プロローグ
 

「うっわぁ、今日もすっごい人出だよな」

 と、おいらは思わず呟いていた。
 ここは、横浜でも有数のデパートFUTABA。大きさや規模はそこそこだが、歴史のある名店だと聞いている。なんでも明治の頃に、双葉百貨店と言う名で創業した由緒あるデパートらしい。

 その最上階に当たる特別催事場では現在、驚く程の行列でごった返していた。

「大キョンシー展の会場はこちらです。あ、グッズ売り場は右手の壁沿いに進んだ先、出口付近に設置しております」

「えー、押さないで下さい、ただ今の最後尾はこちらでございます」

「17時と18時の入場チケットは、すでに売り切れております。19時分のチケットならば、まだ多少の空きがございますが。
 明日の予約チケットですと、午後は完売しております。午前中ならばまだ余裕がございますが」

「あいすいません、催事の特殊性により中学生以下の以下のお子様は保護者とご一緒でなければご入場できません、ご了承を」

 何人もの係員が総出で人並みの整理を行っている中、おいらはゆったりとした足取りで催事場の入り口に向かう。

 『ただ今、時間調整中。次の入場時間まで、お待ち下さい』

 そう書かれた札のかかっているプラスチック製の鎖を軽くまたいで通り抜けようとした時、声がかけられた。

「あ−、もしもし、ちょっと、そこの君! 勝手に入らないで! 入場者はあちらでチケットをどうぞ。それに、時間にならなければ入れませんよ。……って言うか、君、中学生じゃないのかい?」

 新米のバイトと見える高校生が、おいらをジロジロと眺めた後で、咎めるような口調で言う。

「中学生以下の子は、保護者と一緒じゃないとダメだよ。君、ご両親は?」

 そう注意する声も、お疲れ気味の様子だ。
 まあ、同じ注意を一日に何十回と繰り返しているのだから、疲れるのも無理はないだろう。
 が、その疲れには同情するけど、子供扱いされるのはちょっと癪に障る。

「いいんだよ、おいらは特別なんだから。あんた、ミスター藤堂から話を聞いていないの?」

 新顔と見えるバイトにそう聞き返すと、そいつは明らかに戸惑った顔になった。

「え? ミスター藤堂……って、まさか、支配人?」

 おいらとバイトのやりとりが聞こえていたのだろう、揉めている客達の間に入って何やらやりとりをしていた警備主任が顔だけこちらに向けて、短い指示をだす。

「新入り、その方はいいんだ。そのままお通ししろ」

「は? は、はい」

 不思議そうな顔をしつつも、上司からの命令に新米バイトは素直においらに道を譲る。おそらくは長い間待っている行列客の羨望の眼差しを感じながら、おいらは催事場の中へと入っていった。

 前回に入場した客が全員帰り、次回の客がまだいない時間帯の催事場内はがらんとしていて、ゆっくりと歩けるのがいい。見学には持って来いの時間と言えるが、おいらの目当てはキョンシー展じゃない。

 だいたい、おいらにしてみればキョンシーなんて見慣れすぎていて、珍しくも何ともないし。キョンシーだの、キョンシー風衣装だの関連グッズをわざわざ見物したがる日本人の気が知れないぐらいだ。

 ま、だからといってこれも仕事だ、文句は言えない。
 ゆっくりとした足取りで、何か異常はないかにチェックしながら歩いていると、不意に後ろから声をかけられた。

「ニーハオ!」

 それに振り向いたのは、聞き慣れた中国語だったせいじゃない。むしろ、発音が悪すぎてとっさには中国語だと分からなかったぐらいだ。

 一瞬、何かトラブルでも起こったかと思ったのだが、振り返った先にいたのはおいらと同い年ぐらいの少年だった。目が合うと、そいつは人懐っこくニッと笑って、元気よく話しかけてくる。
 が、その内容が意味不明だった。

「やあやあ、ラーメン、チャーシュー、タンタンメン! ホイコウロウに、チンジャオロース、エビチリ、フカヒレ、チャーハン、ギョウザ!」

 ずらずらと料理の名ばかりをあげられて、おいらは唖然としてしまう。なんの呪いだ、これは。

「あれ、通じないかな? まいったな、おれ、あんまり中国語って知らないんだよね。えっと後は……、あっ、そうだ、冷やし中華」

「いや、それ中国語でも中華料理でもないし! つーか、おいら、日本語話せるから」 

 と、思わずツッコむと、そいつは悪びれた様子もなく笑う。

「あ、なーんだ、そうなんだ。なら、早く言ってくれよ〜、言葉が通じないかと思って心配して損しちゃったじゃないか」

「心配していた態度? あれが?
 って言うか、君はなんで、ここにいるんだよ?」

 多少の不信感を込めて、おいらは問いただす。
 本来なら人間の取り締まりはおいらの仕事とは言えないんだけど、さすがにこんな時間に勝手に催事場に入ってきた相手をノーチェックには出来ない。

 見た目はどう見たって普通の人間っていうか、ありきたりの日本人の少年に見えるけど、万一ということがある。
 それなりに身構えたおいらだったけど、彼の返事は拍子抜けするぐらい単純なものだった。

「うん、パパからFUTABAデパートで中国展をやってて、中国から来た人もいるって聞いたから、見学に来たんだよ。なんか、面白そうだしね」

 いや、まて、そこ。

「中国展ってなんだよ、これは大キョンシー展だっつーの!!」

「あ、そうそう、キョンシーだった。で、そのキョンシーってなに?」

 そっからかい。

「そんなのも知らないで見に来たのかよ? キョンシーってのは、動く死体の総称だよ。正しくない埋葬をされた者が、三魂七魄のうち魂をなくして魄のみを持つキョンシーになるって言われている」

 おいらとしてはものすごく大雑把に、初心者向けに分かりやすい説明をしたつもりだったのだが、それを聞いて少年は思いっきりキョトンとした顔になる。

 さっき、いきなり中華料理の羅列を聞かされたおいらもこんな顔をしていたのかなと思いつつ、おいらは説明を更に簡単に変更した。

「まあ、中国版ゾンビって言えば分かるかい?」

「ああ、なるほど、そんな感じなのか。オッケイ、オッケイ、それなら分かるよ。ふうん、じゃあ、これってミイラ展みたいなものなのかー」

 などと言いながら、彼は物珍しそうに周囲を見回す。
 ……厳密に言えば、死後、硬直した死体から発生するキョンシーと、乾燥したミイラである乾屍(コンシー)は別物なんだけど、いちいちそれを説明するのも面倒くさい。

 おいら、別にガイドってわけじゃないし。
 この少年がキョンシーに関係のある人物なら、見過ごすわけには行かなかったけど、どう見たって彼は素人だ。

 となれば、勝手に時間外に催事場には行ってきたのは、警備員達が取り締まるべきことであって、おいらの役目じゃない。

 こいつが何者かは分からないけど、おいらには関係ないだろう。そうと割り切って仕事に戻ろうと思ったのに、奴は歩き出したおいらについてきてジロジロと眺めてきやがるし!

「なんだよ、そんなに見て」

「だって、珍しいんだもん、そのコスプレって。ねえ、それ、元ネタは何? 髪が長いし、もしかして女キャラ?」

 などと聞かれては、黙っていられるわけがない。

「これはコスプレなんかじゃないって! これは道士の格好なんだよ!!」

 一日のうちに何度かはそう言われるが、日本人ときたら道士の基本的な格好も知らんのかい。胸の大極図や背中に背負った剣をみりゃあ、一目で分かりそうな物だけど。

 確かに古めかしい格好かも知れないし、正直言っておいら自身だって気に入っちゃいないけど、師匠がこれを着ろって言うんだから、仕方がない。考えの固い師匠ときたら、この衣装を着ていないと破門にするって脅すんだから。

「それに、髪の毛を伸ばしているのは霊力を集めるためだよ」

 おいらだって面倒でたまらないけれど、これにはこれで訳がある。元々、おいらは霊力が弱めだって言われている。もちろんこの先の修行で伸ばしていくことが出来るだけろうけど、それには時間がかかる。

 未熟な間は少しでも霊力を補うように髪を切らずに伸ばしているのも、師匠の命令だ。

「霊力って、君、霊能者とか死神とかなの?」

 霊能者はともかくとして、死神ってのはなんなんだ、どっからそんな突拍子もない考えが浮かぶんだと目の前にいる少年を問い詰めたくなったが、おいらは何とかその苛立ちを抑えて名乗りを上げる。

「違う、おいらは霊幻道士のナム。
 キョンシーに対する専門家として、このデパートの支配人に招かれたんだよ」

 とは言ってもまだ見習いなんだけど、そこまで正直に言う気はなかった。
 一応はいっぱしに術は使えるし、クンフーだってそこそこ使える。一人で任務に就くのは初めてだけど、師匠や兄弟子の助手としてキョンシー退治をしたことだって何度かはある。

 このキョンシー展は、文字通り本物のキョンシーも展示されている大がかりなもののため、念には念を入れた方がいいというわけだ。もし、キョンシーが何らかの都合でトラブルを起こした時の対処のため、おいらは師匠の命令で日本にやってきた。

「へええ、すげえっ。なんか、プロのガードマンって感じで、かっこいいーっ」

 途端に目を輝かせ、尊敬のこもった眼差しで見られると悪い気はしない。
 ――もっとも、見習いのおいらが派遣されるぐらいだから、この任務ってそんなに重要には考えられていないようだけど。

 実際、おいらが選ばれたのは腕を見込まれたからとは、お世辞にも言えない。おいらが選ばれた理由はただ一つ、じいちゃんが日本人なおかげで日本語が話せるからだ。

 トラブルと言っても、今回の任務地はキョンシーについては無知な日本での話だ。せいぜい何も知らない見物人がキョンシーを封じるお札を外してしまうぐらいだろうし、その程度のトラブルならばおいらでも対処できるだろうと、兄弟子にも言われたっけ。

 いわば、おいらの役割は張り紙の張り直しがメインだったりするのだけど、そこまでバカ正直に言う必要もない。

「まあね。ところで、おまえは何者なんだよ?」

 気をよくしたついでに聞いてみると、そいつはあっさりと応えた。

「あ、おれは鷹虎って言うんだ。藤堂鷹虎」

「タカトラって言うと、イン・フー? ……なんて言うか、個性的な名前だな」

「あはっ、それはよく言われるよ」

 日本人の名付け方に多少の疑問を感じつつも、おいらは聞き覚えのある名字に注目した。

「藤堂って、もしかして、支配人のミスター藤堂の息子か?」

「ご名答!」

 得意げにそう言う少年……鷹虎に、おいらは深く納得する。
 支配人の息子というコネがあるのならば、時間外に入場してきても不思議はない。――些か息子を甘やかしすぎじゃないかと呆れはするけど。

「あっ、あれは何!? なんか、すっごくきれいだけど!」

 と、鷹虎がめざとく見つけて騒ぎ出したのは、拳ほどの大きさもある桃色の宝石だった。

「あれは桜欄玉(ろうらんぎょく)だよ。中国屈指の秘宝なんだってさ」

 宝石にはあまり詳しくないおいらはよくは知らないが、楼蘭玉は翡翠の一種らしい。翡翠と言えば緑色の物が有名だが、実際には翡翠というのは色の種類はかなり豊富なのだそうだ。

 楼蘭玉は、その名の通り桜を思わせる鮮やかな桃色の翡翠だ。この大きさでこれほどの色合いを見せるのは希少らしく、とんでもなく高価な品だと聞いている。

 あまりにも貴重なので、わざわざ楼蘭玉のために特別展示室として一室を設けているぐらいだ。

 おいらが監視しなきゃいけないのはキョンシーだが、もしこの楼蘭玉に万一のことがありでもしたら、おまえを破門した程度では済ませられないから命がけで守ってこいとは、師匠の言葉だった。

 そんなこと言われたって、おいら、警察じゃないし困るんだけど。
 ま、日本の警備システムはハイテクで優秀だって言うし、基本的にはおいらがすることなんてない。

「あ、言っておくけど、それに触るなよ。少しでも触ろうとしたら、警報が鳴って警備員がとんでくるから」

 念のため、好奇心の強そうな鷹虎にそう釘を刺してから、おいらは出口の方へと向かう。今回も特に異常はなかったし、そろそろ次の見物客達が入ってくる時間だ。

 観客がいる時間帯は、邪魔をしないように展示場から離れていた方がいい。そう思って出口に向かうおいらの後を、なぜか鷹虎もついてくる。ま、いっか。

 二人して出口近くまで進んだ時、暑くもないのにやたらとハンカチで額を拭いている中年男が待ち受けていた。

「あっ、ナム君、待っていたんだよ!!」

 客を意識してか小声だが、やたらと焦ったように言う男は紛れもなく知った顔だった。
 このデパートの支配人、ミスター藤堂だ。

「あ、パパ」

「あれ、鷹虎? おまえがなぜここに……、いや、そんなことはどうでもいい、ナム君、まずはこれを見てはくれないか。
 つい15分ぐらい前に受付に届けられた手紙らしいのだが」

 焦りと困惑が入り交じった表情を見れば、何かが起こったらしいと一目で分かる。
 支配人が差し出した切手も消印もない封筒には、『予告状』とへたくそな日本語で大書きされていた。

「なんだ、こりゃ?」

 とりあえず、すでに空けてあるその封筒の中身を取り出す。その中身に目を通して、おいらは思わず声を上げた。

「げっ!?」

『本天下午5時、キョンシー展に展示されている楼蘭玉をいただきに行く。楽しみに待っていたまえ、わっはっは!  怪盗 ウー・ロン』 

「ウ、ウー・ロンだってぇ!?」

 思わず声に出してしまったおいらの隣で、鷹虎が暢気な声を出す。

「なに、これ。なんの悪戯?」

「うむ、悪戯だとは思うのだが……万が一にでも楼蘭玉が盗まれたら、とんでもないことになってしまう。まあ、字も汚いし、ウーロンという名前もふざけているし、きっと子供の悪戯か何かだろうが……」

 苦り切った表情をしている支配人が、悪戯だと言って欲しがっているのは、一目で分かる。だけど、おいらにはこれがただの悪戯とは思えなかった。

「それは……どうでしょうね」

 そう言いながら、おいらは予告の冒頭部分を指さした。

「ここで『本天下午』と書かれているでしょう? これって、中国風の書き方ですよ、日本じゃ見たことない。それに、このキョンシーって書いてある部分をよく見て下さい。一度、漢字で書きかけて消した後が残っています」

「ん、ホントだ。でも、変な漢字だね、見たことない難しい字だ」

 鷹虎も支配人も、そろって予告状を覗きこむ。顔は似てないが、仕草が似ているところがいかにも親子だ。

「これはキョンシーを中国語で書いたものです。日本の常用漢字には入っていない字ですから、日本人には馴染みはないでしょう。つまり、この予告状を書いたのは中国人……そして、おいらには中国人怪盗でウー・ロンという名前に聞き覚えがあります」

 噂でしか聞いたことがないのだが、高い宝石を狙って荒らし回っている謎の怪盗だ。これも噂だけど、ウー・ロンは元風水師のキョンシー使いだと聞く。

 もっとも、予告を出してから盗むという派手な仕事ぶりが徒になったのか、最近では警察にがっちりとマークされて盗みも失敗続きだとかで、めっきり名前を聞くこともなくなっていたのだが――。

「そ、そんな有名な怪盗だったんですか!? 初耳ですよ!!」

 支配人が動揺したように叫ぶ。
 まあ、知らなくて当然だと思うけど。本国でこそ有名だけど、日本でその名が知られているわけがない。
 だからこそ、日本で一稼ぎするつもりなのかもしれない。

「そ、それで、これはいつ盗むと予告してあるんですか!? こうしちゃいられない、すぐに警察に連絡しなければ!! ああ、その前に警備任に言って警備も強化しないと」

 おいらの説明を聞いて顔色を変えた支配人が、詰め寄ってくる。え、えーと……そこまで真剣に聞かれると、言いにくいんだけど――。

「日本語だと……本日午後5時」

「「ええっ!?」」

 藤堂親子の声が面白いぐらいに揃ってハモッたかと思うと、二人とも一斉に時計に目をやった。
 現時刻は、4時57分。

「さっ、3分後ぉっ!?」

「うわっ、本当に3分しかないっ、なんなんだよっ、この予告状はっ!?」

 騒ぐ日本人親子の気持ちは、おいらにもよく分かる。本当に、こんなに寸前に予告するなんて、何を考えているんだか。無意味なもん出しやがって!!
 しかし、怒りを感じるおいらと違って、支配人は青ざめておいらにすがりついてきた。

「ナ、ナム君っ、どうか楼蘭玉を守ってくれっ! あれを盗まれたら、大変なことになってしまうっ!!」

 必死になるのも、無理はない。
 楼蘭玉は、本来なら国外に出すことを許されない中国の至宝の一つなのだ。
それが日本で盗まれたなんてことになったなら、凄まじく大きな責任をとらなくてはならなくなってしまう。

 警備を受け持つおいらはもちろんのこと、このキョンシー展を取り仕切る支配人の立場だって相当に苦しくなるだろう。いや、それどころかヘタをすると外交問題にまで発展しかねない。
 それを考えると目眩を感じたが、おいらは素早く決断した。

「分かりました! おいらがなんとか守ります!!」

 相手はただの泥棒じゃない。ウー・ロンはキョンシー使い……おいらと同じ霊幻道士だ。
 修行で得た力を利用し、キョンシーを悪事に使うだなんて許せない。

「そうと決まれば、早く楼蘭玉の展示されている部屋に行かないと! 支配人は、お客さんが入らないように止めておいてください!」

 予告の時間は、もう寸前まで迫っている。おいらは支配人の返事も聞かずに走り出した。

「う、うん、分かったとも! それじゃナム君、くれぐれも頼んだよっ」

 支配人の声援を背に受けて、おいらは一直線に展示室へと向かった――。
                                                                                                                         《続く》

1に続く→ 
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