エピローグ 夜、窓を叩く影

 

 日が暮れた直後、ぼくは自分の部屋でのんびりと本を読んでいた。
 もう食事もすんだし、お父さんが台所の床張りをやろうと、お母さんが地下室に食料を取りに行こうとちっともかまいやしない!

 ぼくにはもう、なんの心配ごともない。
 だって地下室に棺桶もなければ、おなかが空いたの退屈だのと騒ぎたてるちびっこ吸血鬼もいないんだから。

 夜にどうやって外にでればいいのか、言い訳に頭を悩まされる心配もない。本当なら大喜びしてここしばらくは読むヒマさえなかった本を、好きなだけ読むところだけど……。


「つまんないや……」

 とても本を読む気になれなくて、ぼくは読みかけていた本を放っぽりだした。どうせさっきから何度も同じページを眺めてるだけだもん、意味ないや。
 ――なんだか、すごく寂しかった。

 あの文句ばかり言っているリュディガーが、無事とはいえ当分目を覚まさないことも……アンナを怒らせちゃったことも。
 きっと、二人ともぼくの所に来ないだろう……特に、リュディガーは。

 ――もしかしたら、もう二度と。

 ぼくは枕元に置いておいたプレゼントの包みを見て、溜め息をついた。……これは目に付かない所に、しまいこんだ方がいいのかもしれない。
 ぼくはリュディガーのロウソク立てをタンスの奥に押し込み、ついでに窓をきっちり閉めてカーテンも隙間のないように閉めた。

 もう二度と、リュディガーのために窓とカーテンを少しだけ開けておくことはないだろうな、と思いながら。
 眠くもなかったけど、ぼくは横になって目を閉じた。

 ……本を読む気もないや。そうやって、どのくらい経ったのか――いつの間にかウトウトしかけていたぼくは、かすかなノックの音に気がついた。
 空耳じゃない、確かに聞こえたんだ。
 窓をそっと叩く音が。

「あ…?」

 ドキッとした。
 だって、ここの場所はもうルンピにもバレているし、昨日、ドロテー叔母さんに掴まりかけたことだって忘れられるはずがないっ。

 一瞬、逃げだしてしまいたい衝動に駆られたけど……でも、やっぱり、怖いもの見たさの好奇心の方が強かった。ぼくは忍び足で窓に近づいて、こっそりとカーテンの隙間ごしに外を伺った。
 すると  窓台の上に腰かけ、ニヤリと笑っていたのはリュディガーだった!

「リュディガー?!」

 驚いた――なんてもんじゃない。
 ドロテー叔母さんとか、テオとか、ルンピとか、アンナとか……とにかく、ありとあらゆる吸血鬼のことは予想していたけど……まさかリュディガーだとは!

 なんといってもリュディガーは共同墓所の勘当を解かれたばかりで、おまけに冬眠中だったはずなのに。あれから、たった1日しか経っていないのに。

「気をつけて。お父さん達が、家にいるんだ」

 窓を開けてリュディガーを中に入れながら、まず、警告をした。

「ふぅん、それでおまえの両親は何をしてんだい?」

 ちびっこ吸血鬼は、疑り深い目でドアの方を見た。

「テレビを見てるよ。お気に入りの映画を見てるんじゃないかな」

「ああ、じゃあ、おっきな声をださなきゃ大丈夫ってわけか」

 納得したのか、リュディガーの顔が緩む。

「リュディガー……もう起きてて大丈夫なの?」

「ああ、もっちろん。ほら」

 と、得意そうにリュディガーは手首をぼくに見せた。そこにあった逆さ十字の痣がきれいになくなっている。

「勘当を解いてもらって飛行禁止を解除してもらったとたん、目が覚めたんだ。オレはその間のことは、まるで覚えていないけどね」

 それを聞いて、少なからずホッとした。じゃあ、ぼくが昼間にリュディガーの棺桶を除いたことはバレてないんだ。

「アンナとルンピには、でっかいカリができちまった。当分、あの二人には逆らえないなー」

 情けなさそうにボヤくリュディガーがおかしくて、ぼくは声を殺して笑った。アンナやルンピに頭が上がらないリュディガーなんて、考えられない。
 きっと明日になったらケロリと忘れて、またいばりんぼのわがままリュディガーに戻るに決まってる!

 でも、それを言ったらリュディガーがツムジを曲げるのは目に見えているから、ぼくは笑いを噛み殺してできるだけ真面目に言った。

「そうだ、リュディガー。君、忘れ物していっただろう」

「忘れ物?」

「うん、ほら、舞踏会のコンテストでもらった商品だよ」

 そう言うと、リュディガーは嫌そうに顔をしかめた。

「ああ……あんなの、いらないや」

「いらない? ホントに、いらないの?」

 念を押して聞くと、リュディガーは大きく頷いた。

「いるわけないだろ、あんな忌ま忌ましいもの」

 ……確かに、歌いたくもないのに歌った記念品なんて、リュディガーにはいらないかも。


「じゃあ、ぼくがもらってもいい?」

「いいぜ。あんなのが欲しいならな」

 リュディガーの許可をもらって、ぼくは内心喜んだ。吸血鬼のプレゼントなんて、めったにない。お母さんは不気味がっていたけど、いいコレクションになるだろう。
 それはそれで嬉しかったけど、でも、ぼくは手放しで喜べなかった。

「でもさ、リュディガー……。君、ドロテー叔母さんに見つかる心配はないの?」

「もちろん、あるさ。でも、オレはアンナの使いで来たんだ」

 悪びれもせずにケロリと答えるところが、いかにもリュディガーらしい。

「アンナの使い?」

 不意に聞かされたアンナの名に、ぼくは自分の顔が赤くなったのが分かった。

「うん。アンナに、どうしてもアントンに礼を言ってこいって、言われたんだ」

「礼? いったい、なんのためにさ?」

 顔がますますほてってくる。きっと、今のぼくの顔は真っ赤っかになってるぞっ。
 でも、リュディガーはぼくの顔色に気づいてないみたいだった。リュディガーはいたって真面目に、ぼくをからかいもせずに言った。

「それはおまえがとっても親切にしてくれて、おまえの家の地下室にオレを居させてくれたからさ」

「ああ……そのことか」

 ようやく事情が分かって、今度こそぼくはホッとした。
 リュディガーに、アンナとのケンカやなんかのことを言われるんじゃないかって、内心ヒヤヒヤしてたんだ。

 でも、リュディガーはそれについてはなんにも知らないみたいだ。
 それで、ぼくは安心して言うことができた。

「そんなの、当然だろ。君だってぼくの立場だったら、まったく同じようにしただろう?」
 その言葉は、全部が本当とは言えない。だって、めんどくさがり屋で気紛れなリュディガーが、ぼくがやったみたいにこまめに人の世話なんてできるわけないもの。

 でも、わがままで自分勝手だけど、リュディガーはぼくを裏切ったりはしない。ぼくが危ない時は、必ず助けてくれる。
 それだけは、信じられた。
 そして、それが一番肝心なんだ。

「もちろんさ。おまえはいつだって、オレの助けを期待していいよ」

 リュディガーがちょっと言葉を切って、考え込むようにぼくを見た。

「おまえが吸血鬼でさえあれば、オレは――」

 ぼくが吸血鬼? 冗談じゃない。
 ぼくはギョッとして、リュディガーの言葉が終わるのを待たずに言った。

「ぼくは吸血鬼になんか、ならないよ」

「ならない? アンナのためでも?」

 リュディガーの目に、ぼくを試すような、そんな光が浮かんでいた。

「ああ。それに、アンナとはケンカをしてるんだ」

 なんでもないことのようにしゃべりたかったけど、ぼくの声は腹が立つほどひどく震えて聞こえた。
 けど、リュディガーは少しも動じなかった。

「知ってるよ」

 顔が、かあっと赤くなるのを感じた。

「アンナが君にしゃべったの?」

「へえ? おまえだったら、アンナとケンカをしたことを、オレにしゃべるのかい?」

 からかうようなリュディガーの言い方で、ぼくは遅まきながらやっと気づいた。
 この、カンだけは人一倍いいちびっこ吸血鬼が、ぼくやアンナの態度がおかしいのに気づいてないだって?

 ぼくはそんな有り得ない可能性を、一瞬でも信じた自分を呪った。
 気づいてないどころか! リュディガーってば知ってて、知らん顔してただけじゃないか!!

「……アンナから無理に聞きだしたんだろ」

 ついつい咎める口調で言ったのに、リュディガーは一向に気にしなかった。

「いいだろ、そんぐらい。アントンだって、オレの二つ名の由来をアンナから無理に聞きだしたくせに」

 いきなり忘れかけていた話を持ちだされて、ぼくは詰まった。
 うっ、これを言われると弱いな。
 話の次元は違うけど、リュディガーにとってもぼくにとっても、相手に聞かれたくない話って点では同じだもんね。

「あれは……ちょっと気になったから」

「何が? たとえば、オレがおまえを無理やり吸血鬼にするつもりがあるかとか?」

「そんな――!」

 言い返そうとして、リュディガーのニヤニヤ笑いに気がついた。本気で言っているわけじゃないんだ。

「ま、強情っぱりのリュディガー様は、本人が望まないなら人間を吸血鬼にするつもりなんかないさ。
 ――たとえ、たった一人の妹の頼みでもね!」

 やけに大きな声で言うから、ぼくは居間にいる両親に聞こえるんじゃないかとビクついたが、テレビがよっぽどおもしろいのかかすかな笑い声が聞こえるだけだ。

「リュディガー、あんまり大声出さないでよ」

「あっ、そうそう。そういや、アンナからおまえに聞いといてくれって言われたことがあるんだ」

 ぼくの言葉をまるっきり無視して、さも、たった今思い出したと言わんばかりにリュディガーはポンと手を叩いた。

「ぼくに?」

「うん。おまえがまだ、アンナを怒っているかどうか、オレに聞いといてくれって」

 それを聞いて、大声で笑いだしそうになった。――ぼくがアンナを怒っているか、だって?

「怒ってないよ。アンナを怒ってなんか、いられるもんか」

 叫ぶように言ってから、気持ちがホッと軽くなるのを感じた。

「本当に?」

 リュディガーが念を押すのに、ぼくは自信を持って頷いた。

「本当さ」

「それなら、いいさ」

 そう言って、リュディガーはトコトコ窓に向かって歩くと、気取った手つきでカーテンを開けた。
 すると窓枠の一番外側の端に、マントにすっぽりくるまったアンナがいるのが見えた!
 

「聞いただろ、アンナ。オレの言った通りだろ? アントンはおまえを怒ってないってさ」


「リュディガー……!」

 ぼくをまんまとひっかけたリュディガーを、睨みつけてやろうと思った。でも、顔が勝手に緩んで、赤くなっていくのをどうしても止められなかった。
 こんなの――こんなの、リュディガーの思うつぼだって分かってるのにさ!

「万事オーケー。入ってきていいよ、でもそっとだぞ!」

 まるで自分の部屋であるように、リュディガーが言う。
 アンナがなよなよと立ち上がって、おしとやかに窓枠を乗り越えて部屋に入ってくる。 そして、ちょっとはにかんだ顔で微笑みかけてきた。

「こんばんは、アントン!」
                                  ENDE

 

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