Act.12 国境を越えて 
 

 歩いて、歩いて、歩き続けた末に、俺達は半円形に積み上げた塚にであった。
 俺は立ち止まった。

「まだ歩けるよ」

 ぼんやりと、うつろな顔をしたマキトが言った。眼に、力が全くない。その声も、決まり切ったセリフしか言えない、人形みたいな声だった。

「歩けるだろうよ」

 気のないあいづちをうちながら、俺はラクダからゲルバと荷物を下ろした。

「だけど、砂漠は待っててくれるさ。自分のツラを見るんだな」

 そう声をかけた途端、糸の切れた操り人形みたいにマキトはがっくり膝をついた。

「そのまま尻をつけば、立てなくなるぞ。枯れ枝を集めてきな」

 のったりとマキトは立上がり、のろのろとした動きで枯れ枝を集めようとする。だが、マキトは積み重ねたように転がっている丸木に目を止め、ぼんやりと動きを止めた。

「ここに生えていた樹木の化石だよ」

 教えてやってもマキトはなんの反応もしないで、ぼやけた顔で、どこか遠くを見ていた。

 いつものマキトじゃない。
 いつもだったら、しつこいぐらい次々と質問してくるのに。マキトはまるで夢でも見ているような眼つきをしている。

  こいつ、正気じゃない───。
 俺はいきなり、マキトの横っつらを殴った。

「夢を見るんじゃない!」

 まだ、殴りたりない気分だよ。せっかくここまできたんだ、ここでおかしくなってもらったんじゃ、涙もでやしない。

「気が狂って死ぬぞ!」

 焦点が合ってなかった眼が、しっかり光を取り戻した。正気に返ったマキトは、改めて枯れ枝を集めた。

 マキトの奴、今まで苦しいともなんとも言わないで我慢しやがって。疲れたとか休みたいとか言えば、いつだって休ませてやったのにさ。
 そんなことを思っていたら、興奮したマキトに呼ばれた。

「アル」

 見れば、マキトの奴は眼を輝かせて矢じりやら、石斧、石棒を大切そうに抱えていやがる。それをちらりと見て、俺は溜め息をついた。
 半分はちょっとした物で浮かれるマキトにうんざりして、半分はやっといつものマキトらしくなったのに安心して。

「珍しくもないよ。今度は考古学者になったのかい?」

 何を言っても、マキトは聞かなかった。
 古ぼけて美術的にも考古学的にもほとんど価値のない矢じりを、まるで宝物のように見つめながら、ハッカ茶を飲み、パンとチーズを食べた。

「サハラは考古学の宝庫だね」

 マキトは言った。その後を、俺が続ける。

「と、同時に、地下資源の宝庫でもあるのさ」

 緑が豊かじゃない代わりにね。世の中ってもんは、結構うまくできてるもんだ。

「アルジェリアについたら、君はどうするんだい?」

 焚き火を避けながら、マキトが聞いた。
 そんなの、決まってるじゃないか。

「ドクターと会うのさ」

 俺は簡単に言い捨てた。マキトは、ずいぶん驚いた。

「ドクター・ファラビーはアルジェリアにいるの?」

 俺は黙って頷いた。

「ドクターはアルジェリア政府と交渉してるのさ」

 俺はいくぶん、誇らしげに言った。
 なのにマキトの奴、ぼんやり顔で、

「交渉?」

 と、呟いたっきり。
 俺は鼻にしわをよせて軽蔑してやった。

「決まってるじゃないか。軍事援助さ。独裁者をぶったおすのさ。ドクターが成功すれば……いや、成功するに決まってるけれど、やつらはもう長くないぜ。俺は真っ先にサソリを殺ってやる」

 そうさ、今度こそ!
 俺はぴしゃっと自分の膝を叩いた。

「じゃ、モローリアに戻るの、その交渉が長引いたら。一人でもかい?」

「ああ、命令ならね」

 俺は枯れ枝を、焚き火に突っ込んでかき回した。

「一人で戻って、どうするのさ?」

 何気ない質問なのに、どこかドキリとするようなところがあって、俺は驚いてマキトを見つめた。
 マキトは焚き火を見つめながら、なおも質問してきた。

「戦いが終われば?」

 もう、戦う必要がなくなったら、どうするの?
 そういうつもりでマキトが聞いたのは、分かっていた。でも、俺は戦いの結果にこだわった。

「どんな終り方だ?」

 マキトは焚き火の中から燃えているマキを取り出し、くるくる回した。

「ドクターが勝利を握ってさ」

 理想の終結だな。
 だけど、俺はそんなの、考えてもみなかった。ただ、サソリを殺してやりたいってことだけ、考えていた。

 俺は黙り込んだ。マキトが何を聞きたくて質問してるのか、分からなかったんだ。
 マキトは、なおもじっと俺を見つめていた。

「俺はサソリを殺るだけでいい。それ以上のことは、ドクターが考えてくれるさ」

「でも、君はどうするんだ?」

「どうするかって?」

  俺は興味ないように言ったけど、本当は───違うんだ。
 俺はサソリを殺ることは、何万回も考えた。だけどサソリを殺った後のことなんか、一度だって考えたことなんかなかった。

 サソリを殺したら、もうそれで俺もお終いになるように思っていた。
 その後にどうするかなんて、分かるもんか。
 どうしてきたのかって言われたら……、サソリを殺ると思い詰めていたことと、ドクターに言われるままに行動してきたとしか、言い様がないか。

 考えていたのは、いつもドクター。俺は……サソリのことだけ、か。
 はん、くだらねぇ。
 俺は焚き火にていねいに砂をかけた。

 『これから、どうするのか?』なんて、分からない。俺のことなんか、分かんねえよ、だけどさ───。
 俺は詰まった息を吐き出すように、首の骨を鳴らした。マキトは俺が焚き火を消したのを見て、残った枯れ枝をラクダに積んだ。

「真昼まで、まだ歩ける」

 マキトは矢じりをポケットに滑り込ませ、頷いた。
  ───俺のことは分かんなくってもさ、マキトのことは分かる。

 うまくドクターの所まで辿り着いたら、ドクターは真っ先にミスター・モリに連絡をつけるだろう。そして、ヒヨコさんはパパとママのもとに帰って平和な日本に帰って、いつまでも幸せにくらしました――そんな結末が、マキトにはお似合いだ。。
 
 ぜひ、そうなって欲しいもんだよ。
 そのためにも、もうひとふんばり、がんばらなくっちゃな。
 しばらく歩くと、砂漠が柔らかい砂地に変わった。マキトはうつむきながら歩いていたが、ちょっとかがんで何かを拾い上げた。

「アル、なんだろ?」

 マキトが手の中で転がしているのは、丸い鉛の塊だった。
 俺は口に巻いたベールをほどき、たまった砂を落としながら答えた。

「ローマ軍の鉛のつぶてだよ」

「ローマ軍? あのローマの?」

「ドクターが教えてくれたんだよ」

 前にここにきた時にね。もっとも俺はマキトみたいに質問したり、はしゃいだしなんかしなかったけどよ。
 マキトはポケットにつぶてをしまいこんだ。この調子じゃ、一週間も歩いてたら博物館ができそうだよ。

 ったく、嬉しそうな顔をしちゃってさ。……今なら、言えそうだな。
 さっき塚の所で言うつもり台詞を、俺は再び用意する。さっきはマキトが変なことを言い出したからタイミングがズレたが、今ならいいだろう。

「嬉しくないのか?」

 突然、俺は切り出した。

「歴史の証人って、感じるよ」

 トンチンカンにマキトが答える。つぶての話と、勘違いしてやんの。

「その歴史の証人は、アルジェリアを歩いているんだぜ」

 そう言ってやると、数秒、マキトは沈黙した。

「アルジェリアを歩いている?」

 ぽかんとマキトは呟き、足元を見た。
 そして、俺を見た。
 俺はずっとニヤニヤしながらマキトを見ていた。
 不意に、マキトの眼が大きくなる。

「あの塚が、国境の目印さ」

「こいつ、黙ってたな!」

 マキトがはしゃいで、俺を少し突き飛ばした。
 おっとっと。俺もわざとふらついてから砂をすくい上げ、マキトにぶっかける。

「ヒヨコさん、どうだい、アルジェリアの土の味は?」

 ペッペッと砂を吐きだしたマキトは、負けずに砂嵐をお返ししてくれた。

「こんな味だよ!」

 俺達は気が狂ったように笑い、砂をかけあい、転げ回った。
 こんなにはしゃいだのは、ひさしぶりだよ。親父達が殺されて以来だ。いつもつきまとっていた重っくるしい想いが、笑う度に消えていうくみたいだった。

 とうとう、笑いつかれてマキトは座り込んだが、それでも喉を喜びでヒィヒィ言わせながら、バンバン砂漠を叩いた。
 もし、町のド真ん中でこんなことしてたら、二人とも病院送りだろうな。
 ようやく笑いの発作が静まると、マキトはおどけた口調でしゃべりだした。

「アル、アルジェリアの国境検問所はどこだい? パスポートに入国のスタンプをもらわなきゃ」

 ジェラバから、パスポートを取り出すパントマイムまでやってくれちゃって。あいつのパスポートとピザは、サソリのポケットの中だろうにさ。

「密入国者のくせに、でかい態度だな」

 俺もおどけて返したけど、そうそういつまでもふざけていられない。
 俺は、マジに戻った。

「一番近くのアルジェリアの町まで、二百キロはあるぜ」

 ドクターの居る所までは、さらにある。

「ラクダには乗れないし、まだ喜ぶには早いな」

 だけど、今更俺が何を言ってもマキトは全然めげなかった。にこにこ満月みたいな笑みを浮かべ、改まって話しかけてきた。

「君には言葉がないほど感謝してるよ、アル。まず、握手してくれないか?」

 こう正面きって言われると、なんか照れちちまうぜ。じっとしていらんなくって、俺は軽く肩を揺すった。

「まさか、密入国を祝ってシャンペンを飲ませろって言うんじゃないだろうな。ここには水しかないぜ」

「カップ半分の水で我慢するよ」

 バカ、マジになって手を突き出すなよ!
 俺は慌てて手を振った。

「町についたらな」

  そう言った時───フッと、嫌な予感が突き抜けた。不安になって振り返り、地平
線を見た。

 まさか!
 素早くラクダの鞍の上に立って、見直した。ドンピシャリだ!

「マキト、乗れ! トラックがくる」

 マキトはぴょんと鞍に飛びつき、よじ登った。俺がひと鞭くれると、ラクダはひどく揺れながらも、走り出した。

「政府軍?」

「多分」

「でもここはアルジェリアだろ? 国境侵犯だよ」

 マキトは怒りに燃え、わめきたてた。しかし、俺に言ってもどうにもなるもんか!

「と、やつらに言ってやれよ」

 こんな隠れ場所一つない砂漠で、傷ついたラクダで逃げきれっこない。
 ラクダは見る見るうちに速度を落としていった。それに引き換え、明らかに俺達を狙っているトラックは、スピードを上げて追ってくる。

 迷彩した装甲トラックは、モローリア軍の物だ。
 二台のトラックは挟み撃ちを狙って左右に分かれ、砂ぼこりと唸りを立てて俺達を追い立てる。屋根の上の、機関銃を据えた兵士達さえ、はっきりと見えてきた。

 くそっ、ここまで逃げてきたのに、こんな所で、あんなやつらにつかまるなんて!
 気がつくと、俺は歯ぎしりしていた。

「流砂に引き込んでやる!」

「ぼく達も沈み込まないかい?」

「多分な」

 けれど、ラクダは流砂までとてももたなかった。哀れな泣き声を上げ、ついに止まった。

「クソッ!」

 俺はわめき、ラクダから飛び下りた。
 こうなったら、破れかぶれだ。
 ラクダを座らせ、モーゼルを抜く。今度こそ、間違いなく俺は死ぬ。トラックは砂塵を巻き上げ、凄いスピードで迫ってきた。

 サソリを殺れなかったのは心残りだけど、もう、いい。
 もう、いいんだ。
 俺はトラックを睨み、モーゼルを木の鞍に乗せた。一番最初に射程距離に入った奴を殺ってやる!

 だけど、その前に───静かに、マキトがモーゼルに手を置いた。

「離れてろ! 巻き添えを食うぜ!」

 俺は後ろへアゴをしゃくったが、マキトは動かなかった。

「弾は二発しかないんだろ?」

 確かめるように、マキトは言った。
 それが、どうしたってんだよ?

「一人は道連れにできるぜ!」

 地獄行きのな。俺は、鼻にしわをよせ、笑いを浮かべた。

「撃てば、君は確実に殺されるよ」

「同じことさ。つかまっても、俺は殺される」

「ぼくが殺させやしない!」

 真剣な眼をして、真正面からマキトは言い切った。
 トゥアレグ3人とやり合う前に、『君がやられることはないよ』と言った時と、同じ口調で。

 奴の決心があんまり本気なので、俺は笑うしかなくなった。ずいぶん、苦しげな笑いになっちまったけど。

「ヒヨコが? 遊びの時間じゃないぜ」

「そうだよ。ぼくが君を殺させやしない!」

 力を込めて、マキトは言った。何か、考えでもあるのかよ?
 でも、あったとしても、俺は乗るわけにはいかない。なによりも――そう、死ぬことよりも、なによりマキトが死ぬのが怖かった。

 ここで俺は殺されても、マキトが無事でいればいい。自由と引き換えでも、それでいいんだ。

「たいした自信だな、ヒヨコ。でも俺の問題だ。さあ、どくんだ。邪魔だ」

 俺は気持ちを切り替え、トラックを睨む眼に神経を集中させた。
 モーゼルに手をかけたマキトは、もう片方の手をポケットに突っ込んだ。そして、怖いぐらい真剣な眼で俺の眼を除き込んだまま、いきなりショートアッパーを食らわせた!

 ガクンと、頭がのけ反る。見る見る意識がぼやけて行く。
 俺は大きく眼を見開き、必死でマキトを見ようとした。
 信じられない。

 なんでだ?
 どうしてこんなことを……!

 声に出して聞きたかったのに、口びるが震えるだけで、言葉にならなかった。もう、マキトの表情も分からない。俺はそのまま、崩れ落ちた。
 意識が消える寸前、最後に見えたのはマキトの顔だった。
  ──マキト、俺を裏切ったんじゃ…ない……よ…な……────






「うう…う…」

 意識が戻って、真っ先に見えたのは『からっぽ』の右手だった。眼をカッと見開いたが、モーゼルはなかった。
 命から二番目に大切な、俺のモーゼル!

 腸が一気に煮えくり返ったが、俺は怒鳴らなかった。
 その前に、いくつか確かめておきたいことがあったから。
 それとなく探ってみると、もう一つの拳銃も消えていた。だが、俺は怪我一つしていなかった。

 回りを兵士の輪で完全に囲まれてはいるが、誰も銃を撃とうとしない。
  若い少尉が、偉そうに一歩踏み出た所に突っ立っている。
 そして、その少尉と向き合うような形で、マキトが固い決心を秘めた眼をして、俺のすぐ脇に立っていた。

「どっちが日本人なんだ?」

 じれったそうに少尉が言った。
 まだ、そんなことさえ分かってないのか。どうやら、俺が気を失っていたのは数分らしい。俺は黙って身を起こし、あぐらをかいた。

 マキトの奴、どういうつもりなんだ?
 だが、おしゃべりヒヨコは、こっちを見もしなければ、押し黙ったまま口一つ開かなかった。
 
「よく見張ってろ」

 まるでこそ泥のような目つきで周囲を見回しながら怒鳴った少尉は、続いて横柄に兵士達に命令した。

「二人のベールを取れ!」

 逆らう気も起こらなくて、素直に兵士達に押さえつけられ、ベールをはぎ取らせてやった。アホな少尉は、しばらく腕組みをしながら俺達を見比べた末、マキトを見つめながら言った。

「君が日本人だな?」

 そんなの、一目見りゃ分かるだろうに!
 なのに呆れた話だが、少尉にはまだ迷いがあった。間違えるのがよほど怖いのか、やけに慎重にマキトに話しかけている。

「ゲリラを心配しなくてもいい」

 笑わせんな、臆病物の腰抜け少尉め!
 俺は唾を少尉に飛ばした。兵士が、ライフルを振り上げる。
 ところが、すかさずマキトも唾を吐いたので、俺達は兵士にこずかれ、突き飛ばされるだけですんだ。

 俺だけだったら殴り殺されていたところだが、やつらも間違って日本人の子供を殺して、クビをとばしたくないんだろ。
 少尉は袖で顔をぬぐい、眉を潜めて不思議そうに言った。

「どうしてゲリラをかばうのかね? 分からんな」

 俺にだって、分からないさ。

「君はベルベル人でもなければ、トゥアレグでもない。アラブでもルジバでもない。だとすると、日本人だということになる。モローリアにはジーパンをはいている子供なんていないぞ。
 君の名は、マキト・モリだな?」
 
 確かめるように、少尉は分かりきったことを口にする。その声はほとほと困り果てたように、苦りきっていた。
 マキトはようやく口を開いた。

「アル・アサービア」

 こんにゃろ、俺の名前を勝手に名乗りやがって。
 俺も、続けて言った。

「アル・アサービア」

 少尉は肩を竦めた。

「まぁいい。ファサドにつけばすぐ分かることだ。私の仕事ではない」

 傷つけられたように(ずうずうしい奴だ)少尉は言い、俺達は手荒くトラックにほうり込まれた。
 トラックは轟音を立て、ユーターンした。俺達のラクダが座り込んだまま口を動かしているのが見えたが、次第に小さくなっていった。

 あの辺りの砂に、俺のモーゼルが埋められているんだろう。そして、何年も、何年もかけて、静かに錆びていくんだろうな。

 俺は一度もマキトを見なかった。
 怒っていたわけじゃなくて、マキトの顔を見たくなかった。せっかくアルジェリアまで逃げながら連れ戻されるマキトの気持ちを考えると、どうしても見れなかった。

 とりわけ、さっきの喜びようを見た後じゃな。
 せめて、幌ぐらいかかってりゃいいのに。

 俺はマキトの横に座ったまま、眼を閉じた。時々、目を開けて兵士を軽蔑しては床に唾を吐いたが、マキトの方は見なかった。マキトも、俺に話しかけてはこなかった。

 少尉は隊を休ませず、ぶっつづけで走らせた。そのせいもあってか、兵士達は俺達を伝染病患者のように扱った。
 やけに長く感じたトラック内での時間、俺達は一言も話さなかった。






 ナツメヤシの林と城壁が、どんどん近づいてくる。
 ファサドだ。

 俺達がファサドに連れ戻されたのは、翌日の昼頃だった。トラックは城壁を背にした城砦(政府軍使用)に向かっていた。正面には旧式の戦車が街に砲口を向けていて、トラックが門を潜ると、急いで閉じられた。

 俺達は襟髪をつかまれて、トラックから降ろされた。そして、地下牢にほうり込まれた。

「秘密警察に渡さないだけ、感謝するんだな」

 恩着せがましく、少尉が言った。ずうずうしい奴め。

「断っておくが」

 偉そうに言う少尉の眼は、落ち着きなく俺とマキトを見比べる。

「我々は、ゲリラに誘拐された日本人の子供を捜しているだけだ。おそらく、君達のどちらかが日本人の子供で、一人がゲリラだ。しかし残念ながら、断言できない。
 証人がくるまで、ここで待ってもらうわけだ。ここは少し狭いが、ファサドで一番安全な場所だ」

 こんな薄汚い所に押しこめやがって、よく言うよ。
 俺達は奴を睨んでいたが、奴は言うことは言うとそそくさと出ていった。鉄柵の小さな扉が、ガシャンと閉められる。
 ――これでもう、逃げられないか。

 汗がすえたような臭いが、牢に染みついていた。空気はよどんでしけっているし、灯は裸電球が1ヶだし、壁は無数のひっかき傷があるわ血痕のような染みがあるわ、なにが『ファサドで一番安全な場所』だよ。

「ああするしかなかったんだ」

 突然、マキトが言った。
 思い詰めたような顔ときたら、まるで借金の言い訳だよ。バカな奴だと思いながら、俺はマキトを無視して、壁にもたれ座り込んだ。
 そんな俺に、マキトは心配そうに聞く。

「アゴは、大丈夫かい?」

 そう言えば、あれはいい一撃だった。
 俺はアゴを撫でた。まだ痛みが残っている。

 あの時、マキトは一回ポケットに手を突っ込んだのを俺は見た。多分、あの時に何かを拳に握りこんだに違いない。
 考古学好きのヒヨコさんときたら、砂漠に落ちている物なら何でも拾ってポケットにため込んでいたのだから。

 あの重い一撃は、多分、ローマ軍のつぶての仕業か。でもなきゃいくら油断していたとは言え、人を気絶させるほど強くぶったたけるはずない。
 俺は無愛想に返事を返した。

「ヒヨコにしちゃ、いかすパンチだったよ」

 そう言った途端、マキトの顔がパッと明るくなった。
 俺はそんなマキトを、思いきり睨んだ。

「今度、不意打ちをくわしてみろ」

「何度でもやってやるさ、君を助けるためならね」

 マキトも睨み返してきたけど、その顔は嬉しそうな笑顔のままだったし、声には弾みがある。

 ほんとにマキトって奴はさ。こっちが照れくさくなっちまうじゃないか。こんな時なのに、顔がにやけちまう。
  俺は少し、肩を揺すった。──だけどさ、俺、分かってんだ。

「そのチャンスは、もうないさ」

 いくらマキトが頑張ったって俺は殺される。なのに、不思議と怖くなかった。

「あの少尉、なぜ秘密警察に渡さないって言ったんだろ?」

 ごく当たり前のように、マキトが俺の隣に座りながら聞いてくる。

「言っただろ、サソリと軍のお偉がたとは仲が悪いってさ。サソリが命令した
からと言って、政府軍が国境を侵してまで、おまえをつかまえにきやしない」

 俺は自信たっぷりに言った。
 マキトは、頬に手を当てた。

「じゃ」

「そうさ」

 足を投げ出しながら、俺は言った。

「マリクシャーフ大佐の命令さ」

「でも、どうやってぼく達のこと知ったんだろ? 赤チョッキからかな?」

「派手にやったからな」

 まんざらでもない気分だったが、そうじゃないことは俺が一番知っていた。現実は、もっと厳しい。

「でも、赤チョッキからじゃない。自分達のドジを軍にしゃべるぐらいなら、おつむに穴を開ける方を選ぶ連中だ」

 と、なると答えは一つ。
 俺も、多分、マキトもそれに気がついた。けど、黙っていた。とても、言葉にしたくない答えだったから。
 代わりに、俺は気休めを口にした。

「すぐ分かるさ」

 たとえ俺達が口に出さなくても、知りたくないと望んでも。
 最悪の真相が待ち構えていると薄々感じながら、俺達は薄汚れた地下牢の中でただ、『その時』を待っていた――。                           《続く》

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