Act.10 アドルとヒロユキ |
「う、うひゃーッ、と、と、と、とんでもねえトコに来ちまったぜェェェェ……」 凍りつきそうな強風の中、オレはがたがた震えてまともに声も出せなかった。 『あっ、あっち! えっと、北の方を見てよ、あそこに建物がある!』 オレよりも早くそれに気がついたのは、ヒロユキだった。 あれこそがサルモンの神殿か? 「よし、決めたッ! 北に行こう!!」 『交替しなくても平気?』 「ああ、今のところはな。しんどくなったら、頼む」 本音を言えば、雪中行軍なんて面倒な上に辛い作業なんか他人に押しつけたいと心底思う。 ヒロユキと何度か身体を交換して理解したが、どうやらヒロユキは痛みや疲れと言うものを感じていないらしい。 筋肉痛ぐらいならいいけど、凍傷ばっかりは洒落にならない。 ヒロユキに雪の中を行進させて自分だけはのんびり過ごしていたつもりが、後になってから実は手足が凍傷でダメになっていました、って分かるなんて冗談じゃない。 戦士っぽく変装しようとした時、皮手袋を買っておいたのが不幸中の幸いだぜ。もし、手袋なしだったらとてもこの寒さに耐えられるものじゃねえ。 杖を抱え込んで魔法力を込めると、なんとかじんわりとした暖かさを維持することができる。まあ、こんなカイロみたいな使い方をする魔法使いってセコくてどうよ? って気もするけど、背に腹は代えられない。 「おい、ヒロユキ。おまえさ、なんか言いたいことがあるんじゃねえのか?」 返事は無かったが、胸の奥でヒロユキが動揺する気配が分かった。 こいつがなんらかの悩みを抱えているのには、ずいぶん前から気がついていた。 他人は他人、自分は自分。 他人のために一生懸命になれるリリアやヒロユキを見ていると、自分に都合のいい理屈をつけて何もしないでいる自分が恥ずかしくなってくる。 欲をかいた連中を騙すのなんてなんとも思わないけど、無償で人助けをしてくれる奴に借りを作りっ放しってのは、さすがのオレでも多少は気が引ける。 少しぐらいは、借りを返してやってもいい――そんな風に思えるのは初めてだった。 「話せよ。まあ、絶対に手を貸してやるとは言えないけど、オレにできる範囲で金のかからないことなら、助けてやらなくは無いぜ?」 そう誘いをかけると、ヒロユキは苦笑しつつやっと口を開いた。 『ユーロらしいや。……まあ、それならお言葉に甘えて。 「ん? ああ、覚えてるぜ」 あんな珍妙な像と話した経験を、そうそう忘れられるものじゃない。つーか、一生に一度で十分だ、あんなの。 『あの時、神像達が名乗った名前って、ぼく、聞き覚えがあるんだ』 「ん……、そういや、オレもどっかで聞いたことがあるような気がしたけどよ。あれって、六神官家の名前じゃねえのか?」 イースの二人の女神に使えていた、六神官の伝説はあまりにも有名だ。不信心者で通っているオレでさえ、名前ぐらいは聞いたことはある。 『うん。クリスティン、トバ、ジェンマ……これってみんな、神官の子孫達の家の名前なんだよ。ぼくも会ったことがある。みんなが、イースの本を手に入れるために協力してくれた』 「なんだ、おまえ、あんな有名人達と知り合いなのかよ?!」 一瞬驚いてから、オレは一番最初のことを思い出した。そう言えば、ラーバ老のこともこいつは知っていたんだっけ。 『知り合いって言えば、知り合いだよ。でも、それはどうでもいいんだ。 「ファクトって……ああ、行方不明になったという神官か?」 『うん、神像達はそう言ったけど……でも、ぼくが知ってるファクト――ダルク=ファクトは、神官なんかじゃなかった。それどころか世界を滅ぼそうとした魔王だったんけど』
余りに突拍子もない話を聞かされ、オレは危うくその場につんのめるところだった。雪でそのまま滑りそうになり、あわてて足場を踏ん張り直して、オレは再度ヒロユキに聞く。 噂は、噂――オレはそんな話を本気で信じたことはなかった。 『ううん、嘘じゃないよ。ダルク=ファクトは一年前、確かにダームの塔にいた。 「おまえ……いったい、何者なんだよ?」 それは、前からの疑問といえば疑問だった。 化け物とも互角以上に戦える剣の腕を持ち、妙にイースの伝承に詳しくて、さらには伝説級の神官と個人的な知り合いときている。 『んー……多分、勇者、かな?』 ヒロユキはそう言ったものの、自信なさげな口調はとてもそうとは思えなかった。 『ぼくは、元々はイースの本を集める勇者になるために、この世界に呼ばれたみたいなんだ。ラーバ老は、ぼくを召喚した六神官の一人だったんだ。 「へ? おまえが? アドルが、じゃねえのか?」 正直、かなり驚いて思わずオレは足を止めた。イースの本を探す勇者ってのはたまに聞くが、それを見事に全部集めたなんて話はとんと聞かない。 あいつこそがイースの本を集めたとか、まだその途中だとか志半ばで倒れただとか、色々と噂だけはオレも聞いていた。 『正確に言うと、ぼくが、じゃなくて、ぼくとアドルが、だよ。ぼくは前にもここの世界に来たって、言っただろ? 前の時は、ぼくは不完全な召喚魔法のせいでアドル=クリスティンの身体に精神だけ飛ばされたんだ。 「へえ、こんな風に二人で一つの身体を入れ替えながら冒険したってわけかい?」 『……それだったら、良かったんだけどね。あの時は、ぼくがアドルの身体を乗っ取った形になっちゃたんだ。 ヒロユキの声が、沈み込む。 ヒロユキと心を交換している時、オレに全く不安がないわけじゃない。 そして、オレはその全く逆の罪悪感も理解できる。 今思えば、ずいぶんと傲慢で勝手な考えだったと、オレでさえ思う。 「あー……なんだな、それは大変だったみたいだな」 『まあね。 「ふぅん。なら、それでめでたしめでたしってモンじゃねえのか?」 足を止めていた時間はそう長くはなかったのに、急にぶわっと寒さが押し寄せてきて、オレは慌てて再び歩きだす。 まず、ヒロユキと心を分離できるって手掛かりが分かったのは、大きい。腕輪をくれたラーバ老をもう一度探すってのも一つの手だけど――正直、オレはあまりその作戦には乗り気じゃなかった。 なんせ、事情も告げずにいきなり問答無用で人に面倒ごとを押しつける様な奴なんか、信用できるもんかよ! それを思えば、まだ女神様を探した方が成功率が高そうな気がするぜ。そっちも、ヒロユキの知り合いっぽいし、いざとなればなんとかなるだろう。 『それなら、まだよかったんだけど。 だけど……まさか、もう一回呼ばれるなんて思わなかったよ。しかも、呼んだのはアドルじゃなくて君だったし』 当惑しきったようなヒロユキに、悪気がなかったのは分かっている。が、分かっていたって、こういう言われ方をしちゃカチンときちまうぜ。 「なんだよ、オレが呼んだんじゃ悪かったのかよ?!」 それを言われると、オレも言い返す言葉が思いつかない。 『なのに、魔法も使えるし、イースの本に関わる神像とも会話できている。 ヒロユキに正面きって聞かれ、今度はオレが当惑する番だった。 「んなこと言われてもなぁ……何者って言われても、オレはオレだ、としか言い様がねえよ」 だいたい、オレ本人でさえ自分の正体なんか知りゃあしないんだから。捨て子だったオレは、親の顔すら知らない。 「正直な話、オレにとっちゃイースの本だの勇者だの六神官に関われって言われても、迷惑なだけなんだよな。 あの神像が聞いたらまたも怒鳴られそうだけど、これがオレの本音だ。 「オレは、リリアを助けたいだけなんだ。それだけでいい」 勇者の使命も、イースの運命なんてのも、知ったことじゃない。済し崩し的に巻き込まれ掛けちまっているような気がするけど、オレの望みなんてそれだけだ。 『……そっか。ぼくも、同じだよ』 くすりと笑うような調子で、ヒロユキが仮にも勇者だったとは思えないようなことを言う。 『本当のこと言っちゃえば、ぼくもイースとか、イースの本とかはどうでもいいんだ。悪いけど、あんまり関心がないし』 あまりにもあっけらかんとした言葉は、だからこそ本音なのだろうとすぐに信じられた。 ヒロユキがそう思うのも、ある意味では当然だ。なんせこいつは異世界からきたんだ、この世界の使命だの伝承に深く関わる必然性すらない。 『ただ、アドルがイースの本を探していたから、ぼくも探しただけだよ。だから、少し気になっていたし、今度もそうしなきゃならないのかと思っていたけど――でも、いいや。 それよりもずっと、アドルやフィーナの方が気になるんだ。 どこか吹っ切れたような調子でそう言うヒロユキからは、さっきまで感じていたような悩みの気配が消えていた。 「そうかよ、ならオレ達は似た者同士ってわけだ。ま、これからもよろしく頼むぜ、相棒!! ……早速、なんか出てきたみたいだし」 雪のせいで見えにくいが、前方に人影らしきものが見えてきた。 まったく、ろくろく戦ったこともないオレが、いつの間にか慣れたもんだぜ。 『調子がいいなぁ。でも、こっちこそよろしく頼むよ、相棒!』 すっかりと元気を取り戻したヒロユキの声が、心の中で強く響いた――。
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