50 炎魔塔の破壊(2)

 

 自分達が罠にはめられたことを知ったダイは、真っ先にポップ達のことを心配している。
 だが、それに気を取られ過ぎずにまずは目前の戦いに集中しているのはダイの長所だ。バダックにきちんと気を配り、アドバイスまで与えている。

 それはそうと、バダックの低レベルな活躍っぷりはある意味で見せ場とも言える。
 パプニカ一刀流の冴えを見せると豪語した割には、腕を大きく振りかぶっての切りかかるバダックの剣は大振りで隙が多く、あっさりと敵に躱されている。しかも二の太刀を彷徨う鎧に当てたのはいいが、そのせいでものの見事に剣が砕けてしまっている。

 目の当てられない様な低レベルっぷりではあるが、彼の戦い方を見ていると若き日のバダックならそこそこは戦えたのではないかとも推察出来る。
 剣を折ってしまったということは、剣が極端に粗悪であるか、もしくは当てる角度に気を使わず切ると言うよりは力任せに殴り付けた可能性が高い。

 剣での戦いと一言で言っても、日本刀のように切れ味で勝負をする剣術や、突きの鋭さに全てを賭けたフェッシングなど技術を競うものから、剣の重み自体を武器とする殴り合い的なものまで様々だ。

 特に中世ヨーロッパの歴史を見てみると、剣とは名ばかりで刃の切れ味はほとんど効かず、重量で相手を殴りつけてダメージを与えるのを主目的とした武骨な武器が中心だ。

 バダックの戦い方も力に任せて剣で振るっている様にしか見えないので、中世の一般的な剣士のごとく、技術よりも体力と気迫で相手にダメージを与えて戦闘不能に追い込むパワーファイターだったのではないかと思える。

 しかし、この戦い方では年齢を重ねて体力が落ちるにつれ威力を失う。もともと技術がないので、ブランクがあったのならなおさらそれが顕著に現れる。バダック自身も『久々に』と言っているが、若い頃の絶頂期にスポーツをやった経験のある者がブランクを置いて再び同じスポーツに挑戦した場合、初心者よりも怪我をしやすい傾向がある。

 本人的には若い頃の最高時のイメージ通りに身体を動かせると思っているのに、実際にはブランクのある身体の自由が効かないため、イメージと身体の動きが一致せずに失敗をしやすいのだ。生兵法は怪我の元と俗に言われる様に、なまじ経験のない者よりも危ないとも言える。

 バダックの危機に気がついたダイは、極力魔法使いと戦うようにと忠告している。魔法にさえ注意すれば、魔法使いは非力  ブラスやポップなど魔法使いが身近にいたせいか、さすがに弱点をよく知っている様だ。

 バダックに魔法使いを任せ、自分は彷徨う鎧を引き受けたダイだが、余りにも数が多すぎて不利は否めない。そこでダイはジャンプで彼らの中から抜け出し、アバンストラッシュを放とうとした。大技で一気に数を減らす作戦だ。

 ところでこの時、ザボエラは空高く飛び上がったダイを驚いて見ているだけで、何もしてはいない。その気になれば遠距離攻撃魔法も、目立たないが実は飛翔呪文も使える癖に、ダイのジャンプ力に驚いているだけで全く手出しはしていないのである(笑)

 口では偉そうなことを言っているが、ザボエラはあまり実戦で戦いに積極的なタイプではない様だ。
 それとは逆に、ミストバーンは無言のままダイの背後に忍び寄り、いきなり攻撃をかましている。

 ところでこの時、ミストバーンは両手を組んで思いっきりダイを殴り、地面に叩き落としている。
 しかもその後、間髪入れずに闘魔傀儡掌をしかけてダイの動きを封じた。

 この彼の行動は、見ていて面白い。
 ミストバーンは爪を鋼鉄の様に伸ばす技や、さらにはその爪を鞭のように使って相手を拘束する技も持っている。空中に飛び上がったダイに不意打ちをかけるのなら、そのような直接攻撃をしかけることもできたはずだ。

 だが、この時のミストバーンはそこまで熱心ではない。
 自分の手でダイを殺したいと考えているのではなく、自分達かもしくはザボエラの配下に殺させるためにサポートをしている雰囲気である。

 ミストバーンのこの控え目な行動には、ハドラーを司令官として立てる思考が感じられる。
 今回の魔王軍前出撃によるダイ討伐計画は、言うまでもなくハドラーが考えた作戦だ。


 つまり、個々の軍団長が単独でダイと打ち取るよりも、全魔王軍によってダイを倒したという事実が一番望ましいのである。バーンの片腕であるミストバーンは、今はハドラーの配下にいても自分が実質的にはハドラーよりも上位にいるという自覚があるし、またハドラーがそれを気にしていることも承知していた。

 そんな際、ミストバーンが手柄を独り占めしたとしたら、司令官としてのハドラーの指揮力に影響がでないとは言い切れない。リーダーを立てるために、わざと控え目に行動している……そんな風に感じ取れるのである。

 手柄を特に必要としていない上、この時点ではダイ達になんの思い入れを感じていないミストバーンにしてみれば、どうしても自分でダイの息の根を止めたいという意識はない。


 そして、ミストバーンのその欲のなさに気を良くしたのか、ザボエラもここではかなり悠長に構えている。身動き出来ないダイに直接攻撃する訳でもなく、配下達にやられるのを待てばいいとばかりに、自分はその場で最弱と思われるバダックの相手をしている。

 このザボエラの行動は、手柄が『自分達のもの』になるという確信があるからこそだろう。

 出世欲の強いザボエラではあるが、彼は意外にも協調性はある。クロコダインの時もそうだったが、自分一人が手柄を独り占めしなくとも、誰かとの共同作業で手柄を獲得出来ればそれでよいと考える傾向が強い。

 まあ、自分の労力は極力使わずに相手の尻馬に乗るという形を取りたがるので、協調性と呼ぶよりはおこぼれ狙いといった方が正しい気がするが、フレイザードのように何が何でも単独の手柄にこだわるという欲望は無いのである。

 この時、ザボエラはわざわざ死の呪文……ザラキを使用しているのだが、これはゲームでは本来は僧侶の呪文なのである。身分的にもザボエラは司教と名乗っているし、彼が攻撃魔法が得意とはいえ基本は僧侶系なのは間違いがなさそうではあるが、その割には実はザボエラは一度も回復系魔法は使用したことがないのである。

 自分が傷ついた時でさえ、ホイミすら唱える気配が無いのだ。
 しかも、ザラキは本来は『敵1グループに効果のある死の呪文』のはずなのだが、バダック一人にしか効いていない。

 まあ、効き目もゲーム版の突然死とは違ってじわじわと効くなど微妙に差があるので、ザボエラの趣味で嫌な方向にアレンジがかけられているとも解釈は出来る。
 しかし、それを加味して考えたとしても、もしかすると僧侶としてのザボエラはとんだ無能なのではないかという疑問が浮上するのであるが。

 そもそも、彼の名乗っている『司教』にも疑問は大ありである。筆者が個人的に愛用している、ワープロ内蔵辞書(笑)には、司教をこう定義している。

 司教【しきょう】 カトリック教の聖職の一つ。大司教の次、司祭の上に位する。司教区の長。

 …………まあ、どんな役職を名乗ろうとも本人の自由ではあるのだが、なぜこの微妙に中間管理職的な位をどうして選んだのかは聞いてみたい気がする(笑)
 

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