48 魔王が惜しんだ人間 ポップとハドラー |
ポップとハドラーの出会いも、かなり早い。ダイとずっと一緒に行動していたポップは、ダイとほぼ同じ時期にハドラーに出会っている。だが、ダイと違って、ハドラーが当時のポップを認識した様子はない。 せいぜいがアバンの弟子としてであり、一番最初はこそこそと逃げようとしたポップをそのまま見逃そうとしたぐらいだ。 ダイには次々と刺客を差し向けたハドラーも、ポップに対しては何も手を打っていない。フレイザード戦の時に顔を合わせた時も、ハドラーはポップを高評価したとは言いがたい。一応覚えてはいたし、ポップの魔法力に驚くシーンもあるものの、雑魚の思わぬ抵抗に腹を立てたという雰囲気が強かった。 そんなハドラーが、ポップを意識するのはザボエラと組んでダイ達に闇討ちをしかけた時のこと。 ハドラー自身が姑息な手段を恥じる心を持っていたからこそ、核心を突いてきたポップの一言が堪えたのだろう。 その証拠と呼べるのが、ダイとの最初の決闘の際、邪魔をしたポップを名前で呼ぶシーンだ。それまでハドラーは、ポップを名前で呼んだことはない。個別認識さえしていない様に、小僧とか魔法使いなどと呼んでいたが、この時以降は名で呼ぶようになっている。 しかもこの時、ハドラーはひどく冷静で、即座にポップの行動を理解している点に注目したい。 しかし、この時のハドラーはポップが仲間の危機を見兼ねて行動を起こしたと正確に見抜いている。 たとえばザボエラは、他人を見捨てられない人間の美徳を知識として理解し、悪用しているものの、それは感情として相手に共感し、理解しているわけではない。感情的には、ザボエラは人間の美徳を馬鹿にしているのであり、愚かだと決め付けているのだから。 ゆえにザボエラは、ダイ達とは相容れない存在であり、まかり間違っても仲間にはなり得ない。 超魔生物になる前までのハドラーは、ザボエラとほぼ同じような思考パターンしか持たなかったのだが、残りの寿命がわずかになってから初めて、彼は他者の感情や行動を推察し、理解しようとする心を持つ様になっている。 ミストバーンに友情を感じたり、ザボエラに義理を感じて配慮してやったりしたのが、何よりの証拠だ。 しかし、根っからの武人であるハドラーがその感情を最重視したのは、全てが終わりかけた頃――ダイとの決闘に敗北した後のことだ。キルバーンの罠に掛かったダイとハドラーを助けるため自ら罠に飛び込んだポップは、ハドラーに気を取られたせいで罠からの脱出に失敗している。 ヒュンケルを育てることで人間の心を持つ様になったバルトスをアバンが殺せなかった様に、ポップもまた、ダイとの戦いを経て人間味を持つ様になったハドラーを見捨てられなかった。 人間ではないダイも、友達と受け入れられるポップにとっては、敵であろうとも関係はない。ハドラーの感情や生き方に共感を抱き、好意を抱いた段階で、彼を『仲間』として認識してしまった。そして、苦闘を乗り越えてきた当時のポップには仲間を見捨てるという選択肢は、最初からない。 最後までこだわりを持っていた戦いに対しての悔いがなくなったハドラーは、自分を仲間として認め、思わず助けようとしてくれたポップに強く心を動かされる。 ダイとの戦いがハドラーの執心をすべて昇華させ、限り無い充足感を与えたのだとしたら、ポップとの会話はハドラーの人生観を変えさせ、他者へ想いをかけることの素晴らしさを教えた。 二人の師であるアバンが、ハドラーに対して理解させることができなかったものを、アバンの教えを受けた弟子達は二人がかりで達成したのだ。 ハドラーが意識していたかどうかは定かではないが、ダイだけでなくポップもまた、アバンの後継者だった。天才と呼ぶに足る師から、ダイとポップは互いを補い合うがごとく、それぞれ得意な部分だけ受け継いでいる。 ダイがアバンの剣技や正義感、戦士の心を受け継いだのなら、ポップはアバンの知識や頭脳……そして、敵にさえかける情の部分を受け継いでいる。 根っからの武人であるハドラーにとっては、ポップの受け継いだものは重視すべきものとは思わなかったのだろうが、彼がもう少し早くその価値に気づいていれば物語の展開は大きく変わったかもしれない……そう思うのは、買い被りというものだろうか。 |