エピローグ

 

「人々はエストリアをかつてのイースだと思っています。それはある意味では正しいことですが、ある意味では間違いなのです」

「それ、どういうこと?」

 ぼくはずっと、イースとエストリアの違いは地名が変化しただけだと思っていた。だが、そうではないのだろうか。

「アドルさん、ヒロユキさん、今からお二人を本当のイースへとご案内しましょう。さあ、ヒロユキさん、私の左手をとって……」

 言われるままに、ぼくはレアの手を握った。すると、なぜかレアは残る右手で、ぼくの右手を取った。
 両手をつないだ態勢で、レアが静かに呪文を唱える。

「ん……?!」

 身体がすぅーっと軽くなる  レアに手を引かれ、ぼくは空に飛び上がった。

「え……っ、えええっ、わわっ」

 いっ、いきなりこれって、焦る!
 しかも、レアは片手でぼくを引き、もう片手に別な誰かを……それはよく見るとアドルだった!!

「アッ……アドル?!」

「おまえがヒロユキか?! ……変な格好してるなあ、おまえって」

 アドルが目をぱちくりさせてぼくを見る。自分を見下ろすと、……ぼくはこの世界にくる前にきていたはずの学校の制服を着ていた。顔は見えないけど、この分だと本来の自分の姿に戻っているらしい。

「へえ、ヒロユキってそんな顔をしてたのか」

 アドルがまじまじとぼくを見る。そっか、考えてみりゃ、アドルがぼくの顔を見るのって初めてなんだ。

「空を飛ぶために、お二人の魂だけを抜き取りました。――いいですか、ここがイースです」

 ぼく逹が連れていかれたのは、遥か上空だった。まるで飛行機に乗った時のように地上が地図そっくりに小さく見える空の高みに、それはあった。
 ぽっかりと浮かんでいる、壮大な神殿を中心にした小さな島。
 これは――天空の島だ…!

「ここと、下の島をよく見比べて下さい。何か、気がつきませんか?」

 先に気づいたのはアドルの方だった。

「イースと、エストリア湖の形が一致している……! これは、偶然なのか?」

 確かに、地上に見える地図そっくりの湖は、このイースの島とぴったり重なりそうだ。まるで、とてつもなく大きなスプーンでくりぬいたみたいだ。

「偶然ではありません……イースはかつて、地上にありました。今で言う、エステリアのあの地に。――こうなってしまったのは、全てがクレリアが原因でした……」

 レアは悲しそうに古い歴史を語りはじめた。

 

 

 

 イースは、生命の輝きに満ちた美しい国だった。
 そのイースを支えたのは、神秘のエネルギーに満ちた黒い真珠……そして、それを守る双子の美しい女神だった。

 女神は真珠を守り、二人の女神は六人の神官によって守られ、秩序の保たれた平和で平等な国――だが、さらなる繁栄を望んだ時になにかが狂ってしまったのかもしれない。
 六人の神官は黒い真珠のエネルギーを利用して、クレリアという金属を作り出した。

 クレリアは、魔法に対して強い耐性を持ち、しかも信じられないほど軽いという素晴らしい特徴をもっていた。
 こうして人々はクレリアを作り続け、イースは益々栄えた。

 だが、クレリアは危険な諸刃の剣だった。
 クレリアを一つ作るごとに、人知れぬ所で空間が歪み、異界より魔物を呼びよせていたのだ。

 クレリアは、魔物と直結した金属だったのだ――!
 だが、人々がそれに気づいた時は、もう遅かった。クレリアの不思議な力は、人間の心にもある欲望を植えつけていた。

 独占欲、支配欲、戦闘欲……程度の差はあれど、クレリアは人のそんな欲望を引き出す。
 クレリアによって狂わされた人々と魔物達は、クレリアの基である黒の真珠を欲して、神殿へと押しよせるようになった。

 このままでは、黒の真珠が奪われてしまう――それに恐怖したイースの民は、黒の真珠を守るために神殿ごとイースを空へと舞い上げた。
 限られた人間だけを乗せ、追っ手を恐れるあまり、多くの人の記憶を歪めて……。

 だが、この逃走は思いもよらぬ悲劇を生んだ。
 イースの象徴ともいえる二人の女神と六神官は、魔物と共に地上に残される人々を見捨てることができず、地上へと残ったのだ。

 しかも、六神官は黒真珠を操るのに必要なイースの本を持ったまま、地上へと残った。今や天空人となったイースの民達は、空に上がったはいいがそれ以上なにもできなくなってしまった。

 それでも、彼らは魔物から逃れるという本来の目的は果たしたわけだが、魔物の動きは収まらなかった。
 黒真珠は、魔物達の記憶を歪めることはできなかった。

 魔物達は天空へと逃れた黒真珠を欲して、イースを追撃するために天まで届けとばかりに高い塔を作り出した。
 それこそが、ダームの塔だ。

 高さだけでなく、秘められた魔力を最大限に遣って、魔物立逹はイースへ行く方法を模索しだした。ダルク=ファクトという強大な魔力を持つ長を迎え、イースの魔物達はその活動を強めていった――。

 

 


「ダルク=ファクトが生きていれば、後数年もかからずに彼らはこのイースへと来る方法を見つけていたでしょう。そうなれば……ダルク=ファクトは黒真珠を手に入れ、この世の全てを支配したでしょうね」

 イースの大地にフワリと舞い降り、レアは他人事のようにさらりといった。ぼくとアドルも一緒にイースの地に降りたが、魂だけのせいか、いまいち現実感がない。
 レアの手を離れ、ぼく逹はその辺を歩き回ったけど、なんせ魂だけで実態がないから、歩いたって気がまるでしない。

「ここが……イースか。まるで、廃墟だな」

 アドルがあたりを見回しながら呟く。

「ええ……皮肉なことに、黒真珠を守るために天空へと上ったイースの民は、自らの欲望に負けて虚しい争いを重ね、滅亡してしまいました。

 黒真珠を操るのに必要なイースの本はここにはないのを承知の上で、黒真珠を手にいれようとしていたなんて……人は時として、愚かしいことをしてしまうものですね。
 もう、百数十年以上も昔の話です」

 イースは、いわば『ノアの箱船』だったのか。
 残されたエストリアの人々は、歪められた記憶の中で、自分達が箱船に乗り損なったことだけにしつこくこだわっている。だからこそ、イースの復興を夢に見るんだ。

 なんて皮肉で、悲しい夢なんだろう。
 もう、イースは滅びさってしまっているのに……。

「アドルさん…ヒロユキさん……。あなた達は、ダルク=ファクトを倒し、イースの本を全てそろえました。望むのなら……あなた達には黒真珠を操ることができます」

 思ってもみないことを言われて、ぼくとアドルは顔を見合わせた。
 そして、別に相談するまでもなく、ぼく逹は互いに同じ結論に達したんだ。

「オレは、イースにこだわるつもりはないよ。うちのばあさんや、ジェバばあさん逹には悪いけどさ」

「ぼくも。いいかげん、みんなイースのことを忘れて、やりなおした方がいいんじゃないかな」

 声をそろえて言うぼく逹を見て、レアは満足そうに微笑む。

「……本当に、見ていて羨ましいぐらい、あなた達の心は通じあっているのですね。本来は一人の人間として生まれるはずだったから、それも不思議ではありませんが……」

 そう言ってから、レアはふと、宙に視線を遊ばせる。それは、まるで他の人には聞こえない声を聞いているみたいだった。

「レア……」

 ぼくには聞いてみたくてたまらないことがあった。でも、それをはっきりと聞くのは怖くもあった。
 迷っていると、アドルがぼくを励ますようにぽんと肩を叩く真似をした。
 それに背を押されて、ぼくは思いきって聞いてみた。

「……もしかしてさ……もしかしたら、レアがイースの女神……かい?」

 沈黙が流れた。――その沈黙がとても長く感じられた。
 そして、その沈黙を破ったのはレアじゃなくてアドルだった。

「ヒロユキ、知っているか? イースとエステリアが対称的な言葉だったように……その名自体は伝えられていない双子の女神も、対称の名を持つと言われているんだ。
 前に、フィーナの名は『呼ぶ者』だと言っただろ。レアの名は……『帰す者』だよ」

 淡々と説明してから、アドルはやや早口に付け加えた。

「あ、言っておくがこれは隠していたわけじゃないぜ。オレも、気がついたのはあの……氷の殻にこもっている間だった」

「別に言い訳しなくても、ぼくはアドルが知ってて隠していたなんて思わないし、仮にそうだとしても根にもったりしないよ」

 アドルにそう言ってから、ぼくは改めてレアを見つめた。

「レア……やっぱり、そう……なのかい?」

 レアは答える代わりに目を閉じた。その目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。

「それを、あなたに聞かれるのが怖かったわ……なぜなら、それはあなたとの別れを意味することに繋がるから…」

 さっきまでと、微妙に言葉遣いが変わっている。彼女は、ゆっくりとぼくへと歩みよった。

「レア?」

 ぼくの声に反応するように、レアは顔を上げた。

「……いや、フィーナ…ッ?!」

 髪の色はレアのまま――確かに、ここにいるのはレアだ。だけど、顔を上げたレアの中に、ぼくはフィーナの面影を見た。

「そう――この悲しみは、もう一人の私、フィーナの心……。イースの本がそろった今、あの娘の記憶は戻り、私達の心は再び通じあったわ。離れた場所にいても、あの娘の心はここにある。
 だから、この涙は、フィーナのもの……」

 レアの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

「あなたをこの世界に呼んだのは、フィーナ……。だけど、私にはあなたを元の世界に戻す義務があるの」

「元の……世界」

 ほとんど忘れかけていた家のことや、両親のことを思い出す。
 帰りたい……帰りたくない……ぼくは混乱していた。その混乱をついて、レアが不意にぼくの胸に飛び込んできた。

「ごめんなさい……!! でも、これしかあなたを帰す方法はなかった――」

 腕の中で、レアが眩い光を発しだした。それと同時に、なんとなくレアの考えが伝わってくる。
 殻に籠ったアドルが再び意識を取り戻し、ぼく逹が二人に戻る――あれは、本当に奇跡としか呼べない現象だった。

 あれが限界だった。
 あのまま少しでも長く、ぼく逹がアドルの身体にとどまれば、半ば融合しかけたままのぼくら二つの魂はともに消滅するところだった。

 だからこそ、レアは危険だと知っていながらわざわざぼく逹をイースへと導き、アドルの身体から魂を抜き取った。

 女神の力を最も強く発揮できるイースの地で、レアは昔話をすると見せかけて、彼女は一つに融合しかけていたぼくとアドルの魂を、元通りに引き離した。
 そして、今、ぼくを元の世界へ帰そうとしている……!

「ヒロユキッ?!」

 アドルがこっちに駆けよろうとした姿勢のまま、固まっている。
 あれも、レアの力……?


 目も開けられないような光の中、ぼくは意識が浮かんでいくのを感じていた。これが 
 これが、異界へ渡るっていう感覚なのか? 
 ぼくは……現代に帰るのか……?!

「行くな、ヒロユキ!! まだ、フィーナに別れの言葉さえ言ってないんだぞっ!」

 アドルが叫ぶ。――あいつ、自分だってフィーナが好きなくせに。
 そんな場合じゃないのに、ぼくは少しだけ笑ってしまった。

「フィーナに会えなくってもいいの――!!」

 アドルの叫びに触発され、ぼくは地上でぼくを待っているはずのフィーナを思い出した。


「……そうだ、ぼくはフィーナに会いたい! レア、やめてくれ、せめて、フィーナに一目……!」

 レアは聞こえるか聞こえないかの声で、それはできないと言った。

「この時を逃せば、あなたもアドルも助かりません! ごめんなさい、ヒロユキさん……!」

 光はどんどん強くなり、ぼくの意識はゆっくりと消失していく。

「嫌だ! アドル、ぼくは、フィーナに……フィーナ――ッ!!」

 ぼくの叫びは、言葉になったのだろうか。もう、アドルの声も聞こえなくなった。
 目を開けることもできない光が、すべてを覆う。
 ――ぼくには、もう何も見えなかった……。
                                   END 

 

 
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