37 人間でない人間の子と、心優しい怪物 ダイとブラス

  

 鬼面道士のブラスはデルムリン島の長老とも言うべき立場であり、島に住む怪物達から尊敬と信頼の厚い、実に出来た怪物だ。

 デルムリン島にいる怪物達は基本的に動物系の怪物が多く、知能は至って低いものが多い中で、ほぼ人間並みの知能と倫理観、優しさを持つ彼は、実は元魔王に仕えていた過去を持っている。

 だが、ハドラーと再会した時、ブラスは魔王の存在を即座に察知していたが、ハドラーの方はブラスに注目すらしていなかった。
 魔王から授かったという魔法の筒を持っていたとは言え、ブラスはハドラーにとっては意識に残るほどの部下とは言えなかったのだろう。

 実際、ザボエラの謀略によりダイと戦わされた時も、ブラスはただ攻撃本能のみで戦う低レベル怪物の扱いに近かった。
 ブラスの本質が、少しばかり口うるさいがいたって面倒見がよく、優しい気質であることを考えると、酷な話である。

 魔王の思念波を受ける限り、ブラスは自分が理性を無くして人に害をなす怪物に成り下がると承知してもいる。だからこそ、ブラスは魔王を倒して怪物達を凶暴な欲望から開放してくれた勇者という存在に、限りのない感謝と尊敬の念を感じているのだろう。

 ブラスのその勇者への尊敬や憧れの思いは、しっかりと養い子であるダイに受け継がれている。

 偶然拾った人間の子……ブラスにとっては異種族の子であるにも関わらず、彼はその子を我が子のように可愛がり、立派に育てている。
 しかし、我が子同然として育てながらも、ブラスは真実をダイに隠そうとはしていない。
 ダイは最初から自分が捨て子だと知っていたし、自分が怪物ではなく人間だという認識も持っていた。それにも関わらず、一向に暗い影がないダイの裏表のなさは、ブラスが愛情を注いで育てたからこそだろう。

 ダイのおおらかさや、物事を隠さず、憶さずに真っ直ぐにぶつかる点などとは、ブラスの教育の成果が大きそうだ。
 そして、ダイはブラスを『じいちゃん』と呼んでいるのが、興味深い。

 ダイの年齢や性格から考えて、この呼び方は本人の意思ではなく、ブラスがそう教えた通りに呼んでいる名だろう。子供は親が教えてくれた呼び掛けで、名を呼ぶものなのだから。

 ブラスはダイを我が子のように考えているし、ダイもブラスを親代わりと考えている。だが、呼び名は親子としてのものではない――そこには、ブラスの優しくも深い思惑がある様に思える。

 元々、ブラスはダイの名をつける際、元の名前の最初のイニシャルが『D』だからと、両親の意向を少しでも残そうとした思いやりを見せた。
 遭難した船のたった一人の生き残りな上に、絶海の孤島のデルムリン島に辿り着いた子供が親と生きて再会できる可能性など、ほとんどありはしないだろう。

 だが、もしもダイが両親と会える時が来たのなら、その時『父さん』が二人いたのではダイを悩ませる元になる。
 自分は単なる親代わりであり、ダイには本当の両親がいるのだと、ブラスは常に意識して子育てに当たったのだと思える。

 ダイがいつか人間の世界に行くと決めたのなら、ブラスにはそれを見送る覚悟もあった。
 実際、魔王退治の旅に出るダイを、ブラスは快く見送っている。

 我が子同然に可愛がりながらも、親代わりだと言う自意識を忘れず、だが、少しの距離を感じさせることなくダイを育てたブラスの子育て方針は、立派の一言に尽きる。
 ブラスのその思いやりは、ダイのためにしっかりと役に立っている。

 バランの死の間際に、ダイは父親とブラスは違うと即座に結論を出している。意識はしていなくとも、無意識化でダイはブラスの意思を受け止め、それに応える形で成長しているのだろう。

 出番は少ないものの、常にダイの無事な帰還を願っていたブラスが、ダイと再会できないまま物語が終わったのが、非常に残念でならない。


  
  
  

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