26 元祖魔王と正義の勇者 アバンとハドラー |
15年前、突如として人間世界に現れたハドラーは、世界を席巻しようとしていた。彼の目的には、人間世界の支配――そのため、ハドラーが真っ先に行ったのは、当時世界最強とうたわれたカール王国への攻撃だった。 その際、ハドラーはわざわざカール王国を訪れ、当時は王女だったフローラを、魔界の神への生け贄として差し出すようにと要求している。 そのために自分への恐怖を徹底的に植えつけ、人間の希望の象徴を砕きひれ伏せさせようという考えを元に動いていた。 だからこそハドラーの行動は、自分で動き、自らの手で敵を倒すという方向に向かっている。それも、見せしめの意味を強めるためにできるだけ残虐に――初期の魔王ハドラーは、そんな男だったはずだ。 だが、15年後、魔界の神の手によって蘇ったハドラーは、魔軍総司令官として人間の前に出てきた際は勇者アバンの抹殺のためにやってきている。 しかし、これは人類を支配するという意味では、さしたる意味がない。 15年前のハドラーの戦法とはかなり違う。 ことに15年前に一度倒された経験を持つハドラーが、アバンへの強い拘りや憎しみを抱くのも当然だろう。 その執念は時を経るごとに強く、大きくなる一方であり、物語後半にはその思いは彼本来の目的であったはずの人類の支配など薄れ、アバンの使徒打倒を生涯の目標に掲げている。 ハドラーがそこまでアバンに拘る理由は、おそらくは失ったものを取り戻すためだろう。 だが、それを阻んだのがアバンだ。 自分の価値を、自分で認めることができない――その感情がいかに人を苛立たせ、激しい劣等感や自覚のない焦りを引き起こすものか、想像に難くない。 ハドラーの最初の分身体であるフレイザードの焦燥感や、強烈な自己顕示性、余裕のない出世欲――それは、ハドラー自身の中にあったものだ。ゆえにハドラーは、自分の存在価値を、他の誰でもない自分に認めさせなければならなかった。 敗北した相手を打ち倒せば、それで済む――最初は、ハドラーも単純にそう考えたのかもしれない。 アバンを倒してもなお、ハドラーは救われてはいない。 意識する人が出来たのなら、たとえその存在がいなくなったとしても自分の中の恋心は消えはしないものなのだから。 アバンがいないにも関わらず、アバンに拘る心はハドラーから決して消えはしない。 それどころか、ことあるごとにハドラーの目的を阻むのはアバンの弟子……ダイの存在だ。アバンへの拘りはアバンの使徒への拘りに掏り代わり、彼らの存在がハドラーの存在価値をなおさら揺るがせる。 アバンを倒したことこそが大魔王バーンに認められたハドラーの存在価値だったのに、皮肉もそれを減少させていくのはアバンの弟子達だ。 焦りに苛まれる自分の心を補うために、ハドラーはアバンの弟子……ダイの抹殺に執念を燃やしだす。 一時は自分を見失いかけたハドラーだが、ダイの目覚ましい成長ぶりとポップの言葉により、彼は開眼する。 どんなに否定しても、消せないアバンへの拘りをついに自覚したのだ。 そのためには、ハドラーは何も惜しまなかった。自分の命すら惜しまず、勝利のために己の全てをかける決意をする。 本人は気がついていないが、この時、ハドラーは15年前にアバンに敗北した際に無くしたものを、ほとんど取り戻している。 後にバーンに裏切られはしたが、ハドラーのその精神の気高さが減じることはなかった。最終的にハドラーの人生観を変え、限り無い充足感を与えたのはアバン本人ではなく、その弟子であるダイとポップだったが、きっかけは紛れもなくアバンだった。 ダイ達の旅の始まりが、全てはアバンから始まったように、ハドラーもまたアバンに大きな影響を受けた一人だ。 それだけに、ハドラーがアバンに感謝の意を告げ、彼の腕の中で死んでいくシーンは運命的な絆すら感じる。 |