58 ヒュンケルvsハドラー戦(3)

 

 ハドラーに倒され戦う力を無くしたヒュンケルは、ハドラー達がダイ達の方へ向かうのを感じて、焦燥感に駆られている。
 この時、ヒュンケルが心配しているのはダイ達の安否であり、自分のことではない。

 瀕死の重傷を負ったとはいえ、とどめを刺されないまま敵がその場を去るというのは、普通に考えれば僥倖なのだが、ヒュンケルは全くそう考える気配が無い。
 自分の身の安全を完全に度外視している上に、ヒュンケルは目的最優先主義だ。

 ダイ達を助けると堅く心に誓った彼は、それを達成することしか考えていない。しかも、ヒュンケルの考え方は非常に独善的というか、自己完結している。

 自分がこの場でハドラーを倒さなければ、それがそのままダイ達に死に繋がるかのような解釈をしている。ある意味でダイ達の実力を軽んじているとも言える発想だが、この思考の幅の狭さはヒュンケルがこれまで他人を信頼しできなかったことが原因だろう。

 バルトスやアバンを除けば、ヒュンケルが今まで接してきたのは魔王軍のごく一部の者に限られる。寡黙過ぎる程寡黙なミストバーンに育てられた上、しかも、ヒュンケルに割り当てられた軍団は思考能力などほとんどないアンデッド系怪物で編成された不死騎士団である。

 保護者も仲間も存在せず、望みがあれば自分の力のみしか当てにできない世界で生きてきたヒュンケルにしてみれば、ここでハドラーを見逃したとしても、ダイ達がなんとかしてくれるとは考えるだけの柔軟性や信頼を持つことができない。

 それどころか、ダイ達を助けるためになら命を失ってもいいとさえ思い詰めているせいで、なおさら柔軟性を失ってしまっている。

 同じように捨て身でも、ポップが『自分がいなくても、ダイやみんながなんとかしてくれる』と考えているのとは、正反対の思考だ。……どちらにせよ、仲間達にとってはあまり歓迎できない思考であるのは間違いがないが。

 いずれにせよ、この時のヒュンケルは自分自身で背水の陣を引いている。
 なんとしてもハドラー達を止めようと必死になるヒュンケルが思い出したのは、アバンの教えだった。

 ヒュンケルはアバンとミストバーンの二人の師に育てられているが、彼が尊敬し、教えを尊重しているのは明らかに前者の方だ。修行を受けた期間ならばミストバーンの方が長いはずだが、アバンの教えはヒュンケルの脳裏に深く刻み込まれている。

 習った時は反発し、役に立たないと決め付けた技でさえ詳細に覚えているのが、なによりの証拠だ。
 長い間、アバンを意識して心にずっと残していた技ならば、使いこそしなくても何度となくイメージトレーニングを繰り返していたのと同じことだ。

 闘気を高め、必殺技を放とうとするヒュンケルを見て、この時ハドラーが技の驚異を事前に察知したのはさすが魔王と言うべきか。

 離れろとアークデーモン達に指示と飛ばすが、ヒュンケルの技  グランドクルスが炸裂する方が早かった。凄まじい威力を見せるこの必殺技は、地面に大きな十字の地割れを与え、その場に残ったハドラーの部下を一掃している。
 その際、ハドラーだけは辛うじて生き延びているが、それは幸運だったからではない。


 ハドラーは部下であるアークデーモン二匹を盾にすることでダメージを軽減させ、やり過ごしている。部下の方は技の衝撃のせいで即死か、良くても意識喪失してしまっているのだが、ハドラーは部下の安否を確かめもせずにその場に投げ捨て、被害やヒュンケルの生死の確認を優先させている。

 非情な態度ではあるが、司令官としては正しい行動だ。
 軍として動くのであれば、作戦行動に当たって配下の損失を減らすのが指揮官の勤めだが、どうしても避けられない損失ならば、それが最小限で済むように割り切ることも必要だ。部下を犠牲にしても、指揮官だけは残すのは戦いの定石でもある。

 ハドラー自身もそれは自覚しているのか、この時、部下の全滅と引き換えに一人だけ生き延びたことに対しては特に感想を漏らしてはいない。
 それよりも、ハドラーはヒュンケルを強く意識している。

 ヒュンケルが全ての闘気を使い果たし魂の抜けがらとなった状態であると判断したところまではいいとしても、それを口に出してまでヒュンケルの未熟を高笑う辺りに、ハドラーの余裕のなさを感じる。しかも、ハドラーはヒュンケルを確実に殺すために首を落とそうとしている。

 ついさっき、瀕死のヒュンケルをとどめを刺さずに立ち去ろうとした時とは全く態度が違う。
 これは、ハドラーがヒュンケルに脅威を感じた感情のなせる技だろう。

 現実の殺人事件や戦争記録を紐解いて見ると明らかだが、他者に対して過剰な攻撃を加えるという行動の源は『恐怖』であることが多い。

 相手に恐怖を感じているからこそ、ほどほどのところで手を抜くこともできず、手にした凶器で相手を滅多刺しにしてしまう……そんな犯罪は、数多い。相手の反撃を恐れる余り、必要以上に過度に相手を殺そうとするのである。
 この時のハドラーにも、その傾向が見られる。

 勝ち誇ったような台詞や態度の割に、ハドラーには余裕はない。
 相手に意識がないと承知していながらも、わざわざ相手の反撃を受けないですむ背後を陣取り、必要以上に力を込めてヒュンケルの首を落とそうとしている。

 ここでハドラーに冷静さがあれば、まずは遠間から魔法を放ってヒュンケルが完全に動くことがないかどうかを確認できただろう。
 それからとどめを刺しても遅くはなかった。

 だが、勝利を焦ったハドラーのもらした台詞が、皮肉もヒュンケルの意識を呼び戻した。アバンとバルトスという、ヒュンケルにとっては生涯忘れることのできない恩人の名に反応した彼は、殺されかけた瞬間に闘気をふり絞る。

 正確に言うのなら、この時はヒュンケルは敵に対する反撃のつもりで闘気を込めたわけではないのだろう。

 恩人の名で意識を呼び起こされ、間近に殺気に感じたからこそ反射的に出た反応が、闘気の放出だったのだと解釈できる。身動きもできないヒュンケルにとっては、闘気だけが唯一できる反応なのだから。

 そして、その闘気にヒュンケルの着ていた鎧が反応したのが彼の幸運だった。
 持ち主の意思や闘気に応じる性質を持つ鎧の魔剣は、ヒュンケルの気迫に応じて兜部分が剣へと変化し、それが偶然にもハドラーの心臓を貫いた。

 結果、ハドラーは死亡し、気絶したままとは言えヒュンケルは生き残る。
 この戦いでのヒュンケルの戦法は、決して褒められたものではない。おそらくは自分の力に絶対の自信があるからこそなのだろうが、行き当たりばったりな上にほぼ捨て身の戦いは、戦略的には付け入る隙が大きい。

 戦略的という意味では、ハドラーの方が優れている。幾つかの失敗を犯したとはいえ、圧倒的有利なまま戦闘を進めたはずのハドラーは、実力差というよりは偶然の悪戯のせいで勝利を逃してしまう。

 後に、ハドラーの死に顔を見た配下の者が、凄まじいまでの形相に彼の無念を感じるが、それも当然だろう。アバンやその弟子への恨みを果たすどころか、彼らへの敗北感を強めただけで終わったのだから。

 だが、戦いにおいて最重要視されるのは過程ではなく、結果だ。
 ヒュンケルとハドラーの戦いは、ヒュンケルが勝利を収めた――それが動かしようのない事実であり、戦いの結末だ。

 

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