エピローグ |
「ユーロ!! 目を覚ましたのね!」 目を開けると同時に飛び込んできたのは、とびっきり嬉しそうなリリアの笑顔だった。 その後ろにはバノアの姿も見える。 「おや、やっとお目覚めかい、心配したよ。まったくあんたって人はしょっちゅう倒れてはうちに担ぎ込まれてくるんだね、頼りになるんだかならないんだか、分からない子だね」
オレにしっかりとしがみついて立て続けに聞いてくるリリアの存在を嬉しく思いながらも、オレは混乱せずにはいられなかった。 え、えっと? 「リリアさん、バノアさん、お気持ちは分かりますが落ち着いて。ランドルフさんは今、目を覚ましたばかりなのですから。 声の主は、神官の格好をした少年だった。 「失礼致します、少し魔法をかけますよ」 その言葉と同時に、ほんわりと暖かいものが身体に広がっていくのが分かる。回復魔法をかけられているのだと、説明されなくても分かった。 「あ、そうだったね、こりゃあすまなかったね、あんた。じゃあ、あたしらは治療の邪魔にならないようにするから」 バノアに腕を引かれて、リリアが名残惜しげに部屋の隅へと引き下がる。 それに、かけられる回復魔法は心地好かった。 「お加減はいかがですか? あなたはあの戦いが終わってから三日もの間、目を覚まさなかったんですよ」 オレを労るように、神官はゆっくりと手を動かしながら魔法を放出する。 「よかった……後遺症は別に残っていないようですね。身体の損傷もないし、疲労感もこの魔法で解消されるはずです。 そう言って、神官はにっこりと笑って魔法を止めた。 「どうですか、もう身体は動くと思うのですが。あるいは、どこか気分の悪いところがありますか?」 「んー……、もう、平気みたいだな」 ちょっと手足を動かすと妙にポキポキと音がして強張った印象はあるが、すぐに慣れるだろう。 狭くて質素な家……よくよく見ればここはリリアの家に間違いない。 「ところで、あんたはいったい誰なんだい?」 単刀直入に聞いてみると、神官は嫌な顔一つ見せず、にこやかに頭を下げた。 「あ、初めまして。申し遅れました、ぼくはルタ=ジェンマと言います」 「ジェンマ……って、もしかしてあんたも、六神官なのか?!」 「はい。この度の戦いではお恥ずかしながらどうしても直接手をお貸しすることができず、腕輪による間接的な援助しか出来ませんでしたが、ランドルフさんはアドルさん達と共に戦われたそうですね。 きらきらとした目で見つめられながらそう言われると、さすがに面映ゆいというか、買いかぶりが過ぎるというか。 「……?!」 いつのまに着替えさせられたのか、パジャマのようにゆったりとした服を着せられているせいで、鎖骨にある魔法陣をすぐに確かめられた。 魔法陣はあるし、そもそもアドルに比べると一歩体格に劣るこの身体は、紛れもなくオレ自身の身体だ。 『おい、アドル、ヒロユキ! いないのか?!』 最後の記憶では、オレはアドルの身体の中にいた。そして、ヒロユキはオレの身体の中にいたはずだった。 考えてみればこれが当たり前の状態なんだが、今までが今までだったせいか不安を強く感じてしまう。 「どうかしましたか? ご気分でも悪くなられたとか……」 心配そうに聞く神官にオレは、勢い込んで聞いてみた。 「それより、アドルは?! それに、ヒロ……」 名を呼びかけて、ちょっとためらったのはそれを聞いていいのかどうか迷ったせいだ。 ヒロユキは前に、自分はアドルの身体を乗っ取った形になって勇者をやっていたと言った。 つまり、オレと同様の偽勇者だったわけだ。その事実を、こいつが知っているかどうかも分からないうちにバラしてしまっていいのかどうか やっぱ、詐欺師の端くれとしちゃ知り合いの嘘をバラすのはルール違反だと思うし。 「ヒロユキなら、無事だぜ。あいつは今、アドルの中にいる。ああ、言うまでもないがアドルの奴も無事だ」 そう言いながら部屋に入ってきたのは、見上げるような巨体の大男と、対照的に小柄な老人だった。老人の側に見覚えのある小鬼がまとわりついているのが気になるが、目が合うと小鬼はサッと老人の服の影に隠れてしまう。 ずかずかと部屋に入ってきた大男は、無遠慮にオレをジロジロと眺める。
と、オレの目をしばし覗き込むようにした大男は、呆れたように溜め息をついた。 「寸借詐欺の常連の上にカタリまでやらかしたとは、ったく、詐欺師もいいところだな。やれやれ、こんなチンピラ詐欺師が勇者様になろうとは、世の中も変わったもんだぜ」 あまりにも図星過ぎるその言葉に、オレの心臓がギクッと跳ね上がる。 「な、なんなんだよっ、いきなりっ?!」 「おう、名乗りが遅れたな。オレはゴーバン。トバ家の生まれだ。つまり、過去見と予知はお手のものってわけよ」 がははと笑う大男 ゴーバンこそどう見ても山賊か強盗にしか見えないが、名前からするとこいつも六神官らしい。 少なくとも、オレやこのゴーバンは神官よりも正反対の方向向けの人材だぞ、絶対。 「ランドルフ=リィブよ。ワシの使い魔の手違いで迷惑をかけたが、よくぞここまで尽力してくれた……このラーバ、心からの謝罪と感謝を言わせてもらうぞ」 ラーバが深々と頭を下げる側で、その服の裾に隠れていたいつぞや見た小鬼も、ちょこんと頭を下げる。 「いや、別にいーよ。まあ、迷惑かけられたって言っちゃそうだけど、今更だしさ」 「非は今回のことばかりではない。ワシは……いや、ワシらは、おまえとティナにはひどいことをしてしまった。 その言葉に、心を動かされなかったかと言えば嘘になる。実際、ほんの少し前……リリアと会う前のオレなら、ここぞとばかりに当然の慰謝料だととことん金を搾り取ろうと思っただろう。 だが、リリアに会って以来、オレはチンピラでいるのが恥ずかしいと思うようになってきた。 「いや、いいよ。 魔法を使う時にはランドルフ=リィブの名は便利だが、それ以外は別にどうでもいい。 チンピラからは卒業するつもりだが、六新館でございなんて肩書きを背負って堅苦しく生きるのなんて真っ平だ。 「まあ、ティナ……っていうか、母さんには悪いかもしれないけどさ。 「ティナおばさんは、怒らないだろうさ。おまえが生きていさえくれればいいと、いつもそう言っていたしな」 そう言ったのは、アドルだった。いつの間に部屋に入ってきたのかは分からないが、いると分かった途端、一際目立つ存在感はさすがに勇者だ。 瓜二つでありながら、髪の色だけが違う双子の少女の片方はレアに間違いなかった。すると、もう一人はヒロユキが度々口にしていたフィーナだろうか。 オレからすると、どちらも見とれる程の美少女で違いが見られない。だが、ヒロユキの奴はフィーナにご執心だったっけ……などとちょっと下世話なことを考えているオレの目の前で、レアが静かに語りだした。 「その決断を聞いて、私も嬉しく思います。 今こそ、その歪みを取り除くべき時が来ました。 女神の名に恥じない堂々とした態度でそう言い切ったレアに、驚いたのはオレ一人だった。 「え? じゃ、これからは全然、魔法とかは使えなくなるってえのかよ?」 せっかく魔法を覚えたと言うのに、それがパーになるのはちょっと勿体ないかも……とせこくも思わずにはいられなかったが、レアは首を横に振った。 「いいえ、魔法の源となる黒真珠が失われてもすぐに魔法が消滅すると言うわけではありません。 「つまり、一般人にはそう大差がない世界ってわけだ。それで大きく変わるのは女神様らとオレら六神官の生き残りってわけか。
「女神のご意思に、神官が異議を唱えようはずがありません。それに真の信仰とは、魔法の力によって支えられるものでもないと私は信じています」 「そういうことじゃ。案ずるな、ランドルフ……いや、ユーロじゃったな。 ラーバ老の保証に、なんとなく心が軽くなる。六神官達はどうやら、問題がないらしい。 となれば、気になるのは後は『勇者』のその後だけだ。 「なあ、アドル。おまえ……っつーか、おまえらは、この先どうするんだよ?」 「待ってくれ。それなら先にヒロユキと話してくれないか。ヒロユキもおまえと話したいと言って、今までなんとか待っていたんだ」 「え? 待つって……」 少しばかり不吉に感じる言葉に、オレは思わず聞き返す。 「あいつも、そろそろ戻らなければならない時間らしいんでな。後は、本人から聞けよ」
「やあ、ユーロ! 元気そうになって良かったよ、心配してたんだ」 気安くオレの肩をバンバンと叩きながら、笑うヒロユキの脳天気さに目まいを感じそうになる。だが、それでもこっちまで相手の無事を喜びたくなる辺りがヒロユキの人徳と言うべきか。 「おまえこそ! ところでよ、ヒロユキ、おまえさ……やっぱ、元の世界に戻るのかよ?」 「うん、帰るよ、元の世界にね」 「そっか……そう、だよな」 ――それは、無理もない話だ。 なんつっても、ここまで抜けていてお人好しな奴なんだし。 そして、女神達が自分達の力を捨てる以上、もう、ヒロユキとは二度と会えないだろう――そんな風に思い、柄にもなくセンチになったオレの耳にあっけらかんとした奴の声が響き渡った。 「でも、また来るよ。そして、今度こそこの世界にずっといる」 「はあっ?!」 意外過ぎる言葉に、オレは思わず目を剥いた。 「一年前にこっちの世界から元の世界に戻ってからずっと、ぼくは後悔しっぱなしだった。どうして、こちらの世界に残れなかったんだろう、って。 そう言いながら、ヒロユキは軽く抑えるように腕にはまった腕輪を撫でた。 「この腕輪があれば、ぼくとアドルは同じ世界内にいればいつでも連絡を取りあえるんだ。 互いに望めば、力を貸し合うこともできる……そのためにも、ぼくは異界じゃなくてここにいたいんだよ。 ちらりとヒロユキの目が、女神の方へ向けられる。正確に言うのであれば、若草色の髪を揺らしている一人の方に。 ヒロユキと目が合った途端、女神はパッと頬を赤く染める。その様子はまるっきり普通の女の子のようで、見ていてちょっと羨ましくなるぐらい可憐だった。 (なんだよ、うまくやってるじゃないか) ちょっとからかいたくなる程、ヒロユキは幸せみたいだ。これなら、ここにとどまったって大丈夫だろう。 「だから、また会えるって。じゃ、ぼくはしばらくは元の世界に戻るけど……またね、ユーロ!」 その言葉を最後に、ヒロユキは再び目を閉じる。そして、その目を開けた時には、人のいい笑顔よりも意思の強さがくっきりと目立つ表情は、アドルのものだ。 「……ヒロユキなら、今、元の世界に戻ったよ。みんなによろしく、また会おうと言っていた」 それを見届けたかのように、レアが毅然とした態度で言葉を続ける。 「私達はこれより100日間、サルモンの神殿にこもって、儀式を執り行います。魔法の核を無くすために……そして、勇者ヒロユキを本来の肉体ごとこの世界へと召喚するために。 そこまで言って、初めてレアはわずかにためらいを見せた。
恥ずかしそうな声や、赤く染まった頬は、さっきフィーナがヒロユキに見せたものとそっくりだった。 「ああ、自由に生きればいい。オレも、そうさせてもらう。 おいおい、アドル、それじゃレアが可哀相じゃないか? 「そうですか……では、私はあなたの武勇伝を風の噂で聞くのを楽しみにしていますわ」 明るさを装ってそう話すレアだったが、寂しげな表情は隠せなかった。 「それで、ユーロさん、あなたはこれからどうなさるの?」 「オレは、アドルのように一生勇者として生きるつもりはないんだ。 そこまで言ってから、オレはちょっと心配になった。 なのに、いきなりプロポーズっぽいことを言ってしまって引かれないかと不安になり、おそるおそるリリアの方に目をやると、彼女は――これ以上ない程真っ赤な顔をして震えていた。
心底嬉しそうなリリアは、オレの目には双子の女神以上に可憐で可愛らしく見えた。客観的にはどうであれ、オレにとってはこの娘以上に可愛くて素敵な恋人なんてこの世のどこにもいない。 「おやまあ、平和が戻ってきてから最初のおめでたい出来事になるねえ! それじゃあ、さっそく花嫁衣装を作らないと! それにご馳走も用意して、村長やみんなにも連絡して……ああ、忙しくなるよ!」 バノアさん――いや、今やお義母さんと言うべきか、彼女は早速喜び勇んで家の外へと飛び出していった。
そのせいか、世界を救ってくれた勇者を一目見ようと押しかけてくる連中が一気にこのランスの村に訪れてきて、静かだった村は大都会さながらの賑やかさになっていた。 まあ、扱いが面倒そうな役人だの、あわよくばサインをねだろうなんて物見遊山の連中だのは六神官の末裔達がうまく捌いてくれていたが、元々の知り合い達のお祝いはそうもいかない。 フレア・ラルや、タルフ親子に人間に戻ったキースまで押しかけてきてお祝いを述べる中、村長を初めとした村のみんなも大いに盛り上がって宴会騒ぎになった。 晴れやかな気分のオレの隣には、まだウェディングドレスは着ていなくても、白いエプロン姿のリリアが隣にいて優しく微笑んでいた――。
その翌日、まだ日も上がりきらないうちにアドルは旅立った。 ヒロユキがこの世界に戻ってくる100日の間でさえ、一つの村にとどまって待つなんでできないほど、アドルの奴は根っからの冒険者らしい。 密かにアドルに恋する少女も置き去りにして、相棒もいなくなったのに、それでも旅立ちを決意したアドルの潔さには感心しちまう。 「じゃ、ユーロ。元気でな。 やけに改まって言うアドルに対して、オレは肩を竦めて笑って見せた。 「よせやい、なにもこれが最後の別れというわけじゃあるまいし」 ふざけた口調で言いながらも、オレはこれが冗談抜きで最後の別れになる可能性も覚悟していた。 「従兄弟っていうのなら、オレ達は兄弟みたいなものだろ……!」 そんなセリフに紛れさせながら、オレはこっそりと呪文を唱える。 相手の無事をいつでも知ることができるし、いざと言う時は自分の体力と引き換えに相手を助けることもできる魔法。 ……ま、オレはティナのように自分の身を削ってまでアドルを助ける気なんざさらさらないけど、それでもこの世でたった一人の肉親の無事を祈りたいし、それに手助けしたい気持ちだってある。……少しなら。 こっそりと背中につけたから、アドルは多分、気がつかないだろう。 「なにかあったら、いつでも頼りに来いよ! 今度はヒロユキの奴も交えてさ、みんなでまた会おうぜ」
その後、この別れ際の約束通りオレ達三人がそろって再会したのは、アドルが冒険の旅から引退した40年も後のことだった――。 END
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