30 ヒュンケルの葛藤(1) |
ダイの大冒険の素晴らしさの一つとして、主人公以外のキャラクターの時間の流れや心の動きなどの描写されており、物語を多角的な視点で楽しめると言うものがある。 囚われの身となったマァムはヒュンケルの部下の手によって、地底魔城へと連れ去られてしまう。 ヒュンケルの部下であるモルグはマァムの質問にちゃんと答えて乱暴する気配もないし、彼女の武器まで一緒に持ち帰って保管している。 魔法を使えないヒュンケルにしてみれば、魔弾銃は使い勝手のいい武器となるはずだ。倒した者から戦利品を奪うのは勝者の権利であり、ヒュンケルはそれを自分のものにすることもできた。必要ないのであれば、その場で壊すこともできたし部下に下げ渡してもよかった。 だが、そうしなかったのはヒュンケルの律義さと、自覚してはいない正義心の現れだろう。 マァムを開放する際に、きちんと返してやるつもりだったと推測できる。 後ろ手に拘束までして、居心地の悪そうな牢獄に閉じ込めているからひどい扱いをしているように見えるが、ヒュンケルはマァムの身の安全に関しては細心を払っている。 ヒュンケルがハドラーに対して悪感情を抱いていることを差し引いて考えても、マァムへの気遣いが感じられるエピソードだ。 ところで、ヒュンケルとハドラーの対面は実に興味深いものがある。 それに比べるとハドラーはかなり弱気というか下手にでている印象で、訪問の理由さえ明確ではない。 不敵さを感じさせるからヒュンケルが一見押しているように見えるが、彼の言動は焦り過ぎていると言うか、あまりにも余裕に欠けている。ここが元はハドラーの居城だと知っているのであれば尚更、ヒュンケルはわざわざ廊下などに出向かずに王座に座ってゆったりと彼を待ち受けておくべきだった。 たとえ、今は他に地位を持っていたとしても、かつて自分が王座としていた部分に他人が居座っているのを見るのは、不快を感じさせるものである。「兵どもが夢の跡」の皮肉も、王座からかけた方が屈辱も倍増するというものだ。 駆け引きを行いたいのであれば、自分の手の内や感情は見せず、逆に相手の感情を揺さぶって本音を引き出すのが常道だ。 どうせハドラーを怒らせても構わないという反逆心を持っているのであれば、ここはハドラーの矜持を傷つけて本音を引き出し、少しでも相手の思惑や情報を手に入れておいて損はない。だが、ヒュンケルは駆け引き自体を行う気が全くなかったようで、ハドラーが用事を言い終わる前にぴしゃりと撥ねつけている。 ここもヒュンケルの若さというか、気の短さがはっきりと現れている。同じ断るにせよ、用事を聞いてからでも遅くはない。ハドラー側から協力の申し出を聞くだけは聞いて、ヒュンケルの行動を妨げる発言を確認してから、それはバーンからの命令と抵触すると抗議すればいい。 それを待てないで自分の言い分のみ一方的に宣言するヒュンケルは、どうもコミュニケーション能力に欠けている傾向があるようだ。 この時のハドラーの目的は、ダイの抹殺のみだ。バーンやバランがダイの正体に気が付く前にダイを始末すること……それを最優先に考えている。人間であるヒュンケルは、ダイの正体に気がつく心配がまったくない以上、ハドラーにとっては都合のよい刺客だ。 ハドラーがここで交渉をしたい本当の相手は、ヒュンケルではなくバーンなのだから。ヒュンケルがハドラーとの交渉を打ち切った段階で、ハドラーの訪問の目的は達成されている。 前にも述べたが、ハドラーがヒュンケルを配下に加えたのは彼の意思ではない。むしろ、ハドラーはヒュンケルを魔王軍に加えることに反対さえしている。それを押して推挙したのは、大魔王バーンその人である。 ヒュンケルがバーンの目に適う戦士ではなく、魔王軍には相応しくない……それを立証するためにも、戦いを前にハドラーがヒュンケルを訪れたにも関わらず、バーンの命令を盾に協力を断られたと言う形を作ることこそが重要なのだ。 後々、ヒュンケルが失敗をした際、バーンの勅命があるからこそヒュンケルが増長し独断で行動するようになったと更迭する口実にできる。ハドラーの駆け引きの仕方によっては、バーンへ迂闊な勅命をださないように牽制することもできるかもしれない。 そう考えたからこそ、ハドラーは最初からヒュンケルに熱心に交渉もしなければ、ましてや命令もせず、話をあっさりと切り上げて引き下がった――そう考えるのは穿ち過ぎだろうか。 ところで、ハドラーは最後に、クロコダインの行方をヒュンケルに尋ねている。 それでなくても、無断で戦地を離れるのは明らかに敵前逃亡……それだけで罰則ものだ。軍の威信にかけても連れ戻し、処分するのが本来のやり方だろう。 ハドラーがクロコダインのことを、個人的にかなり気に入っていたのではないかと思えるエピソードだ。 無断逃亡だけならまだしも、人間に味方をしたクロコダインは明らかに魔王軍の裏切り者である。それを承知していて庇う辺りにヒュンケルの男気と、クロコダインの人徳が伺えるシーンである。
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