46 どこか似ている熱血漢と冷血漢 ヒムとラーハルト

 

 短気でけんかっぱやく、それでいて意外なくらい人情家な一面を持つヒム。
 冷静で思慮深さを持ち、他者を突き放したような印象を持つラーハルト。
 まさに熱血漢と冷血漢。

 ヒムとラーハルトの性格は実に対照的であり、一見相容れない存在の様にさえ思える。だが、まるで似ていない様でいて、この二人は実は共通点も多く、重なる部分が多い。
 まず、第一に挙げられるのは主君に対する忠誠心の強さだ。

 同じ魔王軍の一員でありながら二人はバーンのためや自身のためではなく、主君のために戦おうとしていた。その忠誠心は主君が亡くなっても消えることはなく、その遺志を継ぐかの様に戦いに身を投じている。

 気に入る人間の傾向も、実は似ている。
 人間でありながら不死身の名に恥じない強さを発揮するヒュンケルを強敵と認めるところや、人間味溢れるポップに親しみを感じるところなども、そっくりだ。

 そして、最大の共通点は目的意識のなさだ。
 彼らは、戦いたいと言う根本的な思いの他は、何も持っていない。
 ハドラーに生み出された駒であるヒムは、そもそも生きる目的すらない。

 だが、溢れる様な生命力を持つ彼は、与えられた役割以上に積極的に生きようとしているが、これといった目的はないのだ。

 それは、ラーハルトも同じだ。
 バランやヒュンケルの様に、人間を憎んでもおかしくはないだけの過去を持ちながら、彼は復讐の思いは抱いてはいない。

 つまり、彼もまた目的のない戦士だ。
 特に目的がなく、だが何かのために戦いたいという明確な意識を持つ彼らは、戦うための理由を欲していた。

 最初に誰かを守りたいという思いを持つがゆえに戦うダイ達や、野心のために戦うバーンなどと違い、目的意識が希薄な彼らは、それを補うものを必要としていた。
 それが、主君の存在なのだろう。

 戦う理由に値すると思える主君に認められ、その主君のために戦うことを、彼らは望んでいた。
 戦いの中でしか生きられず、また戦いから離れられないのであれば、意義のある戦いのために全力を尽くしたいと思うのは当然だ。

 意義を与えられることで、初めて戦いは意味を持つ。
 言い換えれば、ヒムやラーハルトは主君に出会うことで、初めて人生に意義を与えられたも同然なのだ。彼らが主君に絶対の忠誠を捧げるのも、当然だろう。

 そして、その主君を亡くした後に、主君に影響を与えた存在に心を動かされるようになっても、不思議はない。
 もちろん、彼らも感情を持っている。

 自分に欠けている人間味を大切にしたいと思う感情があるからこそ、仲間を大切にする勇者一行の考えに共感できるのだから。
 ヒムの場合は、特にそれが顕著だ。

 だが、それでもその感情の根底にあるのは、より良い戦いを求め最強の戦士になりたいと望む、戦士の心だ。
 彼らの行動を見ていると、主君の敵を討ちたいと望むよりも、戦士として生きる目的を新たに求める気持ちの方が強いように思えてならない。

 だからこそ、彼らはこだわりなくかつての敵と手を組み、新たな目的を定めて戦うことにためらいがない。
 性格こそ正反対でも、魂の根源が似ているヒムとラーハルトは、実に息のあったいいコンビだ。
 
 

47に進む
45に戻る
四章目次2に戻る
解析目次に戻る

inserted by FC2 system