Act.28  過去への旅(2)

 

 アドルの言葉と共に周囲が白く輝き、そしてゆっくりと薄れていく。
 半ば予測していたが、その光が薄れた時にはオレはまたもや見たこともない場所にいた。


「……?!」

 戸惑いながら、オレはキョロキョロと周囲を見回そうとして――そうできないことに気がついた。
 視点が固定されてしまっていて、自分の意思では動かせない。それはヒロユキやアドルに身体を貸している時に見える視点と、全く同じ感覚だ。

 ただ、いつもと違って小部屋に閉じ込められてはいないせいか、他の誰かの意思も感じない。
 ちらちらと視界の端に自分のものらしき身体が見えはするから、誰かの身体の中に精神だけが入り込んでいるんだとは思うが、誰の身体なのかまでは分からなかった。

 なにしろ身体の持ち主は自分の身体なんかろくすっぽ見てもいないし、とてもじゃないが判別なんかできるわけがない。
 呼び掛けてみてもなんの反応もないし、普段なら漠然と感じる身体の持ち主の感情も、今はまったく分からない。

 身体の自由が利かなくて、誰かの見ているものを見ることしかできない。最初はそのことに焦りもしたが、すぐにオレは開き直った。
 まあ、何もできないのなら、ただ見ているしかないだろう。

 だから、オレはボーッと目の前の光景を眺めていた。
 真っ白な壁と真っ白な床が目につくが、今度は神殿には見えなかった。
 掃除こそは行き届いてはいるが、やたらと殺風景な狭い部屋……ここはどうやら、病室のようだ。窓辺に置かれたベッドに、一人の女性が横たわっているのが見える。

 その姿を見て、オレはギクリとせずにはいられなかった。
 色が褪せたかのように、前に見た時に比べれば鮮やかさのない赤い髪の女性。頬がこけ、皺が目立つようになっているとは言え、見間違いようがなかった。

 粗末な寝間着姿のこの痩せ衰えた女性は、ティナだ。
 一気に老け込んで見える彼女に、思っていた以上に動揺する自分に驚いた。
 そんなの、考えてみればあたりまえのはずなのに。

 人は、誰だって年を取る。
 女神はさっきの過去が、17年前の世界だといった。オレを生んだ時にはまだ20才前の若い娘であろうとも、それだけの年月が経てばそれなりの衰えを見せるのは当然だ。

 だが、理屈ではそう分かっているのに、自分の母親の老け込んだ姿を目の当たりにするのは、想像以上にショックがあった。
 ついさっき、若くて美しい盛りの彼女を見たせいかもしれない。

 中年を飛び越えて、一気に初老の域にまで達してしまったように見えるティナの姿に心が痛む。
 だが、同時にオレは疑問に気がついた。

 アドルは言った――オレの過去の記憶を見せてやる、と。つまり、ここも現実じゃなくて、過去なんだろう。
 だが、それにしてはティナの姿は……老け過ぎてはいないだろうか?

 正確な年齢は知らないが、オレが生まれた直後のティナの年齢からざっと計算して、彼女が40才以上ということはまずないだろう。
 だが、今、オレが目にしている女性はどう見てももっと年老いているようにしか見えない。

 軽く混乱するオレの目の前で、ティナは顔をこちらへと傾けた。その顔に笑みが浮かぶのを見て、ドキンと心臓が撥ねる。
 嬉しそうなその表情が、見る影もなく衰えた容貌に一瞬とはいえ若い頃の輝きを取り戻させる。

「……まあ、大きくなったのね」

 てっきり、その言葉はオレに向けられた言葉かと思ってしまった――その続きを聞くまでは。

「幾つになったの、アドル?」

(ああ……そっか、そうだよなー)

 考えてみれば、それは当たり前の話だった。
 アドル自身の言葉から考えても、ここがアドルの過去なのは当たり前だった。ならば、これは当然アドルの身体なんだろうし、ティナが彼に話しかけるのも当然だ。

 理屈ではそうだと分かるのに、オレの感じたガッカリ感は半端なものじゃなかった。
 柄にもなく落ち込んでしまったオレの耳に、聞き慣れない声が聞こえてきた。

「13才だよ」

(えぇっ?!)

 もし、自由に声が出せる状況なら、オレはそう叫んでいただろう。
 アドル  この身体の持ち主が13才だってのは、まあ納得できる。
 よくよく見れば、今のオレの視点はやや低めだ。

 鏡に前にいるわけでもないからしっかりと見えるわけじゃないが、軽く見ただけでも手足が今の奴のものよりも小さめなのは分かる。
 そう極端に違うわけではないが、今のアドルよりも一回り細いっていうか、弱そうに見えるっていうか、とにかく成長途中だというのは理解できる。

 声だって声替わり期特有のざらついた声で、今のアドルのものとは違っている。ちょうど、子供から一歩抜け出しかけている時期なんだろう。
 それは別に意外でもないのだが、驚かされたのは別の点だ。

 はっきりとした年齢を聞く余裕はなかったが、アドルとオレはほとんど同じ年ぐらいに見えた。
 ならば、アドルが13才の頃はオレも13才だったはずだ――つまり、オレを生んだ母親……ティナの年齢は、あの時に見た年齢プラス13年ということになる。

 ますます納得のいかない老け込みように呆然としているオレを置き去りにして、目の前の光景は勝手に進んでいく。
 起き上がろうとするティナを制して、アドルは彼女のベッドの横に置かれた椅子に腰掛ける。

 ティナを心配しているのか、具合を気遣うアドルに対して彼女はかすかに首を横に振る。 痩せ衰えたティナは、横たわった姿勢のままでアドルに向かって静かに手を伸ばした。
「そんなことより……アドル……ごめんなさい……ね…

…」

 震える声が、胸を打つ。
 心底後悔しているかのように語るティナは、ひどく辛そうだった。

「私のせいで、あなたに全ての重荷がかかってしまったわ。世界を救う使命も……六神官の使命も、重荷も……全てを、あなた一人に背負わせてしまった……。
 まさか、クリスティン家のあなたにまで迷惑をかけることになるだなんて……!」

 そう言えば、とオレは思い出した。
 アドル自身が言っていた……クリスティン家は生と死に関わる魔法が専門だと。しかも、女に伝わる力だと言っていた。

 魔法によっては、男女で習得度に差が大きい魔法もあると聞いたことがある。
 女性にだけ伝わる戦闘にはほぼ関係のない特殊な力があったって、剣士や勇者には向くとは思えない。

 それにも関わらず、アドルは六神官の血を引く勇者として世間に名前が知られ渡っている。……思えば、それも変な話だ。
 今までオレはそれを単純に奴の実力だと思っていたが――先程、ティナに迫った神殿の連中を思えば、彼らがなんらかの手を打ったと想像するのは難しくなかった。

 防御魔法の名手だというリィブ家のオレに勇者の役目を押しつけようとした他力本願な連中だ、戦闘に全く不向きな能力しかないクリスティン家のアドルにも同じことを迫っても、何の不思議もない。

 話を聞いただけのオレでさえ漠然と感じることのできる裏の事情を、当事者であるティナはもっとよく知っていたに違いない。

「私があんなことをしさえしなければ……妹が異界から戦士を呼ぶ儀式に参加することもなかった。
 あの子は、もう巫女の座を降りていたのに……あれさえなければ、あの子も死ななかったかもしれないのに……!」

 ティナの頬を、止めどもなく涙が伝う。
 アドルよりも、ティナの方がよほどそれを後悔しているとしか思えないほど、その嘆きは深かった。

 気にしなくていいと繰り返すアドルの言葉は、ティナの嘆きを止めることはできない。 取り換えしのつかない後悔に嘆くティナは、懺悔でもするかのように何度も謝罪と後悔を口にする。
 その中に、不意に聞いた覚えのある名前が混じった。

「ランディにも……あの子にも、顔向けのできないことをしてしまった……」

 ギクリと、胸が撥ねる。
 その名で呼ばれた経験なんかないのに、ティナの――母親の口からその名を呼ばれると、それだけで落ち着かない。         

「あの時は、あれしかないと思っていたの……! 六神官のしがらみを押しつけられず、あの子が自由に生きていけるのは、あれしかない、と……」

 涙ながらに訴えるティナから、オレは目を反らせなかった。
 それはアドルを通して聞いているだけの、過去の出来事のはずだった。
 もう、オレにはどうすることもできない、関わることもなかった過去。だが、まるでたった今、彼女自身から懺悔されている気分にさせられる。

「身よりもない赤ん坊がたった一人で、生きていくのがどんなに大変か……。
 あの子が何度も死にかけたのは、元はといえば私のせいよ……!」

 弱々しい笑みを浮かべ、ティナは自分の胸元に手をやった。
 すっかり痩せた鎖骨の辺りに浮かぶ、オレと同じ魔法陣……だが、その色はずいぶんと違う。
 どす黒い色へと変色してしまっているその魔法陣が、やけに不吉に見える。

「私には、分かるわ……あの子が、今、熱に苦しんでいるのが。
 ひどい熱……なのに、何の手当てもされていないのね。薬すら、あの子には与えられていない」

 確信に満ちたその言葉にギクリとしたのは  それが、真実だったからだ。
 さっき、アドルに言い当てられたように、13才の頃、肺炎を起こしたオレは数日の間生死の境をさまよった。

 孤児院の連中は、質の悪い風邪が移っては大変とばかりにオレを隔離と称して物置小屋に追いやった。
 一応、藁布団や申し訳低度の食事は与えられたが、医者や薬どころか看護さえ与えられることはなかった。

 それは、孤児院ではよくあることだ。
 病気にかかった者を優しく看護する余裕など、孤児院には存在しない。いや、もしかして中にはそんな孤児院もあるのかもしれないが、少なくともオレが暮らしてきた最下層の孤児院らは、基本的に病気にかかった者は放置が原則だった。

 隔離して、最低限の世話以外はせずに自然に任せる。
 その結果、いつの間にかいなくなってしまう孤児は何人もいた。オレもその一人になるんだろうと、あの時はぼんやりと思っていた。

 だが、そんな最悪の状況だったにもかかわらず、オレは奇跡的に回復した。そして、治ると同時にオレは孤児院を飛び出して、チンピラとして裏通りで生きる道を選んだんだっけ――。

 複雑な思いで当時を思い出すオレの目の前で、ティナは魔法陣に手を当てたままなにかの呪文を呟きだした。
 それを聞いてアドルが焦ったようにやめろと止めるが、ティナは首を横に振る。

「……いいのよ……これが、最後だから。
 ……私にはもう……この先は、ランディを守ることはできそうにないわ……。
 だから、今……全ての力を、あの子に――」

 すでに声を出して唱える力は無いのか、僅かに唇を動かしているだけだが、呪文を唱えることに全神経を注いでいるティナの身体が青白い光に包まれる。
 その輝きのせいで皺や老いが隠され、若い頃の彼女の姿が彷彿とされるようだった。

 その輝きが集約されているのは、胸元に浮かぶ魔法陣だ。輝きに満ちたその魔法陣を見つめながら、オレもオレの胸元にある魔法陣に触れる。
 その途端、左手が軽く疼いた。

 ちょうど二の腕の辺り――六神官の腕輪がはまっていた辺りが熱くなる。今のオレの腕には何もはまっていないが、それでも六神官の腕輪の力を使った時のようにその部分が熱くなり、脳裏にとある呪文の使い方が浮かぶ。

 それは、リィブ家の最大の秘法とも言えるべき秘伝の魔法だった。正規の呪文として認められることなく、口伝として一族だけに伝えられてきた、秘中の秘である魔法。
 それは、対象者と術者に同じ魔法陣を刻むことで、生命エネルギーを管理するための魔法陣だった。

 術者は魔法陣を通じて対象者の生死や健康状態を把握することができる。そして、望むのであれば、対象者に生命エネルギーを注ぎこむこともできる魔法。
 一方向にしか働かない魔法であり、術者にとっては損にしかならない魔法は、いっそ呪いと言った方が正しいようなものだ。

 なぜなら、この呪文は……術者自身の命がその代償となる。
 対象者を救おうとする度に、術者自身の生命力を著しく消費する魔法  そんなのは呪いみたいなものだ。

 やめてくれ――!!

 そう叫びたかった。できるのなら、止めたかった。
 だが、過去の世界にオレは一切の関与はできない。叫ぶ声さえ、言葉にはなっていなかった。

 だが、まるでオレの意思を代弁してくれるかのように、過去のアドルがやめてくれと叫びながらティナを止めようとしている。
 しかし、彼女の決意は揺るがなかった。
 微笑みすら浮かべて、魔法の威力を強める。

「いいのよ……私が、そうしたいの……。
 私があの子のためにしてあげられるのは……これしかないのだから」

 その言葉を最後に、周囲に再び帳が落ちた。一度黒く染まってから、真っ白へと輝く光が、オレを過去から引き戻した――。

 

 


「これが、おまえに見せたかった過去だ」

 静かな声でそう声を掛けられたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
 過去を見た後、気がつくとオレは灰色の小部屋に一人でいた。
 それは、オレにとっては都合がよかった。

 急に知った母親の事情を受け入れるためには、多少の時間が必要だったから。
 混乱から立ち直り、やっと落ち着いた頃にどこからともなく現れたのは、アドル一人だけだった。

 オレが落ち着くのをまっていたのか、その間は声すらかけようとしなかったアドルに、感謝を感じる。

「いつか、おまえに会うことができたら、伝えたいって思っていた。ティナおばさんとも、そう約束していたしな」

 そういえば、そんなことを言っていたとオレは思い出す。
 オレだけでなく、オレの母親との約束も何年もかけて守ろうとしていたとはなんとも律義なことだと、呆れ半分に感心してしまう。

 いくら魔法陣という目印があるとはいえ、あんな風に捨てられた子と肉親が再会できる可能性なんて、それこそ浜辺に落とした経った一粒の砂を拾うような確率だ。
 オレなら、こんな自分にとって何のメリットも無い上に、面倒なだけの約束なんてすぐに忘れてしまいそうだが、アドルはどうやらそういうタイプじゃないらしい。

『アドルってさ、あれですっごく律義なんだ』

 ヒロユキがそんな風に言っていたのを思い出しながら、オレはなんとか笑みらしきものを取り繕った。

「ランディ、か。
 それが、オレの名前だったんだな」

「ああ。ティナおばさんは、ずっとおまえをそう呼んでいたよ」

 ティナおばさんという呼び掛けには、ずいぶんと親しみの感じられた。多分、アドルが普段からそう呼んでいたせいだろう。

「そっか……、おまえはあの人を伯母って言っていたもんな」

「ああ、ティナはオレの伯母にあたる。つまり、おまえはオレにとっては従兄弟に当たるんだ」

「従兄弟、か。その割にはなんか、ずいぶんと似てるんだな」

 孤児のオレには血縁関係ってのはよく分からないが、血の繋がりって奴はそんなものなんだろうか。
 そう疑問を抱いたオレの心を読み取ったように、アドルが説明してくれる。

「オレとおまえの母親は、よく似た姉妹だったらしいからな。髪の色が違う以外はそっくりだったからよく双子に間違われていたって、ばあちゃんがよく言っていたよ」

 自分の母親のことなのに、人事のように話すことに対して疑問を感じたのがそのまま顔に出たらしい。アドルは苦笑しながら、教えてくれた。

「オレの母親は、出産の後で亡くなったんだ。だから、オレは顔を覚えていないんだよ」


 出産には、常に危険が付き纏う。
 産後の肥立ちが悪くて死亡する女性は、決して少なくはない。だが  多分、アドルの母親が死んだのはそれだけが理由ではないんだろう。

 なんでもないことのようにサラリと言っているが、アドルもどうやら楽では無い人生を生きてきたようだ。

 孤児としてほうり出されたオレとは全く方向性は違うみたいだが、あの過去や今回の戦いを思えば、イースの本や六神官の使命を押しつけれる生き方が楽なものだったとはとても思えない。

「あのさ……こんなこと聞くのもなんだけど、アドルってよくイースの本を集める気になったな」

 正直な話、オレがアドルの立場だったのならとっくの昔に逃げ出している。
 身勝手な要求を押しつけてくる神殿の連中や、我が子可愛さに結果的に押しつけた伯母や、行方しれずの従兄弟にだって逆恨みしたかもしれない。
 だが、勇者って奴は根本から違うらしかった。

「別に、押しつけられたからやったわけじゃない。
 オレが望んで、やったことだ」

 あっさりとそう言い切れる強さが、アドルにはある。
 そして、結果的に自分に過酷な運命を与えることになった伯母へ対する優しさもあった。
 

「あれは、オレがティナおばさんに会った最後の記憶だ。術の後に意識を失ったおばさんは、これから三日後……意識を回復しないまま息を引き取ったんだ」

 告げられた訃報は予測がついていたものだが、やはり少しばかり辛くはあった。
 それでも、オレはその過去を知ったことを後悔する気は無かった。
 昔からずっとあったこの魔法陣にどんな意味があったのか――それはずっとオレが思っていた疑問だった。

 奴隷商人が商品に刻んだんじゃないかとか、あるいはオレの両親はなにかカルトな趣味があったのかとか、あれこれ考えたことはあったが、真実はオレの予想よりもよっぽど突飛で、更に言うならよほど過酷なものだった。

 だが、オレを生んでくれた人の過去を見ることは、オレには傷み以上の意味があった。 だからこそ、それを伝えてくれたアドルにオレは感謝の念を抱く。

「そっか……ありがとな、アドル」

 両親の真相を知らされ、こんな風に素直に感謝できる日がくるなんて、夢にも思わなかった。

 感謝に比べればあまりにも軽い口調なのが申し訳ないぐらいだが、照れくさくってとてもこれ以上は言えない。
 が、アドルはもっと照れ屋のようだ。

「……別に、いい。約束だから伝えただけだ」

 ムスッとした表情でそっけなくそう言うが、一緒に身体にいれば否応なく分かる互いの感情ってものがある。
 互いに口にはしてない感情が、相手に伝わってしまうくすぐったさに照れを感じつつも、それはそれで悪くないと初めて思う。

 説明だけでは伝えきれない思いを共有できる――アドルが、オレを本来の身体に戻す前にどうしてもやりたい、と言った理由が今なら分かる気がした。
 だが、それもそろそろ終わりにする頃だ。

「じゃあ、最後の約束だ。おまえを元の身体へ返すよ」

 アドルのその言葉に、名残惜しささえ感じた自分に驚きながらも、オレは頷いた――。

                                    《続く》

 

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