Act.10 アドルとヒロユキ

 

「う、うひゃーッ、と、と、と、とんでもねえトコに来ちまったぜェェェェ……」

 凍りつきそうな強風の中、オレはがたがた震えてまともに声も出せなかった。
 こんな所にじっとしていたんじゃ、あっという間に氷の柱になって一巻の終わりだ。とにかく、どこかへ行かなくちゃどうにもならねえ。
 オレは辺りを見回した。

『あっ、あっち! えっと、北の方を見てよ、あそこに建物がある!』

 オレよりも早くそれに気がついたのは、ヒロユキだった。
 遥か北の方、そびえ立つ山の天辺にかすかに見える人工的な建物。ここからでも見えるということは、あれは相当に馬鹿でかい代物に違いない。

 あれこそがサルモンの神殿か?
 まあ、手掛かり皆無とはいえ、ちょうど山道も北に向かって伸びている。反対側の道は、広い崖に阻まれてとても進めやしないし、オレはほとんど悩まなかった。

「よし、決めたッ! 北に行こう!!」

『交替しなくても平気?』

「ああ、今のところはな。しんどくなったら、頼む」

 本音を言えば、雪中行軍なんて面倒な上に辛い作業なんか他人に押しつけたいと心底思う。
 だが、雪の中でそんなことをすれば、下手すれば命取りになりかねないと、オレには分かっていた。

 ヒロユキと何度か身体を交換して理解したが、どうやらヒロユキは痛みや疲れと言うものを感じていないらしい。
 だからこそいつでもフルパワーで動けるわけだが、その反動は全部オレの身体が引き受けることになる。

 筋肉痛ぐらいならいいけど、凍傷ばっかりは洒落にならない。
 酒でしたたか酔っ払い、痛みの感覚も恐怖の感覚もなくしたままで放置した結果、怪我や凍傷を悪化させて死んだ奴の話を、オレは今まで何件も聞いてきた。

 ヒロユキに雪の中を行進させて自分だけはのんびり過ごしていたつもりが、後になってから実は手足が凍傷でダメになっていました、って分かるなんて冗談じゃない。
 それぐらいなら、多少しんどくても自分で歩く方がましだ  そう考えつつ歩きだしたが、やっぱり辛いものは辛かった。

 戦士っぽく変装しようとした時、皮手袋を買っておいたのが不幸中の幸いだぜ。もし、手袋なしだったらとてもこの寒さに耐えられるものじゃねえ。
 ついでに、魔法使いになったのも大正解だった。

 杖を抱え込んで魔法力を込めると、なんとかじんわりとした暖かさを維持することができる。まあ、こんなカイロみたいな使い方をする魔法使いってセコくてどうよ? って気もするけど、背に腹は代えられない。
 そうやって雪道を歩きながら、オレは小声でヒロユキに聞いてみた。

「おい、ヒロユキ。おまえさ、なんか言いたいことがあるんじゃねえのか?」

 返事は無かったが、胸の奥でヒロユキが動揺する気配が分かった。
 へへん、やっぱりな。
 ダテに同じ身体にいないというのか、オレにはヒロユキの心の動きがなんとなくだが見える。

 こいつがなんらかの悩みを抱えているのには、ずいぶん前から気がついていた。
 だが、オレはそれに口を出す気は無かった。

 他人は他人、自分は自分。
 オレはずっとそうやって生きていたし、これからだってそうするつもりだったから。
 しかし、それがほんの少し変わったのは  認めたくないが、リリアやこいつのおかげかもしれない。

 他人のために一生懸命になれるリリアやヒロユキを見ていると、自分に都合のいい理屈をつけて何もしないでいる自分が恥ずかしくなってくる。
 特に、ヒロユキには何回も助けられた。

 欲をかいた連中を騙すのなんてなんとも思わないけど、無償で人助けをしてくれる奴に借りを作りっ放しってのは、さすがのオレでも多少は気が引ける。

 少しぐらいは、借りを返してやってもいい――そんな風に思えるのは初めてだった。
 ちょうどいいと言ってはなんだが、今は歩く以外にやることもない。話を聞くには、いい機会だ。

「話せよ。まあ、絶対に手を貸してやるとは言えないけど、オレにできる範囲で金のかからないことなら、助けてやらなくは無いぜ?」

 そう誘いをかけると、ヒロユキは苦笑しつつやっと口を開いた。

『ユーロらしいや。……まあ、それならお言葉に甘えて。
 ぼく、前から気になっていることがあるんだ。廃坑で神官達の神像に話しかけられた時のこと、覚えてるかい?』

「ん? ああ、覚えてるぜ」

 あんな珍妙な像と話した経験を、そうそう忘れられるものじゃない。つーか、一生に一度で十分だ、あんなの。

『あの時、神像達が名乗った名前って、ぼく、聞き覚えがあるんだ』

「ん……、そういや、オレもどっかで聞いたことがあるような気がしたけどよ。あれって、六神官家の名前じゃねえのか?」

 イースの二人の女神に使えていた、六神官の伝説はあまりにも有名だ。不信心者で通っているオレでさえ、名前ぐらいは聞いたことはある。
 まあ、孤児のオレにはまったく縁がない名門中の名門の神官家なんぞ、たいして興味もないけどよ。

『うん。クリスティン、トバ、ジェンマ……これってみんな、神官の子孫達の家の名前なんだよ。ぼくも会ったことがある。みんなが、イースの本を手に入れるために協力してくれた』

「なんだ、おまえ、あんな有名人達と知り合いなのかよ?!」

 一瞬驚いてから、オレは一番最初のことを思い出した。そう言えば、ラーバ老のこともこいつは知っていたんだっけ。
 それに、ヒロユキの奴は六神官の血筋か、でなければイースの本を揃える勇者にしか聞けないはずの神像の声も聞いていた。

『知り合いって言えば、知り合いだよ。でも、それはどうでもいいんだ。
 ファクト……この名前が、引っ掛かるんだよ』

「ファクトって……ああ、行方不明になったという神官か?」

『うん、神像達はそう言ったけど……でも、ぼくが知ってるファクト――ダルク=ファクトは、神官なんかじゃなかった。それどころか世界を滅ぼそうとした魔王だったんけど』


「ぃいいっ?! 嘘だろっ?!」

 余りに突拍子もない話を聞かされ、オレは危うくその場につんのめるところだった。雪でそのまま滑りそうになり、あわてて足場を踏ん張り直して、オレは再度ヒロユキに聞く。
「魔王って……あ、いや、オレも聞いたことはあるけどよ。ダームの塔とかに魔王がいるって話はさ。だけどよ、そんなのフカシだとばっかり……」

 噂は、噂――オレはそんな話を本気で信じたことはなかった。
 だいたい、ダームの塔とやらがあるのはエストリアだと聞いていたし、そんな噂が流れていたのは一年ぐらい前の話だ。
 だが、ヒロユキはやけに確信ありげにはっきりと言う。

『ううん、嘘じゃないよ。ダルク=ファクトは一年前、確かにダームの塔にいた。
 それを倒したのは、6冊のイースの本を揃えた勇者だったんだ』

「おまえ……いったい、何者なんだよ?」

 それは、前からの疑問といえば疑問だった。
 異世界から来たと言う話が突拍子もなさすぎて忘れていたが、考えてみればそれがそもそも異様なんだ。

 化け物とも互角以上に戦える剣の腕を持ち、妙にイースの伝承に詳しくて、さらには伝説級の神官と個人的な知り合いときている。
 さらには、魔王と勇者の対決まで知っているだって?
 どう考えたって、ただものじゃない!

『んー……多分、勇者、かな?』

 ヒロユキはそう言ったものの、自信なさげな口調はとてもそうとは思えなかった。

『ぼくは、元々はイースの本を集める勇者になるために、この世界に呼ばれたみたいなんだ。ラーバ老は、ぼくを召喚した六神官の一人だったんだ。
 そして結果的に、ぼくは彼らの望み通りにイースの本を集めた』

「へ? おまえが? アドルが、じゃねえのか?」

 正直、かなり驚いて思わずオレは足を止めた。イースの本を探す勇者ってのはたまに聞くが、それを見事に全部集めたなんて話はとんと聞かない。
 唯一の例外が、アドル=クリスティン。

 あいつこそがイースの本を集めたとか、まだその途中だとか志半ばで倒れただとか、色々と噂だけはオレも聞いていた。
 知名度が一番高い、勇者候補……だからこそ、オレもアドルの偽者としていろいろと旨い汁を吸ったわけだけど。

『正確に言うと、ぼくが、じゃなくて、ぼくとアドルが、だよ。ぼくは前にもここの世界に来たって、言っただろ?

 前の時は、ぼくは不完全な召喚魔法のせいでアドル=クリスティンの身体に精神だけ飛ばされたんだ。
 アドルは、元々、イースの本を探す勇者だった。ぼくは、それに手を貸しただけだよ』
 その話は、初耳だった。

「へえ、こんな風に二人で一つの身体を入れ替えながら冒険したってわけかい?」

『……それだったら、良かったんだけどね。あの時は、ぼくがアドルの身体を乗っ取った形になっちゃたんだ。
 本当はアドルの身体だったのに、ぼくがアドルの身体の主導権を支配する形になって、アドル本人は心の奥に閉じ込められたまま、そこから出られなくなってしまった…………』
 

 ヒロユキの声が、沈み込む。
 じわりとオレの胸にまで広がる感情は――後悔、だった。
 本気でそれを悔いているのだろう、ヒロユキの後悔が痛い程に伝わってくる。その後悔の源が、オレには分かる様な気がした。

 ヒロユキと心を交換している時、オレに全く不安がないわけじゃない。
 このまま身体が乗っ取られるんじゃないかと、全然心配しなかったわけじゃないんだ。……まあ、ヒロユキが途方もないお人好しだと分かってからそんな心配もなくなったが、それでも自分が自分でなくなるなんてのは恐怖だ。

 そして、オレはその全く逆の罪悪感も理解できる。
 オレは最初、ヒロユキを上手く利用して使い捨てる予定だった。戦いの時だけ呼び出し、その他の時間は心の奥に押し込めておけばそれでいい、と。

 今思えば、ずいぶんと傲慢で勝手な考えだったと、オレでさえ思う。
 自分勝手で小狡い小悪党のオレでさえ、ちょっぴり申し訳なく思う様な身勝手を、お人好しの塊のようなヒロユキが平気でできたとはとても思えない。
 罪悪感や後ろめたさを感じるのも、ある意味当然だろう。

「あー……なんだな、それは大変だったみたいだな」

『まあね。
 で、ぼく達は、冒険の最後にはここに……イースの国に来たんだ。ダームの塔で戦った後、女神の力でぼくはアドルの心から出ることができたし、元居た世界に戻れたんだ』

「ふぅん。なら、それでめでたしめでたしってモンじゃねえのか?」

 足を止めていた時間はそう長くはなかったのに、急にぶわっと寒さが押し寄せてきて、オレは慌てて再び歩きだす。
 今の話は、オレにとっちゃいくつかの重要ヒントが含まれていた。

 まず、ヒロユキと心を分離できるって手掛かりが分かったのは、大きい。腕輪をくれたラーバ老をもう一度探すってのも一つの手だけど――正直、オレはあまりその作戦には乗り気じゃなかった。

 なんせ、事情も告げずにいきなり問答無用で人に面倒ごとを押しつける様な奴なんか、信用できるもんかよ!
 おまけに、使い魔を通して押しつけてきたんだから、尚更だ。

 それを思えば、まだ女神様を探した方が成功率が高そうな気がするぜ。そっちも、ヒロユキの知り合いっぽいし、いざとなればなんとかなるだろう。
 オレはそう言う風に気楽に考えていたが、ヒロユキは全く違うことを考えているらしかった。

『それなら、まだよかったんだけど。
 ぼくだっててっきり、こっちの世界はもう平和になったものだとばかり思っていたし、もう二度とここには来れないと思っていたんだ。

 だけど……まさか、もう一回呼ばれるなんて思わなかったよ。しかも、呼んだのはアドルじゃなくて君だったし』

 当惑しきったようなヒロユキに、悪気がなかったのは分かっている。が、分かっていたって、こういう言われ方をしちゃカチンときちまうぜ。

「なんだよ、オレが呼んだんじゃ悪かったのかよ?!」
 
『あ、ごめん。そう言う意味じゃないんだけど……ただ、どうして君なんだろうなって、不思議に思ってたんだよ。
 アドルなら、分かるんだ。アドルは六神官の家の生まれで、召喚の魔法に最初から関わっていたみたいだから。
 でも、君はなんだか違うみたいだし』

 それを言われると、オレも言い返す言葉が思いつかない。
 実際、オレの方がなぜだと聞きたいぐらいだぜ。そりゃ、アドルの偽者として名乗りを上げたのはオレだけど、まさかそれだけでアドルがやり遂げるはずだったことを、そのままそっくりと引き受ける羽目になるとは思いもしなかった。

『なのに、魔法も使えるし、イースの本に関わる神像とも会話できている。
 ぼくこそ、ユーロに聞きたいよ。君こそ、何者なんだい?』

 ヒロユキに正面きって聞かれ、今度はオレが当惑する番だった。

「んなこと言われてもなぁ……何者って言われても、オレはオレだ、としか言い様がねえよ」

 だいたい、オレ本人でさえ自分の正体なんか知りゃあしないんだから。捨て子だったオレは、親の顔すら知らない。

「正直な話、オレにとっちゃイースの本だの勇者だの六神官に関われって言われても、迷惑なだけなんだよな。
 ぶっちゃけ、オレには関係ないしさ」

 あの神像が聞いたらまたも怒鳴られそうだけど、これがオレの本音だ。

「オレは、リリアを助けたいだけなんだ。それだけでいい」

 勇者の使命も、イースの運命なんてのも、知ったことじゃない。済し崩し的に巻き込まれ掛けちまっているような気がするけど、オレの望みなんてそれだけだ。

『……そっか。ぼくも、同じだよ』

 くすりと笑うような調子で、ヒロユキが仮にも勇者だったとは思えないようなことを言う。

『本当のこと言っちゃえば、ぼくもイースとか、イースの本とかはどうでもいいんだ。悪いけど、あんまり関心がないし』

 あまりにもあっけらかんとした言葉は、だからこそ本音なのだろうとすぐに信じられた。 ヒロユキがそう思うのも、ある意味では当然だ。なんせこいつは異世界からきたんだ、この世界の使命だの伝承に深く関わる必然性すらない。
 むしろ、前に来た時に関わった方が不思議なぐらいだ。

『ただ、アドルがイースの本を探していたから、ぼくも探しただけだよ。だから、少し気になっていたし、今度もそうしなきゃならないのかと思っていたけど――でも、いいや。 それよりもずっと、アドルやフィーナの方が気になるんだ。
 あの二人に、もう一度会いたい。ぼくも、それだけでいいや』

 どこか吹っ切れたような調子でそう言うヒロユキからは、さっきまで感じていたような悩みの気配が消えていた。

「そうかよ、ならオレ達は似た者同士ってわけだ。ま、これからもよろしく頼むぜ、相棒!! ……早速、なんか出てきたみたいだし」

 雪のせいで見えにくいが、前方に人影らしきものが見えてきた。
 さてはまたモンスターだろうと、いつでも攻撃できる態勢にはしておく。オレが戦うにしろ、ヒロユキに任せるにしろ、姿勢を整えておいて損はないし。

 まったく、ろくろく戦ったこともないオレが、いつの間にか慣れたもんだぜ。
 ――なんて、呑気なことを考えていられるのは、一人じゃないからかもしれない。

『調子がいいなぁ。でも、こっちこそよろしく頼むよ、相棒!』

 すっかりと元気を取り戻したヒロユキの声が、心の中で強く響いた――。
                                            《続く》

 

☆11に続く→ 
9に戻る
目次に戻る
小説道場に戻る

inserted by FC2 system