいった。

   ガキィッ!!

 金属のぶつかりあうような音を立て、剣が百足の頭に食い込んだ。
 一応痛みを感じるのか、百足がさらに凄まじく暴れ回る。剣を引っこ抜くのになんとか成功し、ぼくは後ろに飛び退いてヤツから離れた。

 百足の動きに用心しながら剣を見てみると、目立たないが小さな刃こぼれができていた。百足の外皮は、想像以上に硬い。
 ヤツを叩き斬るのは、そう簡単なことじゃない――。
 距離を取りながら、ぼくはどう攻めようか考えあぐんでいた。

   『よほどうまく動かないと、速さで負けるぞ!
 一撃必殺か、あるいは一撃離脱でダメージを刻むか……どちらかに賭けた方がいい』

「アドル!」

 アドルはぼくががむしゃらに百足に突っかかっている間、冷静に状況を分析していたんだ。

   『動きの速さにごまかされるな! こいつはオレ達をグルグル巻にするつもりだ。頭を追ってたって、体力を無駄に消耗するだけだ。
 わざと巻き込まれて、ヤツの懐から一撃を狙うか?
 それとも、離れたところからヤツの体力を削る作戦でいくか?』

 カウンターか、ヒット・アンド・アウェイか……カウンターには技量と度胸が、ヒット・アンド・アウェイには相手の足を上回る速度とスタミナが必要になる。
 どちらに、勝算があるだろう?

 ……しかけるのにリスクとダメージが必須なカウンターに比べて、ヒット・アンド・アウェイの方が、まだ安全だけど  。

「……アドル。危険な方、やっていいか?」

 自慢じゃないが、ぼくは持久戦向きの性格じゃない!
 剣道の試合でも、シューティングゲームや格闘ゲームでもジワジワと相手を追い詰めようとすれば、たいてい最後のいっちゃん大事なツメでミスる!!
 それだったら、一撃必殺に賭けた方がましだ。

   『いいぜ』

 短い返事が、すぐに返ってくる。

「サンキュ、アドル」

 ぼくは両手でタルウォールの柄を握り直した。
 タルウォールは、突くよりも斬ることに向いている。あの硬い頭を切り落とすには、よっぽどタイミングを計らないと――。

 ぼくはわざとヤツの長い体に巻き込まれた。下半身を強烈な力が締めつけてくるけど、これぐらいは計算のうちだ。
 疑うことを知らない大百足は動かないぼくに向かって大顎を開き、迫ってきた!

   『今だ! 剣を振りおろせ!』

 攻撃の気配を察知したのか、大百足はとっさに首の動きを変化させる。しかし、それはかえってこっちには都合がよかった。
 方向転換した百足は、無防止な横顔をこちらに向ける。

 ぼくの剣は、ものの見事に頭と胴を繋ぐ節を捕らえた!
 両手に感じる不気味な手応え  次の瞬間、百足の頭は胴体から離れていた。

「やった!」

 が、喜ぶのはまだ早かった。
 首をすっとばされたって言うのに、大百足の胴体はそれ自体が意思を持っているかのように、激しく締めつけてきた。
 ぐっ……なんて生命力だ!

   『ヤバい、逃げろ! 断末魔の硬直に巻き込まれたら、人間の身体なんざ真っ二つにされるぞっ!』

「げぇええっ?!」

 アドルの声がいつになく、切羽詰まっている。こ……これって、すっごいピンチなんじゃないかっ?!

「くそっ、このっ、放せっ、放しやがれっ!!」

 大百足にとどめの一撃を与えておきながら脱出に失敗して死ぬなんて、あんまりじゃないかっ。
 だいたい、これはアドルの身体なのに  !!

「……っ?!」

 青い光が目を射た。
 これは――タイマーリングだ!
 気がつくと、身体が軽くなったほうな独特の感じもする。これなら、うまくいけば脱出できるかも!

 それに勢いを得て、ぼくは夢中で暴れ、少しでも締めつけが緩むと無理やり身体を押し上げる動作を繰り返した。足やら腰やらにかなり痛みを感じるけど、このさい多少の傷は我慢してもらうっきゃないっ。
 怪我しても、死ぬよかましだっ!

「うわ……っ、とっとっと!」

 百足の胴体からすぽっと身体が抜け出た瞬間、バランスを失ったぼくは地面に投げ出されたっ。

「い、ちち……。あー、ドジったぁ〜」

 ゴロゴロ転がってから起き上がると、ギチギチ音を立てながら百足が自分の胴体で、自分自身の肉体を締め上げているのが見えた。
 力のぶつかりあいが百足の脚を千切り、硬い表皮をはがしていくのが見える。もうちょっと脱出が遅れていたら、ぼくもああなっていたのかと思うとゾッとする。

「あ、危なかったぁ〜」

   『それはこっちのセリフだよ、まったく……。
 おまえって、ホント、ヒヤヒヤさせる戦い方をするな。自信がついてきたのはいいんだけどよ、怪我すんのはオレの身体なんだぜ』

 冷やかし半分にそう言った後、アドルは独り言のように呟いた。

   『でも、ヒロユキは強くなったな。こんな難しい攻撃は、オレでもうまくいったかどうか……』

「?」

 なぜだろう?
 なんだか、急に寂しいような気持ちが込み上げてくる。これは――アドルの想いなのか?
 それとも、ぼくの?

 どっちにしろ、ぼくはそれがどちらの物か知りたくなかった。一抹の感傷をごまかすように、ぼくは声を張り上げた。

「そんなことないだろ、アドルだったら、きっともっとうまくやったよ。だって、切りかかるタイミングを教えてくれたのはアドルだろ?」

 くすっと、アドルが笑う気配がする。

   『さぁな。少なくとも――オレだったら一撃必殺なんて無謀な手段は取らないからなぁ。あの状況だったら、絶対に無難に一撃離脱を選んだよ』

「へ?」

 アドルだったら、一撃離脱?

   『ああ。オレは元々、身体の身軽さを生かして戦うライト・ファイターだ。
 ましてや、昆虫は知能が低くて生命力に長けている。ヘタに近づいたら、どんな不測の事態が起こるか分かりやしない。
 オレなら、とても一撃に賭ける気はしない』

「えっ、ええーーっ?」

 まさか、ぼくの判断って間違いまくり?!

「じゃ、どーして、あの時、そー言わなかったんだよ?!」

   『戦っていたのは、ヒロユキだ。
 傍で見ているヤツがアレコレ言ってても、実際に戦ってるわけじゃない。実際の決断は、戦っている本人の問題だぜ』

「…………アドル」

 ぼくは言葉に詰まった。
 アドルの言うこと自体は、骨身に染みるほどよぉ〜く分かる。なんせ、剣道をやってて、回りからどうのこのの言われるほどハラの立つことはないんだから!

 見ているだけのヤツってのは本当に無責任なもんで、『自分ならもっとうまくやってみせる』と言わんばかりの態度でアレコレ言うもんだ。
 それにむかっぱらを立てたのは、一回や二回じゃない。

 それだけに、アドルの心遣いと、自分の意見を曲げてまでぼくの無謀な戦法を見ていてくれた芯の強さに、心からの尊敬と感謝を感じた。
   だが、何かが引っかかった。
 自分でも上手く説明できないけど、でも、言い様のない不安を感じずにはいられない。


   『……どうしたんだ?』

 ぼくの動揺は、アドルにも伝わったらしい。でも聞かれたって、自分でも分かんない不安なんか、説明できない。

「いや……別に……。あっ、アドル、怪我、痛くない?」

 新しく負った怪我を一つ一つ確かめてみたが、どれもかすり傷に近い。
 それほど深刻な怪我はしなかったみたいだ。ざっと応急手当てしようとしたら、アドルがそれを止めた。

   『かすり傷だ、手当てはいらない。それより、ミネアの町が心配だ、急ごうぜ』

 どうやらアドルはぼくの得体の知れない不安を、ミネアの町に対する不安と誤解したらしい。
 察しのいいアドルにしては珍しい誤解だが、この際、それに突っ込んでる暇はない。
 ぼくは、誤解に乗じることにした。

「うん、急ごう、アドル!」

 見えない不安を無理やり押し込め、ぼくはミネア目指して走り出した――!!
                                    《続く》

 

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