55 氷魔塔の破壊(3)

 

 空中高くに放り投げられたマァムの身体が、氷魔塔に突き刺さろうとした瞬間、轟音とともに氷魔塔が砕け落ちた。破片となった氷の粒が舞い落ちる中、気絶した少女を腕に抱きかかえたまま颯爽と登場したのは、ヒュンケルだ。

 まさに、主役ばりの見事な登場である。
 マァムが殺されかけていることを悟り、彼女の救出と同時に氷魔塔の破壊を行ったヒュンケルは実に合理主義だ。

 そして、彼の優先順位の変化がはっきりと分かるシーンでもある。
 この時、実はヒュンケルがハドラーを倒したいと望むのなら、千載一遇のチャンスだった。

 ポップへの憂さ晴らしに夢中になっているハドラーはヒュンケルの接近に気が付いてもいなかったのだし、氷魔塔にしかけた攻撃をハドラーに向ければいかに魔王でもただでは済まなかったはずだ。

 だが、ダイ達との戦いを経て復讐心を捨てたヒュンケルは、戦いよりもダイ達への援護を目的としている。
 ダイだけではなく、ダイとその仲間全てへの協力が目的なのだ。

 だからこそマァムを見殺しにして、この場はハドラーの暗殺を優先するという思考は彼にはない。今後の戦いにおいてはその方が有利ではあっても、ダイ達が望む正義の方向性をヒュンケルはきちんと把握している。
 その辺はさすがにアバンの使徒と言うべきだろう。

 ついでにいうのなら、ヒュンケルはポップのこともちゃんと助けている。ただ、言葉が冷淡であり、薬草を顔に投げ付けられたせいか、ポップには全然感謝されていないが(笑)
 ヒュンケルとの再会に感激したマァムが、彼に抱き付くというシーンを目の当たりにしたショックのせいかポップはやたらとヒュンケルに対して突っ掛かって「男女差別だ」と怒っているが、それはかなりの部分で言い掛かりだろう。

 この時、ヒュンケルは薬草を一つしか持っていない。
 おそらくは自分が非常時に使うために持っていた品だろうが、それを惜しげもなく他人にあげているのだ。また、マァムを両手に抱えている上に敵を目の前にしているのだから、薬草を手渡す余裕などあるわけがない。

 運動が得意な人にありがちな思考だが、自分ができることが他人には難しいということを理解しにくい可能性が高い。運動部系の人間は、軽く放り投げたものを受け取るのが簡単と考えているため、それができない人間がいるとは最初から考えてもいないのだ。

 ヒュンケルにしてみれば、ポップの顔に当てるつもりはなく、彼の手の届く範囲に投げただけという可能性は大いにありそうである。

 さらにいうのなら、ヒュンケルはマァムとポップを見比べて、よりダメージを受けていると見えるポップの方を選んで薬草を与えている。その点を考えると、女の子だからと言ってマァムの方を贔屓しているとは言えないだろう。

 実際にこの時、マァムは薬草や回復魔法を使うまでもなくちゃんと自力で立てているから、ダメージを見定める確かな目をヒュンケルは持っているようだ。

 そして、ヒュンケルはこの場は引き受けるから、マァムにポップと一緒に中央塔へ向かうようにと指示を出している。この指示はクロコダインと共通するものであり、彼らが最初から連携や打ち合わせを済ませていることを裏付けている。

 この時、マァムがためらっているのが印象的だ。
 ハドラーに戦いを挑み惨敗したポップとマァムは、ハドラーに対して決定的な戦力にはなり得ない。

 本来の目的だった塔の破壊をクロコダインとヒュンケルが引き受けてくれるというのなら、自分達はダイのサポートのために中央塔に行った方がいいと言うのは正論だ。理性的に考えれば、それに従って当たり前なのである。

 マァムは良くも悪くも優等生的な思考の持ち主で、自分の感情よりも使命の方を優先する。たとえば自習を言いつけられたなら、見張りなどなくとも生真面目に与えられた役割を果たそうとする愚直さが彼女にはある。だからこそ、正義を源にした発言をマァムは無視できない。

 だが、感情的にヒュンケルが気になるマァムにしてみれば、ヒュンケルをこの場に残しておくのは気にかかる。

 理性と感情が全く食い違うからこそ迷いが生じ、だが、ためらいの理由が個人的な感情にすぎないからこそ素直にそれを言うのにためらいがある――この時のマァムの心理は、そんな感じだろう。

 それとは逆に、ポップの方はものすごく軽い調子でヒュンケルに礼を言い、マァムの肩を抱いてさっさとその場を駆け出している。

 ポップにしてみれば、ヒュンケルの発言はある意味で渡りに船だ。
 ポップはハドラーへの敵討ちよりも、ダイの安否を心配する気持ちの方が元々強かった。ハドラーと戦いたいと言うこだわりを全く持っていないポップにしてみれば、ヒュンケルの申し出は理性的に考えて利点しかない物であり、なんの問題もない。

 おまけにヒュンケルとマァムが一緒にいることに焼き餅を妬いているポップにしてみれば、マァムがヒュンケルから離れて自分が一緒に行動する作戦の方がずっと望ましい。
 理性と感情が一致している分、ポップには迷いがない。

 そんなポップを見て、ヒュンケルは彼にしては珍しく笑みを浮かべている。ごくかすかな物だし、顔をほぼ覆い隠す兜をつけているせいで目立たないが、ヒュンケルがこの弟弟子に対して好意的な感情を抱いたことを示すシーンである。

 敵だった時も味方になってからも問わず、初対面の時から一貫してポップはヒュンケルに対して反抗的な態度を見せる上に喧嘩腰な口調で食ってかかることが多いが、その割にはヒュンケルはポップに対してはずいぶんと寛大だ。

 反抗的ではあってもポップはヒュンケルを芯から嫌っているのではなく、むしろヒュンケルの強さを認めていて、信頼さえ感じているのは間違いない。
 ヒュンケルを味方と信じなければ、ここで塔の破壊やハドラーとの戦いを任せられるはずがない。罠の可能性を疑い、少なくとも塔が破壊されるのを確認するまではこの場にとどまったはずだ。

 だが、実際にはポップはヒュンケルを疑うようなことは、一言もいっていない。感情的に気に食わないから憎まれ口を叩いていても、ヒュンケルが味方として助けにきた事実は受け入れている。

 ただ、子供過ぎて自分の感情を抑えきれずに反発を繰り返している……この特徴は、実は、昔のヒュンケルにも当てはまる。
 幼いヒュンケルがアバンに対して常に反発しつつも、心のどこかで慕い、信頼していた。幼い頃の自分と似た行動を取っている――人は、自分に似た存在に愛着を感じるものだ。


 そしてもう一つ、面白い心理分析がある。
 動物学者シートンは、自身の書物の中で『動物は、自分が助けた存在に愛着を抱く』と述べている。助けてくれた存在よりも、自分の意思で助けた存在にこそ、深い愛情を抱くようになると結論付けているのだ。

 面白いもので、ちょっと考えると『自分を助けてくれる存在』に愛情を持った方が本人にとっては得なように思えるのだが、なぜか『助けてくれる存在』よりも『自分が助けた存在』の方に親しみや強い愛着を持つようになるのである。

 これは野生動物を例に考えると、分かりやすい。
 野生の動物はたとえ負傷したところを人間に助けられても、それを感謝などしない。餌をもらったところで、それですぐに懐くわけではない。だが、血が繋がっていなかったとしても自分が育てた赤ん坊に対しては、驚くほどに豊かな愛情を注ぐものだ。

 野生の中では、赤ん坊はひどく無力な存在だ。少しでも油断すれば、すぐに命を絶たれてしまう。保護者が見守り、こまめに気を配って手を貸さなければ生き延びることさえかなわない……そんな存在を、野生動物達は文字通り自分の命を削ってでも守ろうとする。


 相手を保護する対象と見定め、実際にその相手を助けることで深い愛着が生まれる――これは動物心理学だけではなく、人間心理学においても真理だ。
 『手のかかる子ほど可愛い』との故事もあるように、人間の親子関係から考えてもそれは明らかだろう。

 と、前置きが長くなったが、ヒュンケルにとってダイやマァム、クロコダインはどちらかといえば『自分を助けてくれた存在』に近い。バルトスやアバンも、紛れもなく保護者だ。ミストバーンも広義の意味合いでは、保護者の範疇に入る。
 だが、その中で唯一、ポップだけはヒュンケルを助けようとしなかった。 

 この時ヒュンケルは参戦することで、マァムとポップ、引いてはこの場にはいないダイを同時に助けたわけだが、ダイとマァムに対しては『助けられた借りを返した』という感情を抱いただろう。しかもヒュンケルは罪悪感が大きいだけに、まだ借りを返しきれていないと思ってしまっている。

 だが、ポップだけにはそんな負い目がない。ただ自分の感情をぶつけてくる少年を、ヒュンケルの方が助けただけの話だ。
 言わば、ヒュンケルの方が保護する立場に立った訳だ。

 ポップを庇護の対象と見なしたこと、そしてかつての自分やアバンを思い出したことで、ヒュンケルは彼に親しみを感じ、弟のような感覚を抱いたのではないか……筆者はそう考えている。
 

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