Act.15 リュディガーの置き土産 |
地下室は、ぼくが出ていった時とちっとも変わっていない。 「……あんまり、快適じゃないわね」 地下室を一回り見回し、アンナがぽつんと言った。 「快適じゃない?」 「それに、すごく寂しいし。かわいそうなリュディガー」 同情したように、アンナが言う。 だけど、今はそんなことを言っている場合じゃない。 「とにかく、リュディガーの様子を見てよ」 棺桶の蓋をずらすと、相変わらず目をつぶって眠っているリュディガーがいた。アンナは一目見て、笑いだした。 「ああ、これは心配ないわよ。リュディガーは、今、冬眠中なの」 「冬眠?」 って言っても、今は春だぞ。 「ホントの冬眠とは違うの。リュディガーみたいに元気な吸血鬼でも、ケガをした時とかすごく疲れてしまった時、長い間眠りこんで目を覚まさなくなる時があるの。 「じゃ……別に他に悪いところはないの?」 「大丈夫。前にもリュディガーがこうなったのを見たことがあるけど、遅くとも半年もすれば目を覚ますわ」 アンナに保証されて、体の力が抜ける。 だけどホッとしたぼくと違って、アンナは険しい顔で考え込む。 「でも、かえって問題だわ。冬眠状態になってしまったなら、リュディガーは自分の面倒さえ自分でみれないもの」 そ……、そーいえば、状況はますます悪化したのかもしれないっ! 眠ったまま動かないでいるリュディガーを、今夜中に棺桶ごと動かす方法なんてあるんだろうか? 「そうね、ルンピを連れてくればなんとかなるかもしれないけど。 「リュディガーを棺桶に入れたまま、運ぶわけにはいかないの?」 だめよ、とアンナは首をふった。 「空を飛ぶ時は、事故がつきものなの。わたし逹の棺桶の蓋は重くて、とても外れやすくできているのよ。しっかりと止めておいたつもりでも、外れちゃうことがあるの。 アンナもぼくも、空を飛ぶのはそんなにうまくはない。でも、だからといって、あっさりと諦めるわけにはいかないんだっ。 「なら、それでもいいよ。棺桶はぼくら二人で、歩いて運べるよ!」 アンナは黙って地下室の窓から空を見上げ、考えに沈み込む。 「お願いだ、アンナ!」 アンナは振り向き、そして微笑んだ。 「……あなたに頼まれたら、嫌とは言えないわ」 嬉しさのあまりぼくは危うく、アンナを抱きしめそうになった。でも、寸前で思い直して、優しく肩を叩くだけにとどめることにした。 「ありがとう。君って、ぼくの知っている中で一番素敵な女の子だ!」 「本当?」 明りがほとんどない暗闇でも、アンナの顔が真っ赤に染まったのが分かった。 「じゃあ、ルンピを連れてくるわね。少し時間がかかるかも知れないけど、ここで待っていて」
飛び立っていったアンナを待つ間、ぼくは地下室をうろうろしていた。 ありがたいことに、アンナは思ったより早く戻ってきた。ルンピも一緒に連れて。 「よお、久しぶりだな。どうだ? そろそろ、吸血鬼になったんじゃないのか?」 そう言って、ルンピはジロジロとぼくの首の辺りを眺め回す。ゾッとしたけど、続いてアンナが入ってきた。 「ルンピ、バカなこと言ってないで、早くリュディガーを共同墓所に連れていってよ。わたしとアントンは、後から棺桶を持ってから行くから!」 「ああ、分かったよ」 つまらなそうにいい、ルンピは重たい蓋を片手で軽く開けると中で眠っているリュディガーを抱きあげた。 「そんな運び方じゃあ……リュディガーが苦しいんじゃ……ないかな?」 「なーに、大丈夫さ。リュディガーは、ぐっすりおネンネしてるんだから」 顔を間近にヌウッとよせられ、ぼくは思わず後ずさった。 「でも、オレを乱暴な男だと思うなよ。運ぶ相手によっては、オレはとても優しくなれる男なのさ。試しにおまえを運んでやろうか?」 ぎらぎらと光る目つきを見れば、ルンピが何を考えているのか手に取るように分かるっ。 硬直して声もだせないでいるぼくを、アンナが助けてくれた。 「だったら、リュディガーを優しく運んであげてちょうだいな。 ルンピはムッとした顔をしながらも、アンナの言うことの方が正しいと認めたらしい。リュディガーを片手で胸に抱き直すと、ルンピは狭い地下室の窓から空へと飛び立っていった。 これで、問題の半分は片づいた。後は、棺桶だけだ。 「わたしは力持ちよ。リュディガーより、ずっと力持ち」 「ホント?」 ぼくはアンナの細い手を見ながら、聞いてみた。
「うわー、すごい!」 感心して、思わずぼくはアンナを見返した。 「言った通りでしょ」 得意そうにアンナが言う。うん、これならうまくいくかも……。 マンションの外まで運びだし、茂みまで通りかかったところでぼくは一度棺桶を下ろした。 「ふうっ」 あー、手が痛い。 「もう、疲れたの?」 女の子のアンナが、まるっきり疲れた様子を見せないのに、男のぼくが弱音を吐けるはずがない。 「ち、違うよ、ちっとも疲れてないよ。さあ、行こう」 再び、ぼくは棺桶を持った。 だけど、重い棺桶はまるで拷問のようにぼくの腕を痛めつけた。 それなのにアンナはまるで毎晩こんなことをしているみたいに、楽々と棺桶を運んでいた。 「後、ちょっとよ。棺桶を上げて、この塀の向こうへ下ろすだけ」 アンナが優しくそう言うが ぼくには、とてもそうは思えなかった。 「門からじゃ、だめ?」 聞くと、アンナは首を振った。 「だめよ。この時間じゃ、鍵がかかっているし……それにガイヤーマイヤーのことを考えて」 奴の不気味な顔を考えてみてから、ぼくもこれしか方法はないなと納得した。 「わたしが向こうに行くわ。あなたが、塀ごしに棺桶を渡して」 身軽に、アンナが塀を飛び越える。 「まず、蓋を」 塀ごしに、アンナが囁く。 「つ、つかめた?」 「ううん、まだよ。もっと傾けて」 言われて、ぼくはもっと背伸びをしたけど……その途端、手が滑った。 「アンナ、危ない!」 叫んだけど、間に合わなかった。 「ア……アンナ! ケガをしたの?!」 返事は、返ってこなかった。 「アンナ……大丈夫? 手を貸そうか?」 おろおろと、ぼくは塀に手をかけた。よじ登ろうかと思うけど、ドロテー叔母さんを思うと、勇気もくじける。 「アンナ、足が折れたの?」 「いいえ」 そっけなく答えアンナはぼくの手も借りずに棺桶を一人で持ち上げ、塀の上に乗せて押しやった。再び、大きな音が響く。 「もう、一人でいいわ。帰って」 冷たく言い、アンナは塀を再び飛び越える。だけど、こんな形で『じゃあ、さよなら』なんて言えるわけがない! 「待ってよ、アンナ」 ぼくは塀に飛びついて、よじ登った。 「アンナ、ごめんね。でも……ぼく、わざとやったんじゃないんだ」 アンナは返事をしなかった。 「アンナ! 許してよ!」 今度も、アンナは返事をしなかった。黙ったまま、ずんずん歩いていく。 「アンナ! 行かないでくれよっ、君をケガさせるつもりなんかはなかったんだ」 ぼくがそう叫んだ時、アンナは木の間に姿を消していた。共同墓所への秘密の入り口に入ったんだ。 どうしよう……? だけど、家に帰るまでずっと、アンナの姿が目にちらついた。 ひょっとして これが、恋の悩み…って奴なんだろうか? それに……今になってから、気が付いた。今晩恐ろしい目にあったばかりなのに、ぼくはドロテー叔母さんを思い出しもしなかった。 マンションまで戻ったぼくは、家の鍵を開けて玄関から戻った。幸いにも、家には誰もいない。 だけどお父さん達に外出がバレなかったことを喜ぶには、ぼくは疲れ過ぎていた。着替えもそこそこにばたんとベッドに倒れ込み、ぼくはすぐに目を閉じた。
遠くから、お母さんの声が聞こえてくる。 「はあい」 答えたけど、まだ眠い。 「もう、7時15分過ぎよ」 ぼくは目をこすって、なんとか起き上がろうとした。だけどその途端、肩のあたりがズキッと痛んだ。 「あっ、痛っ」 「体の具合が悪いの?」 お母さんが心配そうな顔をする。……うん、それは悪くない考えだ。それに、ホントに気分は悪いもの。 「ぼく、風邪を引いたんだと思うよ」 訴えると、お母さんはぼくの額に手を当てた。 「でも、熱はないみたいよ」 「身体中が痛いんだよ」 それは、嘘じゃない。なんせ、筋肉痛で手と言わず背中や足まで痛かった。 「それじゃ、熱を計ってみましょう」 お母さんが洗面所に行き、体温計を持って戻ってきた。 「さあ、ごまかしはなしよ」 「ごまかしなんか、してないよ」 ぼくはそう言ったけど、お母さんはベッドの縁に腰かけ自分で時計を計り出した。 「でも、あなた、パジャマを着てないわよ?」 「え?」 慌てて自分の格好を見下ろすと――確かに、着ていない! 「あなたはズボンとセーターを脱いだだけ。昨日、夜更かしでもしたの?」 ぼくが言い訳を考える前に、お母さんは体温計を手にとった。もう、5分たったらしい。
「でも、すごく気分が悪いんだ」 ぼくは必死で言いつのった。実際、こんなに眠くて、しかも筋肉痛がひどいのに学校なんて行ってらんない。 「あなたが学校を休んだなら、誰にあなたの面倒を見てもらえばいいの?」 「お父さんがいるじゃないか。それに、おじいちゃんも」 ぼくは言うと、お母さんは笑った。 「お父さん? お父さんはもうとっくに、会社にいったわ」 「ええっ?」 驚いて、ぼくはお母さんを見た。 「で、でも……お父さん、今日はおじいちゃんと台所を直すってっ!!」 「そうよ。でも、お父さん、急用ができちゃったの」 お母さんの言葉を聞いて、ぼくは……ぐっと唇を噛んでうつむいた。目の縁まで涙が込み上げてきたけど、なんとかそれをこらえる。 こんなのってないや……棺桶を地下室から無くすために、身体が壊れそうなぐらい無理したのに。アンナを怒らせてまでやっと頑張り通したのに、今になってからお父さんに急用ができたなんて。 「大丈夫よ、たいしたことはないわ」
「お茶を入れてきてあげるわ。でも、それがすんだらお母さんは出かけなくちゃ」 お母さんが行ってしまうと、ぼくは涙のにじんだ顔をよーくふき昨日着そこなったパジャマを着込んだ。 溜め息が出てしまうけど、ぼくは少しでも明るい材料を探そうと思い直した。 ぼくは満足して、ベッドに潜り込んだ。
お母さんはドアを開けるなり、そう言った。 「うん、もういいよ。おかえりなさい」 ぼくは読みかけていた本を閉じて、そう答えた。一眠りしたらすっかり気分がよくなったから、ぼくはベッドに起き上がって、本を読んでいたんだ。 「お母さん、今日のお昼ご飯、なあに?」 おなかは、すっかりぺこぺこだった。だって朝だって食べなかったし、夕べは大仕事だったんだから。 「じゃがいものパンケーキよ。でも、まず、地下室からじゃがいもを取ってこなくちゃ」
頷いて、ぼくは深い満足感を覚えた。 「なに、お母さん?」 「お母さんが地下室に行くのに、反対しないの? 「地下室の秘密?」 思わず、ぼくは笑ってしまった。 「地下室にはもう秘密なんかないよ。吸血鬼は、もう引っ越しちゃったから!」 「え、なんですって?」 「地下室には、吸血鬼がいたんだよ」 済まして答えると、お母さんはうんざりしたように首を振った。 「また、あなたの吸血鬼が始まった。お母さんに本当のことを言えないほど、あなたの秘密は悪いことだったの?」 「悪くなんかないよ。困っていた吸血鬼を、助けただけだもん」 ぼくは本当のことを言っているだけなのに、お母さんはまるっきり信じちゃいなかった。
「持てるよ。最近、狼男の話もおもしろいなって、思い始めたんだ」 「まあ!」 お母さんは怒って、部屋から出ていってしまった。ぼくは、声が漏れないようにして笑った。 また、本を読みながらお昼ができるのを待っていると、じゃがいものカゴを持ったままのお母さんが部屋に入ってきた。 「アントン、これはなんなの?」 と、お母さんが聞いて、けがわらしそうに小さな包みを差し出した。 「あ、これ……」 リボンがくしゃくしゃになり包装が半分千切れているそれは、左手の形をしたロウソク立てだった。見るからにおどろおどろしいオカルトめいた商品は、コンテストでリュディガーがもらった優勝商品だ。 「それは悪魔の手。または、栄光の手って言うんだ」 魔女や魔法使いが死刑囚の左手から作ると言う、呪われたアイテム。 「いやだ、気持ち悪い。なんでこれが地下室にあったの?」 お母さんは不機嫌に、そう言った。 「そんなに変? 友達への誕生プレゼントにしようと思って買ったんだけど。ウケると思ったのにな」 「お母さんだったら、絶対に嬉しくないわね」 そう言って、お母さんは台所へ向かった。 「ご飯ができたら、知らせてくれる?」 そして、ぼくは安心して読書に戻った――。 《続く》
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