さて、前の考察でマァムの戦いにおける間違いをあげたが、戦士としては失格としか言えない行動であっても、ヒュンケルを救うという意味ではマァムの行動には大きな意味がある。
と言うよりも、彼女の存在が無ければヒュンケルの改心はありえなかっただろう。
ダイはヒュンケルに同情は感じていたが、それを積極的に押し出すことまではできなかった。せいぜいが戦いの手を緩めてしまう程度のものであり、彼に全面的に賛成もできなかったし、かと言って彼を否定することもできなかった。
ポップはヒュンケルへの同情より、彼の行動を許せないと感じる気持ちの方が強かった。
そのポップがダイをリードする形で戦いに挑み、途中からダイが闘争本能の塊になったせいで、彼らはヒュンケルにとっては敵にしかなり得なくなった。
もっとも、ダイとポップの力押しはヒュンケルにとっていい薬にはなった。
魔王軍で生きてきたヒュンケルは、ある程度以上魔界や魔王軍の思考が染み付いている。力が正義と広言して憚らないバーンの思考は、そのままミストバーンの思考でもある。バーンに絶対の忠誠を誓い、彼の思想に心から賛同している彼が、バーンのその基本的精神に反するはずも無い。
その思想の影響を、ヒュンケルも少なからず受けているように思える。
絶対的な力を持つ者だけが己の思考を押し通すことができる――戦士にとっては理解しやすい考えだ。
むしろ、その思考があるからこそヒュンケルはダイとの戦いに固執していたと言えるだろう。
復讐に取り付かれたヒュンケルは、力で押し切って圧勝さえすれば、今までの自分を全て肯定できると思っていたし、そう信じたがっていた。
だが、復讐では人は救われない。
負の感情は、最終的には人を幸せにはしない。
達成するまでのエネルギーは物凄いものだし、達成した瞬間の満足感こそは高くとも、その後は目的を見失ってしまって迷走してしまうだけだからだ。
この時、ヒュンケルの望み通りダイに勝利して彼を殺したところで、後は目的を見失って空虚感に苛まれるか、あるいはさらに暴走して破壊衝動に取り付かれるようになった可能性は高い。
いい例が、バランである。
妻を殺した相手への復讐はすでに完了しているのに、それでも彼はまだそれを認められない。国一つ破壊しても一向に満足できず、復讐の対象を人間全てへまで広げてしまっていた。復讐に囚われて不幸になった人間の好例だ。
だが、ある意味で幸いなことに、ヒュンケルは復讐を達成できなかった。
勝てると思った相手に力負けし、敗北した。
アバンにこだわるヒュンケルにとって、アバンに繋がる者に負けた事実は彼の凝り固まった自意識を砕く効き目があった。
力こそが正義という思考が心の根底にあるからこそ、勝てば自分が正しいと思える。ならば、敗北は即ち間違いと結論していただろうし、その理論を押し通すためにヒュンケルはアバンの使徒を殺そうと考えていた。
だが、実際には自分の方が敗北してしまった。
ダイにとどめを刺されそうになった時、ヒュンケルの感じた絶望は大きかっただろう。
しかし、そこを救ってくれたのがマァムだ。
何の見返りも代償も求めずにヒュンケルを案じて何度も呼び掛けられた言葉は、今まではヒュンケルが堅く張り巡らせていた自己防衛の壁に阻まれて届かなかった。だが、敗北によってその壁を崩されたヒュンケルに、マァムの優しさはストレートに届いたのだ。
ヒュンケルを否定せず、彼を認めてくれる存在――ヒュンケルの最悪の時でさえ救いの手を差し伸べてくれた彼女の温もりは、大きな意味があった。
この時、ヒュンケルはマァムの渡してくれたアバンのしるしを握り締め、感涙している。
自分の感情を押し殺すことに慣れ、クールな彼が感情を抑えきれないほど心を強く動かされたこのシーンは印象的だ。
ダイとポップによる力押しの猛反対と、全てを肯定してくれたマァムの優しさ……この二つが重なって、ヒュンケルは自分自身の間違いをやっと認めることができた。そのどちらかだけでも、ヒュンケルの改心は有り得なかっただろう。
今まで全ての情熱を傾けてまで目的としていたことを、間違いと認めるのには多大な勇気が必要なことだ。
それを成し遂げたヒュンケルの心の強さは、素直に称賛したい。
もっとも、それはそれとしてこの後の行動にはいささか文句がある。
その後、フレイザードの襲来により闘技場がマグマの海に飲まれた際、ヒュンケルは命懸けでダイ達を救出している。改心した心を示そうとするその誠意はいいのだが、なんのためらいもなく自己犠牲を選んだことだけはちょっと賛成しがたい点ではある。
この時、戦いの後でダイとポップ、ヒュンケルは体力を消耗しきっていたが、マァムは全くの無傷だった。ヒュンケルもあれだけの力を出せた。ダイの回復力の高さも考えれば、全員が助かることを前提で協力しあえば別の方法もあったのではないかと思える。
クロコダインもすぐ近くに控えていたわけだし、ギリギリまで生存のために頑張って欲しかったものである。
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