25 小さな魔神と、神になろうとした男 ダイとバーン

  

 大魔王バーンは魔界に太陽をもたらすのを目的とした男であり、その野心の前には地上攻略など児戯にも等しかった。

 なにせ、大魔王バーンは真の地上攻略は黒の結晶で行う予定を持っていた以上、魔王軍などほんのお遊び……言っては悪いが、予定時間が来るまでの余芸に過ぎなかった。そのためか、要所以外にはハドラーやミストバーンに全指揮権を預けている。

 さらに、バーンの地上攻略の作戦は非常に緩いものであり、人間に被害やプレッシャーを与えて降伏を迫るというよりは、自分に逆らうだけの力のある者を見極め、従う意思があるものならば部下にする方針を取っている。

 大魔王バーンの最終目的を知ってから彼の戦略を見なおしてみると、地上後略というよりは、むしろ強者を振るい分けるためにあえて手緩い個人戦を繰り返させたようにさえ見えてくる。

 実際、そのやり方でバーンはバランやダイに目をつけ、自軍へと勧誘している。
 竜の騎士であるバランやダイは、バーンにとっても無視しきれない力を持つ存在だ。
 より高みを目指しているバーンは、優れた配下を得るためにはその過去を問いすらしない。


 敵対関係になったとしても、バーンは強者には寛大だ。
 バーンがダイの配下になれと誘いをかけたのは、バーンパレスでの最終決戦、まさに勇者が大魔王に挑んできた瞬間だ。

 他を引き離す圧倒的強さを持つ者だけが知る孤独を説き、人間の愚かさを訴え、自分ならばダイを理解してその力に相応しい評価を与えてやると――彼は、そう宣言した。その言葉に、ダイは共感すら抱いている。

 老バーンを倒した後、ダイは彼に同情めいた台詞を口にしているのは、彼の心境に理解をよせた何よりの証拠だろう。神に匹敵する程の強さを持つ者同士という意味で、ダイとバーンは同類だ。

 ただ、ダイとバーンを決定的に分けるのは、正義に対する考えだ。
 バーンの主張は単純であり、明快だ。すなわち、力こそ正義。他者を蹂躙し、捩じ伏せてでも押し通す自分の望みそのものこそが正義だと、彼は主張する。

 それに対し、ダイの信じる正義は、自身の中にはない。
 何が正しいかは、ダイ自身さえ意識しているかどうか怪しいものだが、それでも彼は正義というものはあると信じている。はっきりと口に出して主張できないものかもしれないが、ダイは正義を輝かしく素晴らしいものとしてとらえている。

 それは、他人から与えられたもの。育ての親ブラスが、師であるアバンが、親友であるポップが、彼の大切な存在である仲間達が見せてくれたものだ。だからこそダイは揺るぎなく正義を信じ、それを踏みにじる者を許せないと考えている。

 ダイにとって、正義は何よりも尊びたいものであり、力づくで押し通していいものではない。だからこそ、ダイはバーンとの戦いで人間の勇者ダイとしてではなく、竜の騎士としての力を全開にして戦った際、優位にもかかわらず力押しの正義を押し通す自分に憤りを感じ、涙すら浮かべて哀しんでさえいる。

 ダイが信じた正義は、バーンとは決して共有できない。
 それと同じように、バーンもまた、ダイが信じ抜いた人間の輝きを、認めることはできない。互いに共感しあえる強者の孤独を抱きながらも、ダイとバーンは決して相容れることのできない関係といえる。

 だが、互いに互いを全力で否定しあうしかない存在だとしても、全力で死闘を演じた二人の間には余人には窺い知れることのできない絆があったのだろう。

 破れたバーンにダイが別れの一言を告げるシーンには、勝利の喜びではなく、強敵への哀悼の意が感じられる――。
 
 

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