Act.28 過去への旅(2) |
アドルの言葉と共に周囲が白く輝き、そしてゆっくりと薄れていく。
戸惑いながら、オレはキョロキョロと周囲を見回そうとして――そうできないことに気がついた。 ただ、いつもと違って小部屋に閉じ込められてはいないせいか、他の誰かの意思も感じない。 なにしろ身体の持ち主は自分の身体なんかろくすっぽ見てもいないし、とてもじゃないが判別なんかできるわけがない。 身体の自由が利かなくて、誰かの見ているものを見ることしかできない。最初はそのことに焦りもしたが、すぐにオレは開き直った。 だから、オレはボーッと目の前の光景を眺めていた。 その姿を見て、オレはギクリとせずにはいられなかった。 粗末な寝間着姿のこの痩せ衰えた女性は、ティナだ。 人は、誰だって年を取る。 だが、理屈ではそう分かっているのに、自分の母親の老け込んだ姿を目の当たりにするのは、想像以上にショックがあった。 中年を飛び越えて、一気に初老の域にまで達してしまったように見えるティナの姿に心が痛む。 アドルは言った――オレの過去の記憶を見せてやる、と。つまり、ここも現実じゃなくて、過去なんだろう。 正確な年齢は知らないが、オレが生まれた直後のティナの年齢からざっと計算して、彼女が40才以上ということはまずないだろう。 軽く混乱するオレの目の前で、ティナは顔をこちらへと傾けた。その顔に笑みが浮かぶのを見て、ドキンと心臓が撥ねる。 「……まあ、大きくなったのね」 てっきり、その言葉はオレに向けられた言葉かと思ってしまった――その続きを聞くまでは。 「幾つになったの、アドル?」 (ああ……そっか、そうだよなー) 考えてみれば、それは当たり前の話だった。 理屈ではそうだと分かるのに、オレの感じたガッカリ感は半端なものじゃなかった。 「13才だよ」 (えぇっ?!) もし、自由に声が出せる状況なら、オレはそう叫んでいただろう。 鏡に前にいるわけでもないからしっかりと見えるわけじゃないが、軽く見ただけでも手足が今の奴のものよりも小さめなのは分かる。 声だって声替わり期特有のざらついた声で、今のアドルのものとは違っている。ちょうど、子供から一歩抜け出しかけている時期なんだろう。 はっきりとした年齢を聞く余裕はなかったが、アドルとオレはほとんど同じ年ぐらいに見えた。 ますます納得のいかない老け込みように呆然としているオレを置き去りにして、目の前の光景は勝手に進んでいく。 ティナを心配しているのか、具合を気遣うアドルに対して彼女はかすかに首を横に振る。 痩せ衰えたティナは、横たわった姿勢のままでアドルに向かって静かに手を伸ばした。 …」 震える声が、胸を打つ。 「私のせいで、あなたに全ての重荷がかかってしまったわ。世界を救う使命も……六神官の使命も、重荷も……全てを、あなた一人に背負わせてしまった……。 そう言えば、とオレは思い出した。 魔法によっては、男女で習得度に差が大きい魔法もあると聞いたことがある。 それにも関わらず、アドルは六神官の血を引く勇者として世間に名前が知られ渡っている。……思えば、それも変な話だ。 防御魔法の名手だというリィブ家のオレに勇者の役目を押しつけようとした他力本願な連中だ、戦闘に全く不向きな能力しかないクリスティン家のアドルにも同じことを迫っても、何の不思議もない。 話を聞いただけのオレでさえ漠然と感じることのできる裏の事情を、当事者であるティナはもっとよく知っていたに違いない。 「私があんなことをしさえしなければ……妹が異界から戦士を呼ぶ儀式に参加することもなかった。 ティナの頬を、止めどもなく涙が伝う。 気にしなくていいと繰り返すアドルの言葉は、ティナの嘆きを止めることはできない。 取り換えしのつかない後悔に嘆くティナは、懺悔でもするかのように何度も謝罪と後悔を口にする。 「ランディにも……あの子にも、顔向けのできないことをしてしまった……」 ギクリと、胸が撥ねる。 「あの時は、あれしかないと思っていたの……! 六神官のしがらみを押しつけられず、あの子が自由に生きていけるのは、あれしかない、と……」 涙ながらに訴えるティナから、オレは目を反らせなかった。 「身よりもない赤ん坊がたった一人で、生きていくのがどんなに大変か……。 弱々しい笑みを浮かべ、ティナは自分の胸元に手をやった。 「私には、分かるわ……あの子が、今、熱に苦しんでいるのが。 確信に満ちたその言葉にギクリとしたのは それが、真実だったからだ。 孤児院の連中は、質の悪い風邪が移っては大変とばかりにオレを隔離と称して物置小屋に追いやった。 それは、孤児院ではよくあることだ。 隔離して、最低限の世話以外はせずに自然に任せる。 だが、そんな最悪の状況だったにもかかわらず、オレは奇跡的に回復した。そして、治ると同時にオレは孤児院を飛び出して、チンピラとして裏通りで生きる道を選んだんだっけ――。 複雑な思いで当時を思い出すオレの目の前で、ティナは魔法陣に手を当てたままなにかの呪文を呟きだした。 「……いいのよ……これが、最後だから。 すでに声を出して唱える力は無いのか、僅かに唇を動かしているだけだが、呪文を唱えることに全神経を注いでいるティナの身体が青白い光に包まれる。 その輝きが集約されているのは、胸元に浮かぶ魔法陣だ。輝きに満ちたその魔法陣を見つめながら、オレもオレの胸元にある魔法陣に触れる。 ちょうど二の腕の辺り――六神官の腕輪がはまっていた辺りが熱くなる。今のオレの腕には何もはまっていないが、それでも六神官の腕輪の力を使った時のようにその部分が熱くなり、脳裏にとある呪文の使い方が浮かぶ。 それは、リィブ家の最大の秘法とも言えるべき秘伝の魔法だった。正規の呪文として認められることなく、口伝として一族だけに伝えられてきた、秘中の秘である魔法。 術者は魔法陣を通じて対象者の生死や健康状態を把握することができる。そして、望むのであれば、対象者に生命エネルギーを注ぎこむこともできる魔法。 なぜなら、この呪文は……術者自身の命がその代償となる。 やめてくれ――!! そう叫びたかった。できるのなら、止めたかった。 だが、まるでオレの意思を代弁してくれるかのように、過去のアドルがやめてくれと叫びながらティナを止めようとしている。 「いいのよ……私が、そうしたいの……。 その言葉を最後に、周囲に再び帳が落ちた。一度黒く染まってから、真っ白へと輝く光が、オレを過去から引き戻した――。
静かな声でそう声を掛けられたのは、それからしばらく経ってからのことだった。 急に知った母親の事情を受け入れるためには、多少の時間が必要だったから。 オレが落ち着くのをまっていたのか、その間は声すらかけようとしなかったアドルに、感謝を感じる。 「いつか、おまえに会うことができたら、伝えたいって思っていた。ティナおばさんとも、そう約束していたしな」 そういえば、そんなことを言っていたとオレは思い出す。 いくら魔法陣という目印があるとはいえ、あんな風に捨てられた子と肉親が再会できる可能性なんて、それこそ浜辺に落とした経った一粒の砂を拾うような確率だ。 『アドルってさ、あれですっごく律義なんだ』 ヒロユキがそんな風に言っていたのを思い出しながら、オレはなんとか笑みらしきものを取り繕った。 「ランディ、か。 「ああ。ティナおばさんは、ずっとおまえをそう呼んでいたよ」 ティナおばさんという呼び掛けには、ずいぶんと親しみの感じられた。多分、アドルが普段からそう呼んでいたせいだろう。 「そっか……、おまえはあの人を伯母って言っていたもんな」 「ああ、ティナはオレの伯母にあたる。つまり、おまえはオレにとっては従兄弟に当たるんだ」 「従兄弟、か。その割にはなんか、ずいぶんと似てるんだな」 孤児のオレには血縁関係ってのはよく分からないが、血の繋がりって奴はそんなものなんだろうか。 「オレとおまえの母親は、よく似た姉妹だったらしいからな。髪の色が違う以外はそっくりだったからよく双子に間違われていたって、ばあちゃんがよく言っていたよ」 自分の母親のことなのに、人事のように話すことに対して疑問を感じたのがそのまま顔に出たらしい。アドルは苦笑しながら、教えてくれた。 「オレの母親は、出産の後で亡くなったんだ。だから、オレは顔を覚えていないんだよ」
なんでもないことのようにサラリと言っているが、アドルもどうやら楽では無い人生を生きてきたようだ。 孤児としてほうり出されたオレとは全く方向性は違うみたいだが、あの過去や今回の戦いを思えば、イースの本や六神官の使命を押しつけれる生き方が楽なものだったとはとても思えない。 「あのさ……こんなこと聞くのもなんだけど、アドルってよくイースの本を集める気になったな」 正直な話、オレがアドルの立場だったのならとっくの昔に逃げ出している。 「別に、押しつけられたからやったわけじゃない。 あっさりとそう言い切れる強さが、アドルにはある。 「あれは、オレがティナおばさんに会った最後の記憶だ。術の後に意識を失ったおばさんは、これから三日後……意識を回復しないまま息を引き取ったんだ」 告げられた訃報は予測がついていたものだが、やはり少しばかり辛くはあった。 奴隷商人が商品に刻んだんじゃないかとか、あるいはオレの両親はなにかカルトな趣味があったのかとか、あれこれ考えたことはあったが、真実はオレの予想よりもよっぽど突飛で、更に言うならよほど過酷なものだった。 だが、オレを生んでくれた人の過去を見ることは、オレには傷み以上の意味があった。 だからこそ、それを伝えてくれたアドルにオレは感謝の念を抱く。 「そっか……ありがとな、アドル」 両親の真相を知らされ、こんな風に素直に感謝できる日がくるなんて、夢にも思わなかった。 感謝に比べればあまりにも軽い口調なのが申し訳ないぐらいだが、照れくさくってとてもこれ以上は言えない。 「……別に、いい。約束だから伝えただけだ」 ムスッとした表情でそっけなくそう言うが、一緒に身体にいれば否応なく分かる互いの感情ってものがある。 説明だけでは伝えきれない思いを共有できる――アドルが、オレを本来の身体に戻す前にどうしてもやりたい、と言った理由が今なら分かる気がした。 「じゃあ、最後の約束だ。おまえを元の身体へ返すよ」 アドルのその言葉に、名残惜しささえ感じた自分に驚きながらも、オレは頷いた――。 《続く》
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