38 パプニカ残党の奮闘(2)

 

 レオナが、というよりもパプニカ王国の生き残り達が本拠地として選んだのが、バルジ島。
 パプニカの海岸から少し離れた沖合に位置する小さな島で、周囲の海は渦で囲まれていて行き来は困難であり、大きな塔が立てられているのが特徴の島である。

 しかし、誰の考えでここに来たのかを是非聞いてみたいのだが、対人間戦ならばまだしも魔王軍との戦いの本拠地とするにはこれ以上ない程不利な場所である。なにしろ、魔王軍の中には飛空能力を持つ怪物は少なくはない。
 人間にとっては移動しにくい場所ではあるが、飛行系怪物には襲い放題の場所だ。

 なにしろこの塔は採光が良い造りとなっている。最上部は壁すらなくて柱だけであり、飛行系の怪物にとってはさぞや攻撃しやすいだろう。現に、フレイザードはあっさりとこの塔に侵入を果たしている。

 場所的にも籠城に向く場所ではないし、兵士達が食料を奪い合っていたところを見ると充分な食料や準備が整えられていた様にも思えない。元々が軍事やいざという時の避難場所として用意されていた場所ではないのだろう。

 デルムリン島がそうだったように、何らかの儀式の時に使うための実用性のない塔だったのではないかと疑っている。
 そんな場所へ避難せざるを得なかった時点で、魔王軍戦以前のパプニカの軍事力の薄さや危機意識の不徹底が伺える。

 後での話になるが、フローラがカール王国滅亡後も多少の兵力を温存し、いざとなれば他国と連絡を取れる手配を整えた上できちんと軍事拠点に身を隠していたことを考えれば、パプニカ側の対処はかなり甘い。


 兵士達が食料争いを始めた辺りにも、現場の混乱や命令系統の不徹底さが現れている。
 パプニカでは兵士達だけでなく、神官達も戦力として数えられている。レオナがデルムリン島へ来た時もそうだったが、神官の格好をした者達が護衛として活躍していた。だが、どうもこの神官達と兵士達の命令系統に連携が取れていない可能性が高い。

 デルムリン島の時、司祭であるテムジンの陰謀があったとは言え、レオナの護衛についていったのは全員が神官だった。兵士達も船に乗っていたのだし、護衛という意味なら神官だけよりも兵士も織り交ぜた方がより戦力に幅が出るのだが、そういう形は取らなかったところを見ると、パプニカの軍事的な命令系統にそもそも問題があった様に思える。

 実際の歴史でもよくあることだが、宗教を司る部署と軍備を司る軍部が対立し合い、権力争いの結果命令系統が別れてしまうのはありがちなことだ。
 ましてや、パプニカでは司祭であるテムジンや賢者バロンの陰謀があったため、その混乱も尾をひいていた可能性も高い。

 軍人系の上司の姿が見られないのも、痛い点だ。軍部では上官の命令は絶対であるから、将軍クラスの人間が生き残っていればもっと兵士達の統率はなされていただろう。だが、王は行方不明の上に生き残っている兵士達はどう贔屓目に見ても若くて経験が浅そうな者ばかり。

 神官達も、今一歩頼りになりそうな者がいない。三賢者にしても、素質の高さはあっても年が若く騒動への対処も甘い点は否めない。国で最も高位の立場にいるはずなのに、食料争いのケンカさえ沈めることのできないのだから。

 いずれにせよ、バジル島の塔は拠点的な意味でもそこに集まった者達という意味でも、寄せ集めの感じが強い。
 だが、その中で異彩を見せているのがこの国の王女であるレオナだ。

 兵士達の争いの元である食料をはたき落とし、毅然とした態度を見せるレオナの登場シーンは鮮烈だ。
 彼女は、兵士達が……というよりも、この塔にいる者達が何を必要としているのか理解している。

 兵士達の不満は、単に食料の不足のせいではない。
 それは、表面的なきっかけにすぎない。祖国が滅亡し、敗残兵が辛うじて集まっているだけの状況に不満を感じないはずがないだろう。しかも、この先どうなるか分からないとあれば、不安は増す。

 不満と不安は相乗効果で強まり、その捌け口として争わずにはいられなくなっている  レオナは、それを強く咎めている。
 そして、不満からケンカを始めた兵士達だけにではなく、部下達全員に向かって自分達の目的を再確認させている。

 自分達が敗北したのではなく、今は身を隠して反撃の準備を整えているのだと宣言し、誇り高く生きるべきだと周囲を鼓舞している。
 この言葉は、パプニカの残党達にとっては非常に効果的だった。

 どんな人間もそうだが、人は自分の価値を認めてもらいたいと望むものだ。自分のしていることが価値のあることであり、それに誇りを持つということは人間にとって大きな意味を持つ。

 特に、大きな失敗をした後や傷を負った人間にとっては尚更だ。
 パプニカの敗北という事実に傷ついた生き残り達にとって、国を守りきれなかった現在の自分達を恥じる気持ちがあるからこそ、なお、この言葉は胸に響いただろう。

 この時、実際に争いに走った兵士達が深く反省し、逆にそれを諫めていた立場の者達が誇らしげに彼女を見つめているのが、非常に印象的だ。説教というものは難しいものであり、特に演説の形で大勢の前で少数の人間にだけ反省を促すのはやりにくいものだ。

 下手をすれば、説教を聞いた者全員が責められているような気分にさせられたり、逆に印象が薄まって説教したい者には効果がなかったりなど、印象は悪くなることは多い。

 だが、その点レオナは演説者としての才能がある。
 彼女は他者を引きつける言葉を、短く、しかも印象的に使いこなす才能に長けている。しかも、相手の反省をさらりと受け止め、他者に希望を与える力も持ち合わせている。

 軽いユーモアを含めて周囲の笑いを誘い、緊張感もほぐすことのできるレオナは非常に高いコミュニケーション能力を備えていると言える。
 敵であるフレイザードも認めているが、彼女のカリスマ性や統率力はたいしたものだ。


 軍事的思考や戦力としては色々と欠けている部分も多いが、政治家としてのレオナの強みは理想を高く掲げることができる点だ。
 実現できるかどうかはさておきとして、人間という者は理想を標榜するものだ。

 ゆえに、どんな古今東西を問わずどんな政治家も理想を公言してきた。どの程度実現できるかとか、本人の意思に沿っているなどはさておいて、物事には理想や建て前は必要なものなのだ。

 この時、レオナは勇者が必ず助けに来てくれると周囲を励ましている。
 だが、この言葉には根拠がない。
 パプニカ王がアバンを通じてダイに希望を託したとは言え、それが実現しているかどうかでさえこの時のレオナには伝わっていないのだから。

 しかし、レオナは自分が勇者を信じて希望を持つことで、周囲の希望を維持できると知っている。だからこそ気丈に振る舞い、理想的な王であろうとするレオナの存在は、パプニカにとって非常に大きい。

 国が滅亡しても、王族が生き延びていればそれは象徴的な立場というだけでも意味がある。

 だが、人材が極端にいなくなっているこの時のパプニカでは、単に王女という立場であるだけに甘んじず、王女として相応しい振る舞いを常に考え、実行できる意志力を持っているレオナが指揮を取らなければまとまらなかっただろう。

 

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