Act.16 心からの叫び |
「よくぞここまできた。しかし、ここで終りだ」 目を開けた時、ぼくは大広間の中央に立っていた。そして、目の前には……ダルク=ファクト!! 闇色の景色の中で、彼の凍りつくまでに冴えた美貌がよく映える。とてつもなく美しく、同時にとてつもなく恐ろしい男。 「レア、逃げて。危険だ!!」 「いえ、私はここで見ております。あなたは心配することはありません」 レアは一度だけ強くぼくの手を握り、そして、ゆっくりとぼくの手を離した。 「フ……女神も、地に降りて堕落したか」 ダルク=ファクトが嘲笑する。 「人間などに迷うとはな。私のことを、とやかく言えるものではない」 他人をけなす、その口調さえもに華がある。それに聞きほれかけたが――ンな場合じゃないっ! 「人間を過少評価するものではないわ。人間の想いの強さ――それを、あなたはこれから身をもって知ることになるのです」 別人のように毅然とした声音で、レアはダルク=ファクトを諭す。それは、とてもぼくと同い年の女の子の威厳じゃなかった。 「笑わせてくれる。人間ごときに、何ができるというのだ? そこまで言うのなら、試してやるとしよう。こやつがどの程度強くなったかをな!」 ダルク=ファクトが、レアから視線をぼくへと移した。生気の感じられない冷たい視線が、ぼくを射る。 「……ダルク=ファクト!!」 今までぼくの中で、熾き火のように眠っていた怒りが爆発した! 目を覚ました怒りに支配され、ぼくは無意識に剣を抜いていた。すぐにでも飛びかかりそうになる自分を、意思の力で辛うじて押さえる。 だが、魔人は余裕たっぷりだった。冷笑すら浮かべ、ぼくを見つめている。 「……でも、同じじゃない!」
――ただ、気がかりなのは、アドルが何も言ってくれないことだった。でも、一人でもやるしかないんだ。 「うわぁあああっ!!」 唸りながら、ぼくは奴に向かって突っ込んでいった。ぼくの攻撃はダルク=ファクトに、かすりさえしない。 前に味わった悔しさ、サラやジェバを死なせてしまった後悔が、今までのぼくになかった執念を身につけさせたんだ。 「ほう。前の時にはなかった気迫を身につけたな。だが、気迫だけでは勝てぬ」 身につけたのは気迫だけじゃない。 ――勝てるかもしれない。 何もない虚空から、剣を手にする。 しかし、動きは遅くても鋭い攻撃を連続で仕かけてくる。その上、攻撃を仕かけながらも、ぼくの攻撃をするりと避けるのだ! 「くぅっ!」 頬を、剣がかすめる。 「うわ……っ?!」 死ぬ! しかし、それで充分だった。ぼくは後ろに飛びのきざま、剣でその攻撃を止めることができた。 だが、その魔力さえ、奴にはほんの一瞬しか効かないみたいだ。 「フッ、なかなかやるな。では、少しレベルアップといくか」 ダルク=ファクトはそれまでのゆったりとした捨て、動きを早めた。 今まで習った剣道の技術を総動員させ、勘を目一杯働かせて――それでも剣を避けるのがやっとだった。上下左右、あらゆる方向から繰り出されてくる剣は、ぼくに反撃を許さない。 ――こんな時、アドルがいてくれたら! 「ふむ、確かに腕は上達したようだ。しかし、本当の攻撃はこれからだ」 ダルク=ファクトはそう言うと、宙に一際高く飛び上がった。 「なっ……?!」 ぼくは一瞬、自分の目を疑った――ダルク=ファクト持つ剣が、消えたんだ!! シュッ!! 風を切る音と、一瞬遅れて左肩に痛みが走る。 「う……っ」 な、なんだ、今のは? 「今のは、わざと外した。次は、どこに刺さるかな……心臓か? 腕か? 望みの所に刺してやろう」 ダルク=ファクトが奇怪な妖鳥のごとく、マントをはためかせて手を蠢かす。それにあわせて、剣が空を切る風切り音が聞こえた。 ぼくは恐怖心から、剣をめっくらめっぽう振り回したが――こんなんじゃ、避けれっこない!! 「フン、不様な。興ざめした」 熱の冷めた声で言い捨て、ダルク=ファクトが指をクッと下に向ける。その途端、死の予感が身体を捕らえた。 目まぐるしい恐怖。噂によく聞く走馬灯のような思考の中、ぼくが思っていたのは、自分の過去でも家族のことでもフィーナのことでもなかった。 氷の殻の奥で、堅く目を閉じていたアドル――苦しい時も楽しい時も、一緒に体験してきたあの相棒に、もう一度でもいい、会いたかった――! 「あ……アドル――――!!」 気がついた時には、ぼくは声の限りに叫んでいた。 『右だ! 右に、剣を出せ!!』 それが誰の声かと考える前に、ぼくは反射的に動いていた。 ガキリ! 重い音がして、剣を持つ手に衝撃が走る。ぼくの剣に受け止められた形で、奴の剣が出現していた。 「むう……」 ダルク=ファクトの美しい顔が、訝しげに歪む。だが、今はそんなのどうでもいい! 「アドルッ!! 来てくれたんだね!」 戦いも忘れて、ぼくはそう叫んでいた。まったく こんな嬉しかったことってない。ぼくとアドルが別々の身体にいたんなら、ぼくは間違いなく彼に抱きついていただろう。
アドルの言う通り、高みの見物と気取っていたダルク=ファクトが再び地上に降りて剣を手にしていた。 戦いは再び剣の打ち合いになったが、さっきまでとはパターンが違う。余裕を持って剣を交えるのは、奴じゃなくってぼくだ。 アドルはいちいち指示をするわけじゃない。 『本当に上手くなったな、ヒロユキ。ちゃんと避けながら聞けよ……オレがタイミングを計る。しばらく防御に専念して、合図したら奴の頭に剣を突き刺せ!』 「わかった!」 ぼくは声にしてアドルに答えた。 傍から見れば、奴が押しているように見えるかもしれないが、本当は逆だ。一撃一撃に力を込め過ぎれば、体勢を崩してスキを作るだけでなんの意味もない。 『ヒロユキ、今だ!』 アドルの計ったタイミングは完璧だった。 「うぅ……!」 ダルク=ファクトは身体をのけ反らせた。額から、一筋の血が流れるのが見える。魔人に初めて負わせることのできた負傷だった。 「そんな……馬鹿な! 貴様の持っている剣は、ただの剣だ!! クレリアでできた物ではない! なのに、なぜ……っ?」 驚きに、奴の顔が歪む。 『奴は今、戸惑っている。今がチャンスだ、行けっ!』 「うぉおおっ!」 ぼくは剣を振り上げ、突っ込んだ。その瞬間、奴の目が赤い光を放った。――途端に、体の自由が効かなくなる。 「……フフフ……ハハハッハッハッハ!」 含み笑いから、しだいに大きくなる笑い声――流れる血をぬぐいもせず、ダルク=ファクトは笑っていた。 「魔法を使わずに遊んでやろうと思っていたものを……この私に魔法を使わせるとはな!」 「く、くそぉおっ」 何がなんでも動いてやる――その気迫がどう作用したのか、ぼくはぷつっと糸を切ったように動けるようになっていた。 「やるな。よかろう――私も、本気で相手をしよう」 ダルク=ファクトはゆっくりとした動きで、剣を胸の前に構えた。小さくぶつぶつ呟いているのは、魔法の呪文に違いない。 ゴウッ! ダルク=ファクトの剣が、炎に包まれて燃え上がった。 「ファイア・ソード……果たして受け止められるか?!」 魔人はそう言って剣を繰り出してきた! 「ぐ……!」
「まだまだぁっ!」 しかし、ダルク=ファクトの声と共に、剣の火勢が強まった。盾越しに感じる熱気が、腕を焼く。 「うう……!」 奴の剣から、滝のように飛び出した炎がぼくを襲う! 「む? この程度の魔法では効かぬというのか?」 ダルク=ファクトには、なぜ今の魔法が効果がなかったのか、理解できていないみたいだ。 『ルタ=ジェンマ達だ。地上に戻ったら、あいつらに礼を言わなきゃな』 地上で結界を張っている彼らは、ぼく逹の勝利を祈ってくれているはずだ。絶対、吉報を持って、彼らの所へ戻るぞ! 「それならば……これではどうだ?」 ダルク=ファクトは剣の炎を収めると、鞘に戻した。剣を捨て、魔法攻撃に専念する気か? 「そうはさせるか!」 先手を打って、ぼくはダルク=ファクトに切りかかった。が、奴はさらりとかわして、また口の中で何か呟いている。 『来るぞ!』 ダルク=ファクトの異形の手が、ぼくに向かって伸ばされた。合わされたその手に、光が集まる。 だが、ぼくの目はそれよりも、魔法を放った直後の姿勢のままでいるダルク=ファクトの引きつけられていた。 『やめろ、無茶だ!』 アドルが叫ぶが、勢いがついた身体は止まらない。ぼくは光球に体当たりしていた。 『うわぁあっ!!』 光にぶつかった瞬間、アドルが苦痛の悲鳴を漏らす。が、ぼくはほとんどなんにも感じなかった。 その瞬間、ぼくは自分の考えの正しさを実感した。 多分、それはぼくが魔法なんて概念を持たない現代人だからだ。 どこかで魔法を信じ、恐れているアドルと違って、ぼくはそう思いたい時には魔法を否定することができるんだ。 「アドル、死なないでくれ!!」 ぼくが支配しているアドルの身体は、ぼくの意識が魔法から守ってみせる。だから、アドルは自分の魂を強く持っていてほしい。 光球を抜けるまで、かかった時間なんて1、2秒もないだろう。光を抜けた先には、驚いた表情を浮かべたダルク=ファクトが立っていた。 ぼくの剣は奴の肩に食い込んでいた。降り下ろす勢いのまま、左肩から腹へと袈裟切りに切り抜く。その途中に、奴の心臓があった。 「……ッ!!」 奴の口から、声にならない言葉と共に血が吹きだされる。 「な……なぜ……斬れぬはずの剣が……」 ダルク=ファクトは身を守ろうとさえしなかった。スキを突いたせいもあるが、クレリアの剣じゃないという油断もあったのだろう。なにせ、ぼくの持っていたのはタルウォール、奴を斬れるはずのない剣だったのだから。 『そうさ、おまえは斬れないはずの剣で、奴を斬った! ヒロユキ、おまえは勝ったんだよ!』 「アドル……」 よかった……アドルは無事だったんだ。
ぼんやりと答えながら、ぼくは自分で自分を抱くように、ぼくの……アドルの肩を抱きしめた。本当のぼくの身体より、ちょっとばかりは逞しいけど、まだまだ成長途中の少年って感じが残る薄い胸や、さほどもない肩幅を手で確かめる。 「アドル=クリスティンよ……そして……異界よりきた戦士よ」 突然呼びかけられ、ぼくはびくっとした。しゃべっているのは……ダルク=ファクトだ!
確かに心臓を切り裂いたのに――驚異的な生命力だ。 「私の間違いは……おまえが二人いたことに気づかなかったことだったのかな。融合するでなく、一人が支配するでなく……一つの身体に二つの魂が共存していたとは……ありえぬこと……」 「かもね。でも、ぼくとアドルは、そうやってきたんだ」 問題がなかったわけじゃないけど、それぞれ悩んで、相手に気を遣ったり、皮肉な運命にケチをつけながら、ずっと一緒に戦ってきた。 「ぼくは、アドルと一人の人間に生まれなくってよかったと思うよ。 同一人物だったら、絶対に分からないことってある。 「……甘い奴だ。だが、だからこそ……ありえぬ奇跡を起こしたのか……」 それが、ダルク=ファクトの最後の言葉だった。 ――本当に恐ろしい相手だった。 彼女は無言でうなずき、ダルク=ファクトの成れの果ての灰に、手を伸ばす。手に灰が集まったかと思うと それは、イースの本へと変わっていた。 「さあ、最後のイースの本です。お取りなさい……あなたにはその権利があります」 ぼくは素直にそれを受け取った。これで本はそろったわけだ。でも……この中に、なにが書いてあるんだろう? 「レア……これはいったいどういうことなんだ?」 「イースの本は、本の形をしていても本でもありません。それは魔法の発動体のような物……イースを操るための道具です」 『イースを……操る? どういう意味なんだ?』 この世界の住民であるアドルにさえ意味不明なことを、異界から来たぼくに理解できるはずもない。 「イースの本をそろえたあなた達は、すべてを知る権利があります。 レアは凛とした態度で――そう、まるで女神のような神々しさと威厳をもって、穏やかに話し始めた。
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